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290 ゆっくり待っていられない事情

ー/ー



 藤城皐月(ふじしろさつき)は床に座り、ベッドで横になっている明日美(あすみ)を見ていた。
「ねえ、一人暮らしって寂しい?」
「んん……最初は全然寂しくなかった。解放感があって楽しかったよ。でも病気をしてからかな……一人が寂しいって思うようになったのは。寝る前に、このまま目が覚めないかもしれないって考えると、怖くなっちゃってね。それからかな、心細くなったのは。一人で死ぬのはやっぱり寂しいよ」
「明日美ってそんなこと思ってたんだ……」
「うん。私の病気って突然死することもあるからね。いつ死ぬかわからないっていうのは、いつも意識している」
 自分が死ぬかもしれないという話をしているのに、明日美は穏やかな顔をしている。怖くなると言った同じ明日美とは思えない。
「でもね、こうして看取られるんだったら、死ぬのも悪くないなって思う」
「看取るとか、変なこと言うなよ……」
 皐月の目から涙が溢れてきた。震えそうな口元を抑え込むため、強く歯を食いしばり、手のひらの金星丘で頬を濡らした涙を拭った。

「皐月、さっきはごめんね」
「えっ? 何が?」
「せっかくキスしてくれたのに、私から拒んじゃって……」
「ああ……いいよ。俺、あの時はちょっと乱暴だった。いやらしいよね、あんなの」
「ううん、そうじゃない。私、ああいうキスってしたことなかったから、びっくりしちゃって……」
「えっ! そうなの?」
「うん……。私、男の人とお付き合いなんてしたことないから……」
 皐月には明日美の言葉がにわかに信じられなかった。明日美は大人だし、芸妓だし、美しいうえに色っぽい。それなのに恋愛経験がないなんて有り得ない。これはきっと、客に言う嘘なのだろうと思った。
「じゃあ、俺が最初の恋人なんだね」
「うん」
 皐月は明日美の嘘に付き合って、騙されてみようと思った。明日美の言葉は本当かもしれないし、嘘かもしれない。嘘でもいいと思った。皐月にとって大切なのは、今の明日美だからだ。

 ベッドサイドに座っていた皐月は明日美の枕元にもたれかかり、自分で腕枕をして、顔の向きと目線を横になっている明日美に合わせた。
「俺と出かける前って稽古してたの?」
「少し」
「勉強もしてた?」
「少しだけね」
「頑張り過ぎちゃった?」
 明日美の人差し指が鼻に触れ、皐月はブタ鼻にされた。
「皐月、心配し過ぎ。大丈夫だよ。無理なんてしてないから」
 皐月も仕返しで、明日美をブタ鼻にした。
「明日美はブタ鼻でも世界一かわいいね」
「かわいいわけないでしょっ!」
 明日美が皐月の鼻をつまんだ。皐月もお返しをしようとすると、明日美が抵抗した。笑いながらはしゃいでいると、こういうのがイチャイチャすることなんだと思った。ベッドサイドに座っていると、明日美が遠く感じる。
「ねえ、皐月も布団の中に入って来てよ」
 明日美の笑顔が少し強張っていた。皐月は思いが通じたことに驚いた。
「うん……」
 皐月がベッドに上がると、明日美が掛け布団をかけた。シングルベッドなので、体を寄せ合わないと落ちそうになる。二人で枕を半分こにした。

「こんなに早く、こういう日が来るとは思わなかったな……」
 明日美は穏やかに微笑んでいた。
「皐月が大きくなって、大人になってからなら、こういう関係になってもいいかなって思ってた。でも、いつ死ぬかわからなくなって、今日にでも死んじゃうかもしれないって思ったら、ゆっくり待っていられなくなっちゃった」
 皐月は明日美の言葉をただ聞いていることしかできなかった。
「小学生の皐月とこんなことしちゃって、いやらしい女だって思うよね?」
「そんなこと思わないよ。俺だっていやらしいし」
「そうだね。あんなエッチなキスをするくらいだもんね」
 明日美に笑われると、皐月は急に恥ずかしくなった。
「ねえ……さっきみたいなキス、してもいいよ」
「……」
「でも、あまりドキドキすると心臓が止まっちゃうかもしれないから、気を付けてね」
 明日美は怖いことを言う。何に気を付ければいいのか、皐月にはまるでわからない。
「大丈夫かな……」
「私はそのまま死んじゃってもいいけど、皐月はそんなの嫌でしょ?」
 布団の中が体温で暖かくなってきた。瞬きを長めにして目を瞑ると、気持ちよくなって、目が開けられなくなる。深刻な話をしているのに、安らかな気持ちになってしまう。
「……そうか。俺、明日美を殺しちゃうかもしれないんだ」

 皐月はこれ以上明日美を求めてはいけないんじゃないかと思いはじめた。こうして二人でくっついているだけでいいのかもしれない。
「でも、皐月が離れていっちゃうのは嫌……」
 皐月は明日美の頭に手を置き、軽く抱きしめた。この間に時間を稼ぎ、これからのことを過去最高の出力で考えた。頭に置いた手を背中へと這わせると、ブラジャーをしていないのに気が付いた。
「じゃあ、明日美が死なないようにしないとね」
 皐月は軽く明日美と唇を重ねた。この時の明日美の吐息は栗林真理(くりばやしまり)及川祐希(おいかわゆうき)と似ていて、少女の匂いがした。しかし、もしかしたら真理や祐希の方が女の匂いだったのかもしれない。
「そんなに軽くしなくても大丈夫だよ」
 今度は明日美から唇を合わせ、舌を入れてきた。軽く吸って、舌同士が触れ合うと、明日美がビクッとして顔を離した。
「あぁ〜、こんなことしてると本当に死んじゃうかもね」
 さっきと違い、明日美は嬉しそうな顔をしていた。
「じゃあ、やめようか?」
「えっ! やめるの? 皐月、やめられるの?」
「無理」
 皐月はキスしたくなる気持ちを抑えるため、明日美を強く抱きしめた。
「これからは少しずつ、大丈夫なレベルを探りながらしようか」
 この程度のことしか思いつかなかった。皐月には明日美と別れることは考えられない。かといって性衝動を抑えることもできそうにない。みっともないことを言っているなと思った。
「こんなに幸せなら、私はこのまま死んでもいいな。でも、皐月が大変だよね。私の死体処理が」
「バカ……変なこと言うなよ」
「でも、皐月に抱かれて死ねるなら、これ以上の幸せはないかもしれない。……何言ってるんだろうね、私。小学生相手に」
「小学生って言うなよ。気にしてるんだから」
「皐月は私のこと、おばさんって言わないから好き」
 皐月の腕の中で明日美が泣いていた。もし明日美が本気でそう思っているのなら、自分が明日美を殺さなければならない……。こんな倒錯した思いが皐月の中に育ち始めた。



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 |藤城皐月《ふじしろさつき》は床に座り、ベッドで横になっている|明日美《あすみ》を見ていた。
「ねえ、一人暮らしって寂しい?」
「んん……最初は全然寂しくなかった。解放感があって楽しかったよ。でも病気をしてからかな……一人が寂しいって思うようになったのは。寝る前に、このまま目が覚めないかもしれないって考えると、怖くなっちゃってね。それからかな、心細くなったのは。一人で死ぬのはやっぱり寂しいよ」
「明日美ってそんなこと思ってたんだ……」
「うん。私の病気って突然死することもあるからね。いつ死ぬかわからないっていうのは、いつも意識している」
 自分が死ぬかもしれないという話をしているのに、明日美は穏やかな顔をしている。怖くなると言った同じ明日美とは思えない。
「でもね、こうして看取られるんだったら、死ぬのも悪くないなって思う」
「看取るとか、変なこと言うなよ……」
 皐月の目から涙が溢れてきた。震えそうな口元を抑え込むため、強く歯を食いしばり、手のひらの金星丘で頬を濡らした涙を拭った。
「皐月、さっきはごめんね」
「えっ? 何が?」
「せっかくキスしてくれたのに、私から拒んじゃって……」
「ああ……いいよ。俺、あの時はちょっと乱暴だった。いやらしいよね、あんなの」
「ううん、そうじゃない。私、ああいうキスってしたことなかったから、びっくりしちゃって……」
「えっ! そうなの?」
「うん……。私、男の人とお付き合いなんてしたことないから……」
 皐月には明日美の言葉がにわかに信じられなかった。明日美は大人だし、芸妓だし、美しいうえに色っぽい。それなのに恋愛経験がないなんて有り得ない。これはきっと、客に言う嘘なのだろうと思った。
「じゃあ、俺が最初の恋人なんだね」
「うん」
 皐月は明日美の嘘に付き合って、騙されてみようと思った。明日美の言葉は本当かもしれないし、嘘かもしれない。嘘でもいいと思った。皐月にとって大切なのは、今の明日美だからだ。
 ベッドサイドに座っていた皐月は明日美の枕元にもたれかかり、自分で腕枕をして、顔の向きと目線を横になっている明日美に合わせた。
「俺と出かける前って稽古してたの?」
「少し」
「勉強もしてた?」
「少しだけね」
「頑張り過ぎちゃった?」
 明日美の人差し指が鼻に触れ、皐月はブタ鼻にされた。
「皐月、心配し過ぎ。大丈夫だよ。無理なんてしてないから」
 皐月も仕返しで、明日美をブタ鼻にした。
「明日美はブタ鼻でも世界一かわいいね」
「かわいいわけないでしょっ!」
 明日美が皐月の鼻をつまんだ。皐月もお返しをしようとすると、明日美が抵抗した。笑いながらはしゃいでいると、こういうのがイチャイチャすることなんだと思った。ベッドサイドに座っていると、明日美が遠く感じる。
「ねえ、皐月も布団の中に入って来てよ」
 明日美の笑顔が少し強張っていた。皐月は思いが通じたことに驚いた。
「うん……」
 皐月がベッドに上がると、明日美が掛け布団をかけた。シングルベッドなので、体を寄せ合わないと落ちそうになる。二人で枕を半分こにした。
「こんなに早く、こういう日が来るとは思わなかったな……」
 明日美は穏やかに微笑んでいた。
「皐月が大きくなって、大人になってからなら、こういう関係になってもいいかなって思ってた。でも、いつ死ぬかわからなくなって、今日にでも死んじゃうかもしれないって思ったら、ゆっくり待っていられなくなっちゃった」
 皐月は明日美の言葉をただ聞いていることしかできなかった。
「小学生の皐月とこんなことしちゃって、いやらしい女だって思うよね?」
「そんなこと思わないよ。俺だっていやらしいし」
「そうだね。あんなエッチなキスをするくらいだもんね」
 明日美に笑われると、皐月は急に恥ずかしくなった。
「ねえ……さっきみたいなキス、してもいいよ」
「……」
「でも、あまりドキドキすると心臓が止まっちゃうかもしれないから、気を付けてね」
 明日美は怖いことを言う。何に気を付ければいいのか、皐月にはまるでわからない。
「大丈夫かな……」
「私はそのまま死んじゃってもいいけど、皐月はそんなの嫌でしょ?」
 布団の中が体温で暖かくなってきた。瞬きを長めにして目を瞑ると、気持ちよくなって、目が開けられなくなる。深刻な話をしているのに、安らかな気持ちになってしまう。
「……そうか。俺、明日美を殺しちゃうかもしれないんだ」
 皐月はこれ以上明日美を求めてはいけないんじゃないかと思いはじめた。こうして二人でくっついているだけでいいのかもしれない。
「でも、皐月が離れていっちゃうのは嫌……」
 皐月は明日美の頭に手を置き、軽く抱きしめた。この間に時間を稼ぎ、これからのことを過去最高の出力で考えた。頭に置いた手を背中へと這わせると、ブラジャーをしていないのに気が付いた。
「じゃあ、明日美が死なないようにしないとね」
 皐月は軽く明日美と唇を重ねた。この時の明日美の吐息は|栗林真理《くりばやしまり》や|及川祐希《おいかわゆうき》と似ていて、少女の匂いがした。しかし、もしかしたら真理や祐希の方が女の匂いだったのかもしれない。
「そんなに軽くしなくても大丈夫だよ」
 今度は明日美から唇を合わせ、舌を入れてきた。軽く吸って、舌同士が触れ合うと、明日美がビクッとして顔を離した。
「あぁ〜、こんなことしてると本当に死んじゃうかもね」
 さっきと違い、明日美は嬉しそうな顔をしていた。
「じゃあ、やめようか?」
「えっ! やめるの? 皐月、やめられるの?」
「無理」
 皐月はキスしたくなる気持ちを抑えるため、明日美を強く抱きしめた。
「これからは少しずつ、大丈夫なレベルを探りながらしようか」
 この程度のことしか思いつかなかった。皐月には明日美と別れることは考えられない。かといって性衝動を抑えることもできそうにない。みっともないことを言っているなと思った。
「こんなに幸せなら、私はこのまま死んでもいいな。でも、皐月が大変だよね。私の死体処理が」
「バカ……変なこと言うなよ」
「でも、皐月に抱かれて死ねるなら、これ以上の幸せはないかもしれない。……何言ってるんだろうね、私。小学生相手に」
「小学生って言うなよ。気にしてるんだから」
「皐月は私のこと、おばさんって言わないから好き」
 皐月の腕の中で明日美が泣いていた。もし明日美が本気でそう思っているのなら、自分が明日美を殺さなければならない……。こんな倒錯した思いが皐月の中に育ち始めた。