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優れた魔女になるために大切なこと1選(中編)

ー/ー



 昼休みが終わってランランと別れ、午後からは図書館へ。

 入口の重い鉄扉を肩で押し開け、本棚にかこまれたロビーへと入る。
 今日は図書館の『ティールーム』を掃除する日だ。

 ティールームは、お茶を飲みながら読書ができる部屋になっている。
 高級そうなテーブルとソファー、外の光が入る大きなガラス窓があり、お茶を淹れるための小さなキッチンもついていた。

 ティールームへと繋がるドアに近づき、ドアノブに手をかけて押し開ける。

 すると、開いたドアの隙間から、香りがただよってきた。
 深い森の奥で煙っている霧のような、神秘的な芳香。

 中に人の気配を感じてドアを最後まで開くと、煙る香りの奥に、その人がいた。

 ウェーブのかかった艶やかなゴールドベージュの髪。
 冷たいほどに美しく整った造形の顔。
 全身にまとうミステリアスな雰囲気。

 ――奥様だ。

 肖像画で見たから分かる。
 このお屋敷……いや、この街を含めた広大なグランシュタイン領を束ねる領主。

 ヴェネルシア・グランシュタイン伯爵。

 ……っていうか、はちゃめちゃに美人だぞ!
 肖像画より実物のほうが美人ってどういうこと!?

 モチコはまるで、正体不明の野生動物に出くわした人みたいに緊張していた。
 とりあえず失礼があってはいけないと思い、開いたままにしていたドアをそっと閉める。

 なぜ奥様がここに?

 奥様が図書館で読書をなさるのは午前中で、午後はここには居らっしゃらないはずでは……!?
 それに奥様には、ベテランの専属メイドさんがついているはずではっ!?

 ティールーム内をくまなく見回してみたが、モチコと奥様のほかには誰もいない。
 落ち着け!
 とにかく失礼の無いように……。

 モチコは緊張で、壊れたあやつり人形みたいにカクカクしている。
 その横で、奥様はひと言も発さず、ただ手元にある本を読み続けていた。

 そもそもモチコがドアを開けた時から、ソファーに座ったまま一瞬たりとも顔を上げることすらなく、ずっと本に視線を落としている。
 読書に集中しているのは確かにそうだが、かといってモチコに気づいていない訳ではないと、気配で分かる。
 もちろんわざと無視しているなんてことも無さそうだ。

 ――そうか!
 モチコは頭をフル回転させて答えを手繰り寄せた。

 ただのメイドが部屋に入ってきたくらいで、このお方はわざわざ反応する必要が無いのだ。
 奥様にとってはこれが自然。悪気もなく、嫌味もない。
 ただ高貴な者の立ち居振る舞いなのだ。

 納得できたのは良いけれど、これからどうしよう。
 ティールームの掃除は延期するとして、このまま何もせずに出ていくのも失礼かな……。

 モチコが悩んでいると、奥様はなおも本を読み続けながら、片手でテーブルの上にあるティーカップを持ち上げ、お茶を口にした。
 そのカップがふたたびテーブルに戻され、カップの底がソーサーに軽く当たる。

 その大きくも小さくもない、からん、という音が部屋に響いた。

 高貴な者が自然とする振る舞い――。

 モチコはそれが、紅茶のおかわりを用意すべき合図だと分かった。
 おかわりが欲しい、と口にせずとも、カップを置く仕草だけでそれが伝わってくる。

「しっ、失礼します。おかわりをお持ちします……」

 モチコはぺこりとお辞儀をしてからティーカップを回収し、部屋の隅にあるキッチンへ駆け込んだ。
 奥様のお茶ってどうやって淹れるんだ!? そもそも何のお茶を飲むんだろう??
 ええい、もうやるしかない!!

 こんなことならタワーでおシズさんにお茶の美味しい淹れ方を聞いておけばよかった。
 そんなことを思いながら、半ベソでキッチンの棚を開けて茶葉を探す。

 棚の中には缶がたくさん並んでいて、それぞれ違う茶葉が入っていた。
 数十種類はある茶葉の前でどうしたものかと途方に暮れかけたとき、棚の隅に紙切れを見つけた。

 それは手書きのメモで、細かい字で奥様へのお茶の淹れ方が書かれている。
 茶葉の選び方から、お湯の温度と量、蒸らし時間など、必要な情報が全てまとめられていた。

 ――まさかの救世主きたーーっ!

 モチコは心の中で、このメモを書いた見知らぬ誰かに最大限の祝福を贈った。

 メモには『奥様のご機嫌が良いときの茶葉』とか『奥様の体調がすぐれないときの茶葉』とか『奥様が本を読み過ぎているときの茶葉』とか、事細かく茶葉の選び方が書いてあった。
 いや、奥様の機嫌とか全然分からんし……。
 これ書いた人、すごいな。

 モチコはとにかく無難なものをチョイスすることにした。
 ここは『奥様がナチュラルなご気分のときの茶葉』だ。これでいく。

 モチコはメモの指示どおりにお茶を淹れた。
 ティーカップに注ぐと、その茶葉は紅茶のようで、確かにナチュラルな香りがするような気もする。
 緊張で正直よくわからない。

「お、お待たせいたしました……」

 モチコはナチュラルなお茶を、おそるおそる奥様へと差し出した。

 奥様は手元にある本から一切視線を逸らすことのないまま、ティーカップに手を伸ばし、口をつける。

 ナチュラルなお茶で大丈夫ですよね?
 今日はナチュラルですよね? ね、奥様……?

 ジッと見つめるモチコのことなど気にする様子もなく、奥様はお茶を飲み、何も言わずにカップをソーサーへ戻した。
 変な反応では無いから、たぶん大丈夫だったっぽい。
 ……たぶん!


 奥様はずっと無言で本を読んでいる。

 部屋にはときおり本のページをめくる音と、奥様が紅茶をすする音、カップとソーサーが当たる音だけが、どれも小さく響くだけ。
 モチコの呼吸の音の方が大きいのではないかと心配になる。

 奥様に話しかけて良いのか、話すにしても何を話せば良いのかが全く分からず、モチコも黙るしかない。

 緊張しておでこから変な汗が出てきた。
 汗を拭こうとメイド服のポケットに手を入れ、ハンカチを出そうとする。

 すると、ハンカチではない硬いものが、ポケットから床に落ちた。

 ――ガシャッ!

 突然の大きな音が部屋の静寂を破る。

 慌てて床を見ると、魔窟の鍵が落ちていた。
 しまった、緊張して鍵のことを忘れていた!

「たっ、大変失礼いたしましたっ!」

 モチコはすぐにしゃがんで魔窟の鍵を拾う。

 奥様も大きな音にはさすがに反応したのか、本から目を離して、落ちた鍵をちらりと見たようだった。
 モチコは大慌てで鍵をポケットにしまい直し、奥様にあらためて謝罪しようと、しゃがんだまま顔を上げる。


 そのとき初めて、奥様と目が合った。

 奥様が真っ直ぐに見つめていたのは、手元の本ではなく、魔窟の鍵でもない。
 モチコの瞳だった。

 その静かに撃ち抜くような視線は、モチコを見ているというよりは、モチコの瞳の奥にある深いところを覗いているようだ。
 肖像画では奥様の瞳は金色だったけれど、実物は金色じゃない。

 琥珀色の瞳だ。

 美しく透き通った琥珀の中に、何か重要な秘密が閉じ込められている。
 そう感じさせる色だった。

 はちゃめちゃな美人にじっと見つめられていると、凡人のモチコはそれだけで緊張してしまう。
 今度こそ額の汗を拭こうと手の中のハンカチを握りしめたとき。
 突然、(つや)めいた声が降って来た。

「本を、書いたことは?」

(後編へ続く)


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 昼休みが終わってランランと別れ、午後からは図書館へ。
 入口の重い鉄扉を肩で押し開け、本棚にかこまれたロビーへと入る。
 今日は図書館の『ティールーム』を掃除する日だ。
 ティールームは、お茶を飲みながら読書ができる部屋になっている。
 高級そうなテーブルとソファー、外の光が入る大きなガラス窓があり、お茶を淹れるための小さなキッチンもついていた。
 ティールームへと繋がるドアに近づき、ドアノブに手をかけて押し開ける。
 すると、開いたドアの隙間から、香りがただよってきた。
 深い森の奥で煙っている霧のような、神秘的な芳香。
 中に人の気配を感じてドアを最後まで開くと、煙る香りの奥に、その人がいた。
 ウェーブのかかった艶やかなゴールドベージュの髪。
 冷たいほどに美しく整った造形の顔。
 全身にまとうミステリアスな雰囲気。
 ――奥様だ。
 肖像画で見たから分かる。
 このお屋敷……いや、この街を含めた広大なグランシュタイン領を束ねる領主。
 ヴェネルシア・グランシュタイン伯爵。
 ……っていうか、はちゃめちゃに美人だぞ!
 肖像画より実物のほうが美人ってどういうこと!?
 モチコはまるで、正体不明の野生動物に出くわした人みたいに緊張していた。
 とりあえず失礼があってはいけないと思い、開いたままにしていたドアをそっと閉める。
 なぜ奥様がここに?
 奥様が図書館で読書をなさるのは午前中で、午後はここには居らっしゃらないはずでは……!?
 それに奥様には、ベテランの専属メイドさんがついているはずではっ!?
 ティールーム内をくまなく見回してみたが、モチコと奥様のほかには誰もいない。
 落ち着け!
 とにかく失礼の無いように……。
 モチコは緊張で、壊れたあやつり人形みたいにカクカクしている。
 その横で、奥様はひと言も発さず、ただ手元にある本を読み続けていた。
 そもそもモチコがドアを開けた時から、ソファーに座ったまま一瞬たりとも顔を上げることすらなく、ずっと本に視線を落としている。
 読書に集中しているのは確かにそうだが、かといってモチコに気づいていない訳ではないと、気配で分かる。
 もちろんわざと無視しているなんてことも無さそうだ。
 ――そうか!
 モチコは頭をフル回転させて答えを手繰り寄せた。
 ただのメイドが部屋に入ってきたくらいで、このお方はわざわざ反応する必要が無いのだ。
 奥様にとってはこれが自然。悪気もなく、嫌味もない。
 ただ高貴な者の立ち居振る舞いなのだ。
 納得できたのは良いけれど、これからどうしよう。
 ティールームの掃除は延期するとして、このまま何もせずに出ていくのも失礼かな……。
 モチコが悩んでいると、奥様はなおも本を読み続けながら、片手でテーブルの上にあるティーカップを持ち上げ、お茶を口にした。
 そのカップがふたたびテーブルに戻され、カップの底がソーサーに軽く当たる。
 その大きくも小さくもない、からん、という音が部屋に響いた。
 高貴な者が自然とする振る舞い――。
 モチコはそれが、紅茶のおかわりを用意すべき合図だと分かった。
 おかわりが欲しい、と口にせずとも、カップを置く仕草だけでそれが伝わってくる。
「しっ、失礼します。おかわりをお持ちします……」
 モチコはぺこりとお辞儀をしてからティーカップを回収し、部屋の隅にあるキッチンへ駆け込んだ。
 奥様のお茶ってどうやって淹れるんだ!? そもそも何のお茶を飲むんだろう??
 ええい、もうやるしかない!!
 こんなことならタワーでおシズさんにお茶の美味しい淹れ方を聞いておけばよかった。
 そんなことを思いながら、半ベソでキッチンの棚を開けて茶葉を探す。
 棚の中には缶がたくさん並んでいて、それぞれ違う茶葉が入っていた。
 数十種類はある茶葉の前でどうしたものかと途方に暮れかけたとき、棚の隅に紙切れを見つけた。
 それは手書きのメモで、細かい字で奥様へのお茶の淹れ方が書かれている。
 茶葉の選び方から、お湯の温度と量、蒸らし時間など、必要な情報が全てまとめられていた。
 ――まさかの救世主きたーーっ!
 モチコは心の中で、このメモを書いた見知らぬ誰かに最大限の祝福を贈った。
 メモには『奥様のご機嫌が良いときの茶葉』とか『奥様の体調がすぐれないときの茶葉』とか『奥様が本を読み過ぎているときの茶葉』とか、事細かく茶葉の選び方が書いてあった。
 いや、奥様の機嫌とか全然分からんし……。
 これ書いた人、すごいな。
 モチコはとにかく無難なものをチョイスすることにした。
 ここは『奥様がナチュラルなご気分のときの茶葉』だ。これでいく。
 モチコはメモの指示どおりにお茶を淹れた。
 ティーカップに注ぐと、その茶葉は紅茶のようで、確かにナチュラルな香りがするような気もする。
 緊張で正直よくわからない。
「お、お待たせいたしました……」
 モチコはナチュラルなお茶を、おそるおそる奥様へと差し出した。
 奥様は手元にある本から一切視線を逸らすことのないまま、ティーカップに手を伸ばし、口をつける。
 ナチュラルなお茶で大丈夫ですよね?
 今日はナチュラルですよね? ね、奥様……?
 ジッと見つめるモチコのことなど気にする様子もなく、奥様はお茶を飲み、何も言わずにカップをソーサーへ戻した。
 変な反応では無いから、たぶん大丈夫だったっぽい。
 ……たぶん!
 奥様はずっと無言で本を読んでいる。
 部屋にはときおり本のページをめくる音と、奥様が紅茶をすする音、カップとソーサーが当たる音だけが、どれも小さく響くだけ。
 モチコの呼吸の音の方が大きいのではないかと心配になる。
 奥様に話しかけて良いのか、話すにしても何を話せば良いのかが全く分からず、モチコも黙るしかない。
 緊張しておでこから変な汗が出てきた。
 汗を拭こうとメイド服のポケットに手を入れ、ハンカチを出そうとする。
 すると、ハンカチではない硬いものが、ポケットから床に落ちた。
 ――ガシャッ!
 突然の大きな音が部屋の静寂を破る。
 慌てて床を見ると、魔窟の鍵が落ちていた。
 しまった、緊張して鍵のことを忘れていた!
「たっ、大変失礼いたしましたっ!」
 モチコはすぐにしゃがんで魔窟の鍵を拾う。
 奥様も大きな音にはさすがに反応したのか、本から目を離して、落ちた鍵をちらりと見たようだった。
 モチコは大慌てで鍵をポケットにしまい直し、奥様にあらためて謝罪しようと、しゃがんだまま顔を上げる。
 そのとき初めて、奥様と目が合った。
 奥様が真っ直ぐに見つめていたのは、手元の本ではなく、魔窟の鍵でもない。
 モチコの瞳だった。
 その静かに撃ち抜くような視線は、モチコを見ているというよりは、モチコの瞳の奥にある深いところを覗いているようだ。
 肖像画では奥様の瞳は金色だったけれど、実物は金色じゃない。
 琥珀色の瞳だ。
 美しく透き通った琥珀の中に、何か重要な秘密が閉じ込められている。
 そう感じさせる色だった。
 はちゃめちゃな美人にじっと見つめられていると、凡人のモチコはそれだけで緊張してしまう。
 今度こそ額の汗を拭こうと手の中のハンカチを握りしめたとき。
 突然、|艶《つや》めいた声が降って来た。
「本を、書いたことは?」
(後編へ続く)