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隆志の話

ー/ー



「ここに白い影があります。遠隔転移といって、血液やリンパを通し、原発巣(げんぱつそう)から離れた場所に転移することがあるんです」
 モニターのCT画像を指さして、医師が言った。ネームプレートには「副院長・腫瘍内科 橘誠一郎(たちばなせいいちろう)」と書かれている。沙也(さや)の主治医だ。まだ三十代に見える。やがて父親の跡を継ぎ、この「たちばな病院」の院長に就くのだろう。
「……要するに私はもう長くない、ということですよね?」
「残念ですが……」
 僕と沙也の傍らで、童顔の小柄な女性がすすり泣く。胸には「看護師 北村里奈(きたむらりな)」と名札があった。
「ほかに治療法はないんでしょうか? 県立大附属病院などでも同じですか?」
 副院長は僕の問いにかぶりを振った。「私も父もそこの腫瘍内科の医局にいました。うちは五十床と小規模ですが、この分野に関しては、レベルに大差はないはずです」
「――隆志(たかし)くん、もういいよ。二か月前の初診時から覚悟はできてる。私には悲しむ家族もいないしね」
 寂しげに、沙也が笑った。

 知り合ったのは初診の少し前、秋の大学祭の時だった。この町の隣の市には商学部と福祉学部だけの公立大がある。海に臨む一帯は、昭和の昔、漁業で栄えた。水産物加工業者がいくつも存在したのはそのためだ。経営を近代化し、跡取りを育てよう――。周辺の首長たちが話し合い、まず商学部だけの単科大が創設された。
 だがこの四半期ほど、地域は不漁に悩まされた。温暖化の影響らしいがハッキリしない。食生活の西洋化もさらに進んだ。高齢化と相まって、地域は徐々に衰退していく。若者の流出防止と介護人材育成のため、平成期に福祉学部が増設された。僕は商学部、一つ下の沙也は福祉学部に通っている。

「あとどれぐらいかな、私の命」
 三階の個室のベッドに横たわり、沙也がつぶやく。
「そんなこと訊かないでくれよ」
「隆志くんは憂い顔もイケメンだね」
 僕は何も答えなかった。角部屋の窓からは、冬の()いだ海が一望できる。

 沙也は高一の夏、この海で両親を亡くしていた。病院裏の岬から転落したのだ。遺書は見つからなかったが、心中として処理されたという。父母が勤めていた加工業者が経営難に陥って、二人に解雇をほのめかしていたからだ。親の残した保険金で、沙也は大学に進学した。
「だからだろうね、私が家族に飢えているのは」
 初めて抱いたベッドの上で、沙也はぽつりとつぶやいた。痩せた白い裸身には、いくつかの青黒い(あざ)があった。生活費を稼ぐため、時給が高い配送業のアルバイトをしているらしい。いたたまれない。僕は彼女を抱きしめて「卒業したら家族になろう」と囁いた。
 以来、沙也は毎日のように僕を求めた。僕は実家、彼女は両親が遺したマンションで暮らしている。だから抱き合うのは沙也のベッドでだった。線が細く清楚な見た目と裏腹に、裸の沙也は貪欲だった。一度きりでは満たされない。家族を失い、ぬくもりが欲しいのだろう――。僕は自分に言い聞かせ、彼女に応えた。
 秋の終わりのことだった。夕暮れ時のマンションで、沙也は僕の上になり、自ら動いて切ない声をあげていた。ドン、と小さな音がした。間を置かず、今度はドンドン、と二回続いた。そこでようやく動きを止め、沙也は両手で口を塞ぐ。
「……やだ、隣のおじいちゃんだ」
 中高時代、「部屋の音がうるさい」と何度か苦情を言われたらしい。存命だった父親が追い返すと、代わりに巡査がやってきた。
「また通報されちゃうかな……」
 沙也は繋がったまま顔を寄せ、耳元で僕にねだった。「ホテルで続きをしちゃダメかな?」

 その日から、町の外れのホテルに通った。沙也はますます大胆になっていった。備えつけの浴衣の帯で、僕は両手を縛られた。タオルで目隠しされたこともある。「動かないで」と命じられ、全身を(もてあそ)ばれた。沙也は雄叫びをあげて達すると、「ごめんね。でも気持ちよかったでしょ?」と僕の頭を毎回撫でた。陶然とした大きな瞳は、いつも涙で潤んでいた。
 ホテル代は僕が払った。週二回の家庭教師を倍にしたが、バイト代はすぐ消えた。ホテルに行くのを僕が渋ると、「家族になるって約束したよね? 私のことを嫌いになった?」と沙也は泣いた。泣きながら、キャンパスの空き教室でスカートをたくし上げた。

 彼女に病気が見つかったのは、それから間もない時期だった。

 ピンポーン、と呼び鈴の音がする。外はすで深い闇だ。病院から引きあげて、いつの間にかマンションでうたた寝していた。ノブに手を伸ばしたところで外側からドアが開く。
「ごめん、遅くなっちゃった。何か食べた?」と彼女が訊いた。
「いや、まだだよ」
「あるものを適当に食べてくれてよかったのに」
「他人の家を物色するのは気が引ける」
「生真面目だなあ。でもそういうところも嫌いじゃないよ。――ちょっと待ってて、ご飯作る」
「それよりも……」
 僕は彼女を抱きしめて、コートを脱がせ、柔らかなふくらみをまさぐった。
「もう……だったらちゃんとベッドに行こう?」
 恥じらう顔が愛おしい。僕はうなずき、彼女をその場で抱き上げた。
「ねえ……もうすぐ死んじゃうんだね」
「うん」
「これが節理なんだよね?」
 微かに消毒液の香りが漂う。ここひと月でなじんだ香りだ。肢体をベッドに横たえて、僕は彼女に口づける。
「そうだよ。里奈さんが気に病むことは、何もない」


次のエピソードへ進む 里奈の話


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「ここに白い影があります。遠隔転移といって、血液やリンパを通し、|原発巣《げんぱつそう》から離れた場所に転移することがあるんです」
 モニターのCT画像を指さして、医師が言った。ネームプレートには「副院長・腫瘍内科 |橘誠一郎《たちばなせいいちろう》」と書かれている。|沙也《さや》の主治医だ。まだ三十代に見える。やがて父親の跡を継ぎ、この「たちばな病院」の院長に就くのだろう。
「……要するに私はもう長くない、ということですよね?」
「残念ですが……」
 僕と沙也の傍らで、童顔の小柄な女性がすすり泣く。胸には「看護師 |北村里奈《きたむらりな》」と名札があった。
「ほかに治療法はないんでしょうか? 県立大附属病院などでも同じですか?」
 副院長は僕の問いにかぶりを振った。「私も父もそこの腫瘍内科の医局にいました。うちは五十床と小規模ですが、この分野に関しては、レベルに大差はないはずです」
「――|隆志《たかし》くん、もういいよ。二か月前の初診時から覚悟はできてる。私には悲しむ家族もいないしね」
 寂しげに、沙也が笑った。
 知り合ったのは初診の少し前、秋の大学祭の時だった。この町の隣の市には商学部と福祉学部だけの公立大がある。海に臨む一帯は、昭和の昔、漁業で栄えた。水産物加工業者がいくつも存在したのはそのためだ。経営を近代化し、跡取りを育てよう――。周辺の首長たちが話し合い、まず商学部だけの単科大が創設された。
 だがこの四半期ほど、地域は不漁に悩まされた。温暖化の影響らしいがハッキリしない。食生活の西洋化もさらに進んだ。高齢化と相まって、地域は徐々に衰退していく。若者の流出防止と介護人材育成のため、平成期に福祉学部が増設された。僕は商学部、一つ下の沙也は福祉学部に通っている。
「あとどれぐらいかな、私の命」
 三階の個室のベッドに横たわり、沙也がつぶやく。
「そんなこと訊かないでくれよ」
「隆志くんは憂い顔もイケメンだね」
 僕は何も答えなかった。角部屋の窓からは、冬の|凪《な》いだ海が一望できる。
 沙也は高一の夏、この海で両親を亡くしていた。病院裏の岬から転落したのだ。遺書は見つからなかったが、心中として処理されたという。父母が勤めていた加工業者が経営難に陥って、二人に解雇をほのめかしていたからだ。親の残した保険金で、沙也は大学に進学した。
「だからだろうね、私が家族に飢えているのは」
 初めて抱いたベッドの上で、沙也はぽつりとつぶやいた。痩せた白い裸身には、いくつかの青黒い|痣《あざ》があった。生活費を稼ぐため、時給が高い配送業のアルバイトをしているらしい。いたたまれない。僕は彼女を抱きしめて「卒業したら家族になろう」と囁いた。
 以来、沙也は毎日のように僕を求めた。僕は実家、彼女は両親が遺したマンションで暮らしている。だから抱き合うのは沙也のベッドでだった。線が細く清楚な見た目と裏腹に、裸の沙也は貪欲だった。一度きりでは満たされない。家族を失い、ぬくもりが欲しいのだろう――。僕は自分に言い聞かせ、彼女に応えた。
 秋の終わりのことだった。夕暮れ時のマンションで、沙也は僕の上になり、自ら動いて切ない声をあげていた。ドン、と小さな音がした。間を置かず、今度はドンドン、と二回続いた。そこでようやく動きを止め、沙也は両手で口を塞ぐ。
「……やだ、隣のおじいちゃんだ」
 中高時代、「部屋の音がうるさい」と何度か苦情を言われたらしい。存命だった父親が追い返すと、代わりに巡査がやってきた。
「また通報されちゃうかな……」
 沙也は繋がったまま顔を寄せ、耳元で僕にねだった。「ホテルで続きをしちゃダメかな?」
 その日から、町の外れのホテルに通った。沙也はますます大胆になっていった。備えつけの浴衣の帯で、僕は両手を縛られた。タオルで目隠しされたこともある。「動かないで」と命じられ、全身を|弄《もてあそ》ばれた。沙也は雄叫びをあげて達すると、「ごめんね。でも気持ちよかったでしょ?」と僕の頭を毎回撫でた。陶然とした大きな瞳は、いつも涙で潤んでいた。
 ホテル代は僕が払った。週二回の家庭教師を倍にしたが、バイト代はすぐ消えた。ホテルに行くのを僕が渋ると、「家族になるって約束したよね? 私のことを嫌いになった?」と沙也は泣いた。泣きながら、キャンパスの空き教室でスカートをたくし上げた。
 彼女に病気が見つかったのは、それから間もない時期だった。
 ピンポーン、と呼び鈴の音がする。外はすで深い闇だ。病院から引きあげて、いつの間にかマンションでうたた寝していた。ノブに手を伸ばしたところで外側からドアが開く。
「ごめん、遅くなっちゃった。何か食べた?」と彼女が訊いた。
「いや、まだだよ」
「あるものを適当に食べてくれてよかったのに」
「他人の家を物色するのは気が引ける」
「生真面目だなあ。でもそういうところも嫌いじゃないよ。――ちょっと待ってて、ご飯作る」
「それよりも……」
 僕は彼女を抱きしめて、コートを脱がせ、柔らかなふくらみをまさぐった。
「もう……だったらちゃんとベッドに行こう?」
 恥じらう顔が愛おしい。僕はうなずき、彼女をその場で抱き上げた。
「ねえ……もうすぐ死んじゃうんだね」
「うん」
「これが節理なんだよね?」
 微かに消毒液の香りが漂う。ここひと月でなじんだ香りだ。肢体をベッドに横たえて、僕は彼女に口づける。
「そうだよ。里奈さんが気に病むことは、何もない」