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ナイトフライト・イズ・グッド(前編)

ー/ー



 夜風が気持ちいい。

 海の上を飛んでいるホウキは、風をさえぎるものがない。
 モチコは前髪が乱れることは承知の上で、おでこに当たる風を楽しんでいた。

 今夜もミライアのホウキの後ろに乗って、台風の見回りだ。

 シグナスで働き始める前は、夜勤というものになんとなく抵抗があった。
 けれど、実際やってみると意外にいいところがたくさんある。


 まず、真夏の太陽に焼かれることが無いので、涼しい。
 日焼けもしなくて済む。

 それに静かだ。
 強い風が吹いたときの音が聞こえるくらいで、昼間のような喧騒は無い。
 人も船もいない夜の海は、音の数が圧倒的に少ないのだ。

 おしゃべりをすることもあるけれど、先輩は基本的にあまり多くを話さないので、飛んでいる時間の大部分はふたりとも黙っている。

 ただ夜風が肌に当たる感触と、先輩の背中の温度だけを感じながら、静かに夜空を眺めているこの時間が、けっこう好きだった。


 あと、夜の暗さもいい。
 暗くて何も見えないだろうと言われるけれど、それでいい。

 普段は無意識で目に入っている余計なものを、闇がすべて覆い隠してくれる。
 夜はむしろ、いつもは余計なものに紛れて見えにくいものを、よくわかるようにしてくれるのだ。

 目の前にいる先輩から確かな存在を知り。
 天頂に隠れていた星から時間の恒久さを知り。
 月明かりの海にうつるホウキの影から世界の広さを知る。

 世界に対して自分の質量はあまりにも小さく、果てしない闇に包まれているのは頼りないふたりぽっち。
 その無限に引き延ばされて薄くなった、オブラートみたいな心細さを、ひとりひとつずつ、ちゃんと口の中で溶かしながら飛ぶ。

 それを感じられることが好きだった。
 昼番と違って、ふたりきりで飛ぶから出来ること。
 これぞ夜勤の醍醐味といえる。

 とくにこの季節はいい。
 夏は夜、だ。


「モチコ、食べる?」

 ミライアがポケットから出したのは、丸い果物だった。
 モチコはそれを受け取り、手のなかで形をたしかめてみる。
 ミカンよりは少し大きめで、レモンのように鮮やかな黄色をしていた。

「これは……ユズ、とかですか?」
新小夏(しんこなつ)っていう果物らしい。仕事前にシグナスのスタッフの子から貰ったんだ」

 スタッフの子から貰った……?
 って、それはミライアファンクラブからの貢ぎ物なのでは。

 せっかくあげた贈り物を、こんな新参者の相方が横取りして食べてしまったら、まずいんじゃないのか。
 モチコは以前にカフェテラスで見た、先輩を囲むファンクラブの可愛い女の子たちを思い出した。

 これをモチコが食べたことを知られたら、きっとあの可愛い女の子たちに、怖い顔でシグナスの裏まで引きずっていかれて「そんなに新小夏が食べたいなら死ぬほどあげるわ」って風呂桶いっぱいの新小夏の中に埋められて漬け物にされるんだ……。

「私はまだ漬け物になりたくないです……」
「え? それ、モチコの分だから。出張のお土産なんで相方と一緒に食べてください、ってさ」
「あっ……。そうでしたか……」

 ミライアファンクラブはモチコが思うよりも穏健派だったようだ。
 こんな魔法も使えず地味で無表情な相方にも、ご慈悲を与えてくださるとは。

 むしろモチコの方が変な想像をしてしまい心が狭かった。
 反省。すみませんっ。


「シグナスのスタッフに、出張なんてあるんですね」
「あるよ。北の王都に主張することもあるけど、よく行くのは西のアクイラか、東のリラだね」

 ミライアの話によると、北の王都を守るために、台風の経路となっている3ヶ所にタワーが設けられているそうだ。
 王都から見て南にシグナス、西にアクイラ、東にリラ。

 3つのタワーの中でシグナスが最も大きく、本部として機能している。
 アクイラとリラは支部扱いのため小さいそうだ。

「この新小夏は、アクイラに出張に行った子からのお土産。どこも人手不足でね。いまはうちの青組がアクイラに長期でヘルプに行ってる」

 そう言いながら、ミライアは制服のスカートのポケットに手を突っ込んで、何かを探していた。
 ホウキが空中で一旦静止する。

「このナイフを使って。黄色い皮をうすく剥いてから食べるんだって」

 ミライアはポケットから、小さい折りたたみナイフを取り出した。

 ジャガイモを茹でずにかじろうとする先輩に皮を剥かせるのは不安なので、モチコがナイフを借りて剥くことにした。
 リンゴの皮を剥くみたいに、新小夏の黄色い皮だけをうすく剥いていく。

 黄色い皮の下には、白くて分厚い2層目の皮があった。
 この白い皮の部分は、食べられるそうだ。

 モチコは新小夏の皮を剥き終わると、半分に切ってミライアに手渡す。
 白い皮のさらに内側に、オレンジのような果肉があった。

「ありがと。白い皮も一緒に食べるといいらしい。さっそく頂くとしよう」
「私も、いただきます」

 意外にも、白い皮の部分はやわらかくて甘かった。

 中の果肉は柑橘のさわやかな酸味があり、白い皮のやさしい甘さがお互いを引き立て合っている。
 たしかに、これは白い皮と一緒に食べたほうがいい。

「わぁ、おいしいですね」
「うん。うまいね」

 しばらくのあいだ、ふたりで台風が来ないか見守りながら新小夏を食べた。

 ちょっと空いていたお腹も満たされる。
 と、モチコは別のことが気になってきた。

「あの……先輩。ちょっと()()してもいいですか?」

(中編へ続く)


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 夜風が気持ちいい。
 海の上を飛んでいるホウキは、風をさえぎるものがない。
 モチコは前髪が乱れることは承知の上で、おでこに当たる風を楽しんでいた。
 今夜もミライアのホウキの後ろに乗って、台風の見回りだ。
 シグナスで働き始める前は、夜勤というものになんとなく抵抗があった。
 けれど、実際やってみると意外にいいところがたくさんある。
 まず、真夏の太陽に焼かれることが無いので、涼しい。
 日焼けもしなくて済む。
 それに静かだ。
 強い風が吹いたときの音が聞こえるくらいで、昼間のような喧騒は無い。
 人も船もいない夜の海は、音の数が圧倒的に少ないのだ。
 おしゃべりをすることもあるけれど、先輩は基本的にあまり多くを話さないので、飛んでいる時間の大部分はふたりとも黙っている。
 ただ夜風が肌に当たる感触と、先輩の背中の温度だけを感じながら、静かに夜空を眺めているこの時間が、けっこう好きだった。
 あと、夜の暗さもいい。
 暗くて何も見えないだろうと言われるけれど、それでいい。
 普段は無意識で目に入っている余計なものを、闇がすべて覆い隠してくれる。
 夜はむしろ、いつもは余計なものに紛れて見えにくいものを、よくわかるようにしてくれるのだ。
 目の前にいる先輩から確かな存在を知り。
 天頂に隠れていた星から時間の恒久さを知り。
 月明かりの海にうつるホウキの影から世界の広さを知る。
 世界に対して自分の質量はあまりにも小さく、果てしない闇に包まれているのは頼りないふたりぽっち。
 その無限に引き延ばされて薄くなった、オブラートみたいな心細さを、ひとりひとつずつ、ちゃんと口の中で溶かしながら飛ぶ。
 それを感じられることが好きだった。
 昼番と違って、ふたりきりで飛ぶから出来ること。
 これぞ夜勤の醍醐味といえる。
 とくにこの季節はいい。
 夏は夜、だ。
「モチコ、食べる?」
 ミライアがポケットから出したのは、丸い果物だった。
 モチコはそれを受け取り、手のなかで形をたしかめてみる。
 ミカンよりは少し大きめで、レモンのように鮮やかな黄色をしていた。
「これは……ユズ、とかですか?」
「|新小夏《しんこなつ》っていう果物らしい。仕事前にシグナスのスタッフの子から貰ったんだ」
 スタッフの子から貰った……?
 って、それはミライアファンクラブからの貢ぎ物なのでは。
 せっかくあげた贈り物を、こんな新参者の相方が横取りして食べてしまったら、まずいんじゃないのか。
 モチコは以前にカフェテラスで見た、先輩を囲むファンクラブの可愛い女の子たちを思い出した。
 これをモチコが食べたことを知られたら、きっとあの可愛い女の子たちに、怖い顔でシグナスの裏まで引きずっていかれて「そんなに新小夏が食べたいなら死ぬほどあげるわ」って風呂桶いっぱいの新小夏の中に埋められて漬け物にされるんだ……。
「私はまだ漬け物になりたくないです……」
「え? それ、モチコの分だから。出張のお土産なんで相方と一緒に食べてください、ってさ」
「あっ……。そうでしたか……」
 ミライアファンクラブはモチコが思うよりも穏健派だったようだ。
 こんな魔法も使えず地味で無表情な相方にも、ご慈悲を与えてくださるとは。
 むしろモチコの方が変な想像をしてしまい心が狭かった。
 反省。すみませんっ。
「シグナスのスタッフに、出張なんてあるんですね」
「あるよ。北の王都に主張することもあるけど、よく行くのは西のアクイラか、東のリラだね」
 ミライアの話によると、北の王都を守るために、台風の経路となっている3ヶ所にタワーが設けられているそうだ。
 王都から見て南にシグナス、西にアクイラ、東にリラ。
 3つのタワーの中でシグナスが最も大きく、本部として機能している。
 アクイラとリラは支部扱いのため小さいそうだ。
「この新小夏は、アクイラに出張に行った子からのお土産。どこも人手不足でね。いまはうちの青組がアクイラに長期でヘルプに行ってる」
 そう言いながら、ミライアは制服のスカートのポケットに手を突っ込んで、何かを探していた。
 ホウキが空中で一旦静止する。
「このナイフを使って。黄色い皮をうすく剥いてから食べるんだって」
 ミライアはポケットから、小さい折りたたみナイフを取り出した。
 ジャガイモを茹でずにかじろうとする先輩に皮を剥かせるのは不安なので、モチコがナイフを借りて剥くことにした。
 リンゴの皮を剥くみたいに、新小夏の黄色い皮だけをうすく剥いていく。
 黄色い皮の下には、白くて分厚い2層目の皮があった。
 この白い皮の部分は、食べられるそうだ。
 モチコは新小夏の皮を剥き終わると、半分に切ってミライアに手渡す。
 白い皮のさらに内側に、オレンジのような果肉があった。
「ありがと。白い皮も一緒に食べるといいらしい。さっそく頂くとしよう」
「私も、いただきます」
 意外にも、白い皮の部分はやわらかくて甘かった。
 中の果肉は柑橘のさわやかな酸味があり、白い皮のやさしい甘さがお互いを引き立て合っている。
 たしかに、これは白い皮と一緒に食べたほうがいい。
「わぁ、おいしいですね」
「うん。うまいね」
 しばらくのあいだ、ふたりで台風が来ないか見守りながら新小夏を食べた。
 ちょっと空いていたお腹も満たされる。
 と、モチコは別のことが気になってきた。
「あの……先輩。ちょっと|休《・》|憩《・》してもいいですか?」
(中編へ続く)