藤城皐月と
入屋千智は稲荷口駅のホームのベンチに座っていた。
「塾をやめるのって簡単なことじゃないから、ちゃんと両親と話し合って決めないとダメだからな」
「うん……。わかってる」
皐月は千智にもっと会える時間が増えると、その気にさせるようなことを言っておきながら、年上ぶって諭している。しかもその裏には自分の衝動を抑えようという意図がある。我ながら人の心を操ろうとする、嫌な奴だと思う。
「俺さ、
祐希から聞いたんだけど、千智が塾を休んで文化祭に行くっていうのを聞いた時に、ちょっと心にひっかかったんだ。そんなことしちゃっていいのかなって……」
「その時はね、勢いでメッセージに書いちゃったの。でも、後で両親に言って許可をもらったから大丈夫だよ。高校の文化祭に行く機会なんて滅多にないんだし、せっかく祐希さんに誘ってもらったんだから、行ってらっしゃいって言ってくれた」
「そうか……。それなら良かった。ちょっと千智のご両親のことが気になってたんだ。本当に良かった」
皐月は学力のことだけでなく、お金のことも心配だった。真理から中学受験塾の高額な授業料のことを聞いているので、千智の金銭感覚に不安を感じたからだ。だが、千智の両親がいいというのなら、皐月が心配することは何もない。
「私ね、塾をやめても受験勉強は続けるよ。力を落とさないように気をつけないとね。体調が悪くても合格できるくらいまで学力を上げるつもり」
「堅実な考え方だね。千智は偉いな……ホント」
「真面目な子なんて嫌じゃない? 皐月君は」
「何言ってんの? 俺、真面目な子って大好きだよ」
千智に強い眼で見られ、不満そうな顔をされた。皐月は歩道橋の上で不機嫌そうだった千智のことを思い出し、今の言い方も良くなかったんじゃないかと焦燥に駆られた。
「それに千智ならどんなクソ女だったとしても、俺は好きだよ」
千智はいまだに表情を変えていない。駅のホームに吹く風が皐月には妙に冷たく感じられた。
(この期に及んでクソ女はないだろう……)
口を開いてもろくな言葉が出てこないと思い、皐月も千智を見つめ返すことで、虚勢を張った。すると、千智がクスッと笑った。
「……ひどい告白だね」
「よく言うよ。誘導したくせに」
「えへへ。でも、告白してもらえるとは思わなかったな」
千智は清々しい顔をしていた。
それにしても告白とはやらかしたものだ。皐月は千智を喜ばせようとしただけだったが、まさかその言葉が告白になるとは思わなかった。
だが、千智に恋心がないわけではない。幼馴染の
栗林真理や
芸妓の
明日美と深い仲になる前だったら、気持ちの全てを千智に捧げられたはずだった。
「……これが俺の初告白ってことになるのかな? なんだか格好悪いね」
「格好悪くないよ」
「嘘だ。さっきひどい告白だって言ったじゃん」
「今までされた告白の中で一番嬉しかったよ」
「へえ……。随分モテるんだね、千智は」
「でも、好きな人から告白されたのは初めてだから。しかも初恋の人からだよ? 本当に嬉しいんだって」
「じゃあ、格好悪くてもいいや。でも、どうせ告白するなら、カッコよく決めたかったな……」
千智の言葉をそのまま受け取ると、告白を受け入れたとしか思えない。こんなに一途な想いを聞かされなければ、告白の件を有耶無耶にしようと思っていた。だが、純粋に告白を喜んでいる千智を見ていると、その思いに応えなければという気持ちになる。
さっきまでは、少しくらい千智から距離を置かれていた方がいいと思っていた。なぜなら真理との付き合い方を、幼馴染から恋人に変えなければならないと考えていたからだ。だから千智との付き合い方もよく考えなければならない。
(なんか違うんだよな……)
誘導されたということは、告白をされたのはむしろ自分の方なのかもしれない。だが、この状況を手放しで喜んではいられない。
「皐月君。もう寂しい思いはさせないからね」
「えっ? 俺、そんな寂しそうにしてた?」
「そうは見えないよ。でも……」
境遇の近い真理にしかわからない感情を、出会ってからまだ日の浅い、年下の千智に気付かれるとは思わなかった。一人で過ごすことの多かったので、皐月は愁いを表に出さないよう、明朗な少年であろうと振舞ってきたからだ。
「絶対に寂しい思いはさせないから」
「……ありがとう」
皐月は右手を伸ばし、千智の左手の上にそっと置いた。千智は嫌がることもなく、右手を皐月の手の甲にそっと重ねた。不覚にも目が潤んだ。
黄昏の乾いた空気の中、稲荷口駅のすぐ近くの諏訪町12号踏切の警報音が大音量で鳴り始めた。皐月はその踏切警報音を聞きながら、この日の出来事を幸福な結末にするべく、千智に優しく微笑みかけた。