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一日目

ー/ー



 暗く狭い場所にいる。昼間に見えていた太陽の光は、とっくに消えていた。
「どうして、こんなことに……」
 身をよじると、傷が痛む。巻かれた布の上で、鎖が乾いた音をたてる。
 もう何日が経っただろう。口を塞がれて、声も上げられない。
 また、足音が近づいてきた。
怜司(れいじ)、お待たせ。晩御飯、遅くなっちゃったね」
 ゆっくりとドアが開く。食事を持った彼女がいた。
 長い黒髪と、桃色の服。大きなリボンが胸の上で揺れている。
 パチリと音がして、口が動くようになった。スプーンに乗った食事が目の前に差し出される。
「はい、召し上がれっ。お腹空いたでしょ?」
 彼女の言う通り、しばらく食べていなかったから腹が減っていた。俺は、黙ったまま食事をかき込む。
「ちゃんと食べてくれて良かったあ。元気なかったから心配してたんだよ?」
 彼女──ユリが嬉しそうに笑う。
 俺は、ここに閉じ込められている。目の前の「彼女」によって。
 彼女が俺の口元に手を回す。音がして、再び口が閉じられた。もう俺は逆らわない。逆らえないのだ。
「ふふ、かわいい」
 黒い瞳が三日月のように細められる。甘くささやく声が聞こえた。
「ね、怜司。あたしのこと、好き?」
(好きだよ……でも)
 俺は彼女が好きだ。こんな状況になってもなお、ユリを嫌いにはなれなかった。だってユリは俺の彼女だ。
(ユリ。俺はただ、外に出たいだけなんだ!)
 この部屋は、ほとんど身動きが取れないほど狭い。今の俺は、外はおろか、家の中ですら自由に動き回ることができないのだ。
(君のことは好きだよ。でもこんな生活、もう耐えられない……)
 気持ちを、身振りと視線で彼女に訴える。動いたせいで、傷がまた痛んだ。
「あしの傷、痛むでしょ。でも、これも君のためだから」
「痛い目見たくなかったら、大人しくしてて」
「なんであたしが怒ってるのかわかる? わからないかな?」
 前髪の奥の瞳が、俺をまっすぐに捉える。さっきまでの甘さはどこに行ったのか、責めるような視線が俺に向けられていた。
「全部、君が悪いんだからね。私のこと無視して、あんなことするから」
「当分、君はこのままだよ。君が大丈夫になって、二度とあんなことしないって反省するまで」
 触れそうな距離まで、ユリが俺に顔を近づける。
「もう絶対、逃がさないから」
 あんなこと、とはなんだろう。大丈夫とはどういう状態なのだろう。
 彼女のことはよく知っている。がんばり屋で、一生懸命で。オシャレが大好きな、俺の自慢の彼女。でも今、彼女の言っていることがわからない。
(ユリ、どうしてこんなことを)
 俺は、閉じ込められるようなことはしていない。そりゃあ俺だって、ユリ以外の女の子とも遊んだことはある。でも彼女のことは誰よりも好きだし、裏切ったこともない、はずだ。
(俺にとっての一番は、ずっとユリしかいないんだ。わかってくれ)
「心配しないでいいんだよ。君はなーんにも、しなくていいから」
 彼女の手が、俺の頬をふわりとなでる。
「だから私に全部ゆだねて、ね?」
 やがて腕が伸びてきて、そっと抱きしめられた。抵抗する力を奪う、彼女の甘い匂い。柔らかいふくらみが俺に触れ、ぎゅっと締めつけられる。
「洗い物片付けてくるから、静かにしてて。逃げようとしたって……ダメだからね?」
 ユリは俺の疑問には答えず、ドアを閉じて出ていった。
 彼女がいなくなると、言いしれぬ不安が俺を埋め尽くす。
 もしずっとこのままだったら? 想像して、ゾッとする。
 いや、彼女はきっと何か誤解しているんだ。それに気づいてくれれば、俺を解放してくれるに違いない。
 それとも、隙をついて脱出してしまおうか。いや、うまく走れない上に拘束されているから、それは不可能かもしれない。
 いつまでこんなことが続くのか。とにもかくにも、この生活のストレスで、俺の精神はもう限界が近かった。

 しばらくすると、彼女が部屋へ戻ってきた。
「よいしょっ、と……これでよし」
 どさりと音がする。見ると、戻ってきたユリが、布団を床に敷いていた。
「今日からは、あたしもこの部屋で寝るから。そのほうが怜司も安心でしょ?」
 確かに、この部屋に取り残されることに不安はあった。
 しかし夜も彼女と一緒となれば、俺の脱出はより難しくなるだろう。
「なんだか懐かしいね。小さいころはこうやって、よく一緒に寝てたでしょ?」
 彼女はそう言って、布団を被った。シーツの隙間から、潤んだ瞳が俺を見つめてくる。
 我ながら、単純だと思う。今すぐ彼女の布団にもぐりこみたい。そんな衝動がこみ上げてくる。
「ダメだって。おとなしくガマンして」
 ユリが俺に毛布をかけてくる。こんなの生殺しじゃないか。今くらいは好きにさせてくれたっていいのに。
「ね、小さいころといえばさ」
 彼女の声に、悶々とした気分から我に返る。
 俺と彼女は、小さい頃から一緒にいた。いわゆる幼馴染みという奴だ。
 今では想像もつかないが、初めて会ったころのユリは、笑わない子どもだった。晴れた日も家に閉じこもって他人を拒絶しているような、そんな少女だった。
 けれど一緒に過ごすようになってから、彼女は少しずつ、俺に笑顔を見せてくれるようになった。だんだんと変わってゆく彼女を見ながら──俺もまた、彼女に惹かれていった。
「昔、怜司が階段から落ちたこと、あったよね。あたしが転んで、巻きこまれて怜司が落ちちゃって」
 そのことは覚えていた。俺はしばらく階段が怖くなったが、ユリが無事だったのは何よりだった。
「びっくりしたなあ。あの時も怜司が死んじゃうんじゃないかって、すごく怖かったよ」
 彼女は少し遠い目をして、それからまた俺に視線を戻した。
「でも大丈夫。君のことは、あたしが絶対に守ってあげるから」
「だからこれ以上、あたしのこと困らせないで。怜司が痛くなること……あたしはしたくないから、ね」
 彼女が、俺をまっすぐ見つめている。
 俺はそんなに彼女を困らせているのだろうか。俺はただ自由になりたいだけで、彼女を困らせるつもりなんてないのに。
「じゃ、おやすみ怜司」
 暗闇にさえぎられ、ユリの姿が見えなくなる。その日は少し、よく眠れた気がした。



次のエピソードへ進む 二日目


みんなのリアクション

 暗く狭い場所にいる。昼間に見えていた太陽の光は、とっくに消えていた。
「どうして、こんなことに……」
 身をよじると、傷が痛む。巻かれた布の上で、鎖が乾いた音をたてる。
 もう何日が経っただろう。口を塞がれて、声も上げられない。
 また、足音が近づいてきた。
「|怜司《れいじ》、お待たせ。晩御飯、遅くなっちゃったね」
 ゆっくりとドアが開く。食事を持った彼女がいた。
 長い黒髪と、桃色の服。大きなリボンが胸の上で揺れている。
 パチリと音がして、口が動くようになった。スプーンに乗った食事が目の前に差し出される。
「はい、召し上がれっ。お腹空いたでしょ?」
 彼女の言う通り、しばらく食べていなかったから腹が減っていた。俺は、黙ったまま食事をかき込む。
「ちゃんと食べてくれて良かったあ。元気なかったから心配してたんだよ?」
 彼女──ユリが嬉しそうに笑う。
 俺は、ここに閉じ込められている。目の前の「彼女」によって。
 彼女が俺の口元に手を回す。音がして、再び口が閉じられた。もう俺は逆らわない。逆らえないのだ。
「ふふ、かわいい」
 黒い瞳が三日月のように細められる。甘くささやく声が聞こえた。
「ね、怜司。あたしのこと、好き?」
(好きだよ……でも)
 俺は彼女が好きだ。こんな状況になってもなお、ユリを嫌いにはなれなかった。だってユリは俺の彼女だ。
(ユリ。俺はただ、外に出たいだけなんだ!)
 この部屋は、ほとんど身動きが取れないほど狭い。今の俺は、外はおろか、家の中ですら自由に動き回ることができないのだ。
(君のことは好きだよ。でもこんな生活、もう耐えられない……)
 気持ちを、身振りと視線で彼女に訴える。動いたせいで、傷がまた痛んだ。
「あしの傷、痛むでしょ。でも、これも君のためだから」
「痛い目見たくなかったら、大人しくしてて」
「なんであたしが怒ってるのかわかる? わからないかな?」
 前髪の奥の瞳が、俺をまっすぐに捉える。さっきまでの甘さはどこに行ったのか、責めるような視線が俺に向けられていた。
「全部、君が悪いんだからね。私のこと無視して、あんなことするから」
「当分、君はこのままだよ。君が大丈夫になって、二度とあんなことしないって反省するまで」
 触れそうな距離まで、ユリが俺に顔を近づける。
「もう絶対、逃がさないから」
 あんなこと、とはなんだろう。大丈夫とはどういう状態なのだろう。
 彼女のことはよく知っている。がんばり屋で、一生懸命で。オシャレが大好きな、俺の自慢の彼女。でも今、彼女の言っていることがわからない。
(ユリ、どうしてこんなことを)
 俺は、閉じ込められるようなことはしていない。そりゃあ俺だって、ユリ以外の女の子とも遊んだことはある。でも彼女のことは誰よりも好きだし、裏切ったこともない、はずだ。
(俺にとっての一番は、ずっとユリしかいないんだ。わかってくれ)
「心配しないでいいんだよ。君はなーんにも、しなくていいから」
 彼女の手が、俺の頬をふわりとなでる。
「だから私に全部ゆだねて、ね?」
 やがて腕が伸びてきて、そっと抱きしめられた。抵抗する力を奪う、彼女の甘い匂い。柔らかいふくらみが俺に触れ、ぎゅっと締めつけられる。
「洗い物片付けてくるから、静かにしてて。逃げようとしたって……ダメだからね?」
 ユリは俺の疑問には答えず、ドアを閉じて出ていった。
 彼女がいなくなると、言いしれぬ不安が俺を埋め尽くす。
 もしずっとこのままだったら? 想像して、ゾッとする。
 いや、彼女はきっと何か誤解しているんだ。それに気づいてくれれば、俺を解放してくれるに違いない。
 それとも、隙をついて脱出してしまおうか。いや、うまく走れない上に拘束されているから、それは不可能かもしれない。
 いつまでこんなことが続くのか。とにもかくにも、この生活のストレスで、俺の精神はもう限界が近かった。
 しばらくすると、彼女が部屋へ戻ってきた。
「よいしょっ、と……これでよし」
 どさりと音がする。見ると、戻ってきたユリが、布団を床に敷いていた。
「今日からは、あたしもこの部屋で寝るから。そのほうが怜司も安心でしょ?」
 確かに、この部屋に取り残されることに不安はあった。
 しかし夜も彼女と一緒となれば、俺の脱出はより難しくなるだろう。
「なんだか懐かしいね。小さいころはこうやって、よく一緒に寝てたでしょ?」
 彼女はそう言って、布団を被った。シーツの隙間から、潤んだ瞳が俺を見つめてくる。
 我ながら、単純だと思う。今すぐ彼女の布団にもぐりこみたい。そんな衝動がこみ上げてくる。
「ダメだって。おとなしくガマンして」
 ユリが俺に毛布をかけてくる。こんなの生殺しじゃないか。今くらいは好きにさせてくれたっていいのに。
「ね、小さいころといえばさ」
 彼女の声に、悶々とした気分から我に返る。
 俺と彼女は、小さい頃から一緒にいた。いわゆる幼馴染みという奴だ。
 今では想像もつかないが、初めて会ったころのユリは、笑わない子どもだった。晴れた日も家に閉じこもって他人を拒絶しているような、そんな少女だった。
 けれど一緒に過ごすようになってから、彼女は少しずつ、俺に笑顔を見せてくれるようになった。だんだんと変わってゆく彼女を見ながら──俺もまた、彼女に惹かれていった。
「昔、怜司が階段から落ちたこと、あったよね。あたしが転んで、巻きこまれて怜司が落ちちゃって」
 そのことは覚えていた。俺はしばらく階段が怖くなったが、ユリが無事だったのは何よりだった。
「びっくりしたなあ。あの時も怜司が死んじゃうんじゃないかって、すごく怖かったよ」
 彼女は少し遠い目をして、それからまた俺に視線を戻した。
「でも大丈夫。君のことは、あたしが絶対に守ってあげるから」
「だからこれ以上、あたしのこと困らせないで。怜司が痛くなること……あたしはしたくないから、ね」
 彼女が、俺をまっすぐ見つめている。
 俺はそんなに彼女を困らせているのだろうか。俺はただ自由になりたいだけで、彼女を困らせるつもりなんてないのに。
「じゃ、おやすみ怜司」
 暗闇にさえぎられ、ユリの姿が見えなくなる。その日は少し、よく眠れた気がした。