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第3話 彼女との出会い

ー/ー



 結局ここは何をするところなのだろう。この壺は、壺の中の水は、一体何だったのだろう。何もわからないままだ。
 本来はこれも、がやるはずだったことだ。俺が代わりにやったことで、こんな大事になってしまった。やはり部外者が出しゃばらない方が良かったんだ。


 そこへ、こつ、こつ、と響き渡る靴音。広間の奥からやってくる、心地の良いリズム。機械のように、正確に。
 この歩調、ハゲではない。別の何者かだ。


「——貴方、一人?」


 姿が見えると同時に、足音の主は俺に声を掛けてきた。
 その穏やかで落ち着いた声音に似つかわしい、真っ黒なドレスに身を包んだ金髪の女性。極力肌を出さないようなその装いに、かえって色気をそそられる。こちらに近付くにつれて、天窓から差し込む陽の光が長い髪を眩しく輝かせていた。
 その妖艶な雰囲気に、彼女は信用しても良い味方なのか、俺を害する敵なのか判断がつかなかった。ただただ彼女の美しさに見惚れてしまい、声を出すことも、身動きを取ることすらできなかった。


 彼女の問いに俺が答える前に、彼女は空になった壺の中を見て何かを察したらしい。ふっと柔らかく微笑んで、俺の頬へ手を伸ばし、舐めるように俺を凝視してきた。


「へぇ……貴方が。少し物足りないけれど、悪くはないんじゃないかしら」


 そう言って彼女は目を半ば伏せ、ぐっと顔を寄せてくる。彼女の瑞々しい唇がすぐそこまで迫り、まさに触れようかというちょうどその時、不意に背後から声がした。


「つまみ食いなんて、はしたないんじゃありません? ああ、これだから鬼の方々は。野蛮でイヤですわ」


「あらあらこれは、虫ケラのお姫様。ダメじゃない、こんな都まで下りてきちゃ。森へお帰り」


 金髪の女性に頬を押さえられているせいで振り向くことはできないが、どうやら背後からもう一人、女性がやってきたらしい。言っている意味はよくわからないが、彼女らが煽り合っているというのはよくわかった。


 やはり俺が何かを言う前に、金髪の彼女は強引に俺の腕を引いた。その意外な力の強さに、バランスを崩して彼女の身に寄りかかるように倒れてしまったが、彼女はそんな俺をぎゅっと抱きしめる。まるでもう一人の女性へ見せつけるかのように。


「こういうのは早い者勝ちじゃないかしら。……と言いたいところだけれど、この子……流石と言うべきか、とてもわたし一人じゃ食べきれそうにないわね」


「なら、さっさと放したらどうです? 貴女が独占していいモノではないはずですよ」


 二人が言い合っている間に、俺は力任せに金髪の彼女の柔らかい抱擁を押し退けて、二人のちょうど間に立つ。


 ちらと背後からやってきた彼女の方へ視線を向けると、彼女は女性というよりも、背丈は少女のようだった。
 だが何よりも真っ先に、ある一点に目がいって仕方がなかった。背中から生えた、蝶のような色鮮やかな羽。時折 微かに動いていて、本当に彼女から生えているのかと思ってしまう。


「さっきから、この子とかモノとか、勝手に話進めんなよ! っていうか、何なんだよ、あんたたち。ハゲのじいさんもどっか行ったまま帰ってこねぇし……」


 思いがけず、彼女らに当たり散らすように喚いてしまった。
 何も状況がわからないもやもやとした思いもあったからだろう。よくわからない場所に、知っている者が一人もいないというのも、やはり心細かったのかもしれない。終いには、思わず泣きそうになってしまった。


 彼女たちは、互いに視線を外して口を閉ざしてしまった。それもそうだろう。彼女たちからすれば、ここまで怒鳴られるようなことでもなかったと思っているはずだ。


「わたくしたちのことをご存じないと……そんな方もいらっしゃるんですね」


 羽の生えた、薄っすらと赤くも見える銀髪の少女がぼそっと呟き、不思議そうに首を傾げた。


 その彼女の様子にはっとする。もしや、彼女らのことを知らないのはマズかっただろうか。あの受付票は、それなりに知識のある者が選ばれるようなものだったりしないだろうか。
 だとしたら、この辺りに関する無知を露呈したのは良くなかったかもしれない。こんな何も知らない俺がこの受付票を持っていることを、怪しまれたりしないだろうか。


 しかし、そんな懸念は杞憂に終わったらしく、銀髪の少女は呆れたようにため息を吐くだけだった。


星冠(ノヴァ)の器たるあなたには、わたくしたちのことを、きちんと知ってもらわなければなりませんね」


 銀髪の少女が金髪の女性に目配せすると、金髪の女性はわざとらしくその視線を外した。
 俺にちょっかいをかけてきた割には、あまりこの件に深入りしたくないようにも見える。


「ああ、そういう面倒なことはあなたに任せるわ、お姫様。そろそろあの子(・・・)も来るでしょうし、わたしはお暇させてもらおうかしら」


「ちょっ、お待ちなさい、キルシュ!」


「じゃあね。また会いましょう、旦那様(・・・)


 そう艶っぽいウインクを投げて寄こすと、キルシュと呼ばれた金髪の女性の身体は突然青白い炎に包まれる。しかし彼女は苦しんでいる様子もなく、瞬く間に彼女の全身を炎が覆い尽くしたと思ったら、突然ふっと、炎はひとりでに消えた。そして炎の中にあったキルシュさんの姿も、灰すら残さず消え失せていた。


 彼女は死んでしまったのか……? 急に、何故? 誰かの仕業なのだろうか? それにしても、旦那様(・・・)って一体……?


 あまりにも突然の出来事に混乱して、頭の中にはいくつもいくつも疑問符が立ち並ぶ。
 とても行動にまで判断力を回している余裕はなかった。俺は金縛りにあったように、情けなくその場に凍り付いてしまい、目の前の出来事をただ見ているしかできなかった。



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 結局ここは何をするところなのだろう。この壺は、壺の中の水は、一体何だったのだろう。何もわからないままだ。
 本来はこれも、《《彼》》がやるはずだったことだ。俺が代わりにやったことで、こんな大事になってしまった。やはり部外者が出しゃばらない方が良かったんだ。
 そこへ、こつ、こつ、と響き渡る靴音。広間の奥からやってくる、心地の良いリズム。機械のように、正確に。
 この歩調、ハゲではない。別の何者かだ。
「——貴方、一人?」
 姿が見えると同時に、足音の主は俺に声を掛けてきた。
 その穏やかで落ち着いた声音に似つかわしい、真っ黒なドレスに身を包んだ金髪の女性。極力肌を出さないようなその装いに、かえって色気をそそられる。こちらに近付くにつれて、天窓から差し込む陽の光が長い髪を眩しく輝かせていた。
 その妖艶な雰囲気に、彼女は信用しても良い味方なのか、俺を害する敵なのか判断がつかなかった。ただただ彼女の美しさに見惚れてしまい、声を出すことも、身動きを取ることすらできなかった。
 彼女の問いに俺が答える前に、彼女は空になった壺の中を見て何かを察したらしい。ふっと柔らかく微笑んで、俺の頬へ手を伸ばし、舐めるように俺を凝視してきた。
「へぇ……貴方が。少し物足りないけれど、悪くはないんじゃないかしら」
 そう言って彼女は目を半ば伏せ、ぐっと顔を寄せてくる。彼女の瑞々しい唇がすぐそこまで迫り、まさに触れようかというちょうどその時、不意に背後から声がした。
「つまみ食いなんて、はしたないんじゃありません? ああ、これだから鬼の方々は。野蛮でイヤですわ」
「あらあらこれは、虫ケラのお姫様。ダメじゃない、こんな都まで下りてきちゃ。森へお帰り」
 金髪の女性に頬を押さえられているせいで振り向くことはできないが、どうやら背後からもう一人、女性がやってきたらしい。言っている意味はよくわからないが、彼女らが煽り合っているというのはよくわかった。
 やはり俺が何かを言う前に、金髪の彼女は強引に俺の腕を引いた。その意外な力の強さに、バランスを崩して彼女の身に寄りかかるように倒れてしまったが、彼女はそんな俺をぎゅっと抱きしめる。まるでもう一人の女性へ見せつけるかのように。
「こういうのは早い者勝ちじゃないかしら。……と言いたいところだけれど、この子……流石と言うべきか、とてもわたし一人じゃ食べきれそうにないわね」
「なら、さっさと放したらどうです? 貴女が独占していいモノではないはずですよ」
 二人が言い合っている間に、俺は力任せに金髪の彼女の柔らかい抱擁を押し退けて、二人のちょうど間に立つ。
 ちらと背後からやってきた彼女の方へ視線を向けると、彼女は女性というよりも、背丈は少女のようだった。
 だが何よりも真っ先に、ある一点に目がいって仕方がなかった。背中から生えた、蝶のような色鮮やかな羽。時折 微かに動いていて、本当に彼女から生えているのかと思ってしまう。
「さっきから、この子とかモノとか、勝手に話進めんなよ! っていうか、何なんだよ、あんたたち。ハゲのじいさんもどっか行ったまま帰ってこねぇし……」
 思いがけず、彼女らに当たり散らすように喚いてしまった。
 何も状況がわからないもやもやとした思いもあったからだろう。よくわからない場所に、知っている者が一人もいないというのも、やはり心細かったのかもしれない。終いには、思わず泣きそうになってしまった。
 彼女たちは、互いに視線を外して口を閉ざしてしまった。それもそうだろう。彼女たちからすれば、ここまで怒鳴られるようなことでもなかったと思っているはずだ。
「わたくしたちのことをご存じないと……そんな方もいらっしゃるんですね」
 羽の生えた、薄っすらと赤くも見える銀髪の少女がぼそっと呟き、不思議そうに首を傾げた。
 その彼女の様子にはっとする。もしや、彼女らのことを知らないのはマズかっただろうか。あの受付票は、それなりに知識のある者が選ばれるようなものだったりしないだろうか。
 だとしたら、この辺りに関する無知を露呈したのは良くなかったかもしれない。こんな何も知らない俺がこの受付票を持っていることを、怪しまれたりしないだろうか。
 しかし、そんな懸念は杞憂に終わったらしく、銀髪の少女は呆れたようにため息を吐くだけだった。
「|星冠《ノヴァ》の器たるあなたには、わたくしたちのことを、きちんと知ってもらわなければなりませんね」
 銀髪の少女が金髪の女性に目配せすると、金髪の女性はわざとらしくその視線を外した。
 俺にちょっかいをかけてきた割には、あまりこの件に深入りしたくないようにも見える。
「ああ、そういう面倒なことはあなたに任せるわ、お姫様。そろそろ|あの子《・・・》も来るでしょうし、わたしはお暇させてもらおうかしら」
「ちょっ、お待ちなさい、キルシュ!」
「じゃあね。また会いましょう、|旦那様《・・・》」
 そう艶っぽいウインクを投げて寄こすと、キルシュと呼ばれた金髪の女性の身体は突然青白い炎に包まれる。しかし彼女は苦しんでいる様子もなく、瞬く間に彼女の全身を炎が覆い尽くしたと思ったら、突然ふっと、炎はひとりでに消えた。そして炎の中にあったキルシュさんの姿も、灰すら残さず消え失せていた。
 彼女は死んでしまったのか……? 急に、何故? 誰かの仕業なのだろうか? それにしても、|旦那様《・・・》って一体……?
 あまりにも突然の出来事に混乱して、頭の中にはいくつもいくつも疑問符が立ち並ぶ。
 とても行動にまで判断力を回している余裕はなかった。俺は金縛りにあったように、情けなくその場に凍り付いてしまい、目の前の出来事をただ見ているしかできなかった。