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3話 《四季》―「春」

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 劇は大成功だった。明るく陽気な性格の一井さんは子どもの心を掴むのが上手い。あっという間に彼女に釘付けになっていた。まあ、僕は全然言うことがない。あるとすれば怖がられなかったのかな? そう信じたいのかも。
 何より彼女の――神無月さんの演奏がなければあそこまで盛り上がらなかったかもしれない。演劇中に状況に合ったBGMを鳴らしつつ時折効果音を表現するなんて信じられなかった。
 
 ――弾けなくなった。
 
 そう彼女は言っていたけど僕には信じられない。だって始終愉しそうに弾いていたじゃないか。あの時の彼女はミスをしてしまったショックから、ああ言っただけなんじゃないのか?
 実際に聞くしかないけどあの笑みが何よりの証拠だった。
 とにかく劇は成功したし、保育士さんからも褒めていただいたし僕としては満足いくものになった。
 だけど神無月さん。
 いつ君と会ったことがあるのか僕は全然覚えてないんだ。それだけがしこりとして胸に残り続けている。
 
 陽は僕たちよりも早くに目醒め道を彩る緑と薄桃色のモザイクを照らしていた。迷わないようにけれど、すっかり起こしてしまわないように気遣いながら。
 小さな橋を越える。爛々と反射する水面と時間を司る水の流れ。
 変わらない風景に目を凝らせばそこには様々な美が宿っていることに気が付く。自然によって調律された風の音と小鳥達の愉しげに謳う様子。
 もちろん僕たちだって自然の一部だ。一歩歩けばその分だけ歴史がある。それをよく見ようとしないのはいつだって僕たちなんだ。
 だから普段は見ていないものの正体を、驚きを確かめていく方が楽しい。
 ある人は天才とは知らないことを少なくする人のことだと言っていた。
 
 ――いつもよりも少し早い教室。
 少し開けられた扉からはひゅうひゅうと風が運ばれるのを聴く。鼻孔を抜けていくリノリウムと青い匂い、それらに交じるようにして土の香りが微かに残る。
 ――春はゆっくりと眠ろうとしていた。
 先客を確かめ僕は、静かにこの風景を閉じ込めた。
「おはよう神無月さん」
 突っ伏す君は夢の中で幸福を。
 現実に引き戻してしまうのはなんだか気が引けるけど……そんな場所にはいて欲しくはない。そんなわがままを。
「……んんぅ……ふぁぁ」
 微睡みながら世界を確かめて、僕の姿を認めた。
 ――春の雪が宙を泳いだ。
「おはよ。芳」

 
 1章 Le quattro stagioni(四季) ――La Primavera()
 
 
「よっす。コンクールはどうだった?」
 とても苦いような顔をしてしまう岡崎。
「ああ、まあ。そのなんだ。いつもと同じだったな」
 平静な彼ならこんな口調では言わない。もっと軽く「あーあ今回も失敗した」なんて明るく振る舞っているのが僕たちのやりとりだったじゃないか。
「なにかあったの?」
「あったといえばあったんだが……正直、届かない所まで行きやがったって感じだ」
「誰が?」と僕が問う前に彼は言葉を紡ぐ。
「……神無月だよ。あいつ何を目指してんだか」
 一昨日の彼女だ、遊園地に連れて行ったあの日。あの時の様子からしてみれば失敗してしまったんだとばかり考えていたんだけど……どうなっているんだ。
「それってどういうこと?」
「お前が神無月にお熱だからいっとくけど、あいつは異質とかそんなものじゃないぞ。俺だって確かに練習して色々とやってはいるけど所詮はただの趣味だ。……あいつとコンクールで会うなんて相当久しぶりだったけど、どんだけ成長してんだって感じだ」
「やっぱりすごいんだね。何回か聴かせてはもらって凄いとは思っていたけどそこまでなんだ」
 いつもなら悔しそうに感想を口にしている岡崎だけど今日は諦めたように自虐的に振る舞っている。
「それでお前の方はアタックしてオーケー貰えたのかよ」
「うん。はじめこそだめだったんだけど、もう一度聞いたらオーケーって」
「……はぁ?」
 今まで見たことのない歪んだ顔で睨みつけてくる。確かに他の人と雰囲気は違っていたけど遊園地で色々知ってからは、彼女らしいなんて思っていたから……。
「ラノベじゃねーんだから。そんなことってないだろ」
「そんなにありえないことかな?」
「そりゃお前、天と地が入れ替わるってことだぞ。だいたい……」
 こうやって他愛もない会話をしてようやく日常に戻ったと実感する。だけどこれからの日常は全然変わってしまうと知っていた。
「やあ、芳」
「どうも神無月さん」
 今朝は僕の席で居眠りをしていた彼女は、どうやら待ってる最中に眠ってしまったらしい。横では言葉を失ってしまった岡崎が、あわあわとしていた。
「昨日は助かったよ」
「気にしないで。私にやれることをやっただけだから。それよりもお昼ちょっといいかしら?」
「うん。特に予定はないけど、どうしたの」
「少しお話がしたいなって思ったのよ」
「なんだか照れる言い方だね」
「そうかしら? まあいいわ。それじゃあお昼にまた会いましょう。待っているわ」
 教室を出ようとした彼女は慌てて振り返り手をひらひらとした。振り返したら満足したのか微笑んだまま去っていった。
「お前神無月に何したんだよ?」
「なにもしてないよ」
「下の名前で呼んでたじゃないか!?」
「ああー、それね。僕もよく分かってないんだよ」
「あれだろ。実は幼馴染でしたってパターン。きっとそうに違いないぞ」
「僕の幼馴染は一井さんだけだよ。他の人がいたって記憶はないよ?」
「なんか急にお前のことがうざくなった。俺だって彼女の一人や二人つくってやるぞ!」
「二人はないんじゃない? 流石に」
「つまんないことをいうな! それくらいの気持ちが大事だってことだよ!」
 それから岡崎の暴挙はチャイムが鳴るまで続いた。

「ようこそ。芳」
 お昼になり旧音楽室に訪れたけど、部屋の隅には机と椅子が向かい合うように並べられている。そこに神無月さんが手招きで僕を呼ぶ。
「芳はなにか嫌いなものはある?」
 机にはティーカップとアフタヌーンティースタンドが置いてある。音楽室にこれはちょっと思い出しそうになるものがあるけど邪念を払う。
「特にない」と伝えると彼女は嬉しそうにポットから紅茶を注いでいく。
「さあ、お茶会をはじめましょうか。ここには帽子屋も三月ウサギもいないわよ」
「なら安心だね」
 僕がカップに口をつけると彼女は意を決したように問いかける。
「芳は私のことって覚えているの?」
 彼女の中にある僕の像が乖離しているからだろう。なにせ僕は全然覚えていないし、覚えている彼女にとっては知りたいのも当然だ。
 コツ。と音を立て、丁寧に意匠された白磁のカップを置く。
「悪いんだけど、まったく覚えていないんだ」
 予想していた通りだったのかさして哀しい顔をせずに、かえって予想通りだったことに満足するように瞼を閉じた。
「……そうね。ふふ。いいことを思いついたわ」
 名案が思い浮かんだのか、口角を釣り上げ意地悪く告げる。
「思い出すまでは私からは何も言わないわ。だからずっと考えて頂戴ね」
 ニマニマとする双眸は僕を離さないでいる。まるで蛇が獲物をジッと見つめているような感じ。獲物の側ってこんな気分なんだ……。
「分かった」と降参するみたいに返事すると、いっそうそれが彼女の嗜虐心を刺激するのか睨めつけられる。
「じゃあ改めて……芳よろしくね」
「こちらこそね神無月さん」
「麗華」
 さっきと同じように意地悪する顔になった。……そういうことか。仕方ない忘れてる僕がいえたことじゃないから、付き合ってあげるよ。
「……れ、れい。れいか」
 カッコよく言おうとしたのに僕の経験のなさが足を引っ張る。そういえば一井さんも下の名前……小雪とは呼んでいなかったや。
「なんて?」
 席を立ちその小柄な身を乗り出して顔に迫ってくる神無月さん。いや、れいか……。
「少し待ってくれる? 流石にちょっと恥ずかしいよ!」
「だーめ。呼んでくれないと離さない」
 両手を頬に添え視線を泳がせない。鼻先がつきそうになるくらい近づいてくる。顔が熱をもっていくのを感じる。
 このままじゃ埒が明かない。ええい、ままよ!
「麗華!」
「よろしい」
 すっと手を離し席に戻っていく神無月――麗華。
 確かにこの名前に聞き馴染みがないかといえば、あるような気がしないでもない。でもやっぱり彼女のことは覚えていないし、なによりこれからのことの方が心配になる。
 ただ僕の日常がより楽しいものになる、そんな確信だけはあった。


次のエピソードへ進む 4話 運命


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 劇は大成功だった。明るく陽気な性格の一井さんは子どもの心を掴むのが上手い。あっという間に彼女に釘付けになっていた。まあ、僕は全然言うことがない。あるとすれば怖がられなかったのかな? そう信じたいのかも。
 何より彼女の――神無月さんの演奏がなければあそこまで盛り上がらなかったかもしれない。演劇中に状況に合ったBGMを鳴らしつつ時折効果音を表現するなんて信じられなかった。
 ――弾けなくなった。
 そう彼女は言っていたけど僕には信じられない。だって始終愉しそうに弾いていたじゃないか。あの時の彼女はミスをしてしまったショックから、ああ言っただけなんじゃないのか?
 実際に聞くしかないけどあの笑みが何よりの証拠だった。
 とにかく劇は成功したし、保育士さんからも褒めていただいたし僕としては満足いくものになった。
 だけど神無月さん。
 いつ君と会ったことがあるのか僕は全然覚えてないんだ。それだけがしこりとして胸に残り続けている。
 陽は僕たちよりも早くに目醒め道を彩る緑と薄桃色のモザイクを照らしていた。迷わないようにけれど、すっかり起こしてしまわないように気遣いながら。
 小さな橋を越える。爛々と反射する水面と時間を司る水の流れ。
 変わらない風景に目を凝らせばそこには様々な美が宿っていることに気が付く。自然によって調律された風の音と小鳥達の愉しげに謳う様子。
 もちろん僕たちだって自然の一部だ。一歩歩けばその分だけ歴史がある。それをよく見ようとしないのはいつだって僕たちなんだ。
 だから普段は見ていないものの正体を、驚きを確かめていく方が楽しい。
 ある人は天才とは知らないことを少なくする人のことだと言っていた。
 ――いつもよりも少し早い教室。
 少し開けられた扉からはひゅうひゅうと風が運ばれるのを聴く。鼻孔を抜けていくリノリウムと青い匂い、それらに交じるようにして土の香りが微かに残る。
 ――春はゆっくりと眠ろうとしていた。
 先客を確かめ僕は、静かにこの風景を閉じ込めた。
「おはよう神無月さん」
 突っ伏す君は夢の中で幸福を。
 現実に引き戻してしまうのはなんだか気が引けるけど……そんな場所にはいて欲しくはない。そんなわがままを。
「……んんぅ……ふぁぁ」
 微睡みながら世界を確かめて、僕の姿を認めた。
 ――春の雪が宙を泳いだ。
「おはよ。芳」
 1章 Le |quattro stagioni《四季》 ――|La Primavera《春》
「よっす。コンクールはどうだった?」
 とても苦いような顔をしてしまう岡崎。
「ああ、まあ。そのなんだ。いつもと同じだったな」
 平静な彼ならこんな口調では言わない。もっと軽く「あーあ今回も失敗した」なんて明るく振る舞っているのが僕たちのやりとりだったじゃないか。
「なにかあったの?」
「あったといえばあったんだが……正直、届かない所まで行きやがったって感じだ」
「誰が?」と僕が問う前に彼は言葉を紡ぐ。
「……神無月だよ。あいつ何を目指してんだか」
 一昨日の彼女だ、遊園地に連れて行ったあの日。あの時の様子からしてみれば失敗してしまったんだとばかり考えていたんだけど……どうなっているんだ。
「それってどういうこと?」
「お前が神無月にお熱だからいっとくけど、あいつは異質とかそんなものじゃないぞ。俺だって確かに練習して色々とやってはいるけど所詮はただの趣味だ。……あいつとコンクールで会うなんて相当久しぶりだったけど、どんだけ成長してんだって感じだ」
「やっぱりすごいんだね。何回か聴かせてはもらって凄いとは思っていたけどそこまでなんだ」
 いつもなら悔しそうに感想を口にしている岡崎だけど今日は諦めたように自虐的に振る舞っている。
「それでお前の方はアタックしてオーケー貰えたのかよ」
「うん。はじめこそだめだったんだけど、もう一度聞いたらオーケーって」
「……はぁ?」
 今まで見たことのない歪んだ顔で睨みつけてくる。確かに他の人と雰囲気は違っていたけど遊園地で色々知ってからは、彼女らしいなんて思っていたから……。
「ラノベじゃねーんだから。そんなことってないだろ」
「そんなにありえないことかな?」
「そりゃお前、天と地が入れ替わるってことだぞ。だいたい……」
 こうやって他愛もない会話をしてようやく日常に戻ったと実感する。だけどこれからの日常は全然変わってしまうと知っていた。
「やあ、芳」
「どうも神無月さん」
 今朝は僕の席で居眠りをしていた彼女は、どうやら待ってる最中に眠ってしまったらしい。横では言葉を失ってしまった岡崎が、あわあわとしていた。
「昨日は助かったよ」
「気にしないで。私にやれることをやっただけだから。それよりもお昼ちょっといいかしら?」
「うん。特に予定はないけど、どうしたの」
「少しお話がしたいなって思ったのよ」
「なんだか照れる言い方だね」
「そうかしら? まあいいわ。それじゃあお昼にまた会いましょう。待っているわ」
 教室を出ようとした彼女は慌てて振り返り手をひらひらとした。振り返したら満足したのか微笑んだまま去っていった。
「お前神無月に何したんだよ?」
「なにもしてないよ」
「下の名前で呼んでたじゃないか!?」
「ああー、それね。僕もよく分かってないんだよ」
「あれだろ。実は幼馴染でしたってパターン。きっとそうに違いないぞ」
「僕の幼馴染は一井さんだけだよ。他の人がいたって記憶はないよ?」
「なんか急にお前のことがうざくなった。俺だって彼女の一人や二人つくってやるぞ!」
「二人はないんじゃない? 流石に」
「つまんないことをいうな! それくらいの気持ちが大事だってことだよ!」
 それから岡崎の暴挙はチャイムが鳴るまで続いた。
「ようこそ。芳」
 お昼になり旧音楽室に訪れたけど、部屋の隅には机と椅子が向かい合うように並べられている。そこに神無月さんが手招きで僕を呼ぶ。
「芳はなにか嫌いなものはある?」
 机にはティーカップとアフタヌーンティースタンドが置いてある。音楽室にこれはちょっと思い出しそうになるものがあるけど邪念を払う。
「特にない」と伝えると彼女は嬉しそうにポットから紅茶を注いでいく。
「さあ、お茶会をはじめましょうか。ここには帽子屋も三月ウサギもいないわよ」
「なら安心だね」
 僕がカップに口をつけると彼女は意を決したように問いかける。
「芳は私のことって覚えているの?」
 彼女の中にある僕の像が乖離しているからだろう。なにせ僕は全然覚えていないし、覚えている彼女にとっては知りたいのも当然だ。
 コツ。と音を立て、丁寧に意匠された白磁のカップを置く。
「悪いんだけど、まったく覚えていないんだ」
 予想していた通りだったのかさして哀しい顔をせずに、かえって予想通りだったことに満足するように瞼を閉じた。
「……そうね。ふふ。いいことを思いついたわ」
 名案が思い浮かんだのか、口角を釣り上げ意地悪く告げる。
「思い出すまでは私からは何も言わないわ。だからずっと考えて頂戴ね」
 ニマニマとする双眸は僕を離さないでいる。まるで蛇が獲物をジッと見つめているような感じ。獲物の側ってこんな気分なんだ……。
「分かった」と降参するみたいに返事すると、いっそうそれが彼女の嗜虐心を刺激するのか睨めつけられる。
「じゃあ改めて……芳よろしくね」
「こちらこそね神無月さん」
「麗華」
 さっきと同じように意地悪する顔になった。……そういうことか。仕方ない忘れてる僕がいえたことじゃないから、付き合ってあげるよ。
「……れ、れい。れいか」
 カッコよく言おうとしたのに僕の経験のなさが足を引っ張る。そういえば一井さんも下の名前……小雪とは呼んでいなかったや。
「なんて?」
 席を立ちその小柄な身を乗り出して顔に迫ってくる神無月さん。いや、れいか……。
「少し待ってくれる? 流石にちょっと恥ずかしいよ!」
「だーめ。呼んでくれないと離さない」
 両手を頬に添え視線を泳がせない。鼻先がつきそうになるくらい近づいてくる。顔が熱をもっていくのを感じる。
 このままじゃ埒が明かない。ええい、ままよ!
「麗華!」
「よろしい」
 すっと手を離し席に戻っていく神無月――麗華。
 確かにこの名前に聞き馴染みがないかといえば、あるような気がしないでもない。でもやっぱり彼女のことは覚えていないし、なによりこれからのことの方が心配になる。
 ただ僕の日常がより楽しいものになる、そんな確信だけはあった。