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第一話 少年

ー/ー



 稀代の英雄が最期を迎えようとしていた。
しかし、寝台に横たわる彼に群がる重臣たちは、快復を祈るのではなく、ただ一つの言葉を聞き出そうとしているのである。

「陛下、後継者はどうなさるのです」

「お世継ぎは」

「じ後の指揮は誰が」

「帝国は誰が切り盛りを」

口々に同様のことを聞き出そうとする配下の将軍たちに、若き英雄王は遂に苛立ちを爆発させた。

「余の帝国は……最強の者が継げ」

そう吐き捨てるように言うと、彼はがっくりと項垂れ、そのまま息を引き取った。
全ギリシアの統一のみならず、ペルシア帝国を滅亡させ、インドに攻め入り、マケドニアを世界帝国に押し上げた大英雄、アレクサンドロス大王はこうして死んだのである。
極めて迷惑な遺言を残して。
アレクサンドロス大王の幕僚の多くはペラの士官学校を大王とともに学んだ同級生であり、そうでない者は大王の父フィリッポス王の時代から活躍した歴戦の勇士である。
そんな連中だから、皆が「我こそは最強の者なり」と相争う、混迷の時代が訪れた。
これを、後継者戦争と言う。
この物語は、後継者戦争で名を馳せた、攻囲王デメトリオスを描いたものである。



「父上、デメトリオスが戻りましたぞ」

狩から戻ってきたその若者は、父の傍に駆け寄って頬に口付けし、投げ槍を持ったままその足下に座った。
アンティゴノスに謁見を求めてやってきた使節団は、その様子を見て目を丸くした。
神算鬼謀のエウメネスを降して、後継者のうち最有力に躍り出たアンティゴノスが、息子にここまで気を許してしいるというのは俄に信じがたい話だったのだ。

「使節の皆さん、この事も是非報告してもらいたい。 我ら父子は互いにこのような関係なのです」

アンティゴノスは片目を細めて笑った。
親子の良好な関係は、自身とその勢力の安定を物語る、そう考えての発言であった。
器用に片目だけ細めたというわけではなく、アンティゴノスは隻眼の将軍だった。
戦傷による隻眼は大王の父フィリッポス王も同じであったため、彼はフィリッポスの影武者をつとめたことにより、栄達の端緒を掴んだのである。
片目と元来の彫りの深さから恐ろしげな風貌のアンティゴノスと対照的に、息子のデメトリオスは美男子であった。
その顔には愛嬌と品位と、そして柔和な甘美の色があった。

「デメトリオス、猪は何頭やっつけたんだ」

「ミトリダテス、それは夕食までお楽しみにしておけよ」

使節団は再びざわめいた。
デメトリオスが大親友かのように笑い合うミトリダテスなる若者は、隣国からの人質だったからである。
見た目だけでなく、人当たりがよく、周囲の者に分け隔てなく接するデメトリオスは、いつしか父の名声に拠らずとも衆望を集めるようになっていた。


 「ミトリダテスを殺すことに決めた」

唐突にそう言う父アンティゴノスに、さすがのデメトリオスも困惑を隠せない。

「それは、いったいどうしてです」

アンティゴノスは眼帯を押さえて唸るように続ける。

「悪い夢を見たのでな」

アンティゴノスの語る夢は次のようなものだった。
アンティゴノスが広々とした美しい畑に黄金を撒くと、黄金の穀物が生えてきた。
アンティゴノスが鎌を取って戻ってくると、すっかり黄金の穀物は刈り取られた後だった。
怒って周囲に尋ねると、ミトリダテスが全て刈り取って黒海に逃げたのだ、と言う。

「不吉な夢であろう。 というわけであいつは殺す。 他言するなよ」

デメトリオスは父に誓った手前、他言することはなかった。
しかし、さりとて友人を見殺しにすることもよしとしないのが、デメトリオスという男であった。
デメトリオスは友人達と連れ立って遊んでいる時に、ミトリダテスだけを引っ張ってその輪から抜け、地面に槍の石突でこのように書いた。

逃げろ。

デメトリオスにも劣らず才気煥発な若者であったミトリダテスは、この一句をもって全てを察し、その夜にはカッパドキアに逃げ去った。
アンティゴノスの夢は正夢であった。
というのも、広範で肥沃な領土を征服し、ローマ帝国に滅ぼされるまで八代も代を重ねたポントス王家を開いたのがこのミトリダテスだったのである。
アンティゴノスは息子の行為に気が付いたが、その機転に感心し、罰を与えるようなことはしなかった。


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 稀代の英雄が最期を迎えようとしていた。
しかし、寝台に横たわる彼に群がる重臣たちは、快復を祈るのではなく、ただ一つの言葉を聞き出そうとしているのである。
「陛下、後継者はどうなさるのです」
「お世継ぎは」
「じ後の指揮は誰が」
「帝国は誰が切り盛りを」
口々に同様のことを聞き出そうとする配下の将軍たちに、若き英雄王は遂に苛立ちを爆発させた。
「余の帝国は……最強の者が継げ」
そう吐き捨てるように言うと、彼はがっくりと項垂れ、そのまま息を引き取った。
全ギリシアの統一のみならず、ペルシア帝国を滅亡させ、インドに攻め入り、マケドニアを世界帝国に押し上げた大英雄、アレクサンドロス大王はこうして死んだのである。
極めて迷惑な遺言を残して。
アレクサンドロス大王の幕僚の多くはペラの士官学校を大王とともに学んだ同級生であり、そうでない者は大王の父フィリッポス王の時代から活躍した歴戦の勇士である。
そんな連中だから、皆が「我こそは最強の者なり」と相争う、混迷の時代が訪れた。
これを、後継者戦争と言う。
この物語は、後継者戦争で名を馳せた、攻囲王デメトリオスを描いたものである。
「父上、デメトリオスが戻りましたぞ」
狩から戻ってきたその若者は、父の傍に駆け寄って頬に口付けし、投げ槍を持ったままその足下に座った。
アンティゴノスに謁見を求めてやってきた使節団は、その様子を見て目を丸くした。
神算鬼謀のエウメネスを降して、後継者のうち最有力に躍り出たアンティゴノスが、息子にここまで気を許してしいるというのは俄に信じがたい話だったのだ。
「使節の皆さん、この事も是非報告してもらいたい。 我ら父子は互いにこのような関係なのです」
アンティゴノスは片目を細めて笑った。
親子の良好な関係は、自身とその勢力の安定を物語る、そう考えての発言であった。
器用に片目だけ細めたというわけではなく、アンティゴノスは隻眼の将軍だった。
戦傷による隻眼は大王の父フィリッポス王も同じであったため、彼はフィリッポスの影武者をつとめたことにより、栄達の端緒を掴んだのである。
片目と元来の彫りの深さから恐ろしげな風貌のアンティゴノスと対照的に、息子のデメトリオスは美男子であった。
その顔には愛嬌と品位と、そして柔和な甘美の色があった。
「デメトリオス、猪は何頭やっつけたんだ」
「ミトリダテス、それは夕食までお楽しみにしておけよ」
使節団は再びざわめいた。
デメトリオスが大親友かのように笑い合うミトリダテスなる若者は、隣国からの人質だったからである。
見た目だけでなく、人当たりがよく、周囲の者に分け隔てなく接するデメトリオスは、いつしか父の名声に拠らずとも衆望を集めるようになっていた。

 「ミトリダテスを殺すことに決めた」
唐突にそう言う父アンティゴノスに、さすがのデメトリオスも困惑を隠せない。
「それは、いったいどうしてです」
アンティゴノスは眼帯を押さえて唸るように続ける。
「悪い夢を見たのでな」
アンティゴノスの語る夢は次のようなものだった。
アンティゴノスが広々とした美しい畑に黄金を撒くと、黄金の穀物が生えてきた。
アンティゴノスが鎌を取って戻ってくると、すっかり黄金の穀物は刈り取られた後だった。
怒って周囲に尋ねると、ミトリダテスが全て刈り取って黒海に逃げたのだ、と言う。
「不吉な夢であろう。 というわけであいつは殺す。 他言するなよ」
デメトリオスは父に誓った手前、他言することはなかった。
しかし、さりとて友人を見殺しにすることもよしとしないのが、デメトリオスという男であった。
デメトリオスは友人達と連れ立って遊んでいる時に、ミトリダテスだけを引っ張ってその輪から抜け、地面に槍の石突でこのように書いた。
逃げろ。
デメトリオスにも劣らず才気煥発な若者であったミトリダテスは、この一句をもって全てを察し、その夜にはカッパドキアに逃げ去った。
アンティゴノスの夢は正夢であった。
というのも、広範で肥沃な領土を征服し、ローマ帝国に滅ぼされるまで八代も代を重ねたポントス王家を開いたのがこのミトリダテスだったのである。
アンティゴノスは息子の行為に気が付いたが、その機転に感心し、罰を与えるようなことはしなかった。