とある町の薄暗いBAR。カウンターには、男が二人。いや、もう一人。
「だから、オレが欲しいギターはそんなんじゃないんだって!」
スマホに向かって声を荒げる会社員コリ山(60)。
コリ丸の苛立っている姿に、他の客は怪訝そうな視線を投げている。
そんな態度に気にも留めず、友人のテリ井はテキーラについて来たレモンをチューチューやって言った。
「まぁまぁ、コリ山さん、そう熱くならないで。それを探す旅も楽しいってもんでしょう」
二人の空気にそぐわない華やかなインストジャズが、店内の隙間を埋めている。
コリ山は電源を切ったスマホをカウンターに放り、貧乏ゆすりを始めた。
「そうだけど、この歳になると嫌にもなるんだよ。どうしようって焦りもあるし、見つからない方が幸せなのか、今あるもので選ぶのが幸せなのか」
「大丈夫ですよ、そんなに焦らなくても。僕はあなたの理想のギターが見つかるように祈ってますよ。……じゃ、明日も仕事なんでお先に。また茶水で会いましょう」
そう言うとテリ井は帰っていってしまった。
ひとり残されたコリ山は、感情をぶつける先もなく机をトントンと指で叩いた。
「おや、そんなことをすると、そのなめらかな爪が傷んでしまいますよ」
「! あ、ああ、その通りですね! せっかく昨日ギター用のジェルネイルを大阪でやってきたばかりなのに、こんなことで傷つけては勿体ない」
なんの前触れもなく隣から声をかけられ、驚いたのも束の間。ギター馬鹿の性か、自爪の説明を先にしてしまったコリ山は、ハッとしてばつが悪い顔を見せた。
「すいませんね。つい」
「いいんですよ。失礼とは思いましたが先程のお友達との会話、ちょっと聞こえてしまいまして」
「いやぁ、お恥ずかしい」
よく見てみれば、黒い上下のスーツに、黒いハットで、縦ロゴの刺繍が入ったネクタイだけが赤く光っている。
不気味に思いながらふと目線を下げると、男の足元にはギターケース。
「あの……、おたくもギター弾きですか?」
ギターのこととなれば、多少不気味な出で立ちでも目をつぶるほどにギター馬鹿なのだ。
「申し遅れました。わたくしこういうものです」
男は一枚の名刺をサッとコリ山に手渡した。
「ギターの哀しみ|《ブルース》、お聞きします? 黒喪ギタ郎……」
「はい。この現代は、老若男女誰しもみんな、ギター生活に悩んでいる人ばかり。そんなアナタがたの、ギターの哀しみ|《ブルース》をわたくしはお聞きしているのです」
「それを、聞いてどうするつもりなんです?」
「まあまあ、ひとまず、このギターを見てみませんか?」
黒喪ギタ郎はそう言うと、足元のギターケースをカウンターへと置いた。
「どうぞ、開けてごらんなさい」
「は、はぁ」
コリ丸は慣れた手つきでギターケースの蓋を開けた。
ふわっとローズの匂いが鼻をくすぐった。
目に飛び込んできたのは、煌びやかなアヴァロンの輝き。そしてヘッドプレートに刻まれた白く輝くマザー・オブ・パールの堂々たる「CMFartin」の縦ロゴ。
「こ、これはマーチンD45ですか!?」
「ええ、そうです。サイドバック材はブラジリアンローズウッド、トップ材はジャーマンスプルースです。どうぞ引っくり返してご覧なさい」
「バックは……。おおおお!」
「歪目|《うずめ》のいい顔してますでしょう?」
「こ、こんなギターにお目にかかれるなんて……。これは、弾いてみもいいんでしょうか?」
「ちょっとだけですよお? チューニングはもう合ってるはずですからそのまま弾いてみてください」
黒喪が言うが早いが、コリ山はギターを抱え、ドキドキしながら一息に鳴らした。
ギャリイインンン……。
「おおおお。す、す、すごい」
あまりの衝撃音に、店内の客が一斉に振り返る。迷惑そうな顔をする者ばかりだが、コリ山は全く気がつかない。
「そうでしょうそうでしょう。今までの持ち主たちが大事に弾いてきましたからねえ」
「いやぁ、すっげぇ……。こんなギターが弾けるなんて!」
求めていた音が、自分の耳に届く。その音は弾けば弾くほど、凄みを持って響いてくれるようだ。こんな幸せなことがあるのだろうか。
「はー、素晴らしい、すごい」
コリ山は感動して言葉もなく、ただただギターを弾き続けようとした。
「あのお、そろそろよろしいですか?」
「えっ、もう!?」
サッとコリ山からギターを奪うと、黒喪はすぐにケースへと仕舞ってしまった。
パチンとケースを閉じながら黒喪は言った。
「ひとつだけ、お約束を守っていただけるのであれば、このギター、アナタに無料でお譲りしますよ」
「え、ええっ!?」
あまりの衝撃にコリ山はイスから転げ落ちた。
「ほ、本当ですか!?」
「大丈夫ですかあ?」
黒喪の手を借りイスに座り直すと、目の前に水が置かれた。
「飲みすぎはよくないですよお」
「いやいやいや、そんなんじゃないです」
グラスの水を一気に飲み干すと、落ち着いた気分になった。
「本当に、このD45、オレに譲っていただけるんですか?」
「もちろんですよ。このギターはわたくしが持っているより、もっとふさわしい人のところで弾かれ続けるべきですから」
そう言うと、黒喪はギターケースをコリ山の方へ押しやった。
「ほ、本当に、いいんですか? 滅多にお目にかかれないこんな素晴らしいギターを」
「これはアナタが弾くべきなんです」
コリ山は、目の前に置かれたハードケースをもう一度開けてみた。
ふわっと甘いいい匂いが漂ってくる。キラキラと零れる光に目が離せない。これほど素晴らしいギターには、きっともう二度と会えないだろう。
それになにより、コリ山は最初の1ストロークの音がいつまでも忘れられないでいた。たったそのEのコードだけで、このギターに魅入られてしまったのだ。
「ありがとうございます。ああ、なんとお礼を言えばいいか」
「いいんですよ。アナタがたにご満足いただけたら、それがわたくしの喜びなんです」
「満足も満足、大大大満足ですよ! こんな素晴らしいD45が手に入るだなんて。せめてここのお会計はオレにさせてください」
「いいんですか? それではお言葉に甘えて」
黒喪はウイスキーを二つ頼み、目の前に来たグラスを上げて言った。
「それでは、アナタのギター人生に」
「最高の45をありがとう」
カチンとグラスを鳴らし、ウイスキーを煽る。喉を通る焼けつくような痛みが心地よかった。
「そうそう言い忘れてましたが、ひとつだけ約束を守ってくださいね」
「もちろんです。どんなことでしょうか」
「このギターを弾くのは、どんなにいい音でも、どんなに楽しくても、どんなに愛していても、一日十五分までにしてくださいね」
「じゅ、十五分ですか!?」
「ええ、そうです」
コリ山はグラスを見つめ、黙り込んだ。こんなに素晴らしい音なのに、一日十五分しか弾けないなんて。
それでもこのギターを黒喪に返す気には到底なれなかった。
「……わかりました。……あのー、ちなみに一日十五分というのは、それはチューニングする時間も含まれるんですか?」
「それは本当にチューニングのための時間ですかあ? わたくし、知っていますよ。アナタ、そういって御茶ノ水の楽器店で二時間も三時間も弾いてるじゃあありませんか」
「そ、それは……」
「とにかく、チューニングだろうとなんだろうと、ギターを弾くのは一日十五分です。いいですか? 十五分だけですからね。それ以上弾くと大変なことになりますよ」
「大変なこと、って……?」
「約束を守ってくださればそんなこと知る必要はありません」
「は、はあ」
「それではよいギターライフを。ほーっほっほっほっほ」
黒喪ギタ郎はハットをちょいっと上げると、笑いながら夜の闇に消えていった。
コリ山もすぐにお会計を済ませ、ウキウキとした足取りで家へと急いだ。