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第5話

ー/ー



「お邪魔しま~す」

 夕暮れ時になると、佳織さんが白いエプロンと食材などを携えて俺の部屋にやってきた。
 佳織さんは俺の部屋に入ると一通り眺めて頷いた。

「ちゃんと整っているね」
「すべて業者さんに任せたからね。ただ、少しだけ直しておいたけど」
「そうなんだ」

 実は引っ越しの挨拶をする前にリモコンや眼鏡入れ、文具入れの類は机のところにまとめておいたけど。

「それじゃあ、さっそく料理に取り掛かるね。フライパンや鍋はある?」
「もちろん。包丁やまな板もあるから」
「分かった。楽しみに待っていてね」

 佳織さんはエプロンを身に着けると、キッチンの方に向かった。
 しばらくするとリズミカルに野菜を刻む音が聞こえたと思ったら、玉ねぎと豚肉を炒める音が聞こえてきた。

「ふんふ~ん、ふんふ~ん、ふんふ~ふ~ん♪」

 余裕綽々でハミングしはじめたよ。
 それにこの曲って、俺が子供の頃からやっていたアニメのオープニングテーマじゃないか。よりによって、去年放送されたときに流れていた曲だ。
 それにしても……。

「ふんふ~ん、ふふふん、ふ~ん♪」

 キッチンからは、まだ佳織さんのハミングが聞こえてくる。
 修学旅行の時に童貞を奪われてから女性不信に陥っていた俺が引っ越しの挨拶を機に女性と親しくなるなんて、どう考えてもおかしい。
 ひょっとしたらご飯を作るというのはフェイクで、うまいこと俺の体を……?
 いや、そんなことはありえない。まずありえないだろう。
 現に台所からはカレーの匂いが漂っている。従って、きちんとカレーを作っていることだけは確かだ。横須賀で買ったばかりのレンジも動いているし、問題ないだろう。

「トオル君、ごはんが温まったよ」
「う、うん」

 佳織さんから呼び出されると、俺はキッチンに設置されているレンジに向かった。……なんだか、佳織さんにいいように使われている感じがするなぁ。

「カレーは出来たのかな」
「もうすぐだよ。いい感じに作っているから、楽しみにしていてね」

 そう話すと、佳織さんは腕まくりをして力こぶを作るポーズをとった。
 ここまで自慢げに話すのであれば、期待してもいいかな。

 ◇

「はい、どうぞ召し上がれ」

 テーブルの真ん中にはスーパーで買ってきたサラダがドレッシングをうまく混ぜ合わせた感じで盛りつけられていて、互いを挟むようにカレーライスが並べられていた。
 佳織さんと俺の分は平等に分けられていて、二人で食べるとちょうどいい感じになっている。
 ……大丈夫、だよな。変な薬なんて入っていないよな。

「……大丈夫かな」
「ちゃんと味見したし、心配はいらないよ。それに、料理は得意だから」
「本当か」
「うん、私を信じてよ」

 ……よし、彼女の言葉を信じて食べてみるか。
 俺は覚悟を決めて、うまい具合に真っ黄色のカレーを恐る恐る口に含んだ。
 ……なんだろう、辛さの中に甘みがある。
 佳織さんが買ったのはリンゴと蜂蜜が入ったやつ……だよな。いつも横須賀で食べていたものとは違った感じがする。

「ちょっと甘い感じがするね」
「うん、私の家ではこのルーをよく使っているからね」
「俺は横須賀で住んでいたけれど、いっつも辛いカレーばっかりだったよ」
「どうしてなの?」
「親父がいっつも辛いルーを買ってくるから……」

 そう、うちの親父はカレーに関しては辛党で、佳織さんが選んでいるルーなんてあまり食えたもんじゃないなんて語るのだ。そのためか、カレーとなると「辛い」という印象しかない。
 だけど、佳織さんの作ったカレーは優しい味がした。甘さと辛さが程よくミックスされていて、ごはんが進む。
 今頃兄貴は夏美姉と一緒になってご飯を食べているのかな。

「う、うう……」

 なぜだろう。
 俺の頬に熱い何かが伝わる。
 俺はスプーンを持っている手を放すと、目から伝わる涙をぬぐっていた。
 俺、気が付かないうちに泣いていたのか。

「どうしたの、トオル君」
「……う、うん……。ちょっと、横須賀に居た時のことを思い出してしまって……」

 うちの幼馴染の夏美姉も得意な料理はカレーだった。
 佳織さんが作ってくれたカレーを一口含んだ瞬間、夏美姉が作るカレーの味を思い出した。玉ねぎがすっかり溶け込んでいて、肉と野菜にカレーのうまみが凝縮されていた。
 彼女が作るカレー、おいしさのあまりに何度もお代わりをしていたっけ。
 兄貴と夏美姉が付き合っていたことが分かってからも、夏美姉はよく俺の家に来たことがあった。
 あの屈託のない笑顔を見たくないと思っていたけれど、そのせいで仙台に逃げたからな。

「やっぱり、別の料理にしたほうがよかったかな」
「いや、そういうわけには……」

 佳織さんはカレーを食べながら心配そうな面持ちで俺の顔を覗き込んできた。
 なんだろう、同い年の女の人にここまで親切にされたのははじめてだ。
 すると、俺はふと横須賀で俺を叩きのめした二人の女性を思い出した。

 ☆

 中尾とともに嘘告白を仕掛けた原田は酷い女だったが、性欲に溺れた清水はさらに酷かった。
 例の襲撃の後で清水は俺をえらく気に入ったらしく、修学旅行から戻った後もLEIN経由で俺をしつこく呼び出そうとした。
 しかし、その度毎に俺は無視し続けた。
 そいつはLEINに『ねぇ、どうして私のことを無視するの』、『勉強なんてしても成績が上がらなければ意味ないじゃん』と、俺を馬鹿にするようなメッセージを送り続けた。
 ふざけるな。
 俺はお前の淫らな欲求に応じる暇などない。
 俺は清水に『もう二度と連絡するな。俺はお前のような女が大嫌いだ』とメッセージを送り、ブロックした。
 男を金づるのようにしか思っていない女に抱かれるのはごめんだ。
 男を振り回すだけ振り回す女と居るよりは、いっそ男友達とつるんでいたほうがよっぽどましだ。

 ☆

「また高校時代のことを思い出していたの?」

 佳織さんは俺の顔を覗き込むなり、心配そうに俺のことを見つめていた。
 あの二人と違って、今俺の目の前にいる佳織さんは違う。
 今日出会ったばかりの佳織さんは時に厳しく、時に優しい。
 少なくとも、佳織さんは信じてもよさそうだ。
 俺に害をもたらすどころか、俺のことを優しく見守ってくれている。
 願わくは、高校時代にこういう女性と知り合っていたらなぁ……。

「うん、まぁ……」
「ひょっとして、さっき話していた高校時代のこと?」
「そうだよ。だから女の人が信じられなくなって……」

 俺がそう返すと、佳織さんは俺の目を見て「そんなことないよ」とつぶやいた。

「どういうことだ」
「それはね……、ほら、私がこうして料理を出しているのはどうして?」
「……料理とは名ばかりで、俺の体を狙っているためか? そうは……」
「違うよ。私もね、本当は好きな人に料理を作ってあげたりしたかったの」
「ひょっとして、さっき話していた彼の事か」
「そう。君が嘘告白されたのと同じような感じでね」

 やっぱりそうか。
 佳織さんも俺と同じように、本当は高校時代に恋愛がしたかったのだろう。
 俺も同じだ。というより、俺のほうがひどい目に遭った。
 こうして彼女に会えたからには、彼女との出会いを大切にせねば。

「佳織さん」
「なぁに、トオル君」

 俺はカレーを食べる手を止め、口を軽くティッシュで拭うと、彼女に頭を下げた。

「これからよろしくお願いします」

 すると、佳織さんもちょこっとだけ頭を下げた。

「こちらこそ、よろしくね」

 それから佳織さんは俺の顔を見て、また笑顔を見せた。
 佳織さんの笑顔を見ただけで、俺は女性に対する不信感が吹き飛びそうになった。
 佳織さんがいれば、俺は何とでもなりそうだ。
 この出会いを大切にして、これから始まる大学生活に備えよう。
 それから俺たちは互いに夕食を平らげながら、これからのことについていろいろと話しあった。
 今日のカレーの味は俺のこれまでの人生のように辛くもあり、そしてこれからの大学生活のようにちょっと甘かった。



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「お邪魔しま~す」
 夕暮れ時になると、佳織さんが白いエプロンと食材などを携えて俺の部屋にやってきた。
 佳織さんは俺の部屋に入ると一通り眺めて頷いた。
「ちゃんと整っているね」
「すべて業者さんに任せたからね。ただ、少しだけ直しておいたけど」
「そうなんだ」
 実は引っ越しの挨拶をする前にリモコンや眼鏡入れ、文具入れの類は机のところにまとめておいたけど。
「それじゃあ、さっそく料理に取り掛かるね。フライパンや鍋はある?」
「もちろん。包丁やまな板もあるから」
「分かった。楽しみに待っていてね」
 佳織さんはエプロンを身に着けると、キッチンの方に向かった。
 しばらくするとリズミカルに野菜を刻む音が聞こえたと思ったら、玉ねぎと豚肉を炒める音が聞こえてきた。
「ふんふ~ん、ふんふ~ん、ふんふ~ふ~ん♪」
 余裕綽々でハミングしはじめたよ。
 それにこの曲って、俺が子供の頃からやっていたアニメのオープニングテーマじゃないか。よりによって、去年放送されたときに流れていた曲だ。
 それにしても……。
「ふんふ~ん、ふふふん、ふ~ん♪」
 キッチンからは、まだ佳織さんのハミングが聞こえてくる。
 修学旅行の時に童貞を奪われてから女性不信に陥っていた俺が引っ越しの挨拶を機に女性と親しくなるなんて、どう考えてもおかしい。
 ひょっとしたらご飯を作るというのはフェイクで、うまいこと俺の体を……?
 いや、そんなことはありえない。まずありえないだろう。
 現に台所からはカレーの匂いが漂っている。従って、きちんとカレーを作っていることだけは確かだ。横須賀で買ったばかりのレンジも動いているし、問題ないだろう。
「トオル君、ごはんが温まったよ」
「う、うん」
 佳織さんから呼び出されると、俺はキッチンに設置されているレンジに向かった。……なんだか、佳織さんにいいように使われている感じがするなぁ。
「カレーは出来たのかな」
「もうすぐだよ。いい感じに作っているから、楽しみにしていてね」
 そう話すと、佳織さんは腕まくりをして力こぶを作るポーズをとった。
 ここまで自慢げに話すのであれば、期待してもいいかな。
 ◇
「はい、どうぞ召し上がれ」
 テーブルの真ん中にはスーパーで買ってきたサラダがドレッシングをうまく混ぜ合わせた感じで盛りつけられていて、互いを挟むようにカレーライスが並べられていた。
 佳織さんと俺の分は平等に分けられていて、二人で食べるとちょうどいい感じになっている。
 ……大丈夫、だよな。変な薬なんて入っていないよな。
「……大丈夫かな」
「ちゃんと味見したし、心配はいらないよ。それに、料理は得意だから」
「本当か」
「うん、私を信じてよ」
 ……よし、彼女の言葉を信じて食べてみるか。
 俺は覚悟を決めて、うまい具合に真っ黄色のカレーを恐る恐る口に含んだ。
 ……なんだろう、辛さの中に甘みがある。
 佳織さんが買ったのはリンゴと蜂蜜が入ったやつ……だよな。いつも横須賀で食べていたものとは違った感じがする。
「ちょっと甘い感じがするね」
「うん、私の家ではこのルーをよく使っているからね」
「俺は横須賀で住んでいたけれど、いっつも辛いカレーばっかりだったよ」
「どうしてなの?」
「親父がいっつも辛いルーを買ってくるから……」
 そう、うちの親父はカレーに関しては辛党で、佳織さんが選んでいるルーなんてあまり食えたもんじゃないなんて語るのだ。そのためか、カレーとなると「辛い」という印象しかない。
 だけど、佳織さんの作ったカレーは優しい味がした。甘さと辛さが程よくミックスされていて、ごはんが進む。
 今頃兄貴は夏美姉と一緒になってご飯を食べているのかな。
「う、うう……」
 なぜだろう。
 俺の頬に熱い何かが伝わる。
 俺はスプーンを持っている手を放すと、目から伝わる涙をぬぐっていた。
 俺、気が付かないうちに泣いていたのか。
「どうしたの、トオル君」
「……う、うん……。ちょっと、横須賀に居た時のことを思い出してしまって……」
 うちの幼馴染の夏美姉も得意な料理はカレーだった。
 佳織さんが作ってくれたカレーを一口含んだ瞬間、夏美姉が作るカレーの味を思い出した。玉ねぎがすっかり溶け込んでいて、肉と野菜にカレーのうまみが凝縮されていた。
 彼女が作るカレー、おいしさのあまりに何度もお代わりをしていたっけ。
 兄貴と夏美姉が付き合っていたことが分かってからも、夏美姉はよく俺の家に来たことがあった。
 あの屈託のない笑顔を見たくないと思っていたけれど、そのせいで仙台に逃げたからな。
「やっぱり、別の料理にしたほうがよかったかな」
「いや、そういうわけには……」
 佳織さんはカレーを食べながら心配そうな面持ちで俺の顔を覗き込んできた。
 なんだろう、同い年の女の人にここまで親切にされたのははじめてだ。
 すると、俺はふと横須賀で俺を叩きのめした二人の女性を思い出した。
 ☆
 中尾とともに嘘告白を仕掛けた原田は酷い女だったが、性欲に溺れた清水はさらに酷かった。
 例の襲撃の後で清水は俺をえらく気に入ったらしく、修学旅行から戻った後もLEIN経由で俺をしつこく呼び出そうとした。
 しかし、その度毎に俺は無視し続けた。
 そいつはLEINに『ねぇ、どうして私のことを無視するの』、『勉強なんてしても成績が上がらなければ意味ないじゃん』と、俺を馬鹿にするようなメッセージを送り続けた。
 ふざけるな。
 俺はお前の淫らな欲求に応じる暇などない。
 俺は清水に『もう二度と連絡するな。俺はお前のような女が大嫌いだ』とメッセージを送り、ブロックした。
 男を金づるのようにしか思っていない女に抱かれるのはごめんだ。
 男を振り回すだけ振り回す女と居るよりは、いっそ男友達とつるんでいたほうがよっぽどましだ。
 ☆
「また高校時代のことを思い出していたの?」
 佳織さんは俺の顔を覗き込むなり、心配そうに俺のことを見つめていた。
 あの二人と違って、今俺の目の前にいる佳織さんは違う。
 今日出会ったばかりの佳織さんは時に厳しく、時に優しい。
 少なくとも、佳織さんは信じてもよさそうだ。
 俺に害をもたらすどころか、俺のことを優しく見守ってくれている。
 願わくは、高校時代にこういう女性と知り合っていたらなぁ……。
「うん、まぁ……」
「ひょっとして、さっき話していた高校時代のこと?」
「そうだよ。だから女の人が信じられなくなって……」
 俺がそう返すと、佳織さんは俺の目を見て「そんなことないよ」とつぶやいた。
「どういうことだ」
「それはね……、ほら、私がこうして料理を出しているのはどうして?」
「……料理とは名ばかりで、俺の体を狙っているためか? そうは……」
「違うよ。私もね、本当は好きな人に料理を作ってあげたりしたかったの」
「ひょっとして、さっき話していた彼の事か」
「そう。君が嘘告白されたのと同じような感じでね」
 やっぱりそうか。
 佳織さんも俺と同じように、本当は高校時代に恋愛がしたかったのだろう。
 俺も同じだ。というより、俺のほうがひどい目に遭った。
 こうして彼女に会えたからには、彼女との出会いを大切にせねば。
「佳織さん」
「なぁに、トオル君」
 俺はカレーを食べる手を止め、口を軽くティッシュで拭うと、彼女に頭を下げた。
「これからよろしくお願いします」
 すると、佳織さんもちょこっとだけ頭を下げた。
「こちらこそ、よろしくね」
 それから佳織さんは俺の顔を見て、また笑顔を見せた。
 佳織さんの笑顔を見ただけで、俺は女性に対する不信感が吹き飛びそうになった。
 佳織さんがいれば、俺は何とでもなりそうだ。
 この出会いを大切にして、これから始まる大学生活に備えよう。
 それから俺たちは互いに夕食を平らげながら、これからのことについていろいろと話しあった。
 今日のカレーの味は俺のこれまでの人生のように辛くもあり、そしてこれからの大学生活のようにちょっと甘かった。