76. 成れの果て

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 カインの目には、追い詰められた焦燥と、底知れぬ憎悪。

 エリナの目には、静かな覚悟と、何より――レオンを守るという、揺るぎない意志。

 風が、止まる。

 虫の声すら、消える。

 時が、凍りつく。

 世界が、この二人だけを残して静止したかのようだった。

 次の瞬間――。

 ザンッ!

 カインが地を蹴り、全力で斬りかかる。

 その一撃は、確かに熟練の技だった。軌道は完璧で、速度も申し分ない。

 だが、それだけだ。

 そこには、自分本位のエゴからくる力しかなかった。

 エリナは冷静に、流れるような動作でそれを受け流す。

 まるで川の流れのように、自然に、美しく。

 そして、反撃――。

 ザシュッ!

 赤い剣が、街灯を反射して一閃する。

 その切っ先が、カインの頬を斬った。

「ぐあっ!」

 鮮血が、夜の闇に飛び散る。

 赤い雫が、石畳に落ちて小さな音を立てた。

 ぽたり、ぽたりと――まるでカインの運命が滴り落ちていくかのように。

 カインが顔を押さえ、指の間から血が滲む――。

 生温かい液体の感触に、彼は悟った。

 なんだこの化け物は――勝てない。

 剣を交えてわかった。目の前の少女は、自分より高みにいるのだと。

 ぽっと出の新人の小娘だと甘く見ていたが、とんでもない。

 これならオーガジェネラルを倒したのも本当だろう。いや、それどころか彼女を圧倒できる魔物などすぐに思いつかない。

 カインは、ちらっとレオンを見る。

 レオンは静かに、こちらを見つめていた。

 その翠色の瞳には、憐れみも、憎しみもない。ただ、静かな決意だけがあった。

 まるで、全てを見通しているかのような――そう、鑑定スキルで罠を見抜いていたときのような眼差し。

 ああ、と。

 カインは悟る。

 俺は追放することで、レオンを覚醒させてしまったのだ。

 人生をぐちゃぐちゃにしてやったつもりが、むしろレオンの真のポテンシャルを引き出してしまっていた。

 絶望の淵に叩き落としたはずが、それが彼を成長させる契機になってしまった。

 くっ!

 だが、そんなことを認めるわけにはいかない。

 こいつら全員をボコボコにして奴隷商人にでも売りつけてしまわない限り、自分に未来などないのだ。

 ここで負ければ、全てを失う。

 名誉も、金も、女も、何もかもが――!


       ◇


 そんな予想外のカインの劣勢を見たセリナは、ギリッと奥歯を鳴らした。

(くそっ! 使えない男……!)

 あれほど強いと信じていたカインが、新人の小娘に押されている。

 Aランク冒険者が、ぽっと出の剣士に傷を負わされている。

 信じられない光景だった。

 だが、現実は残酷だ。

 カインを勝たせない限り、自分の人生はどん詰まり。

 この残酷な現実に追い込まれたセリナは、ついに最終手段に手を出す。

 震える手で小刀を取り出し――ザクッと、自分の左手首を斬った。

「ひっ……くぅぅぅ……っ!」

 激痛が走る。

 だが、彼女は歯を食いしばって耐えた。

 そしてブシュッと湧き出す鮮血を、右手首のバングルに注ぐ。

 シュォォォォッ!

 精緻な彫の入ったシルバーのバングルは血を吸うと、湯気を立てながら活性化していく。

 まるで生き物のように脈動し、表面に刻まれたドクロマークが禍々しい紫色に輝いた。

 これは数日前、酒場で口の上手い男が売りつけてきた呪具。

 教会が厳重に禁じる、禁忌の品。

 血を注げば呪いが飛び出し、どんな者もその力を失うと聞いた。

 だが、もう後戻りはできない。

「ぎゃぁぁぁぁっ!」

 セリナの悲鳴が響く。

 バングルが彼女の生気を吸い始めた。

 みるみるうちに頬がこけ、顔にはしわが浮き上がる。若々しかった肌が、まるで老婆のように衰えていく。

 これが、セリナも聞かされていなかったこの呪具の恐ろしさだった。

 若さと引き換えに、禁忌の力を放つ――。

「セ、セリナ、何をしてる! やめろ!」

 その異常な行動に、レオンは不穏なものを感じて叫んだ。

 何か恐ろしいことが進行している予感に、ゾクッと寒気が走る。

「な、何って……ハァ……ハァ……。生意気な小娘に、罰を与えてやるのよ……」

 セリナの声は、もはや人間のものとは思えなかった。

 老婆のようにしわがれ、憎悪で震えている。

「お前が悪いのよ! 死ねっ!!」

 セリナは憎悪に歪んだ顔で、バングルのドクロマークをエリナへと向けた。

 その瞳には、もはや狂気しかない。

 嫉妬と憎悪だけが、彼女を動かしていた。

 かつてレオンを誘惑し、そして捨てた女。

 その成れの果てが、今、目の前にある。




次のエピソードへ進む 77. 絶対に、許さないっ!


みんなのリアクション

 カインの目には、追い詰められた焦燥と、底知れぬ憎悪。
 エリナの目には、静かな覚悟と、何より――レオンを守るという、揺るぎない意志。
 風が、止まる。
 虫の声すら、消える。
 時が、凍りつく。
 世界が、この二人だけを残して静止したかのようだった。
 次の瞬間――。
 ザンッ!
 カインが地を蹴り、全力で斬りかかる。
 その一撃は、確かに熟練の技だった。軌道は完璧で、速度も申し分ない。
 だが、それだけだ。
 そこには、自分本位のエゴからくる力しかなかった。
 エリナは冷静に、流れるような動作でそれを受け流す。
 まるで川の流れのように、自然に、美しく。
 そして、反撃――。
 ザシュッ!
 赤い剣が、街灯を反射して一閃する。
 その切っ先が、カインの頬を斬った。
「ぐあっ!」
 鮮血が、夜の闇に飛び散る。
 赤い雫が、石畳に落ちて小さな音を立てた。
 ぽたり、ぽたりと――まるでカインの運命が滴り落ちていくかのように。
 カインが顔を押さえ、指の間から血が滲む――。
 生温かい液体の感触に、彼は悟った。
 なんだこの化け物は――勝てない。
 剣を交えてわかった。目の前の少女は、自分より高みにいるのだと。
 ぽっと出の新人の小娘だと甘く見ていたが、とんでもない。
 これならオーガジェネラルを倒したのも本当だろう。いや、それどころか彼女を圧倒できる魔物などすぐに思いつかない。
 カインは、ちらっとレオンを見る。
 レオンは静かに、こちらを見つめていた。
 その翠色の瞳には、憐れみも、憎しみもない。ただ、静かな決意だけがあった。
 まるで、全てを見通しているかのような――そう、鑑定スキルで罠を見抜いていたときのような眼差し。
 ああ、と。
 カインは悟る。
 俺は追放することで、レオンを覚醒させてしまったのだ。
 人生をぐちゃぐちゃにしてやったつもりが、むしろレオンの真のポテンシャルを引き出してしまっていた。
 絶望の淵に叩き落としたはずが、それが彼を成長させる契機になってしまった。
 くっ!
 だが、そんなことを認めるわけにはいかない。
 こいつら全員をボコボコにして奴隷商人にでも売りつけてしまわない限り、自分に未来などないのだ。
 ここで負ければ、全てを失う。
 名誉も、金も、女も、何もかもが――!
       ◇
 そんな予想外のカインの劣勢を見たセリナは、ギリッと奥歯を鳴らした。
(くそっ! 使えない男……!)
 あれほど強いと信じていたカインが、新人の小娘に押されている。
 Aランク冒険者が、ぽっと出の剣士に傷を負わされている。
 信じられない光景だった。
 だが、現実は残酷だ。
 カインを勝たせない限り、自分の人生はどん詰まり。
 この残酷な現実に追い込まれたセリナは、ついに最終手段に手を出す。
 震える手で小刀を取り出し――ザクッと、自分の左手首を斬った。
「ひっ……くぅぅぅ……っ!」
 激痛が走る。
 だが、彼女は歯を食いしばって耐えた。
 そしてブシュッと湧き出す鮮血を、右手首のバングルに注ぐ。
 シュォォォォッ!
 精緻な彫の入ったシルバーのバングルは血を吸うと、湯気を立てながら活性化していく。
 まるで生き物のように脈動し、表面に刻まれたドクロマークが禍々しい紫色に輝いた。
 これは数日前、酒場で口の上手い男が売りつけてきた呪具。
 教会が厳重に禁じる、禁忌の品。
 血を注げば呪いが飛び出し、どんな者もその力を失うと聞いた。
 だが、もう後戻りはできない。
「ぎゃぁぁぁぁっ!」
 セリナの悲鳴が響く。
 バングルが彼女の生気を吸い始めた。
 みるみるうちに頬がこけ、顔にはしわが浮き上がる。若々しかった肌が、まるで老婆のように衰えていく。
 これが、セリナも聞かされていなかったこの呪具の恐ろしさだった。
 若さと引き換えに、禁忌の力を放つ――。
「セ、セリナ、何をしてる! やめろ!」
 その異常な行動に、レオンは不穏なものを感じて叫んだ。
 何か恐ろしいことが進行している予感に、ゾクッと寒気が走る。
「な、何って……ハァ……ハァ……。生意気な小娘に、罰を与えてやるのよ……」
 セリナの声は、もはや人間のものとは思えなかった。
 老婆のようにしわがれ、憎悪で震えている。
「お前が悪いのよ! 死ねっ!!」
 セリナは憎悪に歪んだ顔で、バングルのドクロマークをエリナへと向けた。
 その瞳には、もはや狂気しかない。
 嫉妬と憎悪だけが、彼女を動かしていた。
 かつてレオンを誘惑し、そして捨てた女。
 その成れの果てが、今、目の前にある。