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第十三話 クル村の英雄

ー/ー



グレッグは何とか村人達の避難誘導を終わらせると、大きく一度だけ息を吐き、すぐそばにいた冒険者達に今あった事をかいつまんで説明した。はぐれオーク、避難所、リノアたち――。

「……ってわけだ。状況はこんなとこだ」

「グレッグ、その話ホントかよ。はぐれオークって」

「嘘ついてどうすんだ。あれは間違いねえ」

「はぐれオークってさ、噂でしか聞いた事ねえけど、三つ星冒険者クラスって話だろ? 俺らで勝てんのかよ……」

「おいマジかよ、三つ星かよ……」

その時――。

ヴィアアアアアアアアッ!!

森を裂くような咆哮が、全員の鼓膜を震わせた。地面さえわずかに鳴動した気がして、三人は青ざめた顔を見合わせる。

「おい!! 急ぐぞ、リノア達があぶねえ!!」

グレッグが叫ぶと同時に、三人は駆け出した。木々の間を縫うように咆哮のした方角へ走っていくと、前方の木陰から、よろよろと歩いてくる人影が見えた。

「……お、おい、ゼーラじゃねえか!! それにリノア!! おまえら大丈夫か!!」

「グレッグ!! 後ろにはルイン達もいるぞ!!」

リノアのかすれた声に、木陰からルインとアデルを支える村人達の姿が現れる。全員ボロボロで、立っているのがやっとだ。

グレッグ達は慌てて駆け寄り、リノア達の肩を支えたり、アデルの腕を肩に回したりしながら、村人達が避難している場所まで何とか連れて行った。

「おいアデル! おまえまだ動くな!! 体がボロボロじゃねーか!!」

地面に座らせた途端、アデルの服の下から血の滲んだ包帯が覗く。全身あざと切り傷だらけだ。

「ツルッツル……まだ……クソ猪頭に攫われた人がいる……だから探さねーと……」

震える声で、なおも立ち上がろうとするアデルの肩を、グレッグはガシッと押さえつけた。

「大丈夫だ! 冒険者五人がもう探しに行ってる! だからおまえは黙って休め!!」

「リノア、ゼーラ、ルインはどこにいんだ……!」

「まだ立てねえ奴が人の心配してんじゃねえ。自分の心配しろ。あいつらも大丈夫だ。リノアとゼーラはマナ欠乏症に近い状態だからポーション飲ませて横になってもらってる。ルインもポーション飲んで寝かせてある」

グレッグは真面目な顔で続ける。

「おまえが一番重症なんだよ。聖女達の回復魔法があれば一気に治るんだが、どっちも今はキツイ状態だ。アデル、おまえもまず体力回復させる為に、横になって休め」

その眼差しはふざけ半分のいつものグレッグではなく、本気で心配する大人のそれだった。

アデルは少しだけ睨み返したあと、ふっと肩の力を抜く。

「……チッ。わかったよ……」

素直に地面に横になるアデルを見下ろしながら、グレッグは小さくぼやく。

「アデル、性格変わったか……? いや、気のせいか……」

ーーー

オークに誘拐された村人達は、今、暗い洞窟の中に押し込められていた。入り口は大岩で塞がれ、どんな大人が何人かかっても動かせそうにない重さだ。

洞窟内は湿った土と血の臭いが混ざり合い、冷たい空気が肌にまとわりつく。

「お、俺達……食われちまうのかな……」

「おい! そんな事言うな!!」

誘拐された村人はざっと三十人ほど。老いも若きも、男も女も、皆壁際に身を寄せ合っている。

ある男は膝を抱えて震え、オークに噛み砕かれる自分の姿を想像して歯を鳴らしている。別の女は泣きじゃくる子供の背を必死にさすり、「大丈夫、大丈夫」と自分にも言い聞かせるように繰り返していた。

「きっと……きっと誰かが助けに来てくれるから……ね?」

そんな不安げなざわめきの中、洞窟の奥から岩の方へ向かって何か聞こえた気がすると、若い男が顔を上げた。

「……今、声がしなかったか?」

「おい、本当に聞こえたのかよ」

「聞こえたよ! 誰か、岩の向こうで喋ってる!」

ざわっ、とその場の空気が揺れ、ほとんどの村人達が、大岩で塞がれた出口へと雪崩のように集まる。

その時――。

「あの〜、この洞窟に誰かいたりしませんか〜? 気配感じるんですよね〜」

間延びした、子供の声。

「なんだ? 子供の声がするぞ!!」

「おーい坊主!! 人いるぞおお!! 助けてくれ!!」

「お〜、人いるんですか〜。何人くらいいるんですか〜?」

「ざっと数えて三十人くらいいるぞおお!!」

「お〜、沢山いますね〜。ちなみに五歳くらいの子もいたりします〜?」

「は?? いるぞ!」

「なんでこのガキ、小さな子いるか確認したんだ?」

「そ、それはあれだろ、子供はか弱いから……じゃね?」

「嬉しいな〜。今日はボクついてるっ♪ 岩こーわっそ!」

次の瞬間、大岩にヒビが走り――。

ドガァンッ!!

鈍い破砕音と共に、岩は粉々に砕け散った。外から差し込む光が、狭い洞窟内を一気に明るく照らす。

「おお!! すげーな坊主!!」

先に入り口付近にいた五人の男達は、互いに抱き合いながら歓声を上げた。自由へと続く解放感に、頬が緩む。

光の中に立っていたのは、一人の少年だった。年齢は十三歳前後。髪は黒を基調に、ところどころ白髪が混ざったような不思議な色合い。どこか人形のような整った顔立ちで、左腕には一メートルほどの女の子の人形を大事そうに抱えている。

その人形は、ただの布人形とは明らかに違った。髪は白く、肌の質感も布ではない。なにか獣か人の皮をなめしたような、不気味な滑らかさがあった。縫い目があちこちに走り、どこか生々しく、洞窟の薄暗がりの中で特に異様な存在感を放っていた。

「あの〜、先ほど言っていた五歳くらいの子って、聖女だったりします〜?」

少年はにこりと笑いながらそう尋ねる。

「普通の女の子だ。それより坊主、その気味の悪い人形なんだ?」

男の一人が何気なくそう口にした瞬間――。

少年の顔から笑みがすっと消えた。

表情が無に変わると同時に、洞窟内の空気が急激に重くなる。冷気とは別の、肌を刺すような圧が、そこにいた全員の背筋を冷たく撫でた。

「ボクの妹に対して……今、なんて言いました?……」

淡々とした声なのに、耳に届いた瞬間、心臓の奥を直接握られたような感覚が走る。

少年の放つ殺気に晒され、男は自分の体が何度も何度も槍で刺し貫かれているような錯覚を覚え、膝が勝手に震えた。

「たかが人形が……ボクの妹の可愛さを、わからないか」

「坊主、何言って……っ、え? その手……に持って……るの……?」

男の視線が、少年の右手へと吸い寄せられる。

そこには、ぬるぬるとまだ脈動している、真っ赤な肉塊――心臓。

「ゴフッ……」

男は理解が追いつく前に、口から大量の血を噴き出した。視界がぐらりと揺れ、膝から崩れ落ちていく。最後に見たのは、右手の心臓をまるでおもちゃのように摘まむ少年の姿だった。

「ほらね♪ これ取っちゃえば、動かなくなるでしょ♪」

無邪気な笑みを浮かべたまま、少年は指で心臓をぷにぷにと押してみせる。

「う、うああああ!! た、助けてくれえええ!!」

他の四人の村人達は、恐怖で顔を歪めながら、我先にと洞窟の奥へと走っていく。押し合いへし合い、踏み合いながら奥へ逃げる足音が響く。

少年はそんな様子にも一切興味を示さず、腕に抱いた人形へと視線を落とす。

「この奥、結構人いるみたいだし……そろそろ妹の体を綺麗にしてあげないとな〜。あと、今日満月だから……妹を復活させる準備しないとね♪」

人形の頭を優しく撫で、囁く。

「サラ、待っててね♪ お兄ちゃん、がんばるからね♪」

そう言って、少年は足取り軽く洞窟の奥へと進んでいく。その背に続くように、ほどなくして多くの悲鳴が上がり、やがて悲鳴が途切れると――。

残ったのは、少年の靴がぺた、ぺた、と洞窟の地面を踏む音だけだった。

ーーー

「おい、本当にここら辺で合ってるのか?」

別の時間、洞窟の外。

五人の冒険者と一人の村人が、森をかき分けて進んでいた。先導しているのは、さきほどまで洞窟の中にいた村人の一人だ。

村人は顔色を悪くしながらも、必死に前を指さす。

「合ってますよ!! 冒険者さん! 僕、見たんです!! オークがこの洞窟に入っていくの!!」

「入り口、砕けた岩だらけじゃねーか……歩きづれえな」

洞窟の前には、無残に砕かれた岩の破片が散乱している。誰かが内側から、力技で破壊したような痕跡だ。

「この洞窟、本当に人いんのかよ。静かすぎるぞ」

「本当にここで合ってますって!! 早く先、行ってください!!」

村人の焦った声が、逆に冒険者の苛立ちを煽る。

「おまえ! 偉そうにしやがって……あんま舐めてると殴るぞ!」

「まあまあ落ち着けって。さっさと救い出して、ギルドに帰ろーぜ」

一人が宥め、苛立った冒険者は舌打ちして村人を睨みつける。村人はびくっと肩を震わせ、庇ってくれる冒険者の背中に隠れた。

「さー、行くぞー」

先頭の冒険者が洞窟に足を踏み入れた瞬間――。

ピチャ。

足元から、生ぬるい感触が伝わってきた。

「おい、ここ……水でも流れてんのか? 誰か松明つけてくれ」

「ちょっと待ってろ」

一人の冒険者が火の魔石を取り出し、擦って火花を散らす。ぽうっと灯りがともり、周囲がぼんやりと赤く照らされた。

「よし、これで周りが……おい、これって……」

「どうした……って、マジかよ……」

光に照らされた地面は、水などではなかった。

一面、赤黒い液体――血。

「あ、う、うあああああ!! ち、血だああああああぁあ!!」

村人が悲鳴を上げる。冒険者の一人が素早く肩を掴み、怒鳴った。

「おい、落ち着け!! おまえら、気を引き締めろ!! 魔物がいるかもしれん!!」

慎重に進んでいくと、少し奥で、人が倒れている影が見つかった。灯りを近づけると、それはすでに事切れた村人の死体だった。胸は大きく抉られ、ぽっかりと空洞になっている。

村人はその光景を見た瞬間、堪えきれずに吐いた。

「うっ……おええっ……!」

「おい、ここにある死体見てみろ。心臓だけ、全部抉られてる」

「心臓だけ抉る魔物なんて、いたか?」

冒険者達は眉間に皺を寄せるが、冷静に死体の状態を観察している。その様子に、村人は信じられないという目を向けた。

「お、お、お、お前らは……へ、平気なのかよ!! ひ、人が死んでるんだぞ!!」

「平気じゃねえよ……」

一人が低く吐き捨てる。

「でもな、冷静さ失ったら、次に死ぬのは俺らだ」

冒険者達はそう言って、さらに奥へと進んでいく。村人も置いて行かれまいと、震える足で後ろからついていく。

しばらく進むと、空間が急に開けた。広いホールのような場所だ。

「発光石だ。投げるぞ。おまえら、目を瞑れ」

一人の冒険者が、発光石に軽くヒビを入れ、中央へ向かって放り投げる。

パンッ!!

乾いた破裂音と共に、眩い光が洞窟内を一気に満たした。

村人と冒険者を含めた六人全員が、目を細め、次第に視界が慣れてくる。そして――。

「おい……嘘だろ……」

「いったいここで、何があったんだ……」

「うあああああああぁあ!! 嘘だああああ!!!」

そこには、心臓だけが綺麗に抉り取られた死体が、無造作に積み上げられていた。数にして二十体近く。

老いた者、若者、女も子供も、その表情は皆、恐怖と苦痛に歪んだまま固まっている。

鉄と血の臭いが、息苦しいほど濃く漂っていた。

ーーー

「あれ……オレ、いつの間にか寝てたか……」

アデルはゆっくりと瞼を開けた。

天井。木の梁。簡素な部屋。自分以外の気配はない。

窓は半開きになっており、そこから心地よい風が吹き込んでくる。白いカーテンがふわりと揺れ、その向こうに青い空の切れ端が見えた。

アデルはぼんやりとその風を浴びながら、天井を見つめる。

「オレ……こんなにも弱かったんだな……」

誰よりも強くなれると、心のどこかで本気で信じていた。誰にも負けないと、当然のように思っていた。

だが、現実は――。

「クソが……」

拳を握ると、まだ鈍い痛みが走る。

「……それより、静か過ぎんか?」

妙な違和感に、アデルは上体を起こし、ふらつきながら窓辺まで歩いていく。窓から顔を出し、周囲を見下ろした。

見慣れた村の風景。最初に通ったあの村――クル村だ。

その中央の広場に、黒山の人だかりができているのが見えた。白い衣の僧侶達や村人達が地面に膝をつき、何かに向かって頭を垂れている。

よく目を凝らすと、その最前列にリノアとゼーラの姿があった。二人は手を組み、祈るような仕草をしている。

「……何してんだ、アイツら」

胸騒ぎを覚えたアデルは、よろよろの体で壁を伝いながら部屋を出た。廊下を歩くたび、足元がぐらりと傾くような感覚になるが、それでも何とか広場へ向かって進んで行く。

広場に着いた瞬間、空気が一変した。

重い。暗い。息を呑むような静けさ。

人々の間を掻き分け、リノア達の方へ進んでいくと、ふいに肩に大きな手が置かれた。

「アデル!! 目ぇ覚ましたのか!!」

振り向くと、そこにはグレッグの顔。

「ツルッツル、おまえ何してんだ。あと、なんでこんなに人集まってんだよ。なんか空気重いし……」

「そうか、アデルは気絶してて知らんかったか」

グレッグは少し表情を曇らせ、一度唾を飲み込んだ。

「実はな……オークに攫われた人達を見つけたんだが……」

そこで言葉を切り、眉間に皺を寄せる。

「おい、なんだよ。早く言えよ」

「……みんな、心臓を抉られて死んでたんだ」

アデルの喉が、ひゅっと鳴った。

「それだけじゃねえ。子供は、皮膚も剥がされててな……ありゃあ、酷い」

「……心臓を……オークがやったのか?」

「それが、わからないんだ」

グレッグは首を振る。

「見つけた連中の話だと、洞窟の入り口には砕かれた岩があったって言ってた。オークが塞いだ岩を、誰かが壊して中に入った。その『誰か』が村人を襲ったと、俺は思ってる」

「……なら、この集まりは……」

「聖女がいるだろ? 死者が無事にレナウス様の元に還れるよう、祈ってもらってんだ」

アデルは無意識にリノア達の方へ目を向けた。

周りを見渡すと、村人達は皆、手を合わせ、何かを呟いている。すすり泣きや嗚咽があちこちから聞こえた。

人波をかき分け、アデルはリノア達のいるであろう前方へと進んでいく。できるだけ他人に触れないように、肩をすり抜け、腕を避け、ようやく開けた場所に出た。

そこには、布で覆われた死体が何十体も横たわっていた。

白い布の下から、わずかに覗く手の指。小さな足。血の滲んだ端。鼻腔を刺す死臭。

「こん……なに……」

一体誰が――。

死体のすぐ側で、リノアとゼーラが地面に膝をつき、指を絡ませるように手を合わせていた。

二人は静かに目を閉じ、声を揃える。

「『レナウス様。死者の魂が路頭に迷う事なく、無事にレナウス様の元に還れる様に、どうかお導きください』」

淡々と、けれど確かに祈る声。リノアが聖女として役目を果たす姿を、アデルは初めて目にした。

胸の奥がきゅっと締め付けられる。自然とアデルも両手を合わせ、目を閉じた。

(……クソ……)

唇を噛み、祈りの途中でそっとその場を離れる。人混みを抜けると、アデルはまるでそこから逃げるように、森の方へと足を向けた。

木々の間に入ると、人の気配は一気に薄れる。鳥の鳴き声と、風が葉を揺らす音。

「なんなんだよ、クソが……」

アデルは木の幹を拳で殴りつけた。鈍い痛みが走るが、構わず何度も何度も叩く。

「もしオレが、早くオーク倒してたら……こんな事にならんかったのか……? ああ!? クソがぁあ!!」

怒りと悔しさで喉が焼けるようだ。その時、背後から複数の足音が近づいてきた。

「貴方は、オークと戦っていた冒険者さん!! 大変なんです!!」

振り向くと、三人の村人が息を切らしながらアデルの方へ走ってきていた。顔には恐怖が浮かんでいる。

「どうした。何、慌ててんだよ」

「そ、それが……クイーンホーネットベアーが、広場へ向かおうとしてるんです!!!!」

男の一人が半泣きで叫ぶ。

「このままでは、みんなクイーンに殺されてしまいます!!」

「なんで今来んだよ……!」

アデルは頭をかきむしる。

「今はみんな、死んだ奴らの弔いしてるじゃねえかよ!!」

「子分のホーネットベアーを殺したのが俺たち村人だと思われてる可能性が高い。だから、その報復で……」

別の村人が苦しそうな顔で続ける。

「本当は発狂石を投げて知らせた方が良かったんだが……下手に刺激して襲われるのが怖くて、投げられなかった……すまん……」

「……お前らは、そのまま広場で弔いに参加しろ」

アデルの声色が、すっと変わった。

「この事は誰にも言うな。クイーンの事はオレに任せろ」

「おまえ、何言ってんだ!! そんな体で、あいつと戦えると思ってるのか!!」

「そうですよ!! 貴方の実力は十分知ってます!! ですが、今の貴方は……死にに行くようなものです!!」

村人達は必死だ。

「クイーンは、二星プレートの人でも簡単に殺されてしまうレベルの強さなんですよ!! ですから――」

「うっせーボケ!!」

アデルは二人の胸ぐらを掴む勢いで前に出た。

「オレは龍極者になる男だぞ」

その瞳は炎のように燃えている。

「ここでクイーンって奴をオレ一人で倒せねえんじゃ、オレはただの雑魚だ」

「だけどよっ!!」

なおも食い下がろうとする村人を、アデルは手を突き出して制した。

「いいから、さっさと行け!! あと、この事は誰にも言うんじゃねえぞ!」

「何を言ってるんですか!! 応援が来なければ、アナタ本当に死にますよ!!」

「だから言ってんだろ!!」

アデルは吠えるように言い返した。

「死んだらそこまでの人間だって事だっつってんだよ!! 今のあいつらには、弔いに集中してもらいてえんだ……」

二人の村人は、アデルの決意を帯びた瞳をまっすぐ見つめ、言葉を失った。

「……ったく。わかったよ!! 弔いが終わったら、応援行くようにする。一応な!!」

「そうですね……そうしましょう!! あの、お名前教えてください!」

「オレはアデルだ。よろしくな」

「アデル!! 絶対死なないでください!!」

「アデルな! 名前覚えたぞ! 死ぬなよ!!」

「ふんっ。オレ、死なねえよ」

言い切ると、アデルは踵を返し、森の奥へと走り出した。

村人達は再び村の方へ走っていく。

「リノア達もボロボロだ……無理はさせたくねえ。無理するのは、オレだけで十分だ」

アデルは小さく笑って、自嘲するように息を吐いた。

ーーー

森の奥へしばらく進むと、前方から木々が派手に倒れる音がした。

ドガァン、ミシミシッ――。

アデルは足を止め、音のする方角へ顔を上げる。そこへ、木々をなぎ倒しながら姿を現したのは――。

黒い頭部に、蜂のような黄色い胴体を持つ巨大な熊。六メートルはあろうかというその巨体は、ただそこに立っているだけで、圧倒的な威圧感を発していた。

「死んでたホーネットベアーより、クソデケェな……」

アデルは口元を歪める。

「こいよ、デカブツ」

「グォオオオオオオオ!!」

クイーンホーネットベアーは、アデルを視界に捉えた瞬間、咆哮と共に地面を蹴った。土が爆ぜ、巨体が弾丸のように突っ込んでくる。

「こいつ、いきなり突っ込んでくんのかよ。……ただ、猪頭より勢いは雑魚だな!」

アデルは踏み込み、クイーンの進路に合わせて跳び上がる。

「脳天、かち割れろ!! 《ルーナ・カルキブス》!!」

三日月型の蹴りがクイーンの頭部を捉えた。鈍い音と共に、クイーンの首がのけぞり、巨体が僅かに後ろへ仰け反る。

だが――。

「チッ。硬え頭してんな!!」

クイーンはすぐに体勢を立て直すと、低く唸り声を上げた。怒りの色が、その小さな瞳に宿る。

アデルはクイーンが先に攻撃できる距離まで一気に詰め、すかさず連撃を仕掛ける。

「早くケリつけねえと、マジでやべえ……思ってたより体が動かねえ……!」

呼吸はもう荒い。オークとの激戦でボロボロになった筋肉は、悲鳴を上げながら動いているような状態だ。

それでも、アデルは素早いステップで死角へ回り込み、脇腹や脚を狙って攻撃を叩き込んでいく。しかしクイーンは、その巨体に似合わぬ機敏さで体をひねり、鋭い爪で反撃してきた。

「っぶね!! 確か、爪にも毒あるらしいな……当たったらやべえな……」

互いの攻防が続く。何度も何度も打ち込み、避け、躱し――だが、アデルの体には確実に限界が近づいていた。

「どんだけタフなんだよ!! クソがっ!!」

再び頭部目がけて跳躍する。

(ルーナ・カルキブス)!!」

だが、クイーンは今度はその一撃を耐えた。体をぐらつかせながらも踏ん張り、隙を見逃さない。振り下ろされる、巨大な爪。

「――ッ!」

アデルはギリギリで身を捻り、爪の軌道から逃れる。頬のすぐ横を、毒を帯びた爪が風を裂いて通り過ぎ、次の瞬間にはクイーンの巨体が再び突進体勢に入っていた。

「足に……力が……」

オーク戦で蓄積したダメージ。完全には回復していない筋肉が、悲鳴を上げるように震える。踏ん張りが利かず、膝がわずかに折れたその瞬間――。

ドゴォッ!!

クイーンベアーのタックルが、アデルの胸を真正面から捉えた。

「ぐっ、はっ……!!」

肺の空気が一気に押し出され、視界が白く弾ける。アデルの体は何メートルも吹き飛ばされ、背後の木に叩きつけられた。

ゴキッ、と嫌な音が背中を走る。地面に崩れ落ちたアデルの上に、木の葉や小枝がぱらぱらと降ってきた。

クイーンベアーは、ゆっくりとアデルへ近づいて来る。弱った獲物を前に、焦る必要はないと言わんばかりの足取りだ。確実に、次で仕留めると理解している動き。

「……ああ、クソ……いつの間に熊の爪でひっかかれてたんだ……」

左腕に触れようとした瞬間、ぞわりとした痺れが走った。感覚が、ほとんどない。

「左腕が……痺れて、感覚ねえ……ああ、オレ、弱いな……」

体のあちこちが痛む。ひとつひとつの呼吸さえ、胸が焼けるように苦しい。

「体もあちこち痛えなぁ……あの二人に啖呵切っといて、マジでオレ、だせぇな……足も動きづれえし、右腕しか使えねえし……オレ、ここで死ぬのか……」

アデルは目を閉じた。

その時、脳裏に浮かんだのは――。

リノアの泣きそうな顔。ゼーラの必死な声。ルインの苛立ったようで、それでも信じてくれる視線。村人達の、縋るような期待の目。

ここで自分が殺されたら、その先にあるのは――。

クイーンベアーに蹂躙される広場。弔いも祈りも、全て踏みにじられていく光景。

「……ざけんなよ」

アデルは奥歯を噛み締め、ゆっくりと目を開いた。

「あいつらに、ぜってえ手出しさせねえ」

体のあちこちが悲鳴を上げる中、何とか地面を押して立ち上がる。視界がにじむ。膝が笑う。それでも一歩、また一歩と前に出る。

「マジで……やべえな……」

クイーンベアーとの距離が、じわじわと縮まっていく。アデルは歯を食いしばり、もう一度目を閉じた。

その時だった。

――体中に、熱が巡る感覚が走る。

「……なんだ、この感覚……」

皮膚の下を、何かが流れている。血とは別の、もっと濃密で熱い何かが、全身を駆け巡っている。

「オレの体全身に巡ってる、この熱いものは……なんなんだ……」

思い返す。

《ペガルイム・プルス》を撃つ時、拳の奥で微かに感じていた熱。あれを教えてくれたパニア爺の言葉。

――拳にマナを集めるようにして打て。

今まで「なんとなく」でやっていたこと。その「熱」がマナなのだと、アデルはようやく気付いた。

「これが……マナなのか!? なんで、いきなりこんな強く感じる事ができんだよ……」

アデルは奥歯を噛みしめ、意識を集中させる。

「このマナ……右腕に、集める事できるのか……?」

イメージする。熱の流れを、右腕へ。肩から、上腕、肘、前腕、拳へ。ぎゅっと濃縮していく感覚。

――ゴウッ。

右腕の内側に、確かな熱の圧が生まれた。

「できたぞ……」

アデルは拳を握り、クイーンベアーを睨む。

「クソ熊の頭……この拳で、かち割る」

クイーンベアーは、立ち上がったアデルを見据えながらも、依然としてゆっくりと歩みを進めてくる。いつでも殺せる、そう確信しているからだ。

「いつでも殺せるってか……舐めやがって……」

アデルは低く笑う。汗と血で顔はぐちゃぐちゃだが、その目だけは強く燃えていた。

「だからこそ、確実に――この一撃を当てる!!」

距離が詰まる。その瞬間――。

クイーンベアーが、地面を大きく抉る勢いで突進してきた。

「……来い!!」

アデルはギリギリまで動かず、その場に踏みとどまる。タイミングを計り、突進の瞬間に拳を叩き込むつもりだった。

だが、クイーンベアーはほんの一瞬前で動きを変えた。

突進の態勢から、いきなり横薙ぎの爪撃へ切り替える。巨大な爪が、横殴りにアデルの上半身を薙ごうとする。

「くっ……!! コイツ……!!」

不意を突かれながらも、アデルは咄嗟に体を回転させる。

「だったら、それごとぶち砕く!!」

踵を落とすようにして、爪撃の軌道へ足を叩き込む。重い衝撃が足から全身へ駆け抜けた。攻撃の軌道はわずかにずれたが、それでも爪の先端はアデルの体側を掠め、肉を裂いていく。

「ッぐ……!」

痛みを無視し、アデルはすぐに次の行動へ移る。クイーンベアーの口が、さらに噛み付こうと大きく開いた。

その瞬間、アデルはほとんど感覚のない左腕を、自分からその口の中へ差し出した。

「……ッ!」

鋭い牙が左腕を噛み砕く。骨がきしむ音がした。それでもアデルは叫ばない。左腕を犠牲にしてでも、この距離を掴み取りたかった。

「ぐっ、ーー……!」

距離ゼロ。クイーンの胸部は、目の前だ。

「この距離なら……外さねえだろ……!!」

アデルは右足を踏み込み、右腕に込めたマナを解き放つ。

「くたばれえ!! ウルト・ペガル(超殴り)ッ!!」

拳が、クイーンベアーの胸を貫いた。

骨の砕ける感触。肉を裂く感触。そして、掌に伝わる心臓の鼓動。

「同じ熊なら……ビックベアーと体の作り、一緒だろ……」

アデルは絞り出すように呟いた。

クイーンベアーの瞳から、光がゆっくりと消えていく。その巨体が、ぐらりと揺れ――。

ドサァァァッ!!

地面に崩れ落ちた。

「はあ……はあ……はあ……」

アデルは、血と汗にまみれた自分の拳を見下ろした。右腕の感覚も薄れていく。立っているだけで精一杯だった。

「やべえ……体に……ちからが……」

膝が抜ける。

「……は……ーー……」

糸が切れた操り人形のように、アデルはその場へ崩れ落ちた。

ーーー

「リノア、ゼーラ、お疲れ様」

村の広場。聖女の祈りがようやく終わった頃、ルインが二人へと歩み寄り、労うように声をかけた。

リノアとゼーラは、まだ少し顔色が悪いが、それでも笑顔を作って頷く。

「わたし達に出来るのは、これくらいしかないから……」

リノアは小さく笑い、ふらりと立ち上がる。

「少し部屋で休んでるね。ついでに、アデルの様子も見てくる」

そう言って、足取り早く宿の方へ向かっていった。

「ルイン、私も宿で休むね……」

「おう、ゆっくり休んでくれ」

ルインは広場をゆっくりと歩きながら、死者を弔う人々を何となく眺めていた。その時、背後から聞き慣れた声が飛んでくる。

「おーい、ルイン! アデル見なかったか?」

振り向くと、グレッグが大きな手を振りながら近づいてきた。

「アデル? まだ宿で寝てんじゃねーの? 俺は見てないけど」

「いやー、聖女が祈ってる最中、いたぞ。すげー顔してたけどな」

「俺、見てないけどなぁ……その後、宿に戻ったんじゃね?」

二人が話していると、森の方から駆け足で近づいてくる村人達が目に入った。様子がおかしい。顔は真っ青で、肩で息をしている。

「なんだ、てめえら? 俺らになんの用だ?」

「その……あの……えーっとですね……」

「あーもう、歯切れ悪ぃな。さっさと言えよ!」

「グレッグ、落ち着け。苛立ってもしょうがないだろ」

ルインが宥めると、村人の一人が意を決したように口を開いた。

「あの!! アデルさんを助けて欲しいです!!!」

「は?」

「え?」

グレッグとルインの声が重なる。

「なんでアデルの名前が出てくるんだよ!! アデルがどうしたんだ!!」

ーーー

その頃。

「アデール!! もう起きた? って、あれ?」

リノアはアデルの部屋の扉を開け、顔を覗き込んだ。だが、そこにあるはずのベッドには誰もいない。窓が全開になっており、白いカーテンが風に揺れている。

「アデル……?」

ちょうどそのタイミングで、ゼーラも部屋に入ってきた。

「リノアさん、アデルくんはどこに行ったんですか?」

「それが、わからないの!! バカアデル……あの体の状態で、どこ行ったの!?」

リノアは窓辺に駆け寄り、身を乗り出して外を見た。丁度視界の先には広場があり、そこではグレッグとルインが二人の男性と話している。そのうちの一人の胸ぐらを、グレッグが掴み上げるところだった。

「ゼーラ!! ツルツルがなんか揉め事起こしてる!! 止めに行くよ!!」

「ええ!! そうなんですか!? 何か理由があるんじゃ……」

リノアはゼーラの言葉を待たず、部屋を飛び出して行く。ゼーラも慌ててその後を追った。

ーーー

「てめえ!! なんでアデル一人を置いてったああ!!!」

広場の端。グレッグの怒号が響き渡る。

「アイツはオークとの戦闘で、体がボロボロなんだよお!!! 本当はまだ動いちゃいけねえ体なんだよお!!」

グレッグは村人の胸ぐらを掴み、今にも殴りかかりそうな勢いだ。

「おまえらは戦えなくていい!! だがな!! なんで俺ら冒険者に一言も言わなかったんだ!! ああ!! てめえ、殺すぞぉ!!」

「し、仕方なかったんです!! アデルさんが……一人で大丈夫だって言ったんです!!」

「はぁ!? それだけの理由で報告しなかったのか!! アイツを見たら、戦える状態じゃねえってわかんだろお!!」

グレッグの怒りは頂点に達し、拳が今にも振り下ろされそうなところを、ルインが必死に両腕で押さえ込んでいた。

「落ち着け! グレッグ!! こいつら二人が報告しないのも悪いが! アデルがそう言ったなら、アイツの性格お前が一番知ってるだろ!! 聞く耳、全く持たねえ奴なんだから!!」

「ツルツル!! ルイン!! どうしたの!! 何があったの!!」

リノアとゼーラが息を切らしながら駆け寄り、ルインから事情を聞いていく。

「……そうなの……アデルが……」

リノアの顔から血の気が引いていく。

森の方角を見た瞬間、体が勝手に動いた。

「アデルの所に行かなきゃ……!」

走り出そうとしたリノアの腕を、ルインが強く掴んだ。

「離して!! ルイン!! 早くアデルの所に行かないと、アデル死んじゃう!!」

涙目で訴えるリノアに、ルインは歯を食いしばる。

「リノアも、まだ万全じゃないだろ!! 一人で行っても、クイーンベアーに殺されるぞ!!」

「でも……っ、アデルが……っ……!」

言葉が続かず、リノアの目からぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。ゼーラはそんなリノアを後ろからそっと抱きしめた。

「……リノアさん……」

グレッグは一度、大きく息を吸い込んだ。

「冒険者達を呼んで、アデルを助けに行く!!」

振り返り、周囲の冒険者達に怒鳴る。

「ルイン達は休んでろ!! オークとの戦闘でまだ傷が癒えてねえだろ!!」

「ざけんな!! 俺は行くぞ!!」

ルインは即座に反発した。

「アデルもボロボロの状態で戦ってんのに、なんで俺らだけ休まなきゃいけねーんだよ!!」

リノアもゼーラも、真剣な目でグレッグを見つめてくる。

「……おまえらも、アデルみてーに言う事聞かねえな……」

グレッグは頭をがしがしと掻いた。

「だったら、全員で行くぞ!!」

ーーー

グレッグは他の冒険者達を呼び寄せ、アデル救出作戦を説明する為に、一室へと移動した。その部屋は簡素で、真ん中にテーブルが一つ置かれているだけの殺風景な場所だ。

「まさか、弔いしてる最中にこんな事になってるとはな……」

「アデル、なんで一人で挑んだんだよ……」

「俺たちを弱いと思ってんのかよ」

「俺たちを見下してたんだな……」

冒険者達が、苛立ちと不安を混ぜたような声を口々に漏らす。リノアが何か言おうとした瞬間、グレッグが机を思い切り叩いた。

バンッ!!

「てめえら!! うるせえんだよ!!」

部屋の空気が一瞬で凍りつく。

「アデルは、俺達が弔いに集中できるように、一人で挑んでんだよ!! 決しててめえらを見下したりしてねえ!!」

沈黙。やがて、冒険者達は気まずそうに目を逸らした。

「……悪かったよ」

一人がぽつりと謝ると、他の者達も次々に頭を下げた。

「なあグレッグ」

一人の冒険者が口を開く。

「本当に俺達で勝てるのか? クイーンベアーに。アイツ、確か三つ星プレートクラスだろ?」

「尻尾と爪の毒が強力だから、三つ星プレートクラスらしいぜ」

別の者が補足する。

「尻尾での攻撃は、自分より強者って判断されないと使わなかったはずだぜ」

「……だからこそ、アデルが狙われてる可能性が高えって事だな」

グレッグは大きく頷き、リノア達へ視線を向けた。

「リノア達は、俺らの援護に回ってくれ。オーク戦での体力がまだ回復してねえからな。前線は俺達、先輩冒険者に任せろ!!」

立ち上がり、拳を高々と振り上げる。

「いいかお前ら!! 絶対生きて帰って、肉食うぞ!!」

「おおおおおおお!!!」

気合いの入った雄叫びが部屋中に響いた。一方で、リノアはその場で小さく拳を握りしめたまま、少し暗い表情を浮かべている。

「リノアさん、大丈夫ですか?」

ゼーラが小声で尋ねる。

「え……だ、大丈夫だよ……」

「なんだ、リノア。アデルの事、心配してんのか?」

グレッグがニヤリと笑って言う。

「アイツはアホほど元気だから、大丈夫だって」

「そう……だよね……。アイツ、バカだから……」

リノアはそう言いながらも、不安を完全には隠しきれない。

ゼーラはふと思いついたように、ルインへ視線を向ける。

「アデルくんって、敵を前にした時、逃げたりします?」

「しねえよ、あいつは」

ルインは即答した。

「どんな敵が強くても、絶対に逃げたりしない。だから、ちょっとだけ……心配なんだ……」

リノアの声が小さく震える。

ゼーラとルインは、リノアにどう声をかければいいか迷っていた。その時――。

「おーい!! 行く準備できたぞ!!」

グレッグが部屋の扉から顔を覗かせる。

リノア達は軽く返事をし、ギルドメンバー十人と共に村人の案内で、アデルが最後に目撃された場所へ向かった。

道中、冒険者達は互いに冗談を飛ばしたり、武器の確認をしたりしながら進んでいく。だが、その笑い声の裏には、全員に共通した緊張感があった。

しばらく歩くと、木々が折れ、あちこちに爪痕や血痕が残る場所へと辿り着く。

「どうなってるんだ……この状況……」

グレッグが思わず呟く。

リノアは、その光景を目にした瞬間、堪えきれず前へ駆け出していた。

「リノアさんっ! 待って!」

ゼーラも慌てて追いかける。ルインも舌打ちしながら走り出した。

「おい! 待て、おまえら!!」

グレッグの叫びも虚しく、三人は先に森の奥へ消えていく。残りのギルドメンバーも、慌ててその後に続いた。

「アデル!! どこ!? バカアデルーー!! 返事して!!」

リノアの声が、森にこだまする。

「アデル!! マジでどこいんだよ!!」

「アデルくん……全然見つからない……」

ゼーラも必死に呼びかける。

「アデル、どこにいるの……」

リノアが木々の間を走り抜けていくと、その先に、何か巨大な黒い塊が倒れているのが見えた。

「なに……あれ……」

リノアは息を呑み、その塊に向かって走る。距離が縮まるにつれ、それが熊の死骸だとわかってきた。

「ホーネットベアー……? 違う……大きさ、全然違う……」

六メートル級の巨体。黄色い胴体。黒い頭部。

「もしかして……クイーン……?」

死骸の周囲は血溜まりになっており、その中を跳ねるようにして、リノアはクイーンベアーの頭部の方へと回り込んだ。

そして――。

「ア、アデル……!!」

そこには、血だらけになって仰向けに倒れているアデルの姿があった。

ーーー

数日後。クル村の宿屋の廊下。

グレッグは廊下の角を曲がったところで、ゼーラとルインと鉢合わせた。

「ゼーラ、ルイン。アデルの様子はどうだ? まだ寝てるのか?」

「ああ。まだ、目を覚ましてない」

ルインが腕を組んで答える。

「でも、アデルくんなら大丈夫ですっ!!」

ゼーラはぎゅっと拳を握る。

「絶対!! すぐ目を覚まします!!」

「そうか……そうだな……」

グレッグは苦笑しながら頭を掻いた。

「リノアは?」

「リノアさんは、アデルくんの部屋にいますよ」

「なら、俺もアデルの所へ行くか。なんせ、このクル村の英雄だからな」

そう言って、グレッグはアデルの部屋へ向かっていった。

ーーー

(ヒール)!」

淡い光が、眠るアデルの体を包む。

「もう! アデル!! 何、ずっと寝てるのよ!!」

リノアは半分泣き、半分怒りながら、何度目かの回復魔法を施していた。

「早く起きて、ギルドに帰るよ!!」

ベッドの横には、村の子供達が作った花の冠。村人達が持ってきた果物や、お守り代わりの小物。部屋は小さいながらも、アデルへの感謝と心配で埋め尽くされている。

アデルは、クイーンベアーの横で倒れているところをリノア達に発見され、急いで村へ運び込まれた。毒消し草とポーションで応急処置を施し、ゼーラとリノアは、マナがほとんど残っていない状態でも、何度も何度も回復魔法をかけ続けた。

ギリギリのところで息を吹き返したものの、体のダメージは深く、未だ目を覚まさない。

「少しずつマナが回復したら……また《ヒール》掛けるからね……」

リノアはそう呟きながら、額の汗を拭った。

「アデル……最強を目指すんでしょっ!!」

堪えきれず、声を荒げる。

「ここでずっと目を閉じてるままで、いいの……? ねえ……アデル……」

その時、部屋の扉が軋む音を立てて開いた。グレッグが顔を覗かせる。

リノアは慌てて袖で目元を拭った。

「リノア。どうだ、アデルは? 目ぇ覚ましたか?」

「まだ、目を覚ましてないよ……。本当によく寝るよ、アデルは……」

力ない笑いを浮かべる。グレッグはその横に立ち、眠るアデルを見下ろした。

「そう……だな……」

しばし沈黙のあと、グレッグはぽつりと言う。

「ったく、コイツ……無茶しやがって」

腕を組み、窓の方をちらりと見る。

「今回の件はイルバード経由でギルドに報告してる。ギルドから追加報酬も出るみてえだ」

そう言って、肩をすくめる。

「まあ、俺はなんもしてねえから、お前らがしっかり貰えよ」

「グレック、何言ってるの!」

リノアは即座に反論した。

「グレックが村人を誘導してくれて、他の冒険者がしっかり守ってくれたから、わたし達は安心してオークと戦えたんだよ!」

少し間をおき、俯いているアデルの顔を見つめる。

「クイーンベアーに関しては……アデルに無理させちゃった……」

震える声。

「なんで……言ってくれなかったの……アデル……」

こぼれる涙を、今度は拭わなかった。

「なんで一人で戦おうとするの……」

声が震え、喉が詰まる。

「わたし達、仲間でしょっ!! わたし達を、信用できなかったの……?」

堪えきれず、アデルの胸元を掴む。

「起きて、答えてよ!! アデル!!」

アデルの頬に、リノアの涙がぽたり、ぽたりと落ちていく。

グレッグはそんな二人を見ながら、静かに口を開いた。

「アデルがこうなっちまう前にな……一回、会ったんだ」

窓の外に視線を投げながら、ぼそりと語る。

「弔いの儀式してる時にな。あいつ、遠くからお前らの祈りを見てた。その時の顔がよ……すげー辛そうだったんだ」

グレッグはゆっくりとアデルの方へ視線を戻す。

「村人を救う為にオークと戦って、オークを追い払って、村を守ったと思ってみたら――」

布に包まれた、多くの村人の死体。

「アデルは……村人の為に、お前らと一緒に祈りして……それから、お前らを守る為に、一人で戦ったんだと思う」

肩を竦める。

「まあ、俺の憶測だけどな」

そして、眠るアデルに向かって言い放つ。

「おい、アデル!!」

声が少しだけ、優しくなる。

「リノア達が心配してるからよ……さっさと起きて、なんでクイーンベアーに一人で挑んだか、説明しろよ」

そう言い残し、グレッグは部屋を後にした。

開け放たれた窓から、白い村の家々の屋根を撫でるように、気持ちの良い風が吹き込んでくる。

リノアは再びアデルの方を見つめ、そっと手を伸ばした。

「……もう一回、(ヒール)するからね……」

アデルが早く目を覚ますようにと願いながら、静かに回復魔法を施し続けた。

ーーーーーーー
発光石
軽くヒビ入れて、壁や石に当て砕けるとその場が一瞬にして光
少しでも日差しが当たるとすぐ効力を失う、主に洞窟とかダンジョンで使用する事が多い

本日も見てくださりありがとうございます!

発狂石
音が鳴る石、自分の居場所だったり魔物に対して一瞬怯ませる効果を持つ


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次のエピソードへ進む 第十四話 クエストを終えて


みんなのリアクション



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グレッグは何とか村人達の避難誘導を終わらせると、大きく一度だけ息を吐き、すぐそばにいた冒険者達に今あった事をかいつまんで説明した。はぐれオーク、避難所、リノアたち――。
「……ってわけだ。状況はこんなとこだ」
「グレッグ、その話ホントかよ。はぐれオークって」
「嘘ついてどうすんだ。あれは間違いねえ」
「はぐれオークってさ、噂でしか聞いた事ねえけど、三つ星冒険者クラスって話だろ? 俺らで勝てんのかよ……」
「おいマジかよ、三つ星かよ……」
その時――。
ヴィアアアアアアアアッ!!
森を裂くような咆哮が、全員の鼓膜を震わせた。地面さえわずかに鳴動した気がして、三人は青ざめた顔を見合わせる。
「おい!! 急ぐぞ、リノア達があぶねえ!!」
グレッグが叫ぶと同時に、三人は駆け出した。木々の間を縫うように咆哮のした方角へ走っていくと、前方の木陰から、よろよろと歩いてくる人影が見えた。
「……お、おい、ゼーラじゃねえか!! それにリノア!! おまえら大丈夫か!!」
「グレッグ!! 後ろにはルイン達もいるぞ!!」
リノアのかすれた声に、木陰からルインとアデルを支える村人達の姿が現れる。全員ボロボロで、立っているのがやっとだ。
グレッグ達は慌てて駆け寄り、リノア達の肩を支えたり、アデルの腕を肩に回したりしながら、村人達が避難している場所まで何とか連れて行った。
「おいアデル! おまえまだ動くな!! 体がボロボロじゃねーか!!」
地面に座らせた途端、アデルの服の下から血の滲んだ包帯が覗く。全身あざと切り傷だらけだ。
「ツルッツル……まだ……クソ猪頭に攫われた人がいる……だから探さねーと……」
震える声で、なおも立ち上がろうとするアデルの肩を、グレッグはガシッと押さえつけた。
「大丈夫だ! 冒険者五人がもう探しに行ってる! だからおまえは黙って休め!!」
「リノア、ゼーラ、ルインはどこにいんだ……!」
「まだ立てねえ奴が人の心配してんじゃねえ。自分の心配しろ。あいつらも大丈夫だ。リノアとゼーラはマナ欠乏症に近い状態だからポーション飲ませて横になってもらってる。ルインもポーション飲んで寝かせてある」
グレッグは真面目な顔で続ける。
「おまえが一番重症なんだよ。聖女達の回復魔法があれば一気に治るんだが、どっちも今はキツイ状態だ。アデル、おまえもまず体力回復させる為に、横になって休め」
その眼差しはふざけ半分のいつものグレッグではなく、本気で心配する大人のそれだった。
アデルは少しだけ睨み返したあと、ふっと肩の力を抜く。
「……チッ。わかったよ……」
素直に地面に横になるアデルを見下ろしながら、グレッグは小さくぼやく。
「アデル、性格変わったか……? いや、気のせいか……」
ーーー
オークに誘拐された村人達は、今、暗い洞窟の中に押し込められていた。入り口は大岩で塞がれ、どんな大人が何人かかっても動かせそうにない重さだ。
洞窟内は湿った土と血の臭いが混ざり合い、冷たい空気が肌にまとわりつく。
「お、俺達……食われちまうのかな……」
「おい! そんな事言うな!!」
誘拐された村人はざっと三十人ほど。老いも若きも、男も女も、皆壁際に身を寄せ合っている。
ある男は膝を抱えて震え、オークに噛み砕かれる自分の姿を想像して歯を鳴らしている。別の女は泣きじゃくる子供の背を必死にさすり、「大丈夫、大丈夫」と自分にも言い聞かせるように繰り返していた。
「きっと……きっと誰かが助けに来てくれるから……ね?」
そんな不安げなざわめきの中、洞窟の奥から岩の方へ向かって何か聞こえた気がすると、若い男が顔を上げた。
「……今、声がしなかったか?」
「おい、本当に聞こえたのかよ」
「聞こえたよ! 誰か、岩の向こうで喋ってる!」
ざわっ、とその場の空気が揺れ、ほとんどの村人達が、大岩で塞がれた出口へと雪崩のように集まる。
その時――。
「あの〜、この洞窟に誰かいたりしませんか〜? 気配感じるんですよね〜」
間延びした、子供の声。
「なんだ? 子供の声がするぞ!!」
「おーい坊主!! 人いるぞおお!! 助けてくれ!!」
「お〜、人いるんですか〜。何人くらいいるんですか〜?」
「ざっと数えて三十人くらいいるぞおお!!」
「お〜、沢山いますね〜。ちなみに五歳くらいの子もいたりします〜?」
「は?? いるぞ!」
「なんでこのガキ、小さな子いるか確認したんだ?」
「そ、それはあれだろ、子供はか弱いから……じゃね?」
「嬉しいな〜。今日はボクついてるっ♪ 岩こーわっそ!」
次の瞬間、大岩にヒビが走り――。
ドガァンッ!!
鈍い破砕音と共に、岩は粉々に砕け散った。外から差し込む光が、狭い洞窟内を一気に明るく照らす。
「おお!! すげーな坊主!!」
先に入り口付近にいた五人の男達は、互いに抱き合いながら歓声を上げた。自由へと続く解放感に、頬が緩む。
光の中に立っていたのは、一人の少年だった。年齢は十三歳前後。髪は黒を基調に、ところどころ白髪が混ざったような不思議な色合い。どこか人形のような整った顔立ちで、左腕には一メートルほどの女の子の人形を大事そうに抱えている。
その人形は、ただの布人形とは明らかに違った。髪は白く、肌の質感も布ではない。なにか獣か人の皮をなめしたような、不気味な滑らかさがあった。縫い目があちこちに走り、どこか生々しく、洞窟の薄暗がりの中で特に異様な存在感を放っていた。
「あの〜、先ほど言っていた五歳くらいの子って、聖女だったりします〜?」
少年はにこりと笑いながらそう尋ねる。
「普通の女の子だ。それより坊主、その気味の悪い人形なんだ?」
男の一人が何気なくそう口にした瞬間――。
少年の顔から笑みがすっと消えた。
表情が無に変わると同時に、洞窟内の空気が急激に重くなる。冷気とは別の、肌を刺すような圧が、そこにいた全員の背筋を冷たく撫でた。
「ボクの妹に対して……今、なんて言いました?……」
淡々とした声なのに、耳に届いた瞬間、心臓の奥を直接握られたような感覚が走る。
少年の放つ殺気に晒され、男は自分の体が何度も何度も槍で刺し貫かれているような錯覚を覚え、膝が勝手に震えた。
「たかが人形が……ボクの妹の可愛さを、わからないか」
「坊主、何言って……っ、え? その手……に持って……るの……?」
男の視線が、少年の右手へと吸い寄せられる。
そこには、ぬるぬるとまだ脈動している、真っ赤な肉塊――心臓。
「ゴフッ……」
男は理解が追いつく前に、口から大量の血を噴き出した。視界がぐらりと揺れ、膝から崩れ落ちていく。最後に見たのは、右手の心臓をまるでおもちゃのように摘まむ少年の姿だった。
「ほらね♪ これ取っちゃえば、動かなくなるでしょ♪」
無邪気な笑みを浮かべたまま、少年は指で心臓をぷにぷにと押してみせる。
「う、うああああ!! た、助けてくれえええ!!」
他の四人の村人達は、恐怖で顔を歪めながら、我先にと洞窟の奥へと走っていく。押し合いへし合い、踏み合いながら奥へ逃げる足音が響く。
少年はそんな様子にも一切興味を示さず、腕に抱いた人形へと視線を落とす。
「この奥、結構人いるみたいだし……そろそろ妹の体を綺麗にしてあげないとな〜。あと、今日満月だから……妹を復活させる準備しないとね♪」
人形の頭を優しく撫で、囁く。
「サラ、待っててね♪ お兄ちゃん、がんばるからね♪」
そう言って、少年は足取り軽く洞窟の奥へと進んでいく。その背に続くように、ほどなくして多くの悲鳴が上がり、やがて悲鳴が途切れると――。
残ったのは、少年の靴がぺた、ぺた、と洞窟の地面を踏む音だけだった。
ーーー
「おい、本当にここら辺で合ってるのか?」
別の時間、洞窟の外。
五人の冒険者と一人の村人が、森をかき分けて進んでいた。先導しているのは、さきほどまで洞窟の中にいた村人の一人だ。
村人は顔色を悪くしながらも、必死に前を指さす。
「合ってますよ!! 冒険者さん! 僕、見たんです!! オークがこの洞窟に入っていくの!!」
「入り口、砕けた岩だらけじゃねーか……歩きづれえな」
洞窟の前には、無残に砕かれた岩の破片が散乱している。誰かが内側から、力技で破壊したような痕跡だ。
「この洞窟、本当に人いんのかよ。静かすぎるぞ」
「本当にここで合ってますって!! 早く先、行ってください!!」
村人の焦った声が、逆に冒険者の苛立ちを煽る。
「おまえ! 偉そうにしやがって……あんま舐めてると殴るぞ!」
「まあまあ落ち着けって。さっさと救い出して、ギルドに帰ろーぜ」
一人が宥め、苛立った冒険者は舌打ちして村人を睨みつける。村人はびくっと肩を震わせ、庇ってくれる冒険者の背中に隠れた。
「さー、行くぞー」
先頭の冒険者が洞窟に足を踏み入れた瞬間――。
ピチャ。
足元から、生ぬるい感触が伝わってきた。
「おい、ここ……水でも流れてんのか? 誰か松明つけてくれ」
「ちょっと待ってろ」
一人の冒険者が火の魔石を取り出し、擦って火花を散らす。ぽうっと灯りがともり、周囲がぼんやりと赤く照らされた。
「よし、これで周りが……おい、これって……」
「どうした……って、マジかよ……」
光に照らされた地面は、水などではなかった。
一面、赤黒い液体――血。
「あ、う、うあああああ!! ち、血だああああああぁあ!!」
村人が悲鳴を上げる。冒険者の一人が素早く肩を掴み、怒鳴った。
「おい、落ち着け!! おまえら、気を引き締めろ!! 魔物がいるかもしれん!!」
慎重に進んでいくと、少し奥で、人が倒れている影が見つかった。灯りを近づけると、それはすでに事切れた村人の死体だった。胸は大きく抉られ、ぽっかりと空洞になっている。
村人はその光景を見た瞬間、堪えきれずに吐いた。
「うっ……おええっ……!」
「おい、ここにある死体見てみろ。心臓だけ、全部抉られてる」
「心臓だけ抉る魔物なんて、いたか?」
冒険者達は眉間に皺を寄せるが、冷静に死体の状態を観察している。その様子に、村人は信じられないという目を向けた。
「お、お、お、お前らは……へ、平気なのかよ!! ひ、人が死んでるんだぞ!!」
「平気じゃねえよ……」
一人が低く吐き捨てる。
「でもな、冷静さ失ったら、次に死ぬのは俺らだ」
冒険者達はそう言って、さらに奥へと進んでいく。村人も置いて行かれまいと、震える足で後ろからついていく。
しばらく進むと、空間が急に開けた。広いホールのような場所だ。
「発光石だ。投げるぞ。おまえら、目を瞑れ」
一人の冒険者が、発光石に軽くヒビを入れ、中央へ向かって放り投げる。
パンッ!!
乾いた破裂音と共に、眩い光が洞窟内を一気に満たした。
村人と冒険者を含めた六人全員が、目を細め、次第に視界が慣れてくる。そして――。
「おい……嘘だろ……」
「いったいここで、何があったんだ……」
「うあああああああぁあ!! 嘘だああああ!!!」
そこには、心臓だけが綺麗に抉り取られた死体が、無造作に積み上げられていた。数にして二十体近く。
老いた者、若者、女も子供も、その表情は皆、恐怖と苦痛に歪んだまま固まっている。
鉄と血の臭いが、息苦しいほど濃く漂っていた。
ーーー
「あれ……オレ、いつの間にか寝てたか……」
アデルはゆっくりと瞼を開けた。
天井。木の梁。簡素な部屋。自分以外の気配はない。
窓は半開きになっており、そこから心地よい風が吹き込んでくる。白いカーテンがふわりと揺れ、その向こうに青い空の切れ端が見えた。
アデルはぼんやりとその風を浴びながら、天井を見つめる。
「オレ……こんなにも弱かったんだな……」
誰よりも強くなれると、心のどこかで本気で信じていた。誰にも負けないと、当然のように思っていた。
だが、現実は――。
「クソが……」
拳を握ると、まだ鈍い痛みが走る。
「……それより、静か過ぎんか?」
妙な違和感に、アデルは上体を起こし、ふらつきながら窓辺まで歩いていく。窓から顔を出し、周囲を見下ろした。
見慣れた村の風景。最初に通ったあの村――クル村だ。
その中央の広場に、黒山の人だかりができているのが見えた。白い衣の僧侶達や村人達が地面に膝をつき、何かに向かって頭を垂れている。
よく目を凝らすと、その最前列にリノアとゼーラの姿があった。二人は手を組み、祈るような仕草をしている。
「……何してんだ、アイツら」
胸騒ぎを覚えたアデルは、よろよろの体で壁を伝いながら部屋を出た。廊下を歩くたび、足元がぐらりと傾くような感覚になるが、それでも何とか広場へ向かって進んで行く。
広場に着いた瞬間、空気が一変した。
重い。暗い。息を呑むような静けさ。
人々の間を掻き分け、リノア達の方へ進んでいくと、ふいに肩に大きな手が置かれた。
「アデル!! 目ぇ覚ましたのか!!」
振り向くと、そこにはグレッグの顔。
「ツルッツル、おまえ何してんだ。あと、なんでこんなに人集まってんだよ。なんか空気重いし……」
「そうか、アデルは気絶してて知らんかったか」
グレッグは少し表情を曇らせ、一度唾を飲み込んだ。
「実はな……オークに攫われた人達を見つけたんだが……」
そこで言葉を切り、眉間に皺を寄せる。
「おい、なんだよ。早く言えよ」
「……みんな、心臓を抉られて死んでたんだ」
アデルの喉が、ひゅっと鳴った。
「それだけじゃねえ。子供は、皮膚も剥がされててな……ありゃあ、酷い」
「……心臓を……オークがやったのか?」
「それが、わからないんだ」
グレッグは首を振る。
「見つけた連中の話だと、洞窟の入り口には砕かれた岩があったって言ってた。オークが塞いだ岩を、誰かが壊して中に入った。その『誰か』が村人を襲ったと、俺は思ってる」
「……なら、この集まりは……」
「聖女がいるだろ? 死者が無事にレナウス様の元に還れるよう、祈ってもらってんだ」
アデルは無意識にリノア達の方へ目を向けた。
周りを見渡すと、村人達は皆、手を合わせ、何かを呟いている。すすり泣きや嗚咽があちこちから聞こえた。
人波をかき分け、アデルはリノア達のいるであろう前方へと進んでいく。できるだけ他人に触れないように、肩をすり抜け、腕を避け、ようやく開けた場所に出た。
そこには、布で覆われた死体が何十体も横たわっていた。
白い布の下から、わずかに覗く手の指。小さな足。血の滲んだ端。鼻腔を刺す死臭。
「こん……なに……」
一体誰が――。
死体のすぐ側で、リノアとゼーラが地面に膝をつき、指を絡ませるように手を合わせていた。
二人は静かに目を閉じ、声を揃える。
「『レナウス様。死者の魂が路頭に迷う事なく、無事にレナウス様の元に還れる様に、どうかお導きください』」
淡々と、けれど確かに祈る声。リノアが聖女として役目を果たす姿を、アデルは初めて目にした。
胸の奥がきゅっと締め付けられる。自然とアデルも両手を合わせ、目を閉じた。
(……クソ……)
唇を噛み、祈りの途中でそっとその場を離れる。人混みを抜けると、アデルはまるでそこから逃げるように、森の方へと足を向けた。
木々の間に入ると、人の気配は一気に薄れる。鳥の鳴き声と、風が葉を揺らす音。
「なんなんだよ、クソが……」
アデルは木の幹を拳で殴りつけた。鈍い痛みが走るが、構わず何度も何度も叩く。
「もしオレが、早くオーク倒してたら……こんな事にならんかったのか……? ああ!? クソがぁあ!!」
怒りと悔しさで喉が焼けるようだ。その時、背後から複数の足音が近づいてきた。
「貴方は、オークと戦っていた冒険者さん!! 大変なんです!!」
振り向くと、三人の村人が息を切らしながらアデルの方へ走ってきていた。顔には恐怖が浮かんでいる。
「どうした。何、慌ててんだよ」
「そ、それが……クイーンホーネットベアーが、広場へ向かおうとしてるんです!!!!」
男の一人が半泣きで叫ぶ。
「このままでは、みんなクイーンに殺されてしまいます!!」
「なんで今来んだよ……!」
アデルは頭をかきむしる。
「今はみんな、死んだ奴らの弔いしてるじゃねえかよ!!」
「子分のホーネットベアーを殺したのが俺たち村人だと思われてる可能性が高い。だから、その報復で……」
別の村人が苦しそうな顔で続ける。
「本当は発狂石を投げて知らせた方が良かったんだが……下手に刺激して襲われるのが怖くて、投げられなかった……すまん……」
「……お前らは、そのまま広場で弔いに参加しろ」
アデルの声色が、すっと変わった。
「この事は誰にも言うな。クイーンの事はオレに任せろ」
「おまえ、何言ってんだ!! そんな体で、あいつと戦えると思ってるのか!!」
「そうですよ!! 貴方の実力は十分知ってます!! ですが、今の貴方は……死にに行くようなものです!!」
村人達は必死だ。
「クイーンは、二星プレートの人でも簡単に殺されてしまうレベルの強さなんですよ!! ですから――」
「うっせーボケ!!」
アデルは二人の胸ぐらを掴む勢いで前に出た。
「オレは龍極者になる男だぞ」
その瞳は炎のように燃えている。
「ここでクイーンって奴をオレ一人で倒せねえんじゃ、オレはただの雑魚だ」
「だけどよっ!!」
なおも食い下がろうとする村人を、アデルは手を突き出して制した。
「いいから、さっさと行け!! あと、この事は誰にも言うんじゃねえぞ!」
「何を言ってるんですか!! 応援が来なければ、アナタ本当に死にますよ!!」
「だから言ってんだろ!!」
アデルは吠えるように言い返した。
「死んだらそこまでの人間だって事だっつってんだよ!! 今のあいつらには、弔いに集中してもらいてえんだ……」
二人の村人は、アデルの決意を帯びた瞳をまっすぐ見つめ、言葉を失った。
「……ったく。わかったよ!! 弔いが終わったら、応援行くようにする。一応な!!」
「そうですね……そうしましょう!! あの、お名前教えてください!」
「オレはアデルだ。よろしくな」
「アデル!! 絶対死なないでください!!」
「アデルな! 名前覚えたぞ! 死ぬなよ!!」
「ふんっ。オレ、死なねえよ」
言い切ると、アデルは踵を返し、森の奥へと走り出した。
村人達は再び村の方へ走っていく。
「リノア達もボロボロだ……無理はさせたくねえ。無理するのは、オレだけで十分だ」
アデルは小さく笑って、自嘲するように息を吐いた。
ーーー
森の奥へしばらく進むと、前方から木々が派手に倒れる音がした。
ドガァン、ミシミシッ――。
アデルは足を止め、音のする方角へ顔を上げる。そこへ、木々をなぎ倒しながら姿を現したのは――。
黒い頭部に、蜂のような黄色い胴体を持つ巨大な熊。六メートルはあろうかというその巨体は、ただそこに立っているだけで、圧倒的な威圧感を発していた。
「死んでたホーネットベアーより、クソデケェな……」
アデルは口元を歪める。
「こいよ、デカブツ」
「グォオオオオオオオ!!」
クイーンホーネットベアーは、アデルを視界に捉えた瞬間、咆哮と共に地面を蹴った。土が爆ぜ、巨体が弾丸のように突っ込んでくる。
「こいつ、いきなり突っ込んでくんのかよ。……ただ、猪頭より勢いは雑魚だな!」
アデルは踏み込み、クイーンの進路に合わせて跳び上がる。
「脳天、かち割れろ!! 《ルーナ・カルキブス》!!」
三日月型の蹴りがクイーンの頭部を捉えた。鈍い音と共に、クイーンの首がのけぞり、巨体が僅かに後ろへ仰け反る。
だが――。
「チッ。硬え頭してんな!!」
クイーンはすぐに体勢を立て直すと、低く唸り声を上げた。怒りの色が、その小さな瞳に宿る。
アデルはクイーンが先に攻撃できる距離まで一気に詰め、すかさず連撃を仕掛ける。
「早くケリつけねえと、マジでやべえ……思ってたより体が動かねえ……!」
呼吸はもう荒い。オークとの激戦でボロボロになった筋肉は、悲鳴を上げながら動いているような状態だ。
それでも、アデルは素早いステップで死角へ回り込み、脇腹や脚を狙って攻撃を叩き込んでいく。しかしクイーンは、その巨体に似合わぬ機敏さで体をひねり、鋭い爪で反撃してきた。
「っぶね!! 確か、爪にも毒あるらしいな……当たったらやべえな……」
互いの攻防が続く。何度も何度も打ち込み、避け、躱し――だが、アデルの体には確実に限界が近づいていた。
「どんだけタフなんだよ!! クソがっ!!」
再び頭部目がけて跳躍する。
「《ルーナ・カルキブス》!!」
だが、クイーンは今度はその一撃を耐えた。体をぐらつかせながらも踏ん張り、隙を見逃さない。振り下ろされる、巨大な爪。
「――ッ!」
アデルはギリギリで身を捻り、爪の軌道から逃れる。頬のすぐ横を、毒を帯びた爪が風を裂いて通り過ぎ、次の瞬間にはクイーンの巨体が再び突進体勢に入っていた。
「足に……力が……」
オーク戦で蓄積したダメージ。完全には回復していない筋肉が、悲鳴を上げるように震える。踏ん張りが利かず、膝がわずかに折れたその瞬間――。
ドゴォッ!!
クイーンベアーのタックルが、アデルの胸を真正面から捉えた。
「ぐっ、はっ……!!」
肺の空気が一気に押し出され、視界が白く弾ける。アデルの体は何メートルも吹き飛ばされ、背後の木に叩きつけられた。
ゴキッ、と嫌な音が背中を走る。地面に崩れ落ちたアデルの上に、木の葉や小枝がぱらぱらと降ってきた。
クイーンベアーは、ゆっくりとアデルへ近づいて来る。弱った獲物を前に、焦る必要はないと言わんばかりの足取りだ。確実に、次で仕留めると理解している動き。
「……ああ、クソ……いつの間に熊の爪でひっかかれてたんだ……」
左腕に触れようとした瞬間、ぞわりとした痺れが走った。感覚が、ほとんどない。
「左腕が……痺れて、感覚ねえ……ああ、オレ、弱いな……」
体のあちこちが痛む。ひとつひとつの呼吸さえ、胸が焼けるように苦しい。
「体もあちこち痛えなぁ……あの二人に啖呵切っといて、マジでオレ、だせぇな……足も動きづれえし、右腕しか使えねえし……オレ、ここで死ぬのか……」
アデルは目を閉じた。
その時、脳裏に浮かんだのは――。
リノアの泣きそうな顔。ゼーラの必死な声。ルインの苛立ったようで、それでも信じてくれる視線。村人達の、縋るような期待の目。
ここで自分が殺されたら、その先にあるのは――。
クイーンベアーに蹂躙される広場。弔いも祈りも、全て踏みにじられていく光景。
「……ざけんなよ」
アデルは奥歯を噛み締め、ゆっくりと目を開いた。
「あいつらに、ぜってえ手出しさせねえ」
体のあちこちが悲鳴を上げる中、何とか地面を押して立ち上がる。視界がにじむ。膝が笑う。それでも一歩、また一歩と前に出る。
「マジで……やべえな……」
クイーンベアーとの距離が、じわじわと縮まっていく。アデルは歯を食いしばり、もう一度目を閉じた。
その時だった。
――体中に、熱が巡る感覚が走る。
「……なんだ、この感覚……」
皮膚の下を、何かが流れている。血とは別の、もっと濃密で熱い何かが、全身を駆け巡っている。
「オレの体全身に巡ってる、この熱いものは……なんなんだ……」
思い返す。
《ペガルイム・プルス》を撃つ時、拳の奥で微かに感じていた熱。あれを教えてくれたパニア爺の言葉。
――拳にマナを集めるようにして打て。
今まで「なんとなく」でやっていたこと。その「熱」がマナなのだと、アデルはようやく気付いた。
「これが……マナなのか!? なんで、いきなりこんな強く感じる事ができんだよ……」
アデルは奥歯を噛みしめ、意識を集中させる。
「このマナ……右腕に、集める事できるのか……?」
イメージする。熱の流れを、右腕へ。肩から、上腕、肘、前腕、拳へ。ぎゅっと濃縮していく感覚。
――ゴウッ。
右腕の内側に、確かな熱の圧が生まれた。
「できたぞ……」
アデルは拳を握り、クイーンベアーを睨む。
「クソ熊の頭……この拳で、かち割る」
クイーンベアーは、立ち上がったアデルを見据えながらも、依然としてゆっくりと歩みを進めてくる。いつでも殺せる、そう確信しているからだ。
「いつでも殺せるってか……舐めやがって……」
アデルは低く笑う。汗と血で顔はぐちゃぐちゃだが、その目だけは強く燃えていた。
「だからこそ、確実に――この一撃を当てる!!」
距離が詰まる。その瞬間――。
クイーンベアーが、地面を大きく抉る勢いで突進してきた。
「……来い!!」
アデルはギリギリまで動かず、その場に踏みとどまる。タイミングを計り、突進の瞬間に拳を叩き込むつもりだった。
だが、クイーンベアーはほんの一瞬前で動きを変えた。
突進の態勢から、いきなり横薙ぎの爪撃へ切り替える。巨大な爪が、横殴りにアデルの上半身を薙ごうとする。
「くっ……!! コイツ……!!」
不意を突かれながらも、アデルは咄嗟に体を回転させる。
「だったら、それごとぶち砕く!!」
踵を落とすようにして、爪撃の軌道へ足を叩き込む。重い衝撃が足から全身へ駆け抜けた。攻撃の軌道はわずかにずれたが、それでも爪の先端はアデルの体側を掠め、肉を裂いていく。
「ッぐ……!」
痛みを無視し、アデルはすぐに次の行動へ移る。クイーンベアーの口が、さらに噛み付こうと大きく開いた。
その瞬間、アデルはほとんど感覚のない左腕を、自分からその口の中へ差し出した。
「……ッ!」
鋭い牙が左腕を噛み砕く。骨がきしむ音がした。それでもアデルは叫ばない。左腕を犠牲にしてでも、この距離を掴み取りたかった。
「ぐっ、ーー……!」
距離ゼロ。クイーンの胸部は、目の前だ。
「この距離なら……外さねえだろ……!!」
アデルは右足を踏み込み、右腕に込めたマナを解き放つ。
「くたばれえ!! |ウルト・ペガル《超殴り》ッ!!」
拳が、クイーンベアーの胸を貫いた。
骨の砕ける感触。肉を裂く感触。そして、掌に伝わる心臓の鼓動。
「同じ熊なら……ビックベアーと体の作り、一緒だろ……」
アデルは絞り出すように呟いた。
クイーンベアーの瞳から、光がゆっくりと消えていく。その巨体が、ぐらりと揺れ――。
ドサァァァッ!!
地面に崩れ落ちた。
「はあ……はあ……はあ……」
アデルは、血と汗にまみれた自分の拳を見下ろした。右腕の感覚も薄れていく。立っているだけで精一杯だった。
「やべえ……体に……ちからが……」
膝が抜ける。
「……は……ーー……」
糸が切れた操り人形のように、アデルはその場へ崩れ落ちた。
ーーー
「リノア、ゼーラ、お疲れ様」
村の広場。聖女の祈りがようやく終わった頃、ルインが二人へと歩み寄り、労うように声をかけた。
リノアとゼーラは、まだ少し顔色が悪いが、それでも笑顔を作って頷く。
「わたし達に出来るのは、これくらいしかないから……」
リノアは小さく笑い、ふらりと立ち上がる。
「少し部屋で休んでるね。ついでに、アデルの様子も見てくる」
そう言って、足取り早く宿の方へ向かっていった。
「ルイン、私も宿で休むね……」
「おう、ゆっくり休んでくれ」
ルインは広場をゆっくりと歩きながら、死者を弔う人々を何となく眺めていた。その時、背後から聞き慣れた声が飛んでくる。
「おーい、ルイン! アデル見なかったか?」
振り向くと、グレッグが大きな手を振りながら近づいてきた。
「アデル? まだ宿で寝てんじゃねーの? 俺は見てないけど」
「いやー、聖女が祈ってる最中、いたぞ。すげー顔してたけどな」
「俺、見てないけどなぁ……その後、宿に戻ったんじゃね?」
二人が話していると、森の方から駆け足で近づいてくる村人達が目に入った。様子がおかしい。顔は真っ青で、肩で息をしている。
「なんだ、てめえら? 俺らになんの用だ?」
「その……あの……えーっとですね……」
「あーもう、歯切れ悪ぃな。さっさと言えよ!」
「グレッグ、落ち着け。苛立ってもしょうがないだろ」
ルインが宥めると、村人の一人が意を決したように口を開いた。
「あの!! アデルさんを助けて欲しいです!!!」
「は?」
「え?」
グレッグとルインの声が重なる。
「なんでアデルの名前が出てくるんだよ!! アデルがどうしたんだ!!」
ーーー
その頃。
「アデール!! もう起きた? って、あれ?」
リノアはアデルの部屋の扉を開け、顔を覗き込んだ。だが、そこにあるはずのベッドには誰もいない。窓が全開になっており、白いカーテンが風に揺れている。
「アデル……?」
ちょうどそのタイミングで、ゼーラも部屋に入ってきた。
「リノアさん、アデルくんはどこに行ったんですか?」
「それが、わからないの!! バカアデル……あの体の状態で、どこ行ったの!?」
リノアは窓辺に駆け寄り、身を乗り出して外を見た。丁度視界の先には広場があり、そこではグレッグとルインが二人の男性と話している。そのうちの一人の胸ぐらを、グレッグが掴み上げるところだった。
「ゼーラ!! ツルツルがなんか揉め事起こしてる!! 止めに行くよ!!」
「ええ!! そうなんですか!? 何か理由があるんじゃ……」
リノアはゼーラの言葉を待たず、部屋を飛び出して行く。ゼーラも慌ててその後を追った。
ーーー
「てめえ!! なんでアデル一人を置いてったああ!!!」
広場の端。グレッグの怒号が響き渡る。
「アイツはオークとの戦闘で、体がボロボロなんだよお!!! 本当はまだ動いちゃいけねえ体なんだよお!!」
グレッグは村人の胸ぐらを掴み、今にも殴りかかりそうな勢いだ。
「おまえらは戦えなくていい!! だがな!! なんで俺ら冒険者に一言も言わなかったんだ!! ああ!! てめえ、殺すぞぉ!!」
「し、仕方なかったんです!! アデルさんが……一人で大丈夫だって言ったんです!!」
「はぁ!? それだけの理由で報告しなかったのか!! アイツを見たら、戦える状態じゃねえってわかんだろお!!」
グレッグの怒りは頂点に達し、拳が今にも振り下ろされそうなところを、ルインが必死に両腕で押さえ込んでいた。
「落ち着け! グレッグ!! こいつら二人が報告しないのも悪いが! アデルがそう言ったなら、アイツの性格お前が一番知ってるだろ!! 聞く耳、全く持たねえ奴なんだから!!」
「ツルツル!! ルイン!! どうしたの!! 何があったの!!」
リノアとゼーラが息を切らしながら駆け寄り、ルインから事情を聞いていく。
「……そうなの……アデルが……」
リノアの顔から血の気が引いていく。
森の方角を見た瞬間、体が勝手に動いた。
「アデルの所に行かなきゃ……!」
走り出そうとしたリノアの腕を、ルインが強く掴んだ。
「離して!! ルイン!! 早くアデルの所に行かないと、アデル死んじゃう!!」
涙目で訴えるリノアに、ルインは歯を食いしばる。
「リノアも、まだ万全じゃないだろ!! 一人で行っても、クイーンベアーに殺されるぞ!!」
「でも……っ、アデルが……っ……!」
言葉が続かず、リノアの目からぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。ゼーラはそんなリノアを後ろからそっと抱きしめた。
「……リノアさん……」
グレッグは一度、大きく息を吸い込んだ。
「冒険者達を呼んで、アデルを助けに行く!!」
振り返り、周囲の冒険者達に怒鳴る。
「ルイン達は休んでろ!! オークとの戦闘でまだ傷が癒えてねえだろ!!」
「ざけんな!! 俺は行くぞ!!」
ルインは即座に反発した。
「アデルもボロボロの状態で戦ってんのに、なんで俺らだけ休まなきゃいけねーんだよ!!」
リノアもゼーラも、真剣な目でグレッグを見つめてくる。
「……おまえらも、アデルみてーに言う事聞かねえな……」
グレッグは頭をがしがしと掻いた。
「だったら、全員で行くぞ!!」
ーーー
グレッグは他の冒険者達を呼び寄せ、アデル救出作戦を説明する為に、一室へと移動した。その部屋は簡素で、真ん中にテーブルが一つ置かれているだけの殺風景な場所だ。
「まさか、弔いしてる最中にこんな事になってるとはな……」
「アデル、なんで一人で挑んだんだよ……」
「俺たちを弱いと思ってんのかよ」
「俺たちを見下してたんだな……」
冒険者達が、苛立ちと不安を混ぜたような声を口々に漏らす。リノアが何か言おうとした瞬間、グレッグが机を思い切り叩いた。
バンッ!!
「てめえら!! うるせえんだよ!!」
部屋の空気が一瞬で凍りつく。
「アデルは、俺達が弔いに集中できるように、一人で挑んでんだよ!! 決しててめえらを見下したりしてねえ!!」
沈黙。やがて、冒険者達は気まずそうに目を逸らした。
「……悪かったよ」
一人がぽつりと謝ると、他の者達も次々に頭を下げた。
「なあグレッグ」
一人の冒険者が口を開く。
「本当に俺達で勝てるのか? クイーンベアーに。アイツ、確か三つ星プレートクラスだろ?」
「尻尾と爪の毒が強力だから、三つ星プレートクラスらしいぜ」
別の者が補足する。
「尻尾での攻撃は、自分より強者って判断されないと使わなかったはずだぜ」
「……だからこそ、アデルが狙われてる可能性が高えって事だな」
グレッグは大きく頷き、リノア達へ視線を向けた。
「リノア達は、俺らの援護に回ってくれ。オーク戦での体力がまだ回復してねえからな。前線は俺達、先輩冒険者に任せろ!!」
立ち上がり、拳を高々と振り上げる。
「いいかお前ら!! 絶対生きて帰って、肉食うぞ!!」
「おおおおおおお!!!」
気合いの入った雄叫びが部屋中に響いた。一方で、リノアはその場で小さく拳を握りしめたまま、少し暗い表情を浮かべている。
「リノアさん、大丈夫ですか?」
ゼーラが小声で尋ねる。
「え……だ、大丈夫だよ……」
「なんだ、リノア。アデルの事、心配してんのか?」
グレッグがニヤリと笑って言う。
「アイツはアホほど元気だから、大丈夫だって」
「そう……だよね……。アイツ、バカだから……」
リノアはそう言いながらも、不安を完全には隠しきれない。
ゼーラはふと思いついたように、ルインへ視線を向ける。
「アデルくんって、敵を前にした時、逃げたりします?」
「しねえよ、あいつは」
ルインは即答した。
「どんな敵が強くても、絶対に逃げたりしない。だから、ちょっとだけ……心配なんだ……」
リノアの声が小さく震える。
ゼーラとルインは、リノアにどう声をかければいいか迷っていた。その時――。
「おーい!! 行く準備できたぞ!!」
グレッグが部屋の扉から顔を覗かせる。
リノア達は軽く返事をし、ギルドメンバー十人と共に村人の案内で、アデルが最後に目撃された場所へ向かった。
道中、冒険者達は互いに冗談を飛ばしたり、武器の確認をしたりしながら進んでいく。だが、その笑い声の裏には、全員に共通した緊張感があった。
しばらく歩くと、木々が折れ、あちこちに爪痕や血痕が残る場所へと辿り着く。
「どうなってるんだ……この状況……」
グレッグが思わず呟く。
リノアは、その光景を目にした瞬間、堪えきれず前へ駆け出していた。
「リノアさんっ! 待って!」
ゼーラも慌てて追いかける。ルインも舌打ちしながら走り出した。
「おい! 待て、おまえら!!」
グレッグの叫びも虚しく、三人は先に森の奥へ消えていく。残りのギルドメンバーも、慌ててその後に続いた。
「アデル!! どこ!? バカアデルーー!! 返事して!!」
リノアの声が、森にこだまする。
「アデル!! マジでどこいんだよ!!」
「アデルくん……全然見つからない……」
ゼーラも必死に呼びかける。
「アデル、どこにいるの……」
リノアが木々の間を走り抜けていくと、その先に、何か巨大な黒い塊が倒れているのが見えた。
「なに……あれ……」
リノアは息を呑み、その塊に向かって走る。距離が縮まるにつれ、それが熊の死骸だとわかってきた。
「ホーネットベアー……? 違う……大きさ、全然違う……」
六メートル級の巨体。黄色い胴体。黒い頭部。
「もしかして……クイーン……?」
死骸の周囲は血溜まりになっており、その中を跳ねるようにして、リノアはクイーンベアーの頭部の方へと回り込んだ。
そして――。
「ア、アデル……!!」
そこには、血だらけになって仰向けに倒れているアデルの姿があった。
ーーー
数日後。クル村の宿屋の廊下。
グレッグは廊下の角を曲がったところで、ゼーラとルインと鉢合わせた。
「ゼーラ、ルイン。アデルの様子はどうだ? まだ寝てるのか?」
「ああ。まだ、目を覚ましてない」
ルインが腕を組んで答える。
「でも、アデルくんなら大丈夫ですっ!!」
ゼーラはぎゅっと拳を握る。
「絶対!! すぐ目を覚まします!!」
「そうか……そうだな……」
グレッグは苦笑しながら頭を掻いた。
「リノアは?」
「リノアさんは、アデルくんの部屋にいますよ」
「なら、俺もアデルの所へ行くか。なんせ、このクル村の英雄だからな」
そう言って、グレッグはアデルの部屋へ向かっていった。
ーーー
「《ヒール》!」
淡い光が、眠るアデルの体を包む。
「もう! アデル!! 何、ずっと寝てるのよ!!」
リノアは半分泣き、半分怒りながら、何度目かの回復魔法を施していた。
「早く起きて、ギルドに帰るよ!!」
ベッドの横には、村の子供達が作った花の冠。村人達が持ってきた果物や、お守り代わりの小物。部屋は小さいながらも、アデルへの感謝と心配で埋め尽くされている。
アデルは、クイーンベアーの横で倒れているところをリノア達に発見され、急いで村へ運び込まれた。毒消し草とポーションで応急処置を施し、ゼーラとリノアは、マナがほとんど残っていない状態でも、何度も何度も回復魔法をかけ続けた。
ギリギリのところで息を吹き返したものの、体のダメージは深く、未だ目を覚まさない。
「少しずつマナが回復したら……また《ヒール》掛けるからね……」
リノアはそう呟きながら、額の汗を拭った。
「アデル……最強を目指すんでしょっ!!」
堪えきれず、声を荒げる。
「ここでずっと目を閉じてるままで、いいの……? ねえ……アデル……」
その時、部屋の扉が軋む音を立てて開いた。グレッグが顔を覗かせる。
リノアは慌てて袖で目元を拭った。
「リノア。どうだ、アデルは? 目ぇ覚ましたか?」
「まだ、目を覚ましてないよ……。本当によく寝るよ、アデルは……」
力ない笑いを浮かべる。グレッグはその横に立ち、眠るアデルを見下ろした。
「そう……だな……」
しばし沈黙のあと、グレッグはぽつりと言う。
「ったく、コイツ……無茶しやがって」
腕を組み、窓の方をちらりと見る。
「今回の件はイルバード経由でギルドに報告してる。ギルドから追加報酬も出るみてえだ」
そう言って、肩をすくめる。
「まあ、俺はなんもしてねえから、お前らがしっかり貰えよ」
「グレック、何言ってるの!」
リノアは即座に反論した。
「グレックが村人を誘導してくれて、他の冒険者がしっかり守ってくれたから、わたし達は安心してオークと戦えたんだよ!」
少し間をおき、俯いているアデルの顔を見つめる。
「クイーンベアーに関しては……アデルに無理させちゃった……」
震える声。
「なんで……言ってくれなかったの……アデル……」
こぼれる涙を、今度は拭わなかった。
「なんで一人で戦おうとするの……」
声が震え、喉が詰まる。
「わたし達、仲間でしょっ!! わたし達を、信用できなかったの……?」
堪えきれず、アデルの胸元を掴む。
「起きて、答えてよ!! アデル!!」
アデルの頬に、リノアの涙がぽたり、ぽたりと落ちていく。
グレッグはそんな二人を見ながら、静かに口を開いた。
「アデルがこうなっちまう前にな……一回、会ったんだ」
窓の外に視線を投げながら、ぼそりと語る。
「弔いの儀式してる時にな。あいつ、遠くからお前らの祈りを見てた。その時の顔がよ……すげー辛そうだったんだ」
グレッグはゆっくりとアデルの方へ視線を戻す。
「村人を救う為にオークと戦って、オークを追い払って、村を守ったと思ってみたら――」
布に包まれた、多くの村人の死体。
「アデルは……村人の為に、お前らと一緒に祈りして……それから、お前らを守る為に、一人で戦ったんだと思う」
肩を竦める。
「まあ、俺の憶測だけどな」
そして、眠るアデルに向かって言い放つ。
「おい、アデル!!」
声が少しだけ、優しくなる。
「リノア達が心配してるからよ……さっさと起きて、なんでクイーンベアーに一人で挑んだか、説明しろよ」
そう言い残し、グレッグは部屋を後にした。
開け放たれた窓から、白い村の家々の屋根を撫でるように、気持ちの良い風が吹き込んでくる。
リノアは再びアデルの方を見つめ、そっと手を伸ばした。
「……もう一回、《ヒール》するからね……」
アデルが早く目を覚ますようにと願いながら、静かに回復魔法を施し続けた。
ーーーーーーー
発光石
軽くヒビ入れて、壁や石に当て砕けるとその場が一瞬にして光
少しでも日差しが当たるとすぐ効力を失う、主に洞窟とかダンジョンで使用する事が多い
本日も見てくださりありがとうございます!
発狂石
音が鳴る石、自分の居場所だったり魔物に対して一瞬怯ませる効果を持つ