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第3話

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 学校から帰ると、日は西の空に沈みかけていた。
 予想していたとおり、部長と過ごす時間は悪くなかった。秋山さんのおかげで、いつもより心に余裕があったのだろう。
 地下鉄の駅から歩いて二分、南西向きで日当たり良好の高層マンション。これが僕の住まいだ。
 3LDKの部屋に僕と姉さん、母さんの三人で暮らしている。なお、父さんは県北の地で単身赴任中だ。
 新幹線がゴーッと通る音を耳にしながら玄関のオートロックをそっと抜け、着替えをしてからキッチンへと向かう。
「ただいま」
「お帰り。ずいぶんと遅かったのね」
 キッチンでは姉さんがエプロン姿で料理をしていた。
「部活があったからね。図書室で本を読んでたら、あっという間だよ」
「それは良かったわね。今日は私が夕食当番だから」
「今日のメニューは?」
「優人の大好きなカレーライスとコールスローサラダよ♪」
 いい香りがすると思ったわけだ。
 姉さんはにっこりと笑って、またキッチンへと戻っていった。
 奈美姉さんは大学三年生で、多忙な日々を過ごしている。美人でスタイル抜群、しかも背丈は僕とまったく変わらない。
 母さんがコーチを務めていたサニーウイングスに入ったことがあり、小学校の運動会では僕のことを一生懸命応援してくれた。
 みんなからは「自慢の姉だ」とよく褒められる。しかし、本当は姉だなんて言えないほどに恥ずかしい。穴があったら入りたいくらいだ。
 詳しくは知らないが、サニーウイングスは一駅先にあるチアリーディングチームだ。
 様々なイベントに出ていて、去年の区民祭りでも素晴らしいパフォーマンスを見せたらしい。
「優人も手伝ったら? 一家で働いてないのは、あなただけよ」
「はいはい……」
「『はい』は一回!」
 姉さんにせかされて、キッチンへと向かう。
 盛り付けを済ませ、後は食べるだけだ。
「いただきます」
 ダイニングテーブルに向かい合って座り、手を合わせてからカレーライスに手をつける。
 肉と野菜のバランスが程よく、短時間で作ったとは思えない出来映えだ。
「おいしいよ。さすが姉さんだね」
「ありがとう。最近は母さんの代わりに作ることが多いから、慣れたのよ」
 料理の腕を褒めると、姉さんは得意げな顔をして胸を張った。これでチア推しをしなければ、良い姉さんだけれど。
「姉さん、今日だけど……」
「ん、何?」
「席替えがあったんだ」
「それで?」
「……普通だったよ。一年の頃のクラスメイトと近くの席になったし」
「優人、普通だと話すわりに顔がほころんでいるじゃないの。何かあったでしょ」
 姉さんの目が興味深そうに光る。
「別に、何もないよ」
「嘘ばっかり。絶対に何かあったのよ。隣の席にかわいい子が来たんじゃない?」
「うっ……」
 言葉に詰まる。姉さんの勘の良さは相変わらずだ。
「隣の席になったけれど……」
「ほら! やっぱり。で、どんな子?」
「普通の女の子だよ」
「普通って言葉で片付けないで。もっと詳しいことを教えなさい」
 姉さんがグイグイと迫ってくる。今の僕は、まさに猫に追い詰められたネズミだ。
「明るくて、読書好きの子だよ」
「へえ、読書好きねえ。それで、何部なの?」
 困ったな。この質問は避けたかった。……仕方ない、正直に話そう。
「……チア部の子だよ」
「チア部?」
 後悔先に立たず。姉さんの目が一段と輝いた。
「どんな子? ねえ、名前は?」
「同じクラスの秋山ひなたって子だよ」
 もう観念するしかない。姉さんから香るシトラスの匂いをきっかけに、僕は彼女の名前を口にした。
「読書好きのチアリーダーか。面白い組み合わせじゃないの」
 姉さんの顔がニヤニヤしている。楽しそうだけれど、裏がありそうだ。
「何が嬉しいんだよ」
「だって、優人がチアに興味を持つきっかけになるじゃない」
 姉さんはカレーを食べながら、僕の顔をじっと見ている。また何か言いたそうな顔をしているな。
 深入りしても面倒なことになりそうだ。ここは適当に流そう。
「べっ、別にそういうわけじゃないよ」
「そういうわけって?」
「ただ、隣の席になっただけで……」
 僕の歯切れの悪い答えに、姉さんは少し寂しそうな顔をした。
「せっかくのご縁だし、仲良くしてあげなさいよ」
「言われなくても、そのつもりだよ」
「それなら良かったわ。母さん、今夜は遅くなるから。その前に……」
「風呂に入れ、ってことか」
 姉さんが大学に入ったことを機に、母さんはサニーウイングスのコーチを辞めて塾の講師に絞っている。
 疲れて帰ってくるせいもあって、僕に対する風当たりが強くなった。
「チアをやらないか」と言われるのはごめんだ。まずは宿題をこなして、それから風呂に入ろう。
「僕は宿題をやるから……」
 そう言って、椅子から立ち上がろうとした時だった。
「ちょっと、待ちなさい」
 姉さんの一声が突き刺さる。
「優人も片付けを手伝いなさいよ。手伝わないと……わかってるわよね?」
「うっ……」
 鋭い目で睨まれると、何も言えなくなる。
 仕方なく食器をキッチンに運び、姉さんと一緒に洗い物を始めた。
「優人、片付けが終わったら何をするの」
「勉強もするし、姉さんが持っているあの本のことについて聞きたいんだ」
「あの本って?」
「男子大学生がチアリーダーをやる話だよ。まだ持ってるか、気になるんだ」
「ああ、あれ? 確か私の部屋にあったかも。一緒に探してあげようか?」
 片付け中に姉さんが変なことを言い出す。
 姉さんの厚意はありがたいけれど、漫画版を持ち出されるのは困る。
「遠慮しておくよ」
「あら、そう? 困ったら声をかけてね」
 姉さんは鼻歌を歌いながら、後片付けに戻る。
 何しろ十年以上前の本だから、まだ姉さんが持っているかわからない。
 もし見つかれば、きっと秋山さんは喜んでくれるだろう。



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みんなのリアクション

 学校から帰ると、日は西の空に沈みかけていた。
 予想していたとおり、部長と過ごす時間は悪くなかった。秋山さんのおかげで、いつもより心に余裕があったのだろう。
 地下鉄の駅から歩いて二分、南西向きで日当たり良好の高層マンション。これが僕の住まいだ。
 3LDKの部屋に僕と姉さん、母さんの三人で暮らしている。なお、父さんは県北の地で単身赴任中だ。
 新幹線がゴーッと通る音を耳にしながら玄関のオートロックをそっと抜け、着替えをしてからキッチンへと向かう。
「ただいま」
「お帰り。ずいぶんと遅かったのね」
 キッチンでは姉さんがエプロン姿で料理をしていた。
「部活があったからね。図書室で本を読んでたら、あっという間だよ」
「それは良かったわね。今日は私が夕食当番だから」
「今日のメニューは?」
「優人の大好きなカレーライスとコールスローサラダよ♪」
 いい香りがすると思ったわけだ。
 姉さんはにっこりと笑って、またキッチンへと戻っていった。
 奈美姉さんは大学三年生で、多忙な日々を過ごしている。美人でスタイル抜群、しかも背丈は僕とまったく変わらない。
 母さんがコーチを務めていたサニーウイングスに入ったことがあり、小学校の運動会では僕のことを一生懸命応援してくれた。
 みんなからは「自慢の姉だ」とよく褒められる。しかし、本当は姉だなんて言えないほどに恥ずかしい。穴があったら入りたいくらいだ。
 詳しくは知らないが、サニーウイングスは一駅先にあるチアリーディングチームだ。
 様々なイベントに出ていて、去年の区民祭りでも素晴らしいパフォーマンスを見せたらしい。
「優人も手伝ったら? 一家で働いてないのは、あなただけよ」
「はいはい……」
「『はい』は一回!」
 姉さんにせかされて、キッチンへと向かう。
 盛り付けを済ませ、後は食べるだけだ。
「いただきます」
 ダイニングテーブルに向かい合って座り、手を合わせてからカレーライスに手をつける。
 肉と野菜のバランスが程よく、短時間で作ったとは思えない出来映えだ。
「おいしいよ。さすが姉さんだね」
「ありがとう。最近は母さんの代わりに作ることが多いから、慣れたのよ」
 料理の腕を褒めると、姉さんは得意げな顔をして胸を張った。これでチア推しをしなければ、良い姉さんだけれど。
「姉さん、今日だけど……」
「ん、何?」
「席替えがあったんだ」
「それで?」
「……普通だったよ。一年の頃のクラスメイトと近くの席になったし」
「優人、普通だと話すわりに顔がほころんでいるじゃないの。何かあったでしょ」
 姉さんの目が興味深そうに光る。
「別に、何もないよ」
「嘘ばっかり。絶対に何かあったのよ。隣の席にかわいい子が来たんじゃない?」
「うっ……」
 言葉に詰まる。姉さんの勘の良さは相変わらずだ。
「隣の席になったけれど……」
「ほら! やっぱり。で、どんな子?」
「普通の女の子だよ」
「普通って言葉で片付けないで。もっと詳しいことを教えなさい」
 姉さんがグイグイと迫ってくる。今の僕は、まさに猫に追い詰められたネズミだ。
「明るくて、読書好きの子だよ」
「へえ、読書好きねえ。それで、何部なの?」
 困ったな。この質問は避けたかった。……仕方ない、正直に話そう。
「……チア部の子だよ」
「チア部?」
 後悔先に立たず。姉さんの目が一段と輝いた。
「どんな子? ねえ、名前は?」
「同じクラスの秋山ひなたって子だよ」
 もう観念するしかない。姉さんから香るシトラスの匂いをきっかけに、僕は彼女の名前を口にした。
「読書好きのチアリーダーか。面白い組み合わせじゃないの」
 姉さんの顔がニヤニヤしている。楽しそうだけれど、裏がありそうだ。
「何が嬉しいんだよ」
「だって、優人がチアに興味を持つきっかけになるじゃない」
 姉さんはカレーを食べながら、僕の顔をじっと見ている。また何か言いたそうな顔をしているな。
 深入りしても面倒なことになりそうだ。ここは適当に流そう。
「べっ、別にそういうわけじゃないよ」
「そういうわけって?」
「ただ、隣の席になっただけで……」
 僕の歯切れの悪い答えに、姉さんは少し寂しそうな顔をした。
「せっかくのご縁だし、仲良くしてあげなさいよ」
「言われなくても、そのつもりだよ」
「それなら良かったわ。母さん、今夜は遅くなるから。その前に……」
「風呂に入れ、ってことか」
 姉さんが大学に入ったことを機に、母さんはサニーウイングスのコーチを辞めて塾の講師に絞っている。
 疲れて帰ってくるせいもあって、僕に対する風当たりが強くなった。
「チアをやらないか」と言われるのはごめんだ。まずは宿題をこなして、それから風呂に入ろう。
「僕は宿題をやるから……」
 そう言って、椅子から立ち上がろうとした時だった。
「ちょっと、待ちなさい」
 姉さんの一声が突き刺さる。
「優人も片付けを手伝いなさいよ。手伝わないと……わかってるわよね?」
「うっ……」
 鋭い目で睨まれると、何も言えなくなる。
 仕方なく食器をキッチンに運び、姉さんと一緒に洗い物を始めた。
「優人、片付けが終わったら何をするの」
「勉強もするし、姉さんが持っているあの本のことについて聞きたいんだ」
「あの本って?」
「男子大学生がチアリーダーをやる話だよ。まだ持ってるか、気になるんだ」
「ああ、あれ? 確か私の部屋にあったかも。一緒に探してあげようか?」
 片付け中に姉さんが変なことを言い出す。
 姉さんの厚意はありがたいけれど、漫画版を持ち出されるのは困る。
「遠慮しておくよ」
「あら、そう? 困ったら声をかけてね」
 姉さんは鼻歌を歌いながら、後片付けに戻る。
 何しろ十年以上前の本だから、まだ姉さんが持っているかわからない。
 もし見つかれば、きっと秋山さんは喜んでくれるだろう。