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二 無感情は感情の始まり

ー/ー



 イエドは居間と繋がった縁側から、裏庭の影を眺めて座っていました。それは、車椅子でした。

 イエドは振り向き、部屋の入り口に目を向けました。
 そこに立っていたユウエリマは、イエドの周りが灰色に翳っているように見えました。
「……誰だ」イエドは、かすかに裏返った声で言いました。

 彼にとってユウエリマが来ることは、ありえないことでした。

「ぼくはユウエリマだよ」ユウエリマは、朗朗とイエドへ歩み寄りました。
「な――なんの用で来たんだ」イエドは庭へ顔を向けました。

「何って、今日が卒業式だったんだよ。きみの証書と、最後の文集」ユウエリマは、鞄から大きめの封筒を取り出して渡しました。
「わざわざこれを?」それを見て、イエドは嫌そうに言いました。
「うん。届けるって言わなかったか?」
「随分前にだろ? それに、文集は……余計じゃないか」
「あ」ユウエリマはしまったと思いました。
 イエドは大きな溜め息をつきましたが、黙っていました。

「でもね、イエドが書かなかった部分には、みんなにイエドへの伝言を書いてもらったし……」
 ユウエリマはイエドの持つ封筒から文集を取り出し、細かな字で埋まった項目を開きました。
 イエドへの寄せ書きでした。
 ユウエリマはそれをイエドに見せましたが、イエドは目を封筒に移しました。
「ところでおまえ、どこに入座するんだっけ」イエドは封筒を見たまま言いました。まったく抑揚のない声でした。
「え。虎河渡劇場だけど? ほら、じいさんが活躍したヤイチ県の一座」
「そうか。……じゃあ、グダサは?」少し声が大きくなりました。
「グダサくんは、サリ市の国立演劇座らしいよ」
「あーやっぱり、そこかあ」声を押し込めながら叫びました。
 イエドは、封筒を卓の上に放り投げました。
「こっちは去年からそこに……。ああ、そうだ、卒業祝いの集まりはどうだった?」
 ユウエリマは何も言わず、文集を閉じて卓上の封筒に目をやるだけでした。

「……ユウエリマ。もしもおれが学校に居たら、みんなは気分が良くなかったに違いないぞ」イエドは嘲るように言いました。
「そんなふうに言うと、イエドが居なくて、みんな良い気分で卒業したようじゃないか?」ユウエリマはこう言ってすぐに、――そんなことないと思って言ったけれど、もしかしたら、ラヘナさんたちは、イエドが居なかったから機嫌が良かったのかもしれない――と思いました。

 ユウエリマの様子を見たイエドは、咳をして言いました。
「ふん、やっぱりそうだったんだろ? それに、おれが学校に来れば、先生はこう言ったはずだ」
 イエドは先生の真似をしました。
「イエドくんの卒業は去年から確定済みだったな。これまでよく頑張った、イエドくん! では、もう帰ってよろしいぞ。きみはここに居るべきではないのだ。――そう言ったに決まってる。〝イエド〟が居ない集まりじゃこう言ったんじゃないか?――彼のように奢れば、ああなることを、しっかり学ぶのだぞ。わたしは彼を見習えと散散に言ってきたが、ここまで手本になってくれたのだ。感謝しよう。彼にも、良いところがあったのだ。身を呈してのお手本を買って出るなんて、たいした……」

「イエド。そんなことばかり考えて過ごしてたのか?」ユウエリマは強く言いました。「先生はそんなこと言わない。今日、先生は、『イエドがくじけるのはまだ先だ、夢を叶えた後のもっと困難で、望んだような所のはずだ』と言った。そうでしょう?」
「どうして、そんなことを先生が言ったんだ?」
「わ――ぼくが、先生からその卒業証書を渡すようにと言われた後、イエドへ伝言はありませんかって訊いたから」
「また余計なことを……」イエドはそう言いながらも、先生の言ったことを考えていました。
 イエドは、しばらく黙り込みました。
 その目線は、裏庭の暗がりへ向いていました。
 ユウエリマもそこを見て立っていましたが、ふと、寂しさを感じるのでした。

 それは、イエドと自分が離れている感覚でした。
 ここに来るとき、綺麗な夕焼け空を見ていた自分と、暗い裏庭をただ見つめていたイエド。まるで、古代伝承劇の登場人物たちに重なるような気がしました。

「いや、その望んだ所は、今は夢の、また夢の先にあるとしか……」イエドはまだ考え事の中にいるのか、言葉を繋げるように言いました。
「どうしようもない……今は、ここを見るだけでいい」
 ユウエリマは、心配そうにイエドを見つめました。すると、イエドの目に涙が滲んでいたので、ユウエリマは驚きました。
「イエド? その、サリ市の大きい病院で診てもらったんだろう? どうだった……」
 何か妙な予感がしました。


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 イエドは居間と繋がった縁側から、裏庭の影を眺めて座っていました。それは、車椅子でした。
 イエドは振り向き、部屋の入り口に目を向けました。
 そこに立っていたユウエリマは、イエドの周りが灰色に翳っているように見えました。
「……誰だ」イエドは、かすかに裏返った声で言いました。
 彼にとってユウエリマが来ることは、ありえないことでした。
「ぼくはユウエリマだよ」ユウエリマは、朗朗とイエドへ歩み寄りました。
「な――なんの用で来たんだ」イエドは庭へ顔を向けました。
「何って、今日が卒業式だったんだよ。きみの証書と、最後の文集」ユウエリマは、鞄から大きめの封筒を取り出して渡しました。
「わざわざこれを?」それを見て、イエドは嫌そうに言いました。
「うん。届けるって言わなかったか?」
「随分前にだろ? それに、文集は……余計じゃないか」
「あ」ユウエリマはしまったと思いました。
 イエドは大きな溜め息をつきましたが、黙っていました。
「でもね、イエドが書かなかった部分には、みんなにイエドへの伝言を書いてもらったし……」
 ユウエリマはイエドの持つ封筒から文集を取り出し、細かな字で埋まった項目を開きました。
 イエドへの寄せ書きでした。
 ユウエリマはそれをイエドに見せましたが、イエドは目を封筒に移しました。
「ところでおまえ、どこに入座するんだっけ」イエドは封筒を見たまま言いました。まったく抑揚のない声でした。
「え。虎河渡劇場だけど? ほら、じいさんが活躍したヤイチ県の一座」
「そうか。……じゃあ、グダサは?」少し声が大きくなりました。
「グダサくんは、サリ市の国立演劇座らしいよ」
「あーやっぱり、そこかあ」声を押し込めながら叫びました。
 イエドは、封筒を卓の上に放り投げました。
「こっちは去年からそこに……。ああ、そうだ、卒業祝いの集まりはどうだった?」
 ユウエリマは何も言わず、文集を閉じて卓上の封筒に目をやるだけでした。
「……ユウエリマ。もしもおれが学校に居たら、みんなは気分が良くなかったに違いないぞ」イエドは嘲るように言いました。
「そんなふうに言うと、イエドが居なくて、みんな良い気分で卒業したようじゃないか?」ユウエリマはこう言ってすぐに、――そんなことないと思って言ったけれど、もしかしたら、ラヘナさんたちは、イエドが居なかったから機嫌が良かったのかもしれない――と思いました。
 ユウエリマの様子を見たイエドは、咳をして言いました。
「ふん、やっぱりそうだったんだろ? それに、おれが学校に来れば、先生はこう言ったはずだ」
 イエドは先生の真似をしました。
「イエドくんの卒業は去年から確定済みだったな。これまでよく頑張った、イエドくん! では、もう帰ってよろしいぞ。きみはここに居るべきではないのだ。――そう言ったに決まってる。〝イエド〟が居ない集まりじゃこう言ったんじゃないか?――彼のように奢れば、ああなることを、しっかり学ぶのだぞ。わたしは彼を見習えと散散に言ってきたが、ここまで手本になってくれたのだ。感謝しよう。彼にも、良いところがあったのだ。身を呈してのお手本を買って出るなんて、たいした……」
「イエド。そんなことばかり考えて過ごしてたのか?」ユウエリマは強く言いました。「先生はそんなこと言わない。今日、先生は、『イエドがくじけるのはまだ先だ、夢を叶えた後のもっと困難で、望んだような所のはずだ』と言った。そうでしょう?」
「どうして、そんなことを先生が言ったんだ?」
「わ――ぼくが、先生からその卒業証書を渡すようにと言われた後、イエドへ伝言はありませんかって訊いたから」
「また余計なことを……」イエドはそう言いながらも、先生の言ったことを考えていました。
 イエドは、しばらく黙り込みました。
 その目線は、裏庭の暗がりへ向いていました。
 ユウエリマもそこを見て立っていましたが、ふと、寂しさを感じるのでした。
 それは、イエドと自分が離れている感覚でした。
 ここに来るとき、綺麗な夕焼け空を見ていた自分と、暗い裏庭をただ見つめていたイエド。まるで、古代伝承劇の登場人物たちに重なるような気がしました。
「いや、その望んだ所は、今は夢の、また夢の先にあるとしか……」イエドはまだ考え事の中にいるのか、言葉を繋げるように言いました。
「どうしようもない……今は、ここを見るだけでいい」
 ユウエリマは、心配そうにイエドを見つめました。すると、イエドの目に涙が滲んでいたので、ユウエリマは驚きました。
「イエド? その、サリ市の大きい病院で診てもらったんだろう? どうだった……」
 何か妙な予感がしました。