第一話 訓練の朝
ー/ー「リノア、起きたかー? そろそろ訓練の時間だぞー!」
まだ朝の空気がひんやりしている。窓の外から差し込む光は柔らかく、家の床に細長い四角を描いていた。
いつもならカルレンが声をかけてから、布団の中でごろごろと駄々をこねるはずの娘に向かって、今日も同じように声を張る。
「もう庭にいるよ! おとうさん、早くきてー!!」
元気いっぱいの声が、家の壁を突き抜けるように響いた。
「……もうだと?」
寝起きのぐずりどころか、すでに庭で待っている。
カルレンは思わず苦笑し、肩をすくめる。
「ほんとに、あの子は……」
呟きながら扉を開けると、冷たい朝の空気がすっと頬を撫でていった。
鼻の奥に、少し湿った土と草の匂いが混じる。
外に出ると、そこには見慣れた庭の光景——の真ん中で、両足をしっかりと開いて立つ小さな背中があった。
「……お」
カルレンは思わず声を漏らした。
リノアは裸足のつま先で土をつかむように立ち、両手を胸の前にすっと差し出している。
まだ五歳とは思えないほど、姿勢はまっすぐで、ふらつきがない。
風が吹き、白銀の髪がふわりと揺れた。
「……」
彼女は目を固く閉じていた。
眉間には少しだけしわが寄っていて、集中しているのが遠目にもわかる。
(本当に、よくここまで……)
カルレンは、少しだけ胸が熱くなるのを感じた。
やがて、リノアの両手のひらの上で、空気の揺らぎが生まれる。
ふわりと緑がかった光が、霧のように集まり始めた。
光は最初は頼りなく揺れていたが、呼吸に合わせて次第に明るさを増していく。
「――アネマ!」
小さな声が、庭に響く。
次の瞬間、光は風を巻き込み、螺旋を描きながら一直線に走り出した。
風の塊が矢のように飛び、数メートル先の木の表面に叩きつけられる。
ガキンッ、と硬い音がして、木肌がえぐれるように抉れた。
剥がれた樹皮がぱらぱらと落ち、地面に小さな破片が散らばる。
「……おお」
カルレンは思わず感嘆の声を漏らした。
「どう? おとうさん! 最初のころより上手になったでしょ♪」
くるっと振り向いたリノアが、両手を腰に当てて胸を張る。
“ほめろほめろ!”と全身で主張しているような、得意満面の顔だった。
「ははっ……」
カルレンは、堪えきれずに笑ってしまった。
「わあーっ、なんで笑うのっ!」
リノアは頬をぷくっと膨らませる。
その様子がまた可愛くて、カルレンはさらに笑いそうになったが、慌てて咳払いをした。
「ご、ごめんごめん。笑ったのは馬鹿にしたからじゃないぞ。
最初のころを思い出してさ。あまりに上達が早くて、おとうさんびっくりしたんだ」
「……ほんと?」
「本当だとも」
カルレンはリノアのところまで歩いていき、そっと頭に手を置いた。
指先に伝わる髪の感触は柔らかく、撫でるたびにリノアの顔から不満の影が薄れていく。
「えへへ……じゃあ、許してあげる」
頬を膨らませていた口元がゆるんで、にへらっとした笑みに変わった。
⸻
この世界には、風・火・水・土・雷・氷・光の七属性の魔法が存在する。
人(亜人を含む)は、誰しもそのうちのどれか一つの属性を持って生まれ、稀に二属性持ちとして生まれてくる者もいる。
そして——聖女は、必ず光属性に加え、もう一つの属性を生まれながらに宿す。
⸻
「おとうさん!」
撫でられた頭を振り払うように、リノアはくるりとカルレンの前に回り込んだ。
「アネマの、もっと強い魔法が見たい! この前見せてくれたやつ! おとうさんがドカーンってやるやつ!」
手振りまで付けて、ドカーンのところで両手を大きく広げてみせる。
「そんな雑な説明あるか……」
カルレンは苦笑したが、嬉しそうに口元が緩むのは止められなかった。
「けど、まぁ……いいか。今日は調子も良さそうだしな」
そう呟いて、森の縁へと歩いていく。リノアもトタトタと小走りでついてくる。
カルレンは木々の前で足を止め、軽く首を回して肩の力を抜いた。
右手を胸の前に持っていき、掌を正面に向ける。
「よく見てろよ、リノア」
「うん!」
リノアは、さっき自分が立っていたのと同じように、足を開いて構え直した。
わくわくが抑えきれていないのか、体がわずかに弾む。
カルレンはひとつ深く息を吸い、ゆっくり吐く。
それに合わせるように、掌の前の空気がぐっと引き寄せられる感覚が走った。
緑色の光がじわじわと集まり始める。
さきほどリノアが出した光よりも、色は濃く、揺らぎも力強い。
風が渦を巻き、草がざわざわと逆立ち、足元の砂をさらっていく。
「――アネマエル!」
声と同時に、集まった風が弾かれたように前方へ放たれた。
光の帯の中心には、圧縮された風の塊がある。
その螺旋状の軌跡は、目で追い切れないほどの速さで伸びていく。
五十メートルほど先まで、一瞬で到達したそれは、前方に立つ木々をまとめて薙ぎ払った。
バキバキバキッ、と木が折れる重い音が周囲に響き、折れた枝葉がばさばさと落ちていく。
遅れて吹き抜けた余波が、カルレンとリノアの髪と服を強く揺らした。
しばらく、森が静まり返った。
カルレンは、さも当然といった顔でドヤっと親指を立ててみせる。
「こんな感じだ」
「すごい! すごいすごい!! おとうさん、今の! ブワーってなって、ドオーンってなった!!」
リノアは飛び跳ねながら、さっきよりも大げさな手振りで再現しようとする。
「ブワーとドーンの違いが、おとうさんにはあまりわからないな……」
「ちがうもん! さっきのわたしのは、ブワッ、って感じで、今のおとうさんのは、ブワァァァドオーーン! だもん!」
「……なるほど、なんとなく勢いは伝わった」
カルレンは思わず笑ってしまい、肩を震わせた。
「おとうさん、わたしも撃てるかな!? あれやりたい! ドカーンってやりたい!!」
リノアはくるっと森のほうを振り向き、すでにやる気満々である。
「よし、やってみろ。さっきと同じように構えて……おとうさんの真似をするんだ」
「うん! 見ててね!」
リノアは地面をぎゅっと踏みしめ、両手を前へ突き出した。
息を呑んだのが分かるくらい、体の力が一瞬にして集中していく。
掌の前に、小さな緑の光がじわりと現れる。
それはさっきのアネマよりも、少しだけ色が濃いように見えた。
「――アネマエル!」
勢いよく名を呼ぶ。
だが次の瞬間、光はパチンと弾けるように砕け、霧散した。
「えっ……?」
リノアはぽかんとした表情で、自分の掌を見つめた。
「なんで……? どうして魔法が出ないの?」
カルレンはすぐにリノアのそばに歩み寄り、膝をついて目線を合わせた。
「いまのはな、中級魔法なんだ」
「ちゅうきゅう……?」
「魔法には、下級・中級・上級の三段階がある。
中級には“エル”、上級には“エドル”が付く。
さっきリノアが撃った“アネマ”は下級、いま挑戦した“アネマエル”は中級だ」
「ふむふむ」
「中級は、下級よりもたくさんのマナが要る。マナが足りないと……今みたいに、途中で弾けて消えてしまう」
「……そっかぁ」
リノアは自分の手をぎゅっと握って、少ししょんぼりと唇を尖らせた。
「じゃあ、マナを増やすにはどうしたらいいの?」
「体力と似ているよ。走ったり、動いたりしていると疲れるだろう?」
「うん。いっぱい走ると、あつくなって『はぁはぁ』する」
リノアはその場で軽く足踏みして、わざとらしく肩で息をする真似をした。
「そうそう。だけど、寝たりご飯を食べたりすれば体力は戻る。
マナも同じだ。魔法を撃つと減って、休めば戻る。
でな、使って休んでを繰り返すうちに、少しずつ“たくさん使えるようになっていく”んだ」
「ふむ……」
リノアは難しい話を必死で噛み砕こうとしている顔になった。
「じゃあさ! いっぱい撃てば、いっぱい増えるんだよね!」
「理屈だけ言えば、そうだな」
「よし! じゃあ今日から、ドンドン撃つ!! えいえいおー!!」
「……いや、ちょっと待て。問題はそこからだ」
カルレンは苦笑して、手をひらひらと振る。
「マナが減ると、体が重くなる。風邪をひいた時みたいにな。
それでも構わず撃ち続けると、『マナ欠乏症』ってやつになる」
「マナけつ……ぼうしょう?」
初めて聞く言葉に、リノアは首をかしげる。
「頭痛。体中の痛み。ひどいと、立ち上がることもできない。
無理に動こうとすると、激痛が走る。そういう状態だ」
「……えぇ~……それはイヤ……」
リノアは思わずお腹を押さえて、身を縮める。まるで今痛みが来たかのような顔だ。
「治るの?」
「人による。完全に治った者もいるし、ずっと体が重いままの者もいる。
だからな——」
カルレンは真剣な声で続けた。
「リノア。無理は絶対にするな。いいな?」
「…………」
リノアは一瞬、不安そうに目を伏せた。
さっきまでの元気が、少しだけ萎んでしまったようにも見える。
カルレンは内心で(脅かしすぎたか)と反省しつつ、わざと明るい声を出した。
「よし! 話はここまでだ。気分転換に、新しい魔法を教えてやろう」
「えっ、新しい魔法!?」
ぱっとリノアの顔が明るくなる。光のスイッチが入ったような変化だった。
「どんなの!? ドカーン? それとも、バリバリってなるやつ?」
「おまえの擬音は、ほんとに元気だな……」
カルレンは笑いながら指を一本立てた。
「あの木を、真っ二つに割る」
「え、真っ二つ!? そんなことできるの!?」
「できるさ。風を刃の形にするんだ。『アネマ・ラミーナ』、よく見ていろ」
カルレンは一本の木を見定め、その幹へと右手を向けた。
さきほどのようにマナを集めるが、今度は“圧縮する”のではなく、“細く、鋭く伸ばす”イメージを意識する。
掌の前の空気が、キン、と冷たく引き締まった感じがした。
風が線を描くようにまとまり、足元の草が一本一本、同じ方向へなびいていく。
「――アネマ・ラミーナ!」
鋭い声とともに、風が走る。
ビュオッ、と短く鋭い音がして、狙った木の幹を“何か”が切り裂いた。
次の瞬間——。
メキッ、と鈍い音。
太い木の幹が、上から下まで綺麗に縦へと割れ、そのまま左右に倒れていく。
切り口は驚くほど滑らかで、まるで大きな包丁で切ったかのようだった。
「うわぁぁ!! すごい!! 今の! ブワァってなって、シュパってなった!!」
リノアは跳ね回りながら、さっきよりもさらに意味不明なジェスチャーで再現しようとする。
「さっきのより形容が分かりにくいぞ……」
「でも、すごいのはわかるでしょ!?」
「それは分かる。これは便利な魔法だ。狩りにも、薪集めにも役立つ。
リノア、お前も覚えておけ」
「教えて教えて!!」
リノアは今にも飛びつきそうな勢いで身を乗り出した。
「はいはい、落ち着け。魔法はな、イメージで形が変わる」
カルレンは先ほど割れた木の幹に手を置き、その断面を軽く叩く。
「いまのは、“風が一本の刃になる”イメージをした。
刃物を思い浮かべて、その刃を風に置き換えるような感じだ。
リノアも、頭の中でしっかり形を作ってから撃ってみるんだ」
「……わかった」
リノアはこくりと頷き、小さく息を吐いた。
さっきまでのテンションの高さを、自分で抑えようとしているのがわかる。
(本当に、切り替えが早い……)
カルレンはその姿に感心しつつ、一歩下がって見守る。
リノアは少し目を閉じ、両手を前へ差し出した。
さきほど見た“真っ二つの木”を思い浮かべている。
風が一本の線になる。
線が光を帯びて、刃になる。
それが木の幹をシュッと切る——。
頭の中で何度も繰り返し、イメージを固める。
「……よし」
ゆっくりと目を開けて、目の前の木に手のひらを向けた。
「――アネマ・ラミーナ!!」
彼女の掛け声はさっきよりも、わずかに低く、落ち着いていた。
瞬間、空気が鋭く震える。
ビュン、と短い風切り音。
狙った木の幹が、縦に“スパッ”と割れた。
「……え?」
リノア自身が一番驚いたように目を見開き、その直後——
「おとうさん! 見て! 見て見て!! できた!! できたぁ!!」
自分の胸の前で両手をぎゅっと握って、ぴょんぴょん飛び跳ねる。
カルレンは目を見開いたまま、割れた木とリノアを交互に見た。
(……一度見ただけ。それも説明込みとはいえ、初見の術を、ここまでの威力で再現……?)
十三歳の弟子たちでも、初めて使うときにはたいてい軌道がぶれたり、威力が足りずに表面を掠めるだけで終わることが多い。
それが今——五歳の娘は、ほぼ完璧にやってのけた。
「リノア……すごいぞ。本当にすごい。完璧だ」
「えへへ! でしょ! わたし天才だからね~!」
リノアは胸を張りながら、腰に手を当てて勝ち誇ったポーズを取る。
「天才だ。おとうさんが保証する。
リノアは魔法一本で鍛える。本来、魔法職は後ろで支援が多いが——」
カルレンは、リノアの両肩に両手を置いた。
「お前は前に出る魔法使いにする」
「まえ?」
「そうだ。敵の攻撃を避けて、隙を突いて、自分から前に出て戦える魔法使いだ」
「うーん、なんかかっこいい! よくわかんないけどかっこいい!!」
「ははっ。かっこいいなら、それでよしだ」
リノアの顔は嬉しさでいっぱいだった。
カルレンもつられて笑う。
「おとうさん、なんで笑ってるの?」
「ふふっ……いや、なんでもない。——よし」
カルレンは一度大きく伸びをして、気持ちを切り替えるように息を吸い込んだ。
「魔法はいいとして、まずは動ける体を作らないとな」
「動ける体?」
「そうだ。いくら魔法が強くても、動きが鈍ければ狙われ放題だ。
敵の攻撃を避けて、隙を突くために——体を鍛える」
「どうやって鍛えるの?」
「森で走る」
即答だった。
「凸凹の道、坂、ぬかるみ。そういう場所を走れば、全身の筋肉とスタミナが鍛えられる」
「えぇ~……走るだけ?」
リノアはあからさまに面白くなさそうな顔をする。
「ただ走るだけなんて、つまんないよ~」
「じゃあ——狩りも兼ねようか」
「……狩り?」
「逃げる獲物を追えば、体力も判断力も一緒に鍛えられる。
ここらの森には凶暴な魔物はいないしな。一石二鳥だ」
「いっせき、にちょう……?」
「一回で二つ美味しい、ってことだ」
「ふーん……」
リノアは腕を組んで、うーんと唸るふりをした。
「でもさ、いきなりそんなの無理だよ~」
「大丈夫だ。おとうさんも一緒にいる」
カルレンは、真剣な目でリノアを見つめる。
「試練を全部クリアするんだろ、リノア。
そのために、今から準備するんだ」
少しの沈黙。
リノアはカルレンの顔をじっと見つめていた。
——その瞳の中には、不安と、それを上回る決意が入り混じっている。
⸻
リノアは、母の温もりを知らない。
二歳のときに亡くなったと、父カルレンから聞かされている。
村へ行けば、同じ年頃の子が両親と手をつないで歩いている。
夕暮れになると、家々から母の声と子どもの笑い声がこぼれる。
——どうして私には、おかあさんがいないの?
どんな顔で、どんな声で、私の名を呼ぶの?
胸が締めつけられるたび、リノアは拳をぎゅっと握る。
けれど彼女は知っている。
聖女が全ての塔を制覇すれば、願いが叶うということを。
「おかあさんを生き返らせたい。手をつなぎたい。抱きしめてもらいたい。
四人で暮らしたい」
自分の頬をぺちんと叩いて、リノアは顔を上げた。
目の奥に、さっきよりも強い光が宿る。
「おとうさん!」
リノアはぐっと拳を握りしめ、カルレンの正面に立った。
「わたし強くなる! 塔を全部クリアして、おかあさんを生き返らせる!
だから、訓練、すごく頑張る!!」
五歳とは思えぬ力強い瞳だった。
カルレンは、その目に妻レノラの面影を重ねた。
覚悟を決めたとき、あの人もこんな目をしていた。
「……レノラと同じ目だ。うちの娘たちは、本当に逞しいな」
胸の奥に、嬉しさと少しの寂しさが混ざった、不思議な感情が広がる。
それでも、心は確かに温かかった。
「よし。じゃあ——まずは、今晩の飯だな」
カルレンはわざとらしく腰に手を当て、声を張る。
「飯?」
「そうだ。今晩の飯を狩りに行くぞ!」
力強く宣言すると、リノアも負けじと拳を握りしめた。
「うんっ!!」
⸻
「おとうさん、今から何を狩るの?」
家の横の小道を森へ向かって歩きながら、リノアが横から覗き込むように聞いてくる。
「うさぎだ」
「え、うさぎ? ビッグボアじゃないの?」
「ビッグボアなんて危険すぎる。あれは、もう少し大きくなってからだ」
カルレンは即答した。
頭の中に、暴れ回る巨大な猪の姿がよぎる。あんなものに五歳児を近づける気は、一切ない。
「うさぎなんて小さいし、すぐ捕まえられるよ!」
「侮るな。小さくてすばしっこい。
動きながら魔法を撃つ訓練には、うってつけなんだ」
「んー……そっかぁ。じゃあ、やってみる!」
リノアは、あっという間に前向きに切り替えた。
「その前に、水筒だ。持っていくぞ。走り回ると喉が渇く」
「あ、そうだね!」
二人はいったん家に戻り、木の棚から水筒を二つ取り出した。
革でできた丸い水筒は、すでに何度も使った跡があるが、まだまだ現役だ。
カルレンは、棚の奥に手を伸ばし、掌に収まるほどの水色の魔石を取り出した。
透明感のある青色の石は、光にかざすと内部でゆらゆらと波が揺れているように見える。
「おとうさん、それ好きだよね、その石」
「まぁな。便利だからな」
カルレンは水筒の蓋を開け、魔石をその上にかざした。
すると、石の内部がふわりと光り、冷たそうな水がさらさらと溢れ出す。
ぽたり、ぽたり、と最初は静かに。
それから少し勢いを増して、あっという間に水筒が満たされていく。
「おおー……」
リノアは毎回見ているはずなのに、今日も感心したように目を丸くした。
「魔石ってほんと便利だね。井戸から水を持ってこなくていいもんね」
「ああ。小さなものなら安いし、水汲みの手間も省ける」
カルレンは次の水筒にも同じように水を注ぎながら答える。
「赤い魔石は、火が出るんだよね?」
「ああ。家族の誰も火魔法の適性がないから、あれも助かっている」
「わたしって、風と光の適性でしょ?」
「そうだ」
「適性外の魔法って、ほんとに使えないの?」
「少なくとも、おとうさんとリノアではまったく反応がなかったな。
火の魔法を試してみたが、指先がぬるくなったくらいで終わった」
「ぬるい火ってなにそれー。ぜんぜん燃えなさそう」
リノアはけらけら笑いながら、今度は自分の指をじっと見つめた。
「それなら、魔石、ほんと助かるね!」
「そういうことだ」
二つの水筒が満たされると、カルレンは魔石を布に包んで大事そうにしまい込んだ。
「よし。準備完了だな。——行くぞ、うさぎ取りだ」
「うん! 行こう、おとうさん!」
リノアは元気よく返事をし、扉のほうへ駆けだした。
⸻
家を出て少し歩けば、そこはもう森だった。
足元の土は、村の道より柔らかく、踏みしめるたびにわずかに沈む。
落ち葉が重なり合っている場所もあり、そこを踏むと、かさかさと乾いた音が鳴った。
頭上では、木々の枝が互いに重なり合い、日差しを細かく刻んで地面に落としている。
ところどころ、葉の隙間からこぼれる光がスポットライトのように地面を照らし、風が吹くたび揺れて形を変えた。
「ひさしぶりの森だぁ」
リノアは両手を大きく広げて、くるっとその場で一回転した。
その頬はほんのり紅潮していて、目は好奇心で輝いている。
「そんなに久しぶりでもないだろう。こないだも一緒に薬草を取りに来たじゃないか」
「でも、そのときは『走っちゃだめ』って言われたもん!」
「採りたい草を踏み潰しそうだったからな」
カルレンは思わず苦笑する。
森の奥からは、鳥のさえずりが聞こえる。高く澄んだ声と、低く短い鳴き声が混じり合って、森全体が小さな音楽を奏でているようだ。
どこかで虫が羽音を立て、遠くでは小さな獣が走り去る気配がある。
風が、葉の間を抜けていく音。
ときどき、頭上から乾いた枝がひとつ落ちてくる“コトン”という小さな音。
ただ歩いているだけなのに、森は忙しい。
「……ねえ、おとうさん」
「ん?」
「ここで一人だったら、ぜったい迷子になるね」
「だろうな」
カルレンはあっさり認めた。
「だから、森に入るときは必ず誰か大人と一緒。これ、覚えておけ」
「はーい」
返事は元気だが、どこまで真面目に聞いているかは怪しい。
それでも、今のリノアには、カルレンの背中が“絶対の目印”だ。
しばらく歩いていると——。
ふと、前方の低い茂みの影が、ぴくりと動いた。
「……」
カルレンは思わず歩を緩める。
リノアも、その空気の変化を感じ取ったのか、ぴたりと足を止めた。
「おとうさん?」
「しっ——静かに」
カルレンは小さく囁くと、手で前方を指し示す。
茂みの隙間から、小さな白っぽい塊が見えた。
長い耳。ぴくぴくと動く鼻。
草をはむように首を動かしている。
「……うさぎだ」
「ほんとだ!」
リノアの声は、興奮で一段高くなりかけたが、ギリギリのところで自分で押さえ込んだ。
肩をすくめながら、こそこそとした声に切り替える。
「おとうさん、どうするの?」
「まずはな……音を立てずに、そっと近づくところからだ」
カルレンは、ささやき声で言いながらも、意識の何割かをリノアの足元に割いていた。
(頼むから、いきなり走り出すなよ……)
しかし、その願いが届くより早く——
「わ、わたし、やってみる!」
リノアはそう囁くと、そろそろと前へ一歩足を出した。
その一歩は、最初の一歩としては悪くなかった。
体重も控えめに乗せていたし、足の置き方も慎重だ。
——だが。
パキッ。
小さな乾いた音が、足元から響いた。
踏みしめた先に、細い枝が隠れていたのだ。
うさぎの耳が、ぴん、と立つ。
次の瞬間、くるっとこちらを振り向き——
ぱっ、と体を反転させて、猛烈な勢いで走り出した。
「あっ——!」
「……あーあ」
カルレンが思わず額に手を当てる。その横で——
「まてえええええ!!」
リノアの叫び声が、森に響き渡った。
彼女は、迷いなく全力で駆け出していた。
小さな足が、地面を必死に蹴る。
枝を避けることも忘れ、ただ目の前の白い尻を追いかけて真っ直ぐ走る。
逃げるうさぎの足音と、追いかけるリノアの足音が、森の中でリズムを作る。
ばさばさっと、驚いた鳥たちが枝から飛び立つ音が重なった。
草むらをかき分ける音、折れた枝を踏む音。
リノアの息遣いが、「はぁっ、はぁっ」と少しずつ荒くなっていくのが、遠くからでも聞き取れる。
カルレンは一瞬だけため息をつき、すぐに口元を緩めた。
「……元気なのは、いいことだ」
そう呟いて、彼もまた、娘の後を追って森の中を駆けていった。
まだ朝の空気がひんやりしている。窓の外から差し込む光は柔らかく、家の床に細長い四角を描いていた。
いつもならカルレンが声をかけてから、布団の中でごろごろと駄々をこねるはずの娘に向かって、今日も同じように声を張る。
「もう庭にいるよ! おとうさん、早くきてー!!」
元気いっぱいの声が、家の壁を突き抜けるように響いた。
「……もうだと?」
寝起きのぐずりどころか、すでに庭で待っている。
カルレンは思わず苦笑し、肩をすくめる。
「ほんとに、あの子は……」
呟きながら扉を開けると、冷たい朝の空気がすっと頬を撫でていった。
鼻の奥に、少し湿った土と草の匂いが混じる。
外に出ると、そこには見慣れた庭の光景——の真ん中で、両足をしっかりと開いて立つ小さな背中があった。
「……お」
カルレンは思わず声を漏らした。
リノアは裸足のつま先で土をつかむように立ち、両手を胸の前にすっと差し出している。
まだ五歳とは思えないほど、姿勢はまっすぐで、ふらつきがない。
風が吹き、白銀の髪がふわりと揺れた。
「……」
彼女は目を固く閉じていた。
眉間には少しだけしわが寄っていて、集中しているのが遠目にもわかる。
(本当に、よくここまで……)
カルレンは、少しだけ胸が熱くなるのを感じた。
やがて、リノアの両手のひらの上で、空気の揺らぎが生まれる。
ふわりと緑がかった光が、霧のように集まり始めた。
光は最初は頼りなく揺れていたが、呼吸に合わせて次第に明るさを増していく。
「――アネマ!」
小さな声が、庭に響く。
次の瞬間、光は風を巻き込み、螺旋を描きながら一直線に走り出した。
風の塊が矢のように飛び、数メートル先の木の表面に叩きつけられる。
ガキンッ、と硬い音がして、木肌がえぐれるように抉れた。
剥がれた樹皮がぱらぱらと落ち、地面に小さな破片が散らばる。
「……おお」
カルレンは思わず感嘆の声を漏らした。
「どう? おとうさん! 最初のころより上手になったでしょ♪」
くるっと振り向いたリノアが、両手を腰に当てて胸を張る。
“ほめろほめろ!”と全身で主張しているような、得意満面の顔だった。
「ははっ……」
カルレンは、堪えきれずに笑ってしまった。
「わあーっ、なんで笑うのっ!」
リノアは頬をぷくっと膨らませる。
その様子がまた可愛くて、カルレンはさらに笑いそうになったが、慌てて咳払いをした。
「ご、ごめんごめん。笑ったのは馬鹿にしたからじゃないぞ。
最初のころを思い出してさ。あまりに上達が早くて、おとうさんびっくりしたんだ」
「……ほんと?」
「本当だとも」
カルレンはリノアのところまで歩いていき、そっと頭に手を置いた。
指先に伝わる髪の感触は柔らかく、撫でるたびにリノアの顔から不満の影が薄れていく。
「えへへ……じゃあ、許してあげる」
頬を膨らませていた口元がゆるんで、にへらっとした笑みに変わった。
⸻
この世界には、風・火・水・土・雷・氷・光の七属性の魔法が存在する。
人(亜人を含む)は、誰しもそのうちのどれか一つの属性を持って生まれ、稀に二属性持ちとして生まれてくる者もいる。
そして——聖女は、必ず光属性に加え、もう一つの属性を生まれながらに宿す。
⸻
「おとうさん!」
撫でられた頭を振り払うように、リノアはくるりとカルレンの前に回り込んだ。
「アネマの、もっと強い魔法が見たい! この前見せてくれたやつ! おとうさんがドカーンってやるやつ!」
手振りまで付けて、ドカーンのところで両手を大きく広げてみせる。
「そんな雑な説明あるか……」
カルレンは苦笑したが、嬉しそうに口元が緩むのは止められなかった。
「けど、まぁ……いいか。今日は調子も良さそうだしな」
そう呟いて、森の縁へと歩いていく。リノアもトタトタと小走りでついてくる。
カルレンは木々の前で足を止め、軽く首を回して肩の力を抜いた。
右手を胸の前に持っていき、掌を正面に向ける。
「よく見てろよ、リノア」
「うん!」
リノアは、さっき自分が立っていたのと同じように、足を開いて構え直した。
わくわくが抑えきれていないのか、体がわずかに弾む。
カルレンはひとつ深く息を吸い、ゆっくり吐く。
それに合わせるように、掌の前の空気がぐっと引き寄せられる感覚が走った。
緑色の光がじわじわと集まり始める。
さきほどリノアが出した光よりも、色は濃く、揺らぎも力強い。
風が渦を巻き、草がざわざわと逆立ち、足元の砂をさらっていく。
「――アネマエル!」
声と同時に、集まった風が弾かれたように前方へ放たれた。
光の帯の中心には、圧縮された風の塊がある。
その螺旋状の軌跡は、目で追い切れないほどの速さで伸びていく。
五十メートルほど先まで、一瞬で到達したそれは、前方に立つ木々をまとめて薙ぎ払った。
バキバキバキッ、と木が折れる重い音が周囲に響き、折れた枝葉がばさばさと落ちていく。
遅れて吹き抜けた余波が、カルレンとリノアの髪と服を強く揺らした。
しばらく、森が静まり返った。
カルレンは、さも当然といった顔でドヤっと親指を立ててみせる。
「こんな感じだ」
「すごい! すごいすごい!! おとうさん、今の! ブワーってなって、ドオーンってなった!!」
リノアは飛び跳ねながら、さっきよりも大げさな手振りで再現しようとする。
「ブワーとドーンの違いが、おとうさんにはあまりわからないな……」
「ちがうもん! さっきのわたしのは、ブワッ、って感じで、今のおとうさんのは、ブワァァァドオーーン! だもん!」
「……なるほど、なんとなく勢いは伝わった」
カルレンは思わず笑ってしまい、肩を震わせた。
「おとうさん、わたしも撃てるかな!? あれやりたい! ドカーンってやりたい!!」
リノアはくるっと森のほうを振り向き、すでにやる気満々である。
「よし、やってみろ。さっきと同じように構えて……おとうさんの真似をするんだ」
「うん! 見ててね!」
リノアは地面をぎゅっと踏みしめ、両手を前へ突き出した。
息を呑んだのが分かるくらい、体の力が一瞬にして集中していく。
掌の前に、小さな緑の光がじわりと現れる。
それはさっきのアネマよりも、少しだけ色が濃いように見えた。
「――アネマエル!」
勢いよく名を呼ぶ。
だが次の瞬間、光はパチンと弾けるように砕け、霧散した。
「えっ……?」
リノアはぽかんとした表情で、自分の掌を見つめた。
「なんで……? どうして魔法が出ないの?」
カルレンはすぐにリノアのそばに歩み寄り、膝をついて目線を合わせた。
「いまのはな、中級魔法なんだ」
「ちゅうきゅう……?」
「魔法には、下級・中級・上級の三段階がある。
中級には“エル”、上級には“エドル”が付く。
さっきリノアが撃った“アネマ”は下級、いま挑戦した“アネマエル”は中級だ」
「ふむふむ」
「中級は、下級よりもたくさんのマナが要る。マナが足りないと……今みたいに、途中で弾けて消えてしまう」
「……そっかぁ」
リノアは自分の手をぎゅっと握って、少ししょんぼりと唇を尖らせた。
「じゃあ、マナを増やすにはどうしたらいいの?」
「体力と似ているよ。走ったり、動いたりしていると疲れるだろう?」
「うん。いっぱい走ると、あつくなって『はぁはぁ』する」
リノアはその場で軽く足踏みして、わざとらしく肩で息をする真似をした。
「そうそう。だけど、寝たりご飯を食べたりすれば体力は戻る。
マナも同じだ。魔法を撃つと減って、休めば戻る。
でな、使って休んでを繰り返すうちに、少しずつ“たくさん使えるようになっていく”んだ」
「ふむ……」
リノアは難しい話を必死で噛み砕こうとしている顔になった。
「じゃあさ! いっぱい撃てば、いっぱい増えるんだよね!」
「理屈だけ言えば、そうだな」
「よし! じゃあ今日から、ドンドン撃つ!! えいえいおー!!」
「……いや、ちょっと待て。問題はそこからだ」
カルレンは苦笑して、手をひらひらと振る。
「マナが減ると、体が重くなる。風邪をひいた時みたいにな。
それでも構わず撃ち続けると、『マナ欠乏症』ってやつになる」
「マナけつ……ぼうしょう?」
初めて聞く言葉に、リノアは首をかしげる。
「頭痛。体中の痛み。ひどいと、立ち上がることもできない。
無理に動こうとすると、激痛が走る。そういう状態だ」
「……えぇ~……それはイヤ……」
リノアは思わずお腹を押さえて、身を縮める。まるで今痛みが来たかのような顔だ。
「治るの?」
「人による。完全に治った者もいるし、ずっと体が重いままの者もいる。
だからな——」
カルレンは真剣な声で続けた。
「リノア。無理は絶対にするな。いいな?」
「…………」
リノアは一瞬、不安そうに目を伏せた。
さっきまでの元気が、少しだけ萎んでしまったようにも見える。
カルレンは内心で(脅かしすぎたか)と反省しつつ、わざと明るい声を出した。
「よし! 話はここまでだ。気分転換に、新しい魔法を教えてやろう」
「えっ、新しい魔法!?」
ぱっとリノアの顔が明るくなる。光のスイッチが入ったような変化だった。
「どんなの!? ドカーン? それとも、バリバリってなるやつ?」
「おまえの擬音は、ほんとに元気だな……」
カルレンは笑いながら指を一本立てた。
「あの木を、真っ二つに割る」
「え、真っ二つ!? そんなことできるの!?」
「できるさ。風を刃の形にするんだ。『アネマ・ラミーナ』、よく見ていろ」
カルレンは一本の木を見定め、その幹へと右手を向けた。
さきほどのようにマナを集めるが、今度は“圧縮する”のではなく、“細く、鋭く伸ばす”イメージを意識する。
掌の前の空気が、キン、と冷たく引き締まった感じがした。
風が線を描くようにまとまり、足元の草が一本一本、同じ方向へなびいていく。
「――アネマ・ラミーナ!」
鋭い声とともに、風が走る。
ビュオッ、と短く鋭い音がして、狙った木の幹を“何か”が切り裂いた。
次の瞬間——。
メキッ、と鈍い音。
太い木の幹が、上から下まで綺麗に縦へと割れ、そのまま左右に倒れていく。
切り口は驚くほど滑らかで、まるで大きな包丁で切ったかのようだった。
「うわぁぁ!! すごい!! 今の! ブワァってなって、シュパってなった!!」
リノアは跳ね回りながら、さっきよりもさらに意味不明なジェスチャーで再現しようとする。
「さっきのより形容が分かりにくいぞ……」
「でも、すごいのはわかるでしょ!?」
「それは分かる。これは便利な魔法だ。狩りにも、薪集めにも役立つ。
リノア、お前も覚えておけ」
「教えて教えて!!」
リノアは今にも飛びつきそうな勢いで身を乗り出した。
「はいはい、落ち着け。魔法はな、イメージで形が変わる」
カルレンは先ほど割れた木の幹に手を置き、その断面を軽く叩く。
「いまのは、“風が一本の刃になる”イメージをした。
刃物を思い浮かべて、その刃を風に置き換えるような感じだ。
リノアも、頭の中でしっかり形を作ってから撃ってみるんだ」
「……わかった」
リノアはこくりと頷き、小さく息を吐いた。
さっきまでのテンションの高さを、自分で抑えようとしているのがわかる。
(本当に、切り替えが早い……)
カルレンはその姿に感心しつつ、一歩下がって見守る。
リノアは少し目を閉じ、両手を前へ差し出した。
さきほど見た“真っ二つの木”を思い浮かべている。
風が一本の線になる。
線が光を帯びて、刃になる。
それが木の幹をシュッと切る——。
頭の中で何度も繰り返し、イメージを固める。
「……よし」
ゆっくりと目を開けて、目の前の木に手のひらを向けた。
「――アネマ・ラミーナ!!」
彼女の掛け声はさっきよりも、わずかに低く、落ち着いていた。
瞬間、空気が鋭く震える。
ビュン、と短い風切り音。
狙った木の幹が、縦に“スパッ”と割れた。
「……え?」
リノア自身が一番驚いたように目を見開き、その直後——
「おとうさん! 見て! 見て見て!! できた!! できたぁ!!」
自分の胸の前で両手をぎゅっと握って、ぴょんぴょん飛び跳ねる。
カルレンは目を見開いたまま、割れた木とリノアを交互に見た。
(……一度見ただけ。それも説明込みとはいえ、初見の術を、ここまでの威力で再現……?)
十三歳の弟子たちでも、初めて使うときにはたいてい軌道がぶれたり、威力が足りずに表面を掠めるだけで終わることが多い。
それが今——五歳の娘は、ほぼ完璧にやってのけた。
「リノア……すごいぞ。本当にすごい。完璧だ」
「えへへ! でしょ! わたし天才だからね~!」
リノアは胸を張りながら、腰に手を当てて勝ち誇ったポーズを取る。
「天才だ。おとうさんが保証する。
リノアは魔法一本で鍛える。本来、魔法職は後ろで支援が多いが——」
カルレンは、リノアの両肩に両手を置いた。
「お前は前に出る魔法使いにする」
「まえ?」
「そうだ。敵の攻撃を避けて、隙を突いて、自分から前に出て戦える魔法使いだ」
「うーん、なんかかっこいい! よくわかんないけどかっこいい!!」
「ははっ。かっこいいなら、それでよしだ」
リノアの顔は嬉しさでいっぱいだった。
カルレンもつられて笑う。
「おとうさん、なんで笑ってるの?」
「ふふっ……いや、なんでもない。——よし」
カルレンは一度大きく伸びをして、気持ちを切り替えるように息を吸い込んだ。
「魔法はいいとして、まずは動ける体を作らないとな」
「動ける体?」
「そうだ。いくら魔法が強くても、動きが鈍ければ狙われ放題だ。
敵の攻撃を避けて、隙を突くために——体を鍛える」
「どうやって鍛えるの?」
「森で走る」
即答だった。
「凸凹の道、坂、ぬかるみ。そういう場所を走れば、全身の筋肉とスタミナが鍛えられる」
「えぇ~……走るだけ?」
リノアはあからさまに面白くなさそうな顔をする。
「ただ走るだけなんて、つまんないよ~」
「じゃあ——狩りも兼ねようか」
「……狩り?」
「逃げる獲物を追えば、体力も判断力も一緒に鍛えられる。
ここらの森には凶暴な魔物はいないしな。一石二鳥だ」
「いっせき、にちょう……?」
「一回で二つ美味しい、ってことだ」
「ふーん……」
リノアは腕を組んで、うーんと唸るふりをした。
「でもさ、いきなりそんなの無理だよ~」
「大丈夫だ。おとうさんも一緒にいる」
カルレンは、真剣な目でリノアを見つめる。
「試練を全部クリアするんだろ、リノア。
そのために、今から準備するんだ」
少しの沈黙。
リノアはカルレンの顔をじっと見つめていた。
——その瞳の中には、不安と、それを上回る決意が入り混じっている。
⸻
リノアは、母の温もりを知らない。
二歳のときに亡くなったと、父カルレンから聞かされている。
村へ行けば、同じ年頃の子が両親と手をつないで歩いている。
夕暮れになると、家々から母の声と子どもの笑い声がこぼれる。
——どうして私には、おかあさんがいないの?
どんな顔で、どんな声で、私の名を呼ぶの?
胸が締めつけられるたび、リノアは拳をぎゅっと握る。
けれど彼女は知っている。
聖女が全ての塔を制覇すれば、願いが叶うということを。
「おかあさんを生き返らせたい。手をつなぎたい。抱きしめてもらいたい。
四人で暮らしたい」
自分の頬をぺちんと叩いて、リノアは顔を上げた。
目の奥に、さっきよりも強い光が宿る。
「おとうさん!」
リノアはぐっと拳を握りしめ、カルレンの正面に立った。
「わたし強くなる! 塔を全部クリアして、おかあさんを生き返らせる!
だから、訓練、すごく頑張る!!」
五歳とは思えぬ力強い瞳だった。
カルレンは、その目に妻レノラの面影を重ねた。
覚悟を決めたとき、あの人もこんな目をしていた。
「……レノラと同じ目だ。うちの娘たちは、本当に逞しいな」
胸の奥に、嬉しさと少しの寂しさが混ざった、不思議な感情が広がる。
それでも、心は確かに温かかった。
「よし。じゃあ——まずは、今晩の飯だな」
カルレンはわざとらしく腰に手を当て、声を張る。
「飯?」
「そうだ。今晩の飯を狩りに行くぞ!」
力強く宣言すると、リノアも負けじと拳を握りしめた。
「うんっ!!」
⸻
「おとうさん、今から何を狩るの?」
家の横の小道を森へ向かって歩きながら、リノアが横から覗き込むように聞いてくる。
「うさぎだ」
「え、うさぎ? ビッグボアじゃないの?」
「ビッグボアなんて危険すぎる。あれは、もう少し大きくなってからだ」
カルレンは即答した。
頭の中に、暴れ回る巨大な猪の姿がよぎる。あんなものに五歳児を近づける気は、一切ない。
「うさぎなんて小さいし、すぐ捕まえられるよ!」
「侮るな。小さくてすばしっこい。
動きながら魔法を撃つ訓練には、うってつけなんだ」
「んー……そっかぁ。じゃあ、やってみる!」
リノアは、あっという間に前向きに切り替えた。
「その前に、水筒だ。持っていくぞ。走り回ると喉が渇く」
「あ、そうだね!」
二人はいったん家に戻り、木の棚から水筒を二つ取り出した。
革でできた丸い水筒は、すでに何度も使った跡があるが、まだまだ現役だ。
カルレンは、棚の奥に手を伸ばし、掌に収まるほどの水色の魔石を取り出した。
透明感のある青色の石は、光にかざすと内部でゆらゆらと波が揺れているように見える。
「おとうさん、それ好きだよね、その石」
「まぁな。便利だからな」
カルレンは水筒の蓋を開け、魔石をその上にかざした。
すると、石の内部がふわりと光り、冷たそうな水がさらさらと溢れ出す。
ぽたり、ぽたり、と最初は静かに。
それから少し勢いを増して、あっという間に水筒が満たされていく。
「おおー……」
リノアは毎回見ているはずなのに、今日も感心したように目を丸くした。
「魔石ってほんと便利だね。井戸から水を持ってこなくていいもんね」
「ああ。小さなものなら安いし、水汲みの手間も省ける」
カルレンは次の水筒にも同じように水を注ぎながら答える。
「赤い魔石は、火が出るんだよね?」
「ああ。家族の誰も火魔法の適性がないから、あれも助かっている」
「わたしって、風と光の適性でしょ?」
「そうだ」
「適性外の魔法って、ほんとに使えないの?」
「少なくとも、おとうさんとリノアではまったく反応がなかったな。
火の魔法を試してみたが、指先がぬるくなったくらいで終わった」
「ぬるい火ってなにそれー。ぜんぜん燃えなさそう」
リノアはけらけら笑いながら、今度は自分の指をじっと見つめた。
「それなら、魔石、ほんと助かるね!」
「そういうことだ」
二つの水筒が満たされると、カルレンは魔石を布に包んで大事そうにしまい込んだ。
「よし。準備完了だな。——行くぞ、うさぎ取りだ」
「うん! 行こう、おとうさん!」
リノアは元気よく返事をし、扉のほうへ駆けだした。
⸻
家を出て少し歩けば、そこはもう森だった。
足元の土は、村の道より柔らかく、踏みしめるたびにわずかに沈む。
落ち葉が重なり合っている場所もあり、そこを踏むと、かさかさと乾いた音が鳴った。
頭上では、木々の枝が互いに重なり合い、日差しを細かく刻んで地面に落としている。
ところどころ、葉の隙間からこぼれる光がスポットライトのように地面を照らし、風が吹くたび揺れて形を変えた。
「ひさしぶりの森だぁ」
リノアは両手を大きく広げて、くるっとその場で一回転した。
その頬はほんのり紅潮していて、目は好奇心で輝いている。
「そんなに久しぶりでもないだろう。こないだも一緒に薬草を取りに来たじゃないか」
「でも、そのときは『走っちゃだめ』って言われたもん!」
「採りたい草を踏み潰しそうだったからな」
カルレンは思わず苦笑する。
森の奥からは、鳥のさえずりが聞こえる。高く澄んだ声と、低く短い鳴き声が混じり合って、森全体が小さな音楽を奏でているようだ。
どこかで虫が羽音を立て、遠くでは小さな獣が走り去る気配がある。
風が、葉の間を抜けていく音。
ときどき、頭上から乾いた枝がひとつ落ちてくる“コトン”という小さな音。
ただ歩いているだけなのに、森は忙しい。
「……ねえ、おとうさん」
「ん?」
「ここで一人だったら、ぜったい迷子になるね」
「だろうな」
カルレンはあっさり認めた。
「だから、森に入るときは必ず誰か大人と一緒。これ、覚えておけ」
「はーい」
返事は元気だが、どこまで真面目に聞いているかは怪しい。
それでも、今のリノアには、カルレンの背中が“絶対の目印”だ。
しばらく歩いていると——。
ふと、前方の低い茂みの影が、ぴくりと動いた。
「……」
カルレンは思わず歩を緩める。
リノアも、その空気の変化を感じ取ったのか、ぴたりと足を止めた。
「おとうさん?」
「しっ——静かに」
カルレンは小さく囁くと、手で前方を指し示す。
茂みの隙間から、小さな白っぽい塊が見えた。
長い耳。ぴくぴくと動く鼻。
草をはむように首を動かしている。
「……うさぎだ」
「ほんとだ!」
リノアの声は、興奮で一段高くなりかけたが、ギリギリのところで自分で押さえ込んだ。
肩をすくめながら、こそこそとした声に切り替える。
「おとうさん、どうするの?」
「まずはな……音を立てずに、そっと近づくところからだ」
カルレンは、ささやき声で言いながらも、意識の何割かをリノアの足元に割いていた。
(頼むから、いきなり走り出すなよ……)
しかし、その願いが届くより早く——
「わ、わたし、やってみる!」
リノアはそう囁くと、そろそろと前へ一歩足を出した。
その一歩は、最初の一歩としては悪くなかった。
体重も控えめに乗せていたし、足の置き方も慎重だ。
——だが。
パキッ。
小さな乾いた音が、足元から響いた。
踏みしめた先に、細い枝が隠れていたのだ。
うさぎの耳が、ぴん、と立つ。
次の瞬間、くるっとこちらを振り向き——
ぱっ、と体を反転させて、猛烈な勢いで走り出した。
「あっ——!」
「……あーあ」
カルレンが思わず額に手を当てる。その横で——
「まてえええええ!!」
リノアの叫び声が、森に響き渡った。
彼女は、迷いなく全力で駆け出していた。
小さな足が、地面を必死に蹴る。
枝を避けることも忘れ、ただ目の前の白い尻を追いかけて真っ直ぐ走る。
逃げるうさぎの足音と、追いかけるリノアの足音が、森の中でリズムを作る。
ばさばさっと、驚いた鳥たちが枝から飛び立つ音が重なった。
草むらをかき分ける音、折れた枝を踏む音。
リノアの息遣いが、「はぁっ、はぁっ」と少しずつ荒くなっていくのが、遠くからでも聞き取れる。
カルレンは一瞬だけため息をつき、すぐに口元を緩めた。
「……元気なのは、いいことだ」
そう呟いて、彼もまた、娘の後を追って森の中を駆けていった。
ーーーーー
この世界では、どの人種も必ずマナが宿り、適正の属性を持っています、稀に聖女を除いて、適正属性が2つ持って生まれる人もいますが、滅多に生まれないです。
まだまだ魔法に関しての研究は薄く、なぜ、魔法を撃てるのか、なぜ生まれた瞬間適正属性が決まっているのか、謎に包まれています。(ここら辺の設定はまた別の機会で説明します)
この世界の住人はそこまで深く考えていないので、魔法は誰でも使えるもんだっと思っています。
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