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月夜に気を付けて

ー/ー



 彼女、三上安月はベッドの上、だらんと横になりスマートフォンを眺めていた。
 取り立てて関心深かったというわけではないが、何となく目に留まったニュースを拾っては意味もなく読み漁っているだけ。

 最近のネットニュースは素人の参入が多いのか、調べが甘いくせして誇張が激しく胡散臭い内容を恥ずかしげもなく掲載しているものも珍しくない。
 中にはインフルエンサーのSNS上での発言を引用したものに感想を載せただけの手抜きにも等しいニュースも急増しており、そういうのに限ってコメントも多い。

 信憑性に足る然るべき専門家の考察などを載せたとしても素人に理解できないし、気を惹きやすい単語、著名人に偏ってしまうのも仕方のないことなのかもしれない。
 ふと、またしても突拍子もない記事が安月のスマートフォンに表示される。

『リアル人狼、都会で目撃情報』

 一瞬こそキャッチーな言葉に興味を惹いたが、記事に中身はなかった。
 写真が掲載されているわけでもなく、SNSに吐き捨てられた妄想を拾い上げて「もしかしたら本当にいるのかも」で記事は締めくくられている。

 あまりの馬鹿馬鹿しさに安月もフッと笑ってしまい、寝返りを打つ。
 人狼なんてものがいるはずがない。そもそも人狼とは何だというのか。
 人間と狼とでは種族が違う。DNAが大きく異なればまるっきり別の生物であり、二つの特徴を持ち合わせるなんてどう考えてもおかしな話だ。

 ちょっと耳の高い人とか、ちょっと首の長い犬とか、普通から少しだけ違う程度を大げさに脚色しているだけだろう。安月はそういう解釈で結論がついてしまう。
 気力も尽きてスマートフォンを手放し、クッションに頭を突っ込む。

「安月、ちょっといいかしら?」

 部屋の外からノックとともに、声が飛び込んでくる。
 返事を待つ間もなく、ガチャリと扉が開かれた。
 安月の母親だ。実年齢よりもずっと若々しく見えるその容姿端麗っぷりはあたかも姉妹のように思わされる美女っぷりだ。あるいは、美少女とも言えたかもしれない。

「なぁに、ママ。私今忙しいの」
「ベッドでグダグダしてるだけじゃないの」
「大学生の身分には色々とあるんです!」

 どう見ようと忙しそうにしているようには見えない。
 スマートフォンを放り出した女子大学生が寝転がっているだけだ。

「今日は大事なお話があります。ちょっとリビングにきなさい」

 それだけ言うと母親は部屋からそそくさと去っていった。
 いつになく神妙な顔つきで言うものだから安月もムッとする。

 安月も大学生になって二年目。成人式も十八の時に迎え、二十歳の誕生日も間近。
 こんな時期に大事な話となると相場が決まってくる。
 将来の設計のこととか、これからの小遣いのこととか。頭の痛い話に違いない。

 急にズゥンと気分が重くなる。
 もうその時点で真面目に聞く気もなくなってきていた。
 いっそこのままベッドに丸くなってしまいたかったくらい。

 かといって、現実逃避したところで始まるものもない。目の前に差し迫る現実から目を背けるわけにもいくまいと、安月は重い腰をあげた。
 とっくに成人したのだからそろそろ自立して一人暮らししろと言われてしまったらどうしたものだろう。まずバイトを探すところから始めないとならない。

 実のところ、安月はシングルマザーで、片親のまま長年面倒を見てもらっていた。
 借金もなく、不自由もなく、平穏に暮らせてきたのも母親の力があってこそ。
 これまでの人生で散々迷惑を掛けてきたのだから何を振られても不思議ではない。
 安月の足取りは重く、扉を開けるのも億劫なほど。

 ようやくしてリビングルームに着くと、テーブルについた母親が真剣な表情をして安月を見つめていた。怒っているとは違う。一人娘に対して覚悟を決めている顔だ。
 観念したように安月もテーブルについた。

「それで、ママ。大事な話って何?」
「あなたもそろそろ二十歳だから話しておこうと思って」

 この話の切り出し方からして安月は自分の予想が確信に変わったと思った。
 ふーん、という態度で聞き流す体勢に入る。

「亡くなったパパのことなんだけれどね。あの人はとても優しい人だったわ」
「そうなんだぁ」

 露骨なまでに関心なさそうに相槌を打つ。
 実際のところ、安月に父親の思い出はない。
 物心つく前に亡くなったし、遊んでもらった覚えすらない。

 おそらくは、「これまではあなたを女手一つで育ててきたけれど、そろそろ自立を考えてほしい」とでも言いたいのだろう。安月はそう予測できた。
 そうでもなければ、父親の話をすることもないはずだ。

「あの人と出会ったのは私があなたと同じくらいの大学生の頃にね、山岳サークルで登山していたときだったわ。そのときは運が悪く、どしゃぶりの大雨に降られてね。ほら、ママってば雨女だから」

 当時を思い出しているのか、赤面して言われても困る。初恋の乙女の顔だ。
 話が始まってまだ何分とも経っていないが、安月はうんざりしてきていた。
 なんで急に母親と父親とのなれそめの話を聞かされなければいけないのか。

「仲間ともはぐれて遭難しちゃって。辺りは暗いし、当時の携帯電話も今ほど性能もよくないから全然通じなくて。ママも途方に暮れてたら出会っちゃったのよ」
「大変だったねぇ」

 早く話が終わらないかな、と安月も上の空だ。

「いたのよ、大きな狼が」
「……なんて?」

 日本に狼はいないはず。正確に言えばハイイロオオカミの仲間でニホンオオカミは存在していたが、とっくの昔に絶滅してしまったはずだ。
 突然の急展開に思わず、安月も素の態度で聞き返してしまう。

「ママも驚いちゃったわ。日本なのに狼がいるなんて思わなかったから」
「いやいやいやいや! それでママどうしちゃったのよ!」
「とっても優しくてね。ママを山のふもと近くまで案内してくれたの」

 荒唐無稽が過ぎる。安月も唖然としてしまっていた。
 狼というだけでも大ニュースなのに、安全な送り狼なんてギャグにもならない。
 まさかそんな真面目そうな顔をして嘘話を繰り出すなんて。
 安月は返す言葉も失ってしまう。

「それがあなたのパパよ、安月」
「はァっ!?」

 さすがに安月も裏返った素っ頓きょうな声をあげてしまう。
 話のつながりが見えてこなくて、意味が分からなかった。

「ええと、ああ、そういうこと? 狼っぽいワイルドな感じの男性だったの?」

 狼と思ったけど狼じゃなかった。無理やりだが、そういう解釈もある。
 あくまで比喩的な表現にすぎなかったのだと。

「違うわ。よぉく聞いて。あなたのパパは狼男だったの」
「男は狼なのよ、気をつけなさい、ってよく言うよね」
「あなたよくそんな古い歌知ってるわね。でも違うの。本当に本物の狼男」

 ますます持って意味が分からなくなる。

「それでママは惚れちゃってね。それからもう山登りの日々で、パパに会いに行って交際するようになったの。こうして、ママとパパの間に生まれたのがあなたなのよ。だからあなたも狼女ということ」
「ママ、お酒飲んでる? 大丈夫? 最近疲れてるんじゃないの?」

 正気の沙汰とは思えない母親の話に、安月もドン引きだ。
 おでこに手を当てて熱をはかるが、大した熱もない。
 長年ずっとシングルマザーに甘えてきた結果、心身ともに疲弊したのかと思うと、安月も罪悪感に苛まれる。

「今はまだ信じられないかもしれないけれど、パパの家系ってね、二十歳を迎えたら体が成熟して、満月の光を浴びると狼に変身しちゃうの。だから、あなたもそろそろ二十歳になるじゃない? これからは満月の夜には気を付けないといけないわ」
「ぁー……、ぁー……?」

 はっきり言って、母親の頭がおかしくなったとしか思えない。
 今どきSNSでも即ブロックか、よくてミュートされてしまいそうなとんちき話を神妙な面持ちで言ってのけるのだから娘としては心配になってしまう。

「いい? 満月の夜は気を付けるのよ」
「あ、は、はい」

 さしもの安月も実の母親に対して強く否定する気力もなかった。
 こんなになるまで自分の面倒をみてきてくれていたのだから感謝しかない。
 これからは親孝行になることを考えよう。少なくとも安月はそう思ったのだった。

 ※ ※ ※

 ※ ※

 ※


次のエピソードへ進む 満月の夜に駆ける


みんなのリアクション

 彼女、三上安月はベッドの上、だらんと横になりスマートフォンを眺めていた。
 取り立てて関心深かったというわけではないが、何となく目に留まったニュースを拾っては意味もなく読み漁っているだけ。
 最近のネットニュースは素人の参入が多いのか、調べが甘いくせして誇張が激しく胡散臭い内容を恥ずかしげもなく掲載しているものも珍しくない。
 中にはインフルエンサーのSNS上での発言を引用したものに感想を載せただけの手抜きにも等しいニュースも急増しており、そういうのに限ってコメントも多い。
 信憑性に足る然るべき専門家の考察などを載せたとしても素人に理解できないし、気を惹きやすい単語、著名人に偏ってしまうのも仕方のないことなのかもしれない。
 ふと、またしても突拍子もない記事が安月のスマートフォンに表示される。
『リアル人狼、都会で目撃情報』
 一瞬こそキャッチーな言葉に興味を惹いたが、記事に中身はなかった。
 写真が掲載されているわけでもなく、SNSに吐き捨てられた妄想を拾い上げて「もしかしたら本当にいるのかも」で記事は締めくくられている。
 あまりの馬鹿馬鹿しさに安月もフッと笑ってしまい、寝返りを打つ。
 人狼なんてものがいるはずがない。そもそも人狼とは何だというのか。
 人間と狼とでは種族が違う。DNAが大きく異なればまるっきり別の生物であり、二つの特徴を持ち合わせるなんてどう考えてもおかしな話だ。
 ちょっと耳の高い人とか、ちょっと首の長い犬とか、普通から少しだけ違う程度を大げさに脚色しているだけだろう。安月はそういう解釈で結論がついてしまう。
 気力も尽きてスマートフォンを手放し、クッションに頭を突っ込む。
「安月、ちょっといいかしら?」
 部屋の外からノックとともに、声が飛び込んでくる。
 返事を待つ間もなく、ガチャリと扉が開かれた。
 安月の母親だ。実年齢よりもずっと若々しく見えるその容姿端麗っぷりはあたかも姉妹のように思わされる美女っぷりだ。あるいは、美少女とも言えたかもしれない。
「なぁに、ママ。私今忙しいの」
「ベッドでグダグダしてるだけじゃないの」
「大学生の身分には色々とあるんです!」
 どう見ようと忙しそうにしているようには見えない。
 スマートフォンを放り出した女子大学生が寝転がっているだけだ。
「今日は大事なお話があります。ちょっとリビングにきなさい」
 それだけ言うと母親は部屋からそそくさと去っていった。
 いつになく神妙な顔つきで言うものだから安月もムッとする。
 安月も大学生になって二年目。成人式も十八の時に迎え、二十歳の誕生日も間近。
 こんな時期に大事な話となると相場が決まってくる。
 将来の設計のこととか、これからの小遣いのこととか。頭の痛い話に違いない。
 急にズゥンと気分が重くなる。
 もうその時点で真面目に聞く気もなくなってきていた。
 いっそこのままベッドに丸くなってしまいたかったくらい。
 かといって、現実逃避したところで始まるものもない。目の前に差し迫る現実から目を背けるわけにもいくまいと、安月は重い腰をあげた。
 とっくに成人したのだからそろそろ自立して一人暮らししろと言われてしまったらどうしたものだろう。まずバイトを探すところから始めないとならない。
 実のところ、安月はシングルマザーで、片親のまま長年面倒を見てもらっていた。
 借金もなく、不自由もなく、平穏に暮らせてきたのも母親の力があってこそ。
 これまでの人生で散々迷惑を掛けてきたのだから何を振られても不思議ではない。
 安月の足取りは重く、扉を開けるのも億劫なほど。
 ようやくしてリビングルームに着くと、テーブルについた母親が真剣な表情をして安月を見つめていた。怒っているとは違う。一人娘に対して覚悟を決めている顔だ。
 観念したように安月もテーブルについた。
「それで、ママ。大事な話って何?」
「あなたもそろそろ二十歳だから話しておこうと思って」
 この話の切り出し方からして安月は自分の予想が確信に変わったと思った。
 ふーん、という態度で聞き流す体勢に入る。
「亡くなったパパのことなんだけれどね。あの人はとても優しい人だったわ」
「そうなんだぁ」
 露骨なまでに関心なさそうに相槌を打つ。
 実際のところ、安月に父親の思い出はない。
 物心つく前に亡くなったし、遊んでもらった覚えすらない。
 おそらくは、「これまではあなたを女手一つで育ててきたけれど、そろそろ自立を考えてほしい」とでも言いたいのだろう。安月はそう予測できた。
 そうでもなければ、父親の話をすることもないはずだ。
「あの人と出会ったのは私があなたと同じくらいの大学生の頃にね、山岳サークルで登山していたときだったわ。そのときは運が悪く、どしゃぶりの大雨に降られてね。ほら、ママってば雨女だから」
 当時を思い出しているのか、赤面して言われても困る。初恋の乙女の顔だ。
 話が始まってまだ何分とも経っていないが、安月はうんざりしてきていた。
 なんで急に母親と父親とのなれそめの話を聞かされなければいけないのか。
「仲間ともはぐれて遭難しちゃって。辺りは暗いし、当時の携帯電話も今ほど性能もよくないから全然通じなくて。ママも途方に暮れてたら出会っちゃったのよ」
「大変だったねぇ」
 早く話が終わらないかな、と安月も上の空だ。
「いたのよ、大きな狼が」
「……なんて?」
 日本に狼はいないはず。正確に言えばハイイロオオカミの仲間でニホンオオカミは存在していたが、とっくの昔に絶滅してしまったはずだ。
 突然の急展開に思わず、安月も素の態度で聞き返してしまう。
「ママも驚いちゃったわ。日本なのに狼がいるなんて思わなかったから」
「いやいやいやいや! それでママどうしちゃったのよ!」
「とっても優しくてね。ママを山のふもと近くまで案内してくれたの」
 荒唐無稽が過ぎる。安月も唖然としてしまっていた。
 狼というだけでも大ニュースなのに、安全な送り狼なんてギャグにもならない。
 まさかそんな真面目そうな顔をして嘘話を繰り出すなんて。
 安月は返す言葉も失ってしまう。
「それがあなたのパパよ、安月」
「はァっ!?」
 さすがに安月も裏返った素っ頓きょうな声をあげてしまう。
 話のつながりが見えてこなくて、意味が分からなかった。
「ええと、ああ、そういうこと? 狼っぽいワイルドな感じの男性だったの?」
 狼と思ったけど狼じゃなかった。無理やりだが、そういう解釈もある。
 あくまで比喩的な表現にすぎなかったのだと。
「違うわ。よぉく聞いて。あなたのパパは狼男だったの」
「男は狼なのよ、気をつけなさい、ってよく言うよね」
「あなたよくそんな古い歌知ってるわね。でも違うの。本当に本物の狼男」
 ますます持って意味が分からなくなる。
「それでママは惚れちゃってね。それからもう山登りの日々で、パパに会いに行って交際するようになったの。こうして、ママとパパの間に生まれたのがあなたなのよ。だからあなたも狼女ということ」
「ママ、お酒飲んでる? 大丈夫? 最近疲れてるんじゃないの?」
 正気の沙汰とは思えない母親の話に、安月もドン引きだ。
 おでこに手を当てて熱をはかるが、大した熱もない。
 長年ずっとシングルマザーに甘えてきた結果、心身ともに疲弊したのかと思うと、安月も罪悪感に苛まれる。
「今はまだ信じられないかもしれないけれど、パパの家系ってね、二十歳を迎えたら体が成熟して、満月の光を浴びると狼に変身しちゃうの。だから、あなたもそろそろ二十歳になるじゃない? これからは満月の夜には気を付けないといけないわ」
「ぁー……、ぁー……?」
 はっきり言って、母親の頭がおかしくなったとしか思えない。
 今どきSNSでも即ブロックか、よくてミュートされてしまいそうなとんちき話を神妙な面持ちで言ってのけるのだから娘としては心配になってしまう。
「いい? 満月の夜は気を付けるのよ」
「あ、は、はい」
 さしもの安月も実の母親に対して強く否定する気力もなかった。
 こんなになるまで自分の面倒をみてきてくれていたのだから感謝しかない。
 これからは親孝行になることを考えよう。少なくとも安月はそう思ったのだった。
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