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ナイトフライト・イズ・グッド(中編)

ー/ー



「あの……先輩。ちょっと()()してもいいですか?」
「ん? あ、いいよ」

 モチコは休憩と言ったが、別に疲れている訳ではない。
 お手洗いに行きたいだけだった。

 ミライアもそれは分かっているようで、深くは聞かずにホウキの高度を下げ始める。


 ――シグナスで働き始めたばかりの頃の話。
 モチコは空の上で、お手洗いに行きたくなった。

 どうしていいか分からず、ホウキの後ろでモジモジしていたら、ミライアが気づいた。
 そのとき先輩が繰り出した言葉。

「急ぎなら、ホウキの上からでもいいよ。どうせ海に流れるし」

 という衝撃発言が、いまも頭に残っている。

 一瞬、夜空を仰いで覚悟を決めかけたが、乙女であることのデッドラインを完全に越えると思ったので、固くお断りした。

 そのあと恐る恐る、先輩はしたことがあるのか聞いてみたところ「無いよ」との返事が聞けて安堵したものだ。
 飛んでいるあいだはお手洗いに行きたくならないらしい。マジすか。

 あれだけ大量の魔力を使うと、体内の水分も一緒に蒸発しているんだろうか……。

 
 ほどなくして、高度を下げたホウキは、海面に浮かぶ小さな島に着陸する。
 それは正確には島ではなく、魚礁(ぎょしょう)というものらしい。

 巨大な浮き輪のようなもので、漁業のために魚を集めたりするものだそうだ。
 空を飛ぶ魔女の休憩所としても使われている。

 モチコがホウキから漁礁の上に降り立つと、ミライアは「気をつけて」とだけ言って、ひとりで上空へ飛び立ってしまった。
 お手洗いなので気をつかってくれたのだ。

 漁礁の上にあるお手洗いは、とりあえず付けただけ、という感じの簡素なものだった。

 人間がひとり入れる程度の、ぼろい小屋だ。
 骨組みは金属だが、そこに打ち付けてある木の板はつねに潮風に晒されているので、朽ちて隙間だらけだった。
 中からは外の大海原が見えて絶景だが、逆に外からも中が見えるので、全然ありがたくない。

 下は人間が落ちないように工夫されてはいるが、このお手洗い、というか漁礁自体がけっこう揺れる。
 海の上に浮いているので、こればかりは仕方がない。

 お手洗いを済ませて出ようとした時、大きな波が来たのか、漁礁がぐらりと揺れた。

「うぉっと! 危ない……あ!」

 倒れずに済んだが、制服の右腕のケープの部分が少し破けていた。
 揺れたときに、小屋の朽ちた木が飛び出たところにでも引っ掛けたようだ。
 あちゃー、帰ったらおシズさんに謝らないと……。

 そのあとミライアへ大きく手を振って合図をして、ふたたびホウキに乗せてもらう。

 上空から見ると、波がさっきよりも高くなっていることが分かった。
 どうりで漁礁が揺れるはずだ。
 風も明らかに強くなっていた。

「これは、台風かな」

 ミライアはそうつぶやくと、ホウキのスピードを上げて安全飛行限界(フライトライン)まで飛ばす。

 すると水平線のあたりに、それほど大きくは無いが、雲のかたまりが見えた。
 やはり台風だ。

 
 すぐに通信圏内まで戻ってリサと連絡を取り、台風への攻撃(アタック)の許可を得た。
 今回のタイフーンシグナルは3。
 このまま攻撃せずに街に上陸しても、それほど大きな被害は出ない程度の強さだ。

 だが、今回は上陸が深夜になるため、住民の避難活動が難しいこともあり、大事を取ってシグナル2以下に落とすことになった。

「モチコ、頼んだよ」
「はいっ」

 今回はモチコがスクロールを撃つ。
 ここ最近のフライトで、スクロールを撃つ姿勢を何度も練習した。
 魔力をスクロールに流すイメージトレーニングもたくさんやった。
 大丈夫、今日は決めるっ。

 ホウキが台風にまっすぐ向かっていく。
 風と雨が激しくなり、ホウキが大きく揺れ出した。

 モチコは正面にある台風を見る。
 視界いっぱいに広がる雲のかたまり。
 怪物が迫ってくるみたいだ。

「ギリギリまで近づいて左旋回する! そこで撃とう!」
「はいっ!」

 叫ぶように言うミライアに、モチコも叫び返す。

 台風はもう目の前だ。
 轟々と耳に襲いかかる嵐の音。
 もう風と雨のどちらの音なのかも、区別がつかない。

 モチコは風に飛ばされないよう気をつけながら、左胸のポケットからスクロールを取り出した。

「3秒前!」

 ミライアの声が聞こえた。
 左旋回までのカウントダウンだ。

 モチコはスクロールを握った右手を、右前方へまっすぐに伸ばす。
 視線と腕は目標に向けてまっすぐ、練習どおり。

「2!」

 モチコは大きく息を吸う。
 マナが全身を循環し、身体から緑色のオーラが湧きあがる。

「……1!」

 台風の根本がまだ見えない。スクロールを撃ちこむ海面はどこだ?

 落ち着け。ここで焦っちゃだめだ。
 大丈夫。先輩が必ず、見える場所まで連れていってくれる!


 ぐいん、と身体が大きく傾く。
 次の瞬間、ホウキが左へ急旋回した。

 ホウキの先が台風をかすめる。
 台風の渦に飲み込まれるギリギリのところだ。

 視界の右下のほうに、台風の根本と、海面が現れた。

 モチコは練ったオーラをスクロールに流し込む。
 スクロールに刻まれた文字のような模様が、青白い光を放ち始めた。

 そのままオーラを流し続ける。
 焦るな。イメージトレーニングどおり、一定の量で。

 流し込んだオーラに少し抵抗を感じたところで、止める。
 あとはゆっくり息を吐けばいい――。

 ばすん!

 破裂音がして、スクロールから光の矢が放たれた。

(後編へ続く)


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「あの……先輩。ちょっと|休《・》|憩《・》してもいいですか?」
「ん? あ、いいよ」
 モチコは休憩と言ったが、別に疲れている訳ではない。
 お手洗いに行きたいだけだった。
 ミライアもそれは分かっているようで、深くは聞かずにホウキの高度を下げ始める。
 ――シグナスで働き始めたばかりの頃の話。
 モチコは空の上で、お手洗いに行きたくなった。
 どうしていいか分からず、ホウキの後ろでモジモジしていたら、ミライアが気づいた。
 そのとき先輩が繰り出した言葉。
「急ぎなら、ホウキの上からでもいいよ。どうせ海に流れるし」
 という衝撃発言が、いまも頭に残っている。
 一瞬、夜空を仰いで覚悟を決めかけたが、乙女であることのデッドラインを完全に越えると思ったので、固くお断りした。
 そのあと恐る恐る、先輩はしたことがあるのか聞いてみたところ「無いよ」との返事が聞けて安堵したものだ。
 飛んでいるあいだはお手洗いに行きたくならないらしい。マジすか。
 あれだけ大量の魔力を使うと、体内の水分も一緒に蒸発しているんだろうか……。
 ほどなくして、高度を下げたホウキは、海面に浮かぶ小さな島に着陸する。
 それは正確には島ではなく、|魚礁《ぎょしょう》というものらしい。
 巨大な浮き輪のようなもので、漁業のために魚を集めたりするものだそうだ。
 空を飛ぶ魔女の休憩所としても使われている。
 モチコがホウキから漁礁の上に降り立つと、ミライアは「気をつけて」とだけ言って、ひとりで上空へ飛び立ってしまった。
 お手洗いなので気をつかってくれたのだ。
 漁礁の上にあるお手洗いは、とりあえず付けただけ、という感じの簡素なものだった。
 人間がひとり入れる程度の、ぼろい小屋だ。
 骨組みは金属だが、そこに打ち付けてある木の板はつねに潮風に晒されているので、朽ちて隙間だらけだった。
 中からは外の大海原が見えて絶景だが、逆に外からも中が見えるので、全然ありがたくない。
 下は人間が落ちないように工夫されてはいるが、このお手洗い、というか漁礁自体がけっこう揺れる。
 海の上に浮いているので、こればかりは仕方がない。
 お手洗いを済ませて出ようとした時、大きな波が来たのか、漁礁がぐらりと揺れた。
「うぉっと! 危ない……あ!」
 倒れずに済んだが、制服の右腕のケープの部分が少し破けていた。
 揺れたときに、小屋の朽ちた木が飛び出たところにでも引っ掛けたようだ。
 あちゃー、帰ったらおシズさんに謝らないと……。
 そのあとミライアへ大きく手を振って合図をして、ふたたびホウキに乗せてもらう。
 上空から見ると、波がさっきよりも高くなっていることが分かった。
 どうりで漁礁が揺れるはずだ。
 風も明らかに強くなっていた。
「これは、台風かな」
 ミライアはそうつぶやくと、ホウキのスピードを上げて|安全飛行限界《フライトライン》まで飛ばす。
 すると水平線のあたりに、それほど大きくは無いが、雲のかたまりが見えた。
 やはり台風だ。
 すぐに通信圏内まで戻ってリサと連絡を取り、台風への|攻撃《アタック》の許可を得た。
 今回のタイフーンシグナルは3。
 このまま攻撃せずに街に上陸しても、それほど大きな被害は出ない程度の強さだ。
 だが、今回は上陸が深夜になるため、住民の避難活動が難しいこともあり、大事を取ってシグナル2以下に落とすことになった。
「モチコ、頼んだよ」
「はいっ」
 今回はモチコがスクロールを撃つ。
 ここ最近のフライトで、スクロールを撃つ姿勢を何度も練習した。
 魔力をスクロールに流すイメージトレーニングもたくさんやった。
 大丈夫、今日は決めるっ。
 ホウキが台風にまっすぐ向かっていく。
 風と雨が激しくなり、ホウキが大きく揺れ出した。
 モチコは正面にある台風を見る。
 視界いっぱいに広がる雲のかたまり。
 怪物が迫ってくるみたいだ。
「ギリギリまで近づいて左旋回する! そこで撃とう!」
「はいっ!」
 叫ぶように言うミライアに、モチコも叫び返す。
 台風はもう目の前だ。
 轟々と耳に襲いかかる嵐の音。
 もう風と雨のどちらの音なのかも、区別がつかない。
 モチコは風に飛ばされないよう気をつけながら、左胸のポケットからスクロールを取り出した。
「3秒前!」
 ミライアの声が聞こえた。
 左旋回までのカウントダウンだ。
 モチコはスクロールを握った右手を、右前方へまっすぐに伸ばす。
 視線と腕は目標に向けてまっすぐ、練習どおり。
「2!」
 モチコは大きく息を吸う。
 マナが全身を循環し、身体から緑色のオーラが湧きあがる。
「……1!」
 台風の根本がまだ見えない。スクロールを撃ちこむ海面はどこだ?
 落ち着け。ここで焦っちゃだめだ。
 大丈夫。先輩が必ず、見える場所まで連れていってくれる!
 ぐいん、と身体が大きく傾く。
 次の瞬間、ホウキが左へ急旋回した。
 ホウキの先が台風をかすめる。
 台風の渦に飲み込まれるギリギリのところだ。
 視界の右下のほうに、台風の根本と、海面が現れた。
 モチコは練ったオーラをスクロールに流し込む。
 スクロールに刻まれた文字のような模様が、青白い光を放ち始めた。
 そのままオーラを流し続ける。
 焦るな。イメージトレーニングどおり、一定の量で。
 流し込んだオーラに少し抵抗を感じたところで、止める。
 あとはゆっくり息を吐けばいい――。
 ばすん!
 破裂音がして、スクロールから光の矢が放たれた。
(後編へ続く)