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第五話 付喪神

ー/ー



寺に檀家の人が来る、というのは珍しいことじゃない。
けれどその日、来たおばあちゃんの手は、ずっと震えていた。

紙袋を胸に抱えるようにして、縁側に腰を下ろす。
中から取り出されたのは、古い人形だった。

着物の布はすっかり色褪せ、
片方の髪留めは失くなっている。

それでも、汚れはきちんと落とされていて、
破れも繕われていた。

「……捨てられなくてね」

おばあちゃんは、そう言って俯いた。

戦争の話だった。
まだ幼かった息子が、徴兵されていった頃のこと。

出征の日、息子はこの人形を手に取って、

「持っていっちゃだめだよな」

そう言って、何度も撫でていたという。

「帰ってきたら、また一緒に遊ぶからって……」

息子は、帰ってこなかった。

それから何十年も、
人形は家の箪笥の奥に仕舞われていた。

最近になって家を片付けていたら、
どうしても目について、
どうしても、手放せなくなった。

「ここなら……静かに眠れるかと思って」

父は何も言わず、人形を受け取った。
俺も、その様子を黙って見ていた。

その夜だった。

廊下の奥から、微かな音がした。
泣き声――のような、
布が擦れるような音。

アヤメが、ひゅっと俺のそばに現れた。

「ワカ……あれね」

声が、珍しく低い。

「付喪神」

俺は、息を吐いた。

長い時間、
人と共に過ごしたことで残った、想いの名残。

「でも、あれ……泣いてる」

夜になると、人形は小さく震え、声を漏らす。
誰かを呼ぶように。
置いていかれたことを、責めるように。

エリカとトウヤは、
近づこうとして、すぐに立ち止まった。

「強くないけど……重い」

「悔しかったって感情だけ、残ってる感じだな」

イズナは、尻尾を伏せて、静かに見ている。

「大事にされてたのにさ」

ぽつりと、アヤメが言った。

「一緒に連れて行ってもらえなかったんだね」

俺は、人形の前に座った。

祓う必要はない。
壊す理由もない。

ただ、整えるだけでいい。

俺は、不動明王慈救咒を何度も唱えた。

人が生きた時間は、
物の中に“痕跡”として残る。

それは魂じゃない。
でも、確かに、
共に生きた時間だ。

俺は、ゆっくりと口を開いた。

「……悔しかったな」

誰に向けた言葉でもない。
ただ、そこに残っている想いに向けて。

「置いていかれて、待ち続けて、
でも……ちゃんと大事にされてた」

人形の震えが、
少しずつ収まっていく。

「もう、役目は終わってる」

夜風が、縁側を通り抜けた。
泣き声は、聞こえなくなった。

翌朝、人形は静かだった。
ただの、古い人形に戻っていた。

父は、丁寧に包み、
寺の奥に納めた。

付喪神は、消えたわけじゃない。

ただ――
役目を終えただけだ。




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寺に檀家の人が来る、というのは珍しいことじゃない。
けれどその日、来たおばあちゃんの手は、ずっと震えていた。
紙袋を胸に抱えるようにして、縁側に腰を下ろす。
中から取り出されたのは、古い人形だった。
着物の布はすっかり色褪せ、
片方の髪留めは失くなっている。
それでも、汚れはきちんと落とされていて、
破れも繕われていた。
「……捨てられなくてね」
おばあちゃんは、そう言って俯いた。
戦争の話だった。
まだ幼かった息子が、徴兵されていった頃のこと。
出征の日、息子はこの人形を手に取って、
「持っていっちゃだめだよな」
そう言って、何度も撫でていたという。
「帰ってきたら、また一緒に遊ぶからって……」
息子は、帰ってこなかった。
それから何十年も、
人形は家の箪笥の奥に仕舞われていた。
最近になって家を片付けていたら、
どうしても目について、
どうしても、手放せなくなった。
「ここなら……静かに眠れるかと思って」
父は何も言わず、人形を受け取った。
俺も、その様子を黙って見ていた。
その夜だった。
廊下の奥から、微かな音がした。
泣き声――のような、
布が擦れるような音。
アヤメが、ひゅっと俺のそばに現れた。
「ワカ……あれね」
声が、珍しく低い。
「付喪神」
俺は、息を吐いた。
長い時間、
人と共に過ごしたことで残った、想いの名残。
「でも、あれ……泣いてる」
夜になると、人形は小さく震え、声を漏らす。
誰かを呼ぶように。
置いていかれたことを、責めるように。
エリカとトウヤは、
近づこうとして、すぐに立ち止まった。
「強くないけど……重い」
「悔しかったって感情だけ、残ってる感じだな」
イズナは、尻尾を伏せて、静かに見ている。
「大事にされてたのにさ」
ぽつりと、アヤメが言った。
「一緒に連れて行ってもらえなかったんだね」
俺は、人形の前に座った。
祓う必要はない。
壊す理由もない。
ただ、整えるだけでいい。
俺は、不動明王慈救咒を何度も唱えた。
人が生きた時間は、
物の中に“痕跡”として残る。
それは魂じゃない。
でも、確かに、
共に生きた時間だ。
俺は、ゆっくりと口を開いた。
「……悔しかったな」
誰に向けた言葉でもない。
ただ、そこに残っている想いに向けて。
「置いていかれて、待ち続けて、
でも……ちゃんと大事にされてた」
人形の震えが、
少しずつ収まっていく。
「もう、役目は終わってる」
夜風が、縁側を通り抜けた。
泣き声は、聞こえなくなった。
翌朝、人形は静かだった。
ただの、古い人形に戻っていた。
父は、丁寧に包み、
寺の奥に納めた。
付喪神は、消えたわけじゃない。
ただ――
役目を終えただけだ。