魔界四天王の屋敷に人材派遣の営業が訪れた。
——コンコン!
営業が玄関のドアを叩くと、ゆっくりとドアが開き、出てきたのはエリシア本人だった。しかし、彼女はスマホを片手に、電話の真っ最中である。
「——えぇ、ですから物量が足りてませんの。すぐに納入してくださいまし。こちらの士気も下がっていますわよ。」
営業が挨拶をしようとするが、エリシアはちらりと営業に目を向け、手を合わせて「すまん」という仕草を見せた。そのまま電話を続ける。
「それから……またいつもの……浄化作戦の準備を。えぇ、『掃除道具』を忘れずに。ふふふ……よろしくお願いしますわよ。」
営業は目の前のエリシアに声をかけるタイミングを失い、仕方なくじっと待ち続ける。やはり魔界四天王ともなれば、その多忙ぶりは一目瞭然だ。
エリシアがようやく電話を切ると、営業は改めて頭を下げながら挨拶をした。
「どうも初めまして。」
エリシアは少し首を傾げ、柔らかな笑みを浮かべた。
「あら〜どちらさんでしたっけ?」
営業は慌てて名乗る。
「あ、人材派遣サービスの営業でして……。以前、弊社を利用いただいたのですが、エリア担当が私に変わりまして……それで挨拶をと。どうもご挨拶が遅れて申し訳ありません。」
エリシアは頷きながら笑顔を崩さない。
「いえいえ、とんでもないですわ。遠かったでしょうに〜。」
その言葉に営業は少しホッとしながらも、背筋を伸ばす。
「どうぞ中へ。」
エリシアはすぐに営業を屋敷へ招き入れた。
「まぁ狭い家ですけど。」
エリシアがそう言うと、営業は慌てて手を振った。
「いやいや滅相もない!」
一見すると派手さはないものの、目を凝らしてみれば希少な木材を使った家具や、アンティークの食器がさりげなく並べられている。どれも一級品だ。
応接間に通され、エリシアが椅子を引いて勧める。
「どうぞ、お座りくださいませ。」
「ありがとうございます。」
営業が座ると、エリシアは軽やかに冷蔵庫へ向かい、ペットボトルのジャスミンティーを取り出した。
「こんなのですいませんねぇ〜。全然持って帰っていいので。」
テーブルにジャスミンティーを置きながら、エリシアはにこやかに微笑む。その親しみやすい態度に、営業は感動を覚えた。
(こんなにも丁寧にもてなしてくださるとは……!)
営業は心の中で感嘆する。
魔界でも幹部クラスの格はやはり違う。どんなに忙しくとも、訪問者をもてなす余裕を持ち合わせているのだ。営業はこの屋敷でのひとときに感謝しながら、軽くジャスミンティーを口に運んだ。
営業は軽く頭を下げ、話を切り出した。
「まあ、それで……本日はちょっとお話を……伺っていただけると〜。」
エリシアは少し首を傾げ、不思議そうな表情を浮かべた。
「え? 私が?」
営業はすぐに頷きながら、手を軽く振って恐縮した様子を見せる。
「ええ! すいませんね、突然お邪魔しまして……。」
エリシアは微笑みながら椅子にゆったりと腰をかけた。
「いや全然構いませんわよ。どんなお話かしら?」
営業は資料を軽く開きながら、慎重に話を進めた。
「やはり、これくらいの規模であれば……その……従業員さんも多いでしょう?」
エリシアは少し目を細めて考える素振りを見せ、さらりと答える。
「そりゃぁ……ねぇ。まぁ、みんな頑張ってるみたいですわよ。」
営業は頷きつつ、さらに質問を重ねた。
「左様ですか……。ちなみに、今何かお困りのことはありませんか?」
エリシアは一瞬だけ天井を見上げて、軽く肩をすくめる。
「うぅん……いや、もうねぇ〜、色々ありすぎてですわねぇ。」
その言葉に営業は少し緊張しながら、手元の資料に目を落とす。
営業はふと問いかけた。
「ところで……普段の業務時間とかって、どれくらいなんですか?」
幹部クラスにこんなことを尋ねるのは少し野暮だと分かっていたが、悩みを引き出すきっかけになるかもしれない。
エリシアは顎に手を当て、少し考えるように答える。
「そうですわねぇ……、お屋敷の中だと……3時くらいですかねぇ。」
営業はその答えに驚きの声を漏らした。
「あ、思ってたより早い……。」
その瞬間、営業はハッと何かを察した。
お屋敷の外では、多忙を極めているに違いない。四天王の幹部ともなれば、我々の知り得ない重要な業務や秘密のミッションが山積みであるはずだ。
営業はわずかな好奇心から、何か興味深い話がポロッと出ないかと期待して、さらに質問を重ねた。
「その……3時以降は、どのようにお過ごしなんですか?」
エリシアは少し笑いながら肩をすくめ、軽い調子で答える。
「いやぁ、もうすぐ帰りますわよ〜。そうしないとねぇ、『これ』ですから。」
そう言いながら、エリシアはゲンコツを握り、息で温めるような動作をした。
営業はその仕草に一瞬戸惑いながらも、「これ」が何を指しているのかを考えた。誰かに怒られるのだろうか。家族だろうか。
営業は少し踏み込んだ質問を投げかけた。
「何かこう……今後の予定といいますか……動静とかって、もし差し支えなければお伺いできればと思うのですが。」
エリシアはその問いに、ふっと目を細め、少し考え込むようにしてから答えた。
「実は……今はまだ言ってませんけど……『引き継ぎ』も考えてまして。」
「ほう……。」
営業は思わず声を漏らすが、その裏では内心ざわついていた。
——彼女が口にした『引き継ぎ』。
これはただ事ではない。魔界におけるパワーバランスが変わる可能性を示唆しているからだ。
人事異動があるのだろうか……それとも昇進か。もし昇進なら、魔王の側近に昇る可能性もある。宰相や元帥などの地位に就くということもあり得る話だ。
「それから——」
エリシアは少し間を置いてから静かに答えた。
「ちょっと大きな『塗り替え』が必要でして……。」
その言葉に、営業の頭の中でさまざまな憶測が渦巻く。
勢力図の塗り替えか……?
魔界内部の内政改革なのか、それとも人間界への本格的な侵攻計画なのか——。
「ゴクリ……。」
営業は緊張で喉を鳴らし、唾を飲み込む。
そして緊張を抑えながら質問を投げかけた。
「うちは多種多様なスタッフを派遣できますので……もし何かご希望の業種とかありましたら……。」
エリシアはその言葉に即座に反応し、にっこりと笑った。
「ああ、もちろんありますわよ!」
営業は内心ガッツポーズをしながら尋ねる。
「どのような……?」
エリシアは椅子に背を預け、少し考えるふりをして答えた。
「そりゃ、やっぱり『掃除屋』ですかねぇ。」
「……掃除屋、ですか。」
営業の顔が一瞬固まる。だがすぐに表情を整え、話を続ける。
「具体的には、どういった業務を想定されているのでしょうか?」
エリシアは薄く笑いながら、意味深なトーンで答える。
「そうですわねぇ……余計なものを片付けて、きれいに整理整頓するお仕事ですわ。」
その言葉の裏にある真意を測りかね、営業は軽く汗を拭う。明らかにただの清掃員ではない。
営業はこの案件が大口の契約に繋がるかもしれないと期待し、さらに前のめりで話を進めた。
「うちは……もう……ウィザードから、ソルジャーや……マーシャル、指揮官クラスまでご用意できますが……!」
すると、エリシアは軽く手を振りながら笑い声を漏らした。
「おほほ!そんな大層な!いや、もう、お掃除ができるだけでいいのですわよ。」
営業の心に、かつて上司が言った言葉が浮かぶ。
——相手の話を鵜呑みにするな。自分の基準と相手の基準は違うのだ。
エリシアの「掃除屋」の基準が何を指しているのか、まだ掴めない営業は慎重に、しかし力を込めて話を続けた。
「いえいえ!四天王のクラウディア様のお眼鏡に叶うようなスタッフなら、社運をかけてご用意しますよ!」
エリシアの眉がピクリと動き、不思議そうな表情を浮かべる。
「クラウディア……?」
営業は勢いに乗って頷く。
「ええ!」
しかしエリシアは肩をすくめ、あっさりと告げる。
「クラウディアはここの主人ですけど。」
営業は目を丸くして固まる。
「……?」
「え?」
「え?」
しばらくの沈黙の後、営業が再確認するように口を開いた。
「え、クラウディア……様……ですよね?」
エリシアは驚きと呆れが混じった顔で首を振る。
「え? 私が? 違いますわよ!」
その瞬間、営業は自分が完全に思い違いをしていたことに気付き、冷や汗をかきながら椅子に沈み込むのだった。
「私はハウスキーパーですわよ。」
「え!?」
営業は椅子から落ちそうになりながら、驚愕の表情を浮かべる。
「じゃ、じゃあ勢力図の塗り替えって……?」
エリシアは目を丸くして、きょとんとした表情で答えた。
「塗り替え? 家の壁のことですわよ! 触ったら手に粉がつきますの。」
営業の心がぐらつく。さらに尋ねる。
「掃除屋……は?」
エリシアはにっこり微笑みながら、さらりと言い放った。
「掃除屋は、文字通り『掃除屋』ですわ。ホコリとりとか、窓拭きとか、そういうの。」
営業は力が抜けたように肩を落とし、席を立った。
「ま、また……クラウディア様がいらっしゃる時に……来ます。」
エリシアは小首をかしげながら見送る。
「ええ、お気をつけて〜。」
営業は一礼して屋敷を後にしたが、心の中では虚無感に打ちひしがれていた。
「……なんだったんだ、俺の期待は……。」
屋敷の門を出た瞬間、吹き抜ける風が妙に冷たく感じられたのだった。