藤城皐月と
入屋千智は稲荷口駅前の駐車場の横にある細い道の所まで来ていた。ここは立ち話のできる場所ではない。
皐月はランドセルからスマホを取り出して、
稲荷口駅の写真を撮った。訪問した駅の写真を撮るのは皐月の趣味の一つだ。
「千智の写真も撮らせてよ。盗撮じゃなくて、堂々と撮りたい」
「いいけど、恥ずかしいな……」
「恥ずかしがっているところがかわいいんだよ」
皐月はすぐに写真を撮らないで、千智のことをずっと見つめ続けて焦らした。
「ねえ、どうして写真撮らないの?」
「千智がかわいいからさ、見惚れちゃって」
「そんなこと言わないでよ……照れちゃう」
千智が頬に手を添えたところでシャッターを切った。あまりにもかわいかったので、皐月は動画撮影にしておけばよかったと後悔した。
「もう行くよっ! 皐月君はさっさと家に帰りなさい」
「は〜い」
千智は照れながら怒って、先に駅へ歩き出した。皐月は千智に逆らわないで、後をついて行った。駅舎に入ると、皐月は改札を抜けないで自動券売機の前で立ち止まった。
「千智も駅の中に入る? 入場券を買えば入れるから、俺が出すよ」
「駅にも入場券ってあるんだ」
「うん、あるよ。列車に乗らなくても、駅構内に入るには切符が必要なんだ。見送りをする時って、改札口じゃなくても、入場券を買えば駅の中に入って、発車まで別れを惜しんだりできるんだ」
「じゃあ、先輩は別れを惜しんでもらいたいんだね」
皐月は照れを隠しながら乗車券と入場券を買い、二人で改札を抜けた。
「次の電車まで10分くらいあるね。ホームのベンチに座ろう」
稲荷口駅から豊川稲荷駅まで鉄道を利用する客はほとんどいない。プラットホームのベンチは線路沿いの道からまる見えだ。しかし、この時間はあまり人通りがないので、思ったよりも人に見られる不快感がない。
皐月は8基ある駅ベンチの端から2番目に座り、千智には豊川稲荷方面の一番端に座ってもらった。人目を避けるため、改札口から少しでも遠い所に座らせてあげたいと思ったからだ。
目の前にはトタン張りの町工場が見える。工場は白塗りの万年塀で囲まれているので、外からは中が見えなくて、中からもこちらが見えない。これなら二人で落ち着いて話ができそうだ。
「さっき言おうとしてた、話したいことって何?」
「あ、うん……。あのね、私、塾やめようかなって思ってるの」
「えっ? やめちゃうの? 最近通い始めたばかりだよね?」
「うん……」
千智が通っているのは岡崎にある中学受験塾だ。塾をやめるということは、中学受験をやめるということなのだろうか。
「塾がつまんないの? それとも、中学受験をやめるってこと?」
「ううん。塾はそれなりに楽しいし、受験をやめるっていうわけじゃないの。たぶん私は名古屋の中学を受験することになるんだけど、もう合格ラインに届いているから……」
「ちょっと待って……。千智ってまだ五年生じゃん。もうそんなレベルまでいっちゃってんの?」
「へへへっ。賢い?」
「うわっ、マジか! 凄ぇ……。千智は賢いな」
皐月は幼馴染の真理が受験勉強で苦しんでいるのを間近に見ているので、千智のことを素直に賛美できなかった。屈折した感情を抱いている自分に気がついて、皐月は表情管理に自信が持てなくなっていた。
「六年生の模試を受けたら、合格可能性が80%を超えたんだけど、まだ絶対ってわけじゃないから、もうちょっと得点を上積みできたらやめてもいいかなって考えてる」
「ああ……。もう合格点を取れるんだったら、それ以上受験勉強したってしょうがないもんな。じゃあ千智は塾をやめて、どうするの?」
「んん……まだちゃんと考えていないんだけど、遊んだり、好きなことしたり……かな」
「時間ができれば好きなことに没頭できるね」
「うん……そうなんだけど、私、一つのことに没頭するのって苦手で……。なんかね、私って集中力がなくて、何かに没頭するっていう経験があまりないの。勉強していてもすぐに他の教科に変えたりしちゃうし、関係ないことを調べたり、好きな本を読んだりしちゃうし……」
「へぇ……。それで成果を出しているっていうことは、千智は記憶力が良過ぎて、頭の回転が速すぎるんだよ。短時間でも普通の人が没頭しているくらい、脳が働いているんだろうね。あるいは千智には時間がゆっくりと流れているとか」
「皐月君。それ、褒め過ぎだよ」
「ははは。俺、本気でそう思ってるよ」
皐月は自分が千智と相性の良さを感じる理由がわかった気がした。千智は自分とタイプが似ている。
千智は興味が多方面に分散してしまうのを、高い能力でこなしてしまうのだろう。自分には千智ほど能力がないかもしれないが、千智の行動パターンが自分のとそっくりだ。
千智とだったら今まで誰ともできなかった、息の合う付き合い方ができるかもしれない。そんな予感に皐月は胸が震えた。
「もし塾をやめたら、俺と遊ぶ時間も増やせるかな?」
「それは……もちろん増やせるよっ!」
千智がすごく嬉しそうな顔をしていた。そんな千智を見ると、皐月は少し罪悪感を覚えた。それは今していることが真理に対する背徳行為だからだ。
千智の魅力に抗えず、つい誘惑するようなことを言ってしまった。無邪気に喜ぶ千智を見ると、今さら冗談ではすまされない。これからは千智と会う時間を増やさなければならない。
だが、それは自分も望んでいることだ。千智ともっと会う機会を増やしたい。それどころか千智に触れたいし、キスだってしたい。一度でもあの夢心地を知ってしまうと、性的な目で異性を見ることは避けられない。
だが、皐月は千智にそんな欲望を超え、自分を救済してくれるかもしれないという切実な期待を抱いている。