117. 私の居場所

ー/ー



「嫌だ!」

 シエルが叫んだ。

 涙を流しながら。声を振り絞って。魂の底から、悲痛な叫びを上げた。

「私はもう、父様の人形じゃない!」

 声が震える。けれど止まらない。止められない。

「家の道具でもない! 私には……私の居場所があるの! 私を必要としてくれる仲間がいるの!」

 その叫びが公園に響き渡った。木々の葉が震える。

「お願い……お願いだから……私から、それを奪わないで……!」

 最後は、懇願だった。幼い子供が親に縋るような、切ない声。

 レオンの胸が、締め付けられた。シエルの震える体を、レオンはぎゅっと抱きしめる。

 けれどギルバートは、動じなかった。

 いや――動じないように見せていたのだ。

 その瞳の奥で、何かが揺らいでいる。けれど彼は騎士だった。命令に従うことが、彼の全てなのだ。

 ギルバートは静かに右手を上げた。

 その瞬間、残りの騎士団が一斉に動いた。

 木を包囲し、退路を完全に断つ。盾を重ね、槍を構え、完璧な陣形を組み上げる。それは一糸の乱れもない、芸術的なまでの統率。

 もう弓矢は通じない。もう逃げ場はない。

 Aランクパーティすら単独で壊滅させる、王国最強の包囲網。

 膠着状態。

 重い沈黙が公園を支配する――。

「大丈夫、仲間を信じよう――」

 レオンは青ざめるシエルを優しく温めた。

 ペンダントの魔道具が発信する魔力で場所も分かっているはずだ。

 きっと――来る。


      ◇


 その時だった。

 空気が、震えた。

「邪魔よ、アンタたちィィィ!」

 青空を切り裂く、元気な声。

 そして――天から降ってきたのは、巨大な炎の龍だった。

 グオオオオオォォォォ!

 咆哮が公園を揺るがした。灼熱の波動が夜気を焼き、騎士たちの顔を赤く照らす。うねる炎の体躯。燃え盛るたてがみ。紅蓮の瞳。それは神話から抜け出してきたかのような、圧倒的な存在だった。

 炎龍が、騎士団めがけて突進する。

「なっ……!?」
「回避だ! 散れェ!」
「うわぁぁぁぁ!」

 完璧だったはずの陣形が、一瞬で崩壊した。騎士たちが蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。

 次の瞬間、炎龍が地面に激突した。

 ドォォォンッ!

 大爆発が起こり、衝撃波が木々を薙ぎ倒す。土煙が舞い上がり、視界を覆い尽くす。熱風がレオンとシエルの頬を撫で、夜空に火の粉が舞い上がった。

 けれど、それで終わりではなかった。

 逃げ惑う騎士たちの足元に、突然――光る沼が現れた。

 ドロドロと粘ついた泥の沼。黄金色に輝くその沼は、まるで生き物のように蠢きながら、じわじわと広がっていく。

「うわっ! 何だこれは!」
「足が……足が抜けない!」

 騎士たちの足が沼に捕らえられ、ゆっくりと沈んでいく。もがけばもがくほど、深く沈む。抜け出そうとすればするほど、泥が絡みつく。

「うちの家族にちょっかい出すのは、どこの殿方ですの?」

 煙の中から、一人の少女が姿を現した。

 陽光のように輝く金髪。慈愛に満ちた空色の瞳。清純な白の僧衣を纏った聖女と見紛う美少女。

 けれど今、その顔に浮かんでいるのは聖女の微笑みではなかった。冷たく、禍々しい、本性の笑み。ロッドを高く掲げながら、彼女はニヤリと唇を歪めた。

「アルカナに剣を向けた罪……思い知っていただきますわ」

 その声は甘く、けれど底冷えするほど冷酷だった。

 泥の沼がどんどん広がっていく。騎士たちが次々と沈み、腰まで、胸まで――身動きが取れなくなっていく。

 そしてもう一人。

 赤い閃光が空を切り裂いた。

 それはギルバートただ一人を目掛けて、一直線に突き進んでいく。

「仲間に手を出すなぁぁぁ!」

 愛剣を構えた黒髪の剣士の瞳が、真っ直ぐにギルバートを射抜いている。

 おぉぉぉぉ!

 刹那、エリナの剣が、ギルバートの大剣と激突した。

 ガキィィィィンッ!

 甲高い金属音が、青空に響き渡った。

 火花が散り、衝撃波が周囲の空気を震わせる。二つの刃が激しくせめぎ合い、互いの力を測り合う。

 エリナの黒曜石の瞳と、ギルバートの鋼のような瞳が、真正面からぶつかり合った。

 互いの息遣いが聞こえる距離。互いの殺気が肌を刺す距離。一瞬の油断が死に直結する、命懸けの鍔迫り合い。

「ほう……?」

 ギルバートが、初めて表情を変えた。

 その顔に浮かんだのは、驚き。そして――興味。

「なかなかやるな、小娘」

 その言葉には、純粋な賞賛が込められていた。この若さで、自分と対峙できるとは。

「当然よ!」

 エリナが歯を食いしばり、渾身の力で剣を押し返す。筋肉が軋み、腕が震える。けれど瞳の光は消えない。

「私たちの……家族は……渡さないわ!」

 その叫びと共に、エリナは剣を振るった。

 ガキィィィン! と再度重厚な金属音が響き渡る。

 けれどギルバートの大剣は、微動だにしない。まるで岩壁に剣を打ち付けているかのような、絶対的な硬さ。

 エリナは内心で驚愕した。

 これが……王国最強の騎士……!

 力の差は歴然だった。経験も足りないが、何より――純粋な膂力が違いすぎる。このまま押し合いを続ければ、間違いなく負ける。

 エリナはとっさに後方へ跳躍し、距離を取った。

 着地と同時に剣を構え直す。息が荒い。腕が痺れている。けれど目だけは、獲物を狙う狼のように鋭く光っていた。



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「嫌だ!」
 シエルが叫んだ。
 涙を流しながら。声を振り絞って。魂の底から、悲痛な叫びを上げた。
「私はもう、父様の人形じゃない!」
 声が震える。けれど止まらない。止められない。
「家の道具でもない! 私には……私の居場所があるの! 私を必要としてくれる仲間がいるの!」
 その叫びが公園に響き渡った。木々の葉が震える。
「お願い……お願いだから……私から、それを奪わないで……!」
 最後は、懇願だった。幼い子供が親に縋るような、切ない声。
 レオンの胸が、締め付けられた。シエルの震える体を、レオンはぎゅっと抱きしめる。
 けれどギルバートは、動じなかった。
 いや――動じないように見せていたのだ。
 その瞳の奥で、何かが揺らいでいる。けれど彼は騎士だった。命令に従うことが、彼の全てなのだ。
 ギルバートは静かに右手を上げた。
 その瞬間、残りの騎士団が一斉に動いた。
 木を包囲し、退路を完全に断つ。盾を重ね、槍を構え、完璧な陣形を組み上げる。それは一糸の乱れもない、芸術的なまでの統率。
 もう弓矢は通じない。もう逃げ場はない。
 Aランクパーティすら単独で壊滅させる、王国最強の包囲網。
 膠着状態。
 重い沈黙が公園を支配する――。
「大丈夫、仲間を信じよう――」
 レオンは青ざめるシエルを優しく温めた。
 ペンダントの魔道具が発信する魔力で場所も分かっているはずだ。
 きっと――来る。
      ◇
 その時だった。
 空気が、震えた。
「邪魔よ、アンタたちィィィ!」
 青空を切り裂く、元気な声。
 そして――天から降ってきたのは、巨大な炎の龍だった。
 グオオオオオォォォォ!
 咆哮が公園を揺るがした。灼熱の波動が夜気を焼き、騎士たちの顔を赤く照らす。うねる炎の体躯。燃え盛るたてがみ。紅蓮の瞳。それは神話から抜け出してきたかのような、圧倒的な存在だった。
 炎龍が、騎士団めがけて突進する。
「なっ……!?」
「回避だ! 散れェ!」
「うわぁぁぁぁ!」
 完璧だったはずの陣形が、一瞬で崩壊した。騎士たちが蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。
 次の瞬間、炎龍が地面に激突した。
 ドォォォンッ!
 大爆発が起こり、衝撃波が木々を薙ぎ倒す。土煙が舞い上がり、視界を覆い尽くす。熱風がレオンとシエルの頬を撫で、夜空に火の粉が舞い上がった。
 けれど、それで終わりではなかった。
 逃げ惑う騎士たちの足元に、突然――光る沼が現れた。
 ドロドロと粘ついた泥の沼。黄金色に輝くその沼は、まるで生き物のように蠢きながら、じわじわと広がっていく。
「うわっ! 何だこれは!」
「足が……足が抜けない!」
 騎士たちの足が沼に捕らえられ、ゆっくりと沈んでいく。もがけばもがくほど、深く沈む。抜け出そうとすればするほど、泥が絡みつく。
「うちの家族にちょっかい出すのは、どこの殿方ですの?」
 煙の中から、一人の少女が姿を現した。
 陽光のように輝く金髪。慈愛に満ちた空色の瞳。清純な白の僧衣を纏った聖女と見紛う美少女。
 けれど今、その顔に浮かんでいるのは聖女の微笑みではなかった。冷たく、禍々しい、本性の笑み。ロッドを高く掲げながら、彼女はニヤリと唇を歪めた。
「アルカナに剣を向けた罪……思い知っていただきますわ」
 その声は甘く、けれど底冷えするほど冷酷だった。
 泥の沼がどんどん広がっていく。騎士たちが次々と沈み、腰まで、胸まで――身動きが取れなくなっていく。
 そしてもう一人。
 赤い閃光が空を切り裂いた。
 それはギルバートただ一人を目掛けて、一直線に突き進んでいく。
「仲間に手を出すなぁぁぁ!」
 愛剣を構えた黒髪の剣士の瞳が、真っ直ぐにギルバートを射抜いている。
 おぉぉぉぉ!
 刹那、エリナの剣が、ギルバートの大剣と激突した。
 ガキィィィィンッ!
 甲高い金属音が、青空に響き渡った。
 火花が散り、衝撃波が周囲の空気を震わせる。二つの刃が激しくせめぎ合い、互いの力を測り合う。
 エリナの黒曜石の瞳と、ギルバートの鋼のような瞳が、真正面からぶつかり合った。
 互いの息遣いが聞こえる距離。互いの殺気が肌を刺す距離。一瞬の油断が死に直結する、命懸けの鍔迫り合い。
「ほう……?」
 ギルバートが、初めて表情を変えた。
 その顔に浮かんだのは、驚き。そして――興味。
「なかなかやるな、小娘」
 その言葉には、純粋な賞賛が込められていた。この若さで、自分と対峙できるとは。
「当然よ!」
 エリナが歯を食いしばり、渾身の力で剣を押し返す。筋肉が軋み、腕が震える。けれど瞳の光は消えない。
「私たちの……家族は……渡さないわ!」
 その叫びと共に、エリナは剣を振るった。
 ガキィィィン! と再度重厚な金属音が響き渡る。
 けれどギルバートの大剣は、微動だにしない。まるで岩壁に剣を打ち付けているかのような、絶対的な硬さ。
 エリナは内心で驚愕した。
 これが……王国最強の騎士……!
 力の差は歴然だった。経験も足りないが、何より――純粋な膂力が違いすぎる。このまま押し合いを続ければ、間違いなく負ける。
 エリナはとっさに後方へ跳躍し、距離を取った。
 着地と同時に剣を構え直す。息が荒い。腕が痺れている。けれど目だけは、獲物を狙う狼のように鋭く光っていた。