午前0時。
車を走らせること2時間。
到着したのは、鬱蒼とした山道。
車で行けるところまで行って、あとは徒歩で山を登る。
素人が夜の登山をするのは自殺行為だが、僕たちにはシロー君の嗅覚がある。
狼魔族の特別な鼻は、目的地である宗教施設まで最短ルートを割り出せる。
「……千歳さん、山中に目的地の施設がありました。フクロウの使い魔で視界共有したので、間違いないです」
こういうとき、夜目が効くフクロウの使い魔は役に立つ。
静かに飛行して隠密行動をしながら偵察ができるからだ。
「ここからは歩きになる。準備はいいか?」
千歳さんは、車のトランクから白鞘の妖刀「
紅鏡」を取り出す。
僕も、魔術の行使に使う植物の種の数を確認する。
種のストックは30個。
事前に魔力を込めているので、遠隔でも植物を使った魔術を行使できる。
事前確認を終えて、山道に足を踏み入れようとする僕たちをシロー君が止めた。
「時間がもったいないっスよ。この距離ならオレに任せてください」
そう言って、シロー君は僕らの前に出る。
こちらに背を向けたまま、全身に魔力を漲らせた。
「ちょっと待っててもらえますか」
「うん、いいけど……なにをするの?」
「変身するっス」
言葉の意味がわからなくて首を傾げていると、千歳さんが無言で頷いた。
これからなにが起きるのかをわかっているようだ。
『
地狼 疾駆の
諸相』
聞き慣れない詠唱と同時に、シロー君の魔力が膨れ上がる。
全身から溢れ出る魔力が、彼の体を包み込んでいく――。
「……大したもんだ。キミの歳で完全な変化もできるのか」
千歳さんが嬉しそうに呟く。
僕は、ただ唖然とすることしかできなかった。
文字通り、シロー君が「変身」をしたからだ。
『すみません、お待たせしたっス』
目の前には、体長2メートルを超える灰色の巨狼。
闇夜に光る金色の瞳はオオカミそのもの。
言葉は、直接脳内に響いているかのように聞こえる。
「シロー君……だよね?」
『そうっス。驚かせてすみません。滅多に使わない魔術なんスけど、今は緊急事態っスから。ふたりとも、どうぞオレの背中に乗ってください』
千歳さんと一緒に巨狼と化したシロー君の背中によじ登る。
……信じられないほど触り心地が良い。
まるで高級毛布みたいだ。
「これイイ~……ウチに欲しいかもぉ……」
千歳さんは、さっきまでの緊張感がウソみたいにシロー君のモフモフな背中に顔を埋めている。
『ちょっと千歳さん、顔を擦り付けるのやめてほしいんスけど』
「おっと失礼。魔性の毛並みだったもんで、つい……」
『変なこと言ってないで、どこでもいいから捕まってください』
巨狼化したシロー君は、身を屈めて力を溜める。
魔力によって、漆黒の
狼爪が白く発光する。
『口を閉じててくださいね……舌を噛むかもなんでッ!! 行くっスよ!!』
合図と共に「ドンッ!!」という衝撃音が山中に響く。
次に目を開けたときには、僕たちは闇に包まれた森の中にいた。
「ちょ、速っ、シロー君……!!」
自分が風になったような気分をはじめて味わった。
目的地に最短で向かうための効率的な疾走。
車と同じくらいのスピードで、木々の間を駆け抜けていく。
狼魔の健脚は、過酷な山道をものともしない。
「ははは、こりゃいいや! シロー君、タクシーでもやったらどうだっ!?」
巨狼と化したシロー君の背中にしがみつきながら、千歳さんが冗談を飛ばす。
こんな状況でなければ、僕も今の状況を心から楽しんでいたと思う。
『また変なこと言って!……ほら、着きますよ!』
本来なら昇るのに1時間は掛かるはずの山道をたった5分で登り切って、一気に目的地の宗教施設の前まで到着した。
「いやぁ、キミを連れてきて正解だったよ」
『そりゃどーも。問題はこっからっスけどね』
施設前に到着した途端、僕たちの進路を遮るように人影が現れた。
ざっと見て30人前後。
全員、フードの付いた黒いローブを着込んでいて顔は見えない。
明らかに歓迎はされていないようだ。
「大歓迎じゃん。トーヤ君ってば人気者~」
「こんな状況で何を言っているんですか、もう……」
千歳さんの楽しそうな様子にちょっと呆れつつ、シロー君の背中から降りる。
施設入口の大きな門を守るように展開する黒いローブの集団は、両手を僕たちに向けて差し出す。
「ふたりとも、私の後ろへ」
前に出た千歳さんは、白鞘から刀を抜いた。
月明かりを浴びた深紅の刀身が妖しく光る。
「私は優しいから念のため聞いておくけど、あんたらは被害者? それとも加害者か? 前者だったら優しく痛め付けてやる。後者なら死ぬ手前まで痛め付けるけど……さて、どうするよ?」
千歳さんの持つ妖刀が紅く光りはじめる。
今度は月明かりの反射ではなく、本当に刀そのものが発光していた。
同時に、千歳さんの瞳と髪が血のように紅く染まっていく。
「私なぁ、子供に迷惑を掛ける輩が本当に大嫌いでさ……今日はマジで機嫌が悪いんだ。スピード解決するためにも本気でいくからな」
かつて、銀杖の魔術師ティスタ・ラブラドライトと対等に渡り合った呪術師・宝生 千歳の全力。
彼女の身から迸る呪力は、味方であるはずの僕とシロー君を戦慄させた。