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277 グラマラスでセクシーな車が似合う女

ー/ー



 明日美(あすみ)の部屋を出て、エレベーターに乗り、マンションの駐車場に入った。藤城皐月(ふじしろさつき)にはまだ、明日美と自動車のイメージが結びつかない。
 芸妓(げいこ)はお座敷までタクシーで移動するし、母の小百合(さゆり)は車に乗らない。小百合の弟子になった及川頼子(おいかわよりこ)は離婚前は車に乗っていたが、小百合寮に入る時に車を手放したという。皐月の暮らしの中に自動車が存在しないので、明日美が車の運転をするという、当たり前の発想が今までなかった。
「私の車はこれ。古い車だけど、お気に入りなのよ」

 明日美の車はホンダのレジェンド・クーペという車で、1991年モデルだという。全塗装がなされているので、赤のボディーは全く色褪せていない。この大きな車は流麗で伸びやかなスタイルだが、グラマラスでセクシーなデザインで、時代を超えた美しさがある。
「この車、明日美によく似合っているね」
「ありがとう。そう言ってもらえると嬉しいな」
「もうちょっと車、見せて」
「どうぞ」
 この時間帯は車が出払っているので、明日美の車の前後左右に車が止まっていない。幸運にも車を観察しやすい状況だった。
 皐月は車から少し離れ、ゆっくりと車の周りを回りながら見た。皐月がレジェンド・クーペに興味を示したことに明日美は満更ではない顔をしていた。
「大きいのに背が低いんだね。前から見た顔は知的な男性みたいで格好いいし、真横から見たデザインもいい。斜め後ろから見た感じが女性的で、特にいいね。こんな車、街中で見たことないや。俺もこの車、好きになっちゃった」
「乗ってみる?」
「うんっ!」
 2ドアクーペらしい大きなドアを開け、皐月は背をかがめて乗りこんだ。ブラウンのふかふかなカーペットに土足で上がり込むのに抵抗を覚えつつ、シートに腰を沈めた。
 本革のシートは江嶋華鈴(えじまかりん)の家で座らせてもらったゲーミングチェアーよりも気持ち良かった。明日美が運転席に乗り込んできたので、皐月は助手席のドアを引いた。ボンッと重厚な音がして閉まった。

「ねえ、この車って高そう……」
「昔は高級車だったみたいね。でも、これは中古だし相当古いから、そんなに高くなかったよ。モータースの社長さんが玲子(れいこ)姐さんのお店の常連さんでね、お店の女の子はみんなそのお店で車を買うんだって。私は玲子姐さんの紹介だからってことで、ビックリするくらいサービスしてくれたのよ」
「じゃあ、安かったんだ」
「今の普通の車くらいなのかな……。私、あまりそういうの詳しくないから、よくわからないけど。でも、買い物の足代わりにしか使っていないから、私には割高だよね」
 皐月は商店街で育ったので、徒歩や自転車と公共交通機関で大抵の用が足りてきた。明日美のマンションは周囲に店がないので、自転車か自動車で移動しないと暮らしに不自由するのかもしれない。皐月は車がなければ成り立たない生活というものがあることを初めて実感した。

「音楽を流しながら行こうか。皐月はいつもどんな音楽を聴いているの?」
「俺はね……ちょっと恥ずかしいんだけど、アイドルの曲をよく聴くかな」
「へぇ〜。なんとか坂とか?」
「うん。そういうのも聴く。でもよく聴くのはあまりテレビに出ないようなアイドルとか、ライブやネット中心で活動していたり、もう解散しちゃった地下アイドルを発掘するのが好き」
「随分マニアックなのね」
 自分の好みの音楽を言うのはただでさえ心をさらけ出すようで恥ずかしいのに、マニアックと言われるとさらに追い打ちをかけられたような気持になった。皐月の趣味を理解してくれたのは、今までで喫茶店のマスターの息子の今泉俊介(いまいずみしゅんすけ)ただ一人だ。
「明日美はどんな音楽を聴いてるの?」
「私はね……お座敷でお客の話題に上がるような曲を、勉強のために聴くの。今流行している曲や、昔のヒット曲とか」
「俺も昭和の歌謡曲なら聴くよ。近所の喫茶店のマスターの影響で時々聴くようになった」
「じゃあ、昭和のシティーポップって聴くことある?」
「シティーポップか……昔のポップスのことだよね。あまり聴かないけど、喫茶店で流れているのを聴いたことはあるよ」
 皐月には歌謡曲とシティーポップの境界線がわからない。喫茶店ではマスターの好みで曲が流れるので、きっと歌謡曲にまざってシティーポップも流れているだろう。
「最近は海外のお客さんからシティーポップのことを聞かれることが増えてきたから、70年代から80年代のポップスを勉強しているの。車の中で流してもいいかな?」
「いいよ。昔の曲って結構好きだから聴いてみたい。俺は勉強だなんて思わないけどね。たぶん知ってる曲もあると思うし、楽しみだな」
「付き合ってくれて、ありがとう」

 明日美がイグニッションキーをシリンダーに差し込んでまわすと、レジェンド・クーペのエンジンが静かに始動した。
 明日美がシートベルトを装着したので、皐月も明日美にならってシートベルトをした。スマホをパネルに繋いで、音楽配信サイトからシティーポップのプレイリストを選んだ。竹内まりやの『プラスティック・ラブ』がいい音で車内に流れ始めた。
「俺、この曲知ってる。カッコいいよね」
「海外では人気なんだって。じゃあ、行こうか」
 深紅のレジェンド・クーペが静かに動き出した。マンションの駐車場から駅前通りに出て、左折をした。
 これから皐月と明日美のドライブデートが始まる。運転に集中している明日美の顔は凛々しくて美しかった。



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次のエピソードへ進む 278 クーペの助手席に身を沈めて


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 |明日美《あすみ》の部屋を出て、エレベーターに乗り、マンションの駐車場に入った。|藤城皐月《ふじしろさつき》にはまだ、明日美と自動車のイメージが結びつかない。
 |芸妓《げいこ》はお座敷までタクシーで移動するし、母の|小百合《さゆり》は車に乗らない。小百合の弟子になった|及川頼子《おいかわよりこ》は離婚前は車に乗っていたが、小百合寮に入る時に車を手放したという。皐月の暮らしの中に自動車が存在しないので、明日美が車の運転をするという、当たり前の発想が今までなかった。
「私の車はこれ。古い車だけど、お気に入りなのよ」
 明日美の車はホンダのレジェンド・クーペという車で、1991年モデルだという。全塗装がなされているので、赤のボディーは全く色褪せていない。この大きな車は流麗で伸びやかなスタイルだが、グラマラスでセクシーなデザインで、時代を超えた美しさがある。
「この車、明日美によく似合っているね」
「ありがとう。そう言ってもらえると嬉しいな」
「もうちょっと車、見せて」
「どうぞ」
 この時間帯は車が出払っているので、明日美の車の前後左右に車が止まっていない。幸運にも車を観察しやすい状況だった。
 皐月は車から少し離れ、ゆっくりと車の周りを回りながら見た。皐月がレジェンド・クーペに興味を示したことに明日美は満更ではない顔をしていた。
「大きいのに背が低いんだね。前から見た顔は知的な男性みたいで格好いいし、真横から見たデザインもいい。斜め後ろから見た感じが女性的で、特にいいね。こんな車、街中で見たことないや。俺もこの車、好きになっちゃった」
「乗ってみる?」
「うんっ!」
 2ドアクーペらしい大きなドアを開け、皐月は背をかがめて乗りこんだ。ブラウンのふかふかなカーペットに土足で上がり込むのに抵抗を覚えつつ、シートに腰を沈めた。
 本革のシートは|江嶋華鈴《えじまかりん》の家で座らせてもらったゲーミングチェアーよりも気持ち良かった。明日美が運転席に乗り込んできたので、皐月は助手席のドアを引いた。ボンッと重厚な音がして閉まった。
「ねえ、この車って高そう……」
「昔は高級車だったみたいね。でも、これは中古だし相当古いから、そんなに高くなかったよ。モータースの社長さんが|玲子《れいこ》姐さんのお店の常連さんでね、お店の女の子はみんなそのお店で車を買うんだって。私は玲子姐さんの紹介だからってことで、ビックリするくらいサービスしてくれたのよ」
「じゃあ、安かったんだ」
「今の普通の車くらいなのかな……。私、あまりそういうの詳しくないから、よくわからないけど。でも、買い物の足代わりにしか使っていないから、私には割高だよね」
 皐月は商店街で育ったので、徒歩や自転車と公共交通機関で大抵の用が足りてきた。明日美のマンションは周囲に店がないので、自転車か自動車で移動しないと暮らしに不自由するのかもしれない。皐月は車がなければ成り立たない生活というものがあることを初めて実感した。
「音楽を流しながら行こうか。皐月はいつもどんな音楽を聴いているの?」
「俺はね……ちょっと恥ずかしいんだけど、アイドルの曲をよく聴くかな」
「へぇ〜。なんとか坂とか?」
「うん。そういうのも聴く。でもよく聴くのはあまりテレビに出ないようなアイドルとか、ライブやネット中心で活動していたり、もう解散しちゃった地下アイドルを発掘するのが好き」
「随分マニアックなのね」
 自分の好みの音楽を言うのはただでさえ心をさらけ出すようで恥ずかしいのに、マニアックと言われるとさらに追い打ちをかけられたような気持になった。皐月の趣味を理解してくれたのは、今までで喫茶店のマスターの息子の|今泉俊介《いまいずみしゅんすけ》ただ一人だ。
「明日美はどんな音楽を聴いてるの?」
「私はね……お座敷でお客の話題に上がるような曲を、勉強のために聴くの。今流行している曲や、昔のヒット曲とか」
「俺も昭和の歌謡曲なら聴くよ。近所の喫茶店のマスターの影響で時々聴くようになった」
「じゃあ、昭和のシティーポップって聴くことある?」
「シティーポップか……昔のポップスのことだよね。あまり聴かないけど、喫茶店で流れているのを聴いたことはあるよ」
 皐月には歌謡曲とシティーポップの境界線がわからない。喫茶店ではマスターの好みで曲が流れるので、きっと歌謡曲にまざってシティーポップも流れているだろう。
「最近は海外のお客さんからシティーポップのことを聞かれることが増えてきたから、70年代から80年代のポップスを勉強しているの。車の中で流してもいいかな?」
「いいよ。昔の曲って結構好きだから聴いてみたい。俺は勉強だなんて思わないけどね。たぶん知ってる曲もあると思うし、楽しみだな」
「付き合ってくれて、ありがとう」
 明日美がイグニッションキーをシリンダーに差し込んでまわすと、レジェンド・クーペのエンジンが静かに始動した。
 明日美がシートベルトを装着したので、皐月も明日美にならってシートベルトをした。スマホをパネルに繋いで、音楽配信サイトからシティーポップのプレイリストを選んだ。竹内まりやの『プラスティック・ラブ』がいい音で車内に流れ始めた。
「俺、この曲知ってる。カッコいいよね」
「海外では人気なんだって。じゃあ、行こうか」
 深紅のレジェンド・クーペが静かに動き出した。マンションの駐車場から駅前通りに出て、左折をした。
 これから皐月と明日美のドライブデートが始まる。運転に集中している明日美の顔は凛々しくて美しかった。