親父の友人の寺へ、手伝いに行くことになった。
山をいくつも越えた先にある、小さな寺だ。
境内はよく手入れされているのに、どこか落ち着かない空気がある。
本堂の裏手へ回ったとき、俺は足を止めた。
そこだけ、妙に広い。
寺の敷地の一角が、ぽっかりと空いていて、
中央に――不動明王像が、ぽつんと立っていた。
像は立派だった。
風雨に晒されているはずなのに、欠けも少なく、
不思議と、周囲だけが静まり返っている。
「……ここか」
住職が、俺の後ろから声をかけた。
「元々はな、修験者の宿坊があった場所だ」
かつてこの寺は、山に入る修験者たちの拠点だったという。
だが、ある夜、火事が起きた。
「火元は不明だ。
気づいた時には、もう逃げ場がなかった」
何人かの修験者が、帰らなかった。
それ以来、宿坊は何度も建て直された。
だが、そのたびに――
「また、燃える。
火の気なんて、どこにもないのに」
住職は、諦めたように笑った。
「だから今は、何も建てていない。
不動明王像だけ、残してな」
俺は、像の背後へ回った。
その瞬間だった。
――どっと。
胸の奥に、重たいものが流れ込んでくる。
熱。
煙。
叫び声。
逃げ場を失い、炎に囲まれた修験者たちが、不動明王像にすがる。
《助けてください》
《不動明王様》
《ここだ、ここにいる》
だが、像は動けない。
手を伸ばすことも、声をかけることもできない。
ただ、そこに立って、
燃えていく人間たちを――見ているだけ。
「……っ」
感情が、押し寄せる。
悔しい。
悔しい。
悔しい。
守るはずだった。
導くはずだった。
それなのに、何も出来なかった。
像の内側から、泣き叫ぶような無念が、あふれ続けていた。
俺は、その場に立ったまま、動けなくなった。
「タケル」
親父の声が、遠くで聞こえた。
俺は、ゆっくりと息を整え、不動明王像の前に立つ。
そして、分かった。
――ここに、何かを建てても意味はない。
この場所は、まだ終わっていない。
俺は、そっと手を合わせた。
祓うためじゃない。
鎮めるためでもない。
ただ、受け取るために。
不動明王慈救咒を、静かに唱える。
悔しさは、消えない。
無念も、癒えない。
でも、それでいい。
「……分かった」
誰に向けた言葉でもなく、そう呟いた。
「ここは、まだ時間が要る」
一礼して、俺はその場を離れた。
背後で、不動明王像は、変わらず立っている。
怒りでもなく、呪いでもない。
ただ、
守れなかったという想いだけを抱いたまま。
この土地が受け入れられる日は、
きっと――お不動様が納得する、その時まで来ない。