苦肉の人体実験
ー/ー
あまりにけたたましい炸裂音。穏やかとは無縁といえる爆炎の立ち上る戦場の中、雨のような銃撃を搔い潜りながらも、疾風の如く駆け抜ける武装兵の姿があった。
彼が銃器を構えたとき、刹那の悲鳴とともに激しい銃撃音が一つ、また一つと消えていく。その僅かに生じた隙を縫うようにして、もう一つの影が戦場を走る。
大胆不敵としか言いようがない。敵の戦線に真正面から攻め込む疾風怒濤の切り込み隊長は驚くべきことに女兵だった。
男の名はサイ。女の名はバギン。二人ともルブンナ共和国の兵士である。コードネーム:タイガーの名が与えられた彼らは、今まさに戦地で恐れられるほどの脅威となりつつあった。
それこそ目にも留まらぬ速さで基地内に侵入し、中枢にまで至る。後続の兵士は二人の後を追うだけでもやっとなくらいだ。
完全なクリアリングをこなし、サイは通信端末に手を掛ける。
「チームタイガー、敵の前線基地、エリア7、制圧完了」
『了解。ご苦労だった。これより増員を送る。物資を回収次第、本部へ帰還せよ』
通信を交わし、二人の兵士は疲弊の息をこぼし、残務にあたる。それは血の流れる戦場に、僅かな静寂が訪れる、ある種の貴重なひとときでもあった。
※ ※ ※
本国にあるその拠点は、戦場とはまた違った緊迫した空気でピリピリとしていた。ここもまた、戦争を担う場所でもあり、国の未来を背負う場所でもあるためだ。
廊下をすれ違う職員たちの中にはサイとバギンに羨望の眼差しを送る者も少なくはなかった。何せ、ルブンナ共和国でも特に優秀とされる戦士なのだから。
「失礼します」
ノックを添え、サイはその扉を開く。部屋に足を踏み入れた二人に待ち構えていたのは一際また険悪に満ちた空気と、上層部の面々だ。
成果をあげてきた戦士たちの帰還を歓迎する雰囲気とはとても思えない。
「サイ君、バギン君、掛けたまえ」
司令官が重々しい言葉で着席を促す。それに従い、二人も腰を掛けた。
「先の活躍は見事なものだった。我が国は一歩前進したといってもいい」
微塵も表情を変えず、かつ威圧的な態度で褒められても、むしろ叱りつけられているような印象しかなく、二人も言葉を返さない。
「だが、承知の通り、我がルブンナ共和国は戦況においては劣勢である」
司令官の態度に怒気が含まれるのは、その言葉以上の理由はない。
結局のところ、敵国にとって脅威となりうる優秀な兵士がいるからといって、それが即ち勝利の確約になるとは限らないということだ。
「そこで次の策を打つことにした。博士、前へ」
司令官が声を掛けると、一人の白衣の男が立ち上がる。
「彼は我がルブンナ共和国が誇る軍事研究所の所長だ。この国においては科学の権威といっても差し支えない」
「ぁー……オホン。一応、生物学の分野で研究させてもらっているボシンです。サイ君に、バギン君。あなた方のような有能な兵士たちに会えて光栄に思う次第」
ボシン博士の握手に応じつつも二人は生物学、という言葉に疑問を覚えた。軍事研究所というからには兵器開発の分野が期待されていると思ったからだ。
それに何より、そんな博士と兵士二人を会わせる理由も分からなかった。
「さて、細かい挨拶は後にしてくれ。単刀直入に、策というのは強化実験だ」
「はい。私たちの開発した新薬を実践投入しようということですね!」
そこでボシン博士は鼻息を荒くする。
「新薬の名はA2-MAフォーゼ。要約するとヒトゲノムを改竄する変質薬です。かいつまんでいえば細胞の融解及び融和を促し、サンプリングされた異種細胞を効率よく取り込んで対象の能力の複製に近い作用をもたらし、結果としてヒトゲノムの限界を超過した身体能力の向上を臨むことができるだけでなく、生体特性付与なども加味すればそれこそ」
上機嫌かつ饒舌に語り倒す博士を司令官が押し止める。
「ボシン博士、薬の説明はその辺りで結構」
これからがいいところだったのに、と言わんばかりに肩を落とす博士を尻目に、司令官は仕切り直すよう咳払いする。
「聞いての通り、この新薬は身体能力の強化が期待される。よって諸君らには新薬の実験体になってもらいたい」
言葉を都合よく噛み砕きつつ言い放った司令官の一声にサイは当然の疑問を返す。
「新薬の実験ということは分かりました。しかし、実験体は我々だけなのですか?」
この場に呼ばれたのはサイとバギンだけだ。他の兵士は見当たらない。
すると、司令官からは察しろとでも言わんばかりの視線を浴びせられ、答えが返ってくる。
「……既に人体実験は最終段階に移行している」
それはつまり、何人もの兵士が犠牲になった上で、実験段階の新薬を投与しようと言い換えられた。そのリスクがどれほどのものか司令官なら分からないはずがない。
「あー、おほん。私どもの実験の中で、効力は十分に認められました。それで私から提案させていただいたのです。最強の戦士を作るために、最強のお二人の力が加われば、戦況をひっくり返せると」
「我々にはもう後がない。そして、猶予もない。分かってくれ」
あまりにも無茶がある。それでも、二人に拒否するという選択肢などなかった。
「諸君らに与える任務はこうだ。新薬を投与後、小隊を組み、規模の小さい戦場に赴いてもらう。そこでの活躍次第によって、我がルブンナ共和国の未来が決まる」
短い沈黙を隔てて、サイとバギンはお互いの顔を微かに見合わせる。
瞳の中の決意を垣間見た二人は、司令官に向き直り、二つ返事で承諾した。
※ ※ ※
戦場へ向かうヘリの中、兵士が押し詰めるその空間。
サイとバギンの二人は空を見つめるような心地で、自身の腕を見ていた。
そこには軍服の袖で隠れて見えないが、例の新薬を打たれた痕があった。
この後の活躍によって祖国の未来が左右される。そんな重いものを背負わされ、悲観的になっていた――というわけでもなかった。
ボシン博士に聞かされた話によると、二人に打たれた新薬は虎の遺伝子をベースに作られたものだという。身体能力が向上するとは頻りに謳っていたが、その薬に体が適応しなかったらどうなってしまうのか。
この戦場で、真価を発揮する前に無様に散るのかもしれないと思うと、不安が過って仕方なかったのだ。
けたたましいブレードスラップ音すらも遠く聞こえてくる。もう間もなく、新しい戦場に降り立つときだというのに、心ここにあらずといった様子。
二人の本音としては、こんな薬に頼らずとも、自身の実力には十分な実績も伴っている。兵力としての信頼が欠けていたのではという不安も大きかった。
「目標地点到達。これより降下開始する」
そうこうしているうちに、地上より遥か上空を部隊が次々にパラシュートを背負い、飛び立っていく。そこに続くようにサイとバギンも降下していった。
風をまとうようにして、戦場を真正面に臨む。
降り立つ大地は既に戦場。各々が作戦通りに動き、敵地に攻め込んでいく。
ややもすれば、穏やかではない銃撃の音が鳴り響く。
ここから求められるのは何よりも速さだ。相手は小規模な基地とはいえ、増援を呼ばれてしまえば不利となる。どれだけ素早く制圧できるかに掛かっている。
そんな緊迫した状況下、戦場に二筋の閃光が走った。
その大きさからして弾丸などでは決してない。
かといって、バイクなどの車両でもない。
疾風のごとく敵地に距離を詰めていったのは、サイとバギンだった。
元より常人離れしていた二人だったが、人間のものとは思えない俊足で走り抜けるその様は、まさに獲物を狩ろうとする虎の如し。
虎の中でも最大種のアムールトラは時速八十キロの速度で走ると云われるが、明らかにそれを超える高速で、相手の銃撃を容易く掻い潜っていく。かすらないどころの話ではない。相手の銃弾は的外れなくらい、二人の十数歩後ろに着弾するばかり。
基地に侵入されたことを把握するまでにも判断が遅れ、敵兵はその意識を失う直前に敗北を理解した。
「制圧完了」
サイの小さな声が、恐ろしく明瞭に聞こえる。そんなはず、あるわけがない。今しがた、小部隊が上空から落下してきたばかりのはずで、多くの後衛もまだ、敵地の付近には到達していない。
そんなはずがないと思っていたのに、無線越しに聞こえたその報告が、紛れもない真実である確信を抱き、勝利の雄叫びが戦場にこだました。
※ ※ ※
まだリアクションはありません。最初の一歩を踏み出しましょう!
おすすめ作品を読み込み中です…
この作品と似た作品
似た傾向の作品は見つかりませんでした。
この作品を読んだ人が読んでいる作品
読者の傾向からおすすめできる作品がありませんでした。
おすすめ作品は現在準備中です。
おすすめ作品の取得に失敗しました。時間をおいて再度お試しください。
あまりにけたたましい炸裂音。穏やかとは無縁といえる爆炎の立ち上る戦場の中、雨のような銃撃を搔い潜りながらも、疾風の如く駆け抜ける武装兵の姿があった。
彼が銃器を構えたとき、刹那の悲鳴とともに激しい銃撃音が一つ、また一つと消えていく。その僅かに生じた隙を縫うようにして、もう一つの影が戦場を走る。
大胆不敵としか言いようがない。敵の戦線に真正面から攻め込む疾風怒濤の切り込み隊長は驚くべきことに女兵だった。
男の名はサイ。女の名はバギン。二人ともルブンナ共和国の兵士である。コードネーム:タイガーの名が与えられた彼らは、今まさに戦地で恐れられるほどの脅威となりつつあった。
それこそ目にも留まらぬ速さで基地内に侵入し、中枢にまで至る。後続の兵士は二人の後を追うだけでもやっとなくらいだ。
完全なクリアリングをこなし、サイは通信端末に手を掛ける。
「チームタイガー、敵の前線基地、エリア7、制圧完了」
『了解。ご苦労だった。これより増員を送る。物資を回収次第、本部へ帰還せよ』
通信を交わし、二人の兵士は疲弊の息をこぼし、残務にあたる。それは血の流れる戦場に、僅かな静寂が訪れる、ある種の貴重なひとときでもあった。
※ ※ ※
本国にあるその拠点は、戦場とはまた違った緊迫した空気でピリピリとしていた。ここもまた、戦争を担う場所でもあり、国の未来を背負う場所でもあるためだ。
廊下をすれ違う職員たちの中にはサイとバギンに羨望の眼差しを送る者も少なくはなかった。何せ、ルブンナ共和国でも特に優秀とされる戦士なのだから。
「失礼します」
ノックを添え、サイはその扉を開く。部屋に足を踏み入れた二人に待ち構えていたのは一際また険悪に満ちた空気と、上層部の面々だ。
成果をあげてきた戦士たちの帰還を歓迎する雰囲気とはとても思えない。
「サイ君、バギン君、掛けたまえ」
司令官が重々しい言葉で着席を促す。それに従い、二人も腰を掛けた。
「先の活躍は見事なものだった。我が国は一歩前進したといってもいい」
微塵も表情を変えず、かつ威圧的な態度で褒められても、むしろ叱りつけられているような印象しかなく、二人も言葉を返さない。
「だが、承知の通り、我がルブンナ共和国は戦況においては劣勢である」
司令官の態度に怒気が含まれるのは、その言葉以上の理由はない。
結局のところ、敵国にとって脅威となりうる優秀な兵士がいるからといって、それが即ち勝利の確約になるとは限らないということだ。
「そこで次の策を打つことにした。博士、前へ」
司令官が声を掛けると、一人の白衣の男が立ち上がる。
「彼は我がルブンナ共和国が誇る軍事研究所の所長だ。この国においては科学の権威といっても差し支えない」
「ぁー……オホン。一応、生物学の分野で研究させてもらっているボシンです。サイ君に、バギン君。あなた方のような有能な兵士たちに会えて光栄に思う次第」
ボシン博士の握手に応じつつも二人は生物学、という言葉に疑問を覚えた。軍事研究所というからには兵器開発の分野が期待されていると思ったからだ。
それに何より、そんな博士と兵士二人を会わせる理由も分からなかった。
「さて、細かい挨拶は後にしてくれ。単刀直入に、策というのは強化実験だ」
「はい。私たちの開発した新薬を実践投入しようということですね!」
そこでボシン博士は鼻息を荒くする。
「新薬の名はA2-MAフォーゼ。要約するとヒトゲノムを改竄する変質薬です。かいつまんでいえば細胞の融解及び融和を促し、サンプリングされた異種細胞を効率よく取り込んで対象の能力の複製に近い作用をもたらし、結果としてヒトゲノムの限界を超過した身体能力の向上を臨むことができるだけでなく、生体特性付与なども加味すればそれこそ」
上機嫌かつ饒舌に語り倒す博士を司令官が押し止める。
「ボシン博士、薬の説明はその辺りで結構」
これからがいいところだったのに、と言わんばかりに肩を落とす博士を尻目に、司令官は仕切り直すよう咳払いする。
「聞いての通り、この新薬は身体能力の強化が期待される。よって諸君らには新薬の実験体になってもらいたい」
言葉を都合よく噛み砕きつつ言い放った司令官の一声にサイは当然の疑問を返す。
「新薬の実験ということは分かりました。しかし、実験体は我々だけなのですか?」
この場に呼ばれたのはサイとバギンだけだ。他の兵士は見当たらない。
すると、司令官からは察しろとでも言わんばかりの視線を浴びせられ、答えが返ってくる。
「……既に人体実験は最終段階に移行している」
それはつまり、何人もの兵士が犠牲になった上で、実験段階の新薬を投与しようと言い換えられた。そのリスクがどれほどのものか司令官なら分からないはずがない。
「あー、おほん。私どもの実験の中で、効力は十分に認められました。それで私から提案させていただいたのです。最強の戦士を作るために、最強のお二人の力が加われば、戦況をひっくり返せると」
「我々にはもう後がない。そして、猶予もない。分かってくれ」
あまりにも無茶がある。それでも、二人に拒否するという選択肢などなかった。
「諸君らに与える任務はこうだ。新薬を投与後、小隊を組み、規模の小さい戦場に赴いてもらう。そこでの活躍次第によって、我がルブンナ共和国の未来が決まる」
短い沈黙を隔てて、サイとバギンはお互いの顔を微かに見合わせる。
瞳の中の決意を垣間見た二人は、司令官に向き直り、二つ返事で承諾した。
※ ※ ※
戦場へ向かうヘリの中、兵士が押し詰めるその空間。
サイとバギンの二人は空を見つめるような心地で、自身の腕を見ていた。
そこには軍服の袖で隠れて見えないが、例の新薬を打たれた痕があった。
この後の活躍によって祖国の未来が左右される。そんな重いものを背負わされ、悲観的になっていた――というわけでもなかった。
ボシン博士に聞かされた話によると、二人に打たれた新薬は虎の遺伝子をベースに作られたものだという。身体能力が向上するとは頻りに謳っていたが、その薬に体が適応しなかったらどうなってしまうのか。
この戦場で、真価を発揮する前に無様に散るのかもしれないと思うと、不安が過って仕方なかったのだ。
けたたましいブレードスラップ音すらも遠く聞こえてくる。もう間もなく、新しい戦場に降り立つときだというのに、心ここにあらずといった様子。
二人の本音としては、こんな薬に頼らずとも、自身の実力には十分な実績も伴っている。兵力としての信頼が欠けていたのではという不安も大きかった。
「目標地点到達。これより降下開始する」
そうこうしているうちに、地上より遥か上空を部隊が次々にパラシュートを背負い、飛び立っていく。そこに続くようにサイとバギンも降下していった。
風をまとうようにして、戦場を真正面に臨む。
降り立つ大地は既に戦場。各々が作戦通りに動き、敵地に攻め込んでいく。
ややもすれば、穏やかではない銃撃の音が鳴り響く。
ここから求められるのは何よりも速さだ。相手は小規模な基地とはいえ、増援を呼ばれてしまえば不利となる。どれだけ素早く制圧できるかに掛かっている。
そんな緊迫した状況下、戦場に二筋の閃光が走った。
その大きさからして弾丸などでは決してない。
かといって、バイクなどの車両でもない。
疾風のごとく敵地に距離を詰めていったのは、サイとバギンだった。
元より常人離れしていた二人だったが、人間のものとは思えない俊足で走り抜けるその様は、まさに獲物を狩ろうとする虎の如し。
虎の中でも最大種のアムールトラは時速八十キロの速度で走ると云われるが、明らかにそれを超える高速で、相手の銃撃を容易く掻い潜っていく。かすらないどころの話ではない。相手の銃弾は的外れなくらい、二人の十数歩後ろに着弾するばかり。
基地に侵入されたことを把握するまでにも判断が遅れ、敵兵はその意識を失う直前に敗北を理解した。
「制圧完了」
サイの小さな声が、恐ろしく明瞭に聞こえる。そんなはず、あるわけがない。今しがた、小部隊が上空から落下してきたばかりのはずで、多くの後衛もまだ、敵地の付近には到達していない。
そんなはずがないと思っていたのに、無線越しに聞こえたその報告が、紛れもない真実である確信を抱き、勝利の雄叫びが戦場にこだました。
※ ※ ※