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白紙の本と、風が運んだ種 Episode 2

ー/ー





「エディター、見て! あの薔薇の棘!」


​ルビが叫び、しなやかな体躯を躍らせて本棚の天辺へ駆け上がった。彼女の長いしっぽが、闇の中でサーチライトのように鋭い光を放つ。

その光の先には、ひときわ鋭く尖った「棘の幻影」があった。



​ 「あれはただの痛みじゃないわ。大切な思い出を、これ以上誰にも傷つけられないように閉ざした『守護(プロテクト)』よ。解釈を間違えないで、その棘の奥にある『一行』を掴んで!」


​ルビの放つ「しっぽ・アンダーライン」が、混沌とした嵐の中に一本の確かな光の筋を引いた。

​「……了解だ、ルビ。最高の校閲だよ」
​エディターは一歩踏み出し、荒れ狂う幻影の渦中へと万年筆を差し込んだ。


 彼は、ただ闇雲に直すのではない。ルビが照らし出した光に沿って、乱れた風景の中にそっと「改行」を加え、凍りついた感情に「句読点」を打っていく。


​それは、暴力的な記憶の氾濫を、静かな一冊の「物語」へと編み直す作業だった。



『校了の朝、開かれた窓』



 ​エディターが最後の一点を打ち込むと、激しく波打っていたセピア色の風景が、嘘のように静まり返った。


宙に浮いていた手紙の破片や薔薇の花びらが、吸い込まれるように一冊の本へと収まっていく。


​真っ白だったページには、今や整然とした美しい活字が並び、その傍らにはルビのしっぽがなぞった通りに、柔らかな植物の挿絵が再現されていた。


​「……ふう。これでようやく、この本も呼吸ができる」


エディターが万年筆を収め、眼鏡を軽く押し上げる。


 ​足元に飛び降りたルビは、満足げに喉を鳴らすと、長いしっぽで図書館の重い遮光カーテンの裾をぐいっと引き寄せた。



​「ねえ、エディター。校了(おわり)は、始まりの別名でしょ? 仕上げをお願い」


​ルビがしっぽの先で、高く閉ざされた窓をピンと指差す。


エディターがその視線に応えて窓の古い真鍮の鍵を開けると、カチリ、と軽やかな音が響いた。



 その瞬間、何十年もの間、埃に埋もれていた高窓が勢いよく開き、眩いばかりの光と共に、外の世界の風が図書館の中へなだれ込んできた。


​風は整理されたばかりのページを優しくめくり、キラキラと光る小さな粒を運んできた。


それは図書館の外にある庭から飛んできた、本物の「花の種」だった。


​一粒の種が、エディターの手元にある本の表紙に、静かに着地する。


​「……これは、僕の筆致にはない、最高の『追記』だね」



​エディターが微笑むと、ルビはその種を不思議そうに覗き込み、長いしっぽをエディターの足首にそっと絡ませた。



図書館の外からは、微かに土の匂いと、誰かがジョウロで水を撒くような日常の音が聞こえ始めていた。



   
     












みんなのリアクション

「エディター、見て! あの薔薇の棘!」
​ルビが叫び、しなやかな体躯を躍らせて本棚の天辺へ駆け上がった。彼女の長いしっぽが、闇の中でサーチライトのように鋭い光を放つ。
その光の先には、ひときわ鋭く尖った「棘の幻影」があった。
​ 「あれはただの痛みじゃないわ。大切な思い出を、これ以上誰にも傷つけられないように閉ざした『|守護《プロテクト》』よ。解釈を間違えないで、その棘の奥にある『一行』を掴んで!」
​ルビの放つ「しっぽ・アンダーライン」が、混沌とした嵐の中に一本の確かな光の筋を引いた。
​「……了解だ、ルビ。最高の校閲だよ」
​エディターは一歩踏み出し、荒れ狂う幻影の渦中へと万年筆を差し込んだ。
 彼は、ただ闇雲に直すのではない。ルビが照らし出した光に沿って、乱れた風景の中にそっと「改行」を加え、凍りついた感情に「句読点」を打っていく。
​それは、暴力的な記憶の氾濫を、静かな一冊の「物語」へと編み直す作業だった。
『校了の朝、開かれた窓』
 ​エディターが最後の一点を打ち込むと、激しく波打っていたセピア色の風景が、嘘のように静まり返った。
宙に浮いていた手紙の破片や薔薇の花びらが、吸い込まれるように一冊の本へと収まっていく。
​真っ白だったページには、今や整然とした美しい活字が並び、その傍らにはルビのしっぽがなぞった通りに、柔らかな植物の挿絵が再現されていた。
​「……ふう。これでようやく、この本も呼吸ができる」
エディターが万年筆を収め、眼鏡を軽く押し上げる。
 ​足元に飛び降りたルビは、満足げに喉を鳴らすと、長いしっぽで図書館の重い遮光カーテンの裾をぐいっと引き寄せた。
​「ねえ、エディター。|校了《おわり》は、始まりの別名でしょ? 仕上げをお願い」
​ルビがしっぽの先で、高く閉ざされた窓をピンと指差す。
エディターがその視線に応えて窓の古い真鍮の鍵を開けると、カチリ、と軽やかな音が響いた。
 その瞬間、何十年もの間、埃に埋もれていた高窓が勢いよく開き、眩いばかりの光と共に、外の世界の風が図書館の中へなだれ込んできた。
​風は整理されたばかりのページを優しくめくり、キラキラと光る小さな粒を運んできた。
それは図書館の外にある庭から飛んできた、本物の「花の種」だった。
​一粒の種が、エディターの手元にある本の表紙に、静かに着地する。
​「……これは、僕の筆致にはない、最高の『追記』だね」
​エディターが微笑むと、ルビはその種を不思議そうに覗き込み、長いしっぽをエディターの足首にそっと絡ませた。
図書館の外からは、微かに土の匂いと、誰かがジョウロで水を撒くような日常の音が聞こえ始めていた。