三話 恋する乙女は最強なのじゃ
ー/ー ぬるりと鈍く輝く鱗を幾万も連ねた全長数キロメートルの巨躯。一度海を打てば津波を発生させるほど巨大な尾。深海そのものと見間違う深い碧の巨眼。
無数の海洋生物は、それを女王のように讃え、跪く。海すらも。
ティーガンを喰らった巨獣、リヴァイアサンはそのまま荒れる海へと着水。潜水。
轟々とうねる潮流をものともせず、いや、むしろそれすらもリヴァイアサンの手足であるかのように蠢き、リヴァイアサンは深く深く潜る。
やがて光すらも届かず、音も響かない圧倒的な圧力に支配された深海へと。奈落の底へと。
リヴァイアサンは潜る。
『何もかもがずるいわぁ』
鈍く低く響く声。海鳴りよりも轟くどす黒い感情。
『世界すら制する力を持っているのがずるいわぁ。弱者と戯れてるのもずるいわぁ。本能に抗う高潔な信念があってずるいわぁ。死を望むのがずるいわぁ。ママにはないものを持っていてずるいわぁ』
嫉妬。
リヴァイアサンは、嫉妬の悪魔。醜い巨獣。
それは自分が持っていない『何か』を持っている存在に対して、強く想う心。羨み、妬み、嫉む心。
そして、
『だから、そんなティーガンちゃんが傷つく様を見たかったのぉ。無くして無くして、全てを失う。それが見たかったのよぉ』
それは誰かを傷つける行動。蹴落とし、自己優位を保つ行動。
逆説的に考えれば、羨む、妬み、嫉んだとしても、傷つけなればそれは嫉妬ではない。
悪ではない。
それは、
『哀れなもんじゃ。恋もできぬ哀れな獣。渇望も尊敬も憧憬も持てぬ哀しき獣。蹴落とすことしか出来ぬ』
恋。憧れ。尊敬。
ティーガンが抱く全て。
巨獣のリヴァイアサンの腹の奥から、ティーガンの声が響く。淡々と静かな声音だ。
『……やっぱりずるいわぁ。姉さまみたいだわぁ。ずるいわぁ!』
リヴァイアサンはどす黒い心を隠そうともせず、深海の奥深くへとその嫉妬の声を響かせる。
天使も悪魔もとある存在によって創られた生物だ。天使は正感情を、悪魔は悪感情を糧とする存在をコンセプトとしている。
つまるところ、七つの大罪と七つの美徳が対となるように、天使も悪魔も対となる存在がいる。
もちろん、感情とは白と黒の二つで分けられるものではなく、近しかったり、混ざっていたりしている。
けれど……そう、想いと行動。
抱く感情から、どのような想いを願うか。どのような行動を選ぶか。
たぶん、そこが正と悪に分かれる基準。
とある存在はそう考え、天使と悪魔を創った。
そしてリヴァイアサンは、嫉妬の悪魔。
その対は、
『冀いの天使もママを憐れんでいたわぁ』
冀うを司る天使。
持っていない『何か』を愛し、尊び、欲しいと願い、祈り、動く。
淡く優しく強い想い。行動。
だから、だからこそ、リヴァイアサンは、
『喰ったのよぉ。姉さまが愛した存在全てと一緒に。あぁ、姉さまだってママには敵わない。どんなにママにはないものを持っていても、ママには敵わないぃ!』
うっとりとした声を響かせる。
『これ以上の悦びがあるかしらぁ!』
深海に響いたそれは悦びの声音のはずなのに、とても醜く感じてしまう。悍ましく感じてしまう。
『やはり哀れじゃ。そんな事でしかお主は自分を魅せられぬのだろう。幸せを抱けぬのじゃろう。……本当に哀れじゃ』
リヴァイアサンの腹の中から再びティーガンの声が響く。
『哀れぇ? 哀れではないわぁ! だって、こんなに愉快ですものぉ! ママは吸血鬼の歴史の頂点に立つティーガンちゃんを殺すぅ! その全てを奪う力がこの手にあるぅッッ! 高潔で強い存在すらもママには敵わないぃ! これ以上の愉快はあるかしらぁッッッ!』
つまるところ、地球における吸血鬼の歴史は全てティーガンという存在を栄光の頂点へと輝かせるための布石。駒。
そして栄光のトロフィーであるティーガンをリヴァイアサンが蹴落とす。ついでに、ティーガンに封印された吸血鬼たちも喰らう。
姉さまに似ていて、強大な力を持つのに脆弱な存在になりたがる心を、自分には理解できず絶対に持っていない想いを抱くティーガンへの嫉妬。
ドクンと深海が脈動する。圧倒的な水圧と闇が支配するその暗い世界に、更に深く悍ましい圧が掛かる。
全てを奈落の底へと引きずり込もうとする。
だから、リヴァイアサンの腹の中にいたティーガンは、抗う。
『妾は支配されぬ。この冀う翼をもぐことは誰にもできん。それに吸血鬼は妾の手元にはおらん』
『ッ!?』
リヴァイアサンの驚愕の声が深海に蠢く。
リヴァイアサンの腹の中は、半ば異空間のようなものとなっている。外に出ることは敵わず、じわじわと力と心を奪う場所。
対となる天使すらもそこから逃れることはできず朽ちたのだ。父上にすら破れぬ鱗を持つ巨獣なのだ。
だがしかし、
『恋する乙女は最強なのじゃ』
ティーガンのそんな冗談めかした言葉と共に、深海を、世界を震撼させるほどの唸り声が響き渡る。
『ママに何をしたのぉ!!!???』
そしてリヴァイアサンの腹が喰い破られた。ティーガンによる変性を対策していたリヴァイアサンは腹を喰い破られた激痛と驚愕に慟哭する。
その慟哭に答えるのは、
『妾の牙がお主の鱗より強かった。それだけじゃ』
リヴァイアサンの腹を喰い破った巨獣。
まるでリヴァイアサンと対になるように、煌々と輝く鱗を幾万も連ねた全長数キロメートルの巨躯。どんな津波であろうと封殺する巨大な尾。どんな色よりも鮮やかな紅の瞳。
違うのは、雄々しいほどの巨大で立派な鮮血の牙。
ティーガンの生命に干渉する権能で自身の身体を変化させたのだ。
しかも、リヴァイアサンに異空間につれてこられてから今までの間で、祈力の性質の理解と操作の習得に専念していたのだ。
だから、そこまでの力の行使も反撃もしなかった。
また、巨獣に身体を変化させたのは、ティーガンが得た祈力の昇華に一番適応している姿がこれだったからだ。
深海が紅く染まっていく。海水が鮮血になり変わっていく。
『ほれ、追ってくるのじゃ』
巨獣のティーガンが上へ上へと泳ぐ。それはまるで空を飛んでいるかのように美しく鮮烈だ。
ティーガンが一度巨大な尾を打てば、青鈍色にも近い海水が、紅に色めく鮮血へと移り変わる。
まるで飛行機雲のようにその鮮血は一筋の線を描き、腹を喰い破られて動揺していたリヴァイアサンはその鮮血の線を追いかける。
そしてティーガンは海から躍り出る!
『ほぅ、雨まで降るんじゃな。ここは』
『ここはママの世界。ママの心に全てが支配される世界なのぉ!』
重力中和で空中を浮くティーガンは、幾万もの鱗を濡らす塩の雨に不愉快な声を示す。
塩の雨がティーガンの鱗に触れると、その鱗がパキパキと塩と化してしまうからだ。
腹を喰い破られて鬱屈した気持ちになっていたリヴァイアサンはそんな鬱陶しそうなティーガンの声に心を高揚させる。
それに益々ティーガンは不愉快な様子になるが、一転。
『では、妾の世界に変えてしまうとするかの』
『ッッッ!!!???』
ティーガンから鮮血の光が迸ったかと思うと、碧の大海は鮮血の大海へ変わり、降り注ぐ塩の雨は血の雨へと変わる。
『ぬぅ。ちょいと辛いのじゃ』
いくら祈力があろうとティーガンの持つ力は空間の書き換えではなく、生命への干渉。
つまるところ、この異空間そのものをティーガンの一部とすることで、リヴァイアサンから異空間の制御権を奪ったのだ。
しかし、果てまで続く異空間を自身の身体とした事で、無限にも近い情報量がティーガンの脳や魂魄を侵食する。
『ママから奪うことは許さないわぁ!』
『む』
だが、一瞬は動揺したものの元々この異空間を創り出したのはリヴァイアサン。ティーガンに奪われた制御権の半分を一瞬で取り返した。
血の領域と塩水の領域がぶつかり合う。
『最初から全力を出させてもらうのじゃ』
『ママには誰も勝てないのぉ!』
ティーガンは短期決戦が是と考え、その巨大な身体をうねらせ、リヴァイアサンへと突撃する。
リヴァイアサンもその巨大な身体を蠢かせ、ティーガンに突撃する。
両者が激突し、異空間そのものに歪を創るほどの衝撃波が迸る。血と塩の海が割れ強大な津波が発生する。
それは異空間の果てにまで伝わり、反響。波という性質に伴って共鳴し、更に津波が大きくなっていく。
しかし、ティーガンもリヴァイアサンもそれに目もくれない。
――グガァオオオオオオォォォッォォォッォォォォ!!!!
――ヴウゥオウオオオオオォォォッォォォォォォォ!!!!
全てが巨きい。
躰も咆哮も力も、何もかもが巨きい。
ティーガンとリヴァイアサン以外の存在がその場にいた時点で消し飛ぶほど、巨きかった。
その巨きな躰を揺らせば、脆弱な躰は崩れ落ち。その巨きな呼吸をすれば、脆弱な心は消し飛ばされ。
力は到底及ばず。
直樹と大輔ですらここに留まるだけでも精一杯になるほどの力が迸っている。
そんな巨大な力を振りまく巨きい獣は何度も何度も激突し、互いのその堅き鱗を削っていく。砕いていく。
何度も、何度も、何度も。
血の海も塩の海も、その衝撃に飲まれ、共鳴し、最終的にもう一つの巨きい獣となって衝突し合う。
世界の終わりのような光景だ。
そして、
「はぁ、はぁ、はぁ」
「ハァ、ハァ、ハァ」
互いに巨獣となる力すら尽きてしまう。
人の力だけとなり、海すらもなくなったその異空間で睨みあう。
ティーガンは血の日傘を、リヴァイアサンは海水の鞭を創り出し、互いに残る僅かな力を注ぎ、その剣を必殺とする。
だがしかし、もう既に手足を動かすことも難しく、呼吸することすらも酷く億劫で。
酷く脆弱で暗弱な存在の体。
だが、だからこそ、
「これで終わりじゃ」
「ッッ!!??」
その存在に対して、敬意を持つか見下すかの違いが、ティーガンの恋が轟く。
ぬるりと一歩を踏み出したティーガンは、重力に逆らうことなく、前に倒れ続ける。
それが人間の走り方。
対してリヴァイアサンは走ることはおろか、足を動かすことすらままならず。
「ママは王よぉッッッ!!!」
リヴァイアサンはそんな自らの様を誤魔化し、海水の鞭を構える。
自分に向かって愚直に一直線に走ってくるティーガンを正眼に捉える。
そしてティーガンがリヴァイアサンの海水の鞭の間合いに入った。ティーガンの血の日傘は未だにリヴァイアサンには届かない。
だからこそ、リヴァイアサンは勝利を確信し、猪突猛進してくるティーガンに海水の鞭を振るう。
海水の鞭の先端がティーガンの首元を捉え――
「知らぬのか? 人は小賢しいんじゃよ」
「ッッッ!!??」
ティーガンが消えた。海水の鞭は空虚を打った。
そのティーガンは幻影。
ティーガンの腹の中にいるヒデリの力を少しばかり借り、空気中の水分量を調節して幻影を創り出し、そこに生命干渉する力でティーガンの気配を付加したのだ。
つまり、それは偽物。
では、ティーガンは?
「終わりじゃ」
リヴァイアサンの背後だ。
「まだ、ママはッッ――」
リヴァイアサンは背後にいたティーガンに向かって、無理やり腕を動かし、海水の鞭をしならせようとして、
「ではの、哀れな獣」
それよりも速く、ティーガンは人の動きの自然なままに血の日傘を振り下ろし、リヴァイアサンを両断した。
生命に干渉する権能の真髄がリヴァイアサンの魂魄すらも切り裂き、この世から消滅させた。
リヴァイアサンは死んだ。
無数の海洋生物は、それを女王のように讃え、跪く。海すらも。
ティーガンを喰らった巨獣、リヴァイアサンはそのまま荒れる海へと着水。潜水。
轟々とうねる潮流をものともせず、いや、むしろそれすらもリヴァイアサンの手足であるかのように蠢き、リヴァイアサンは深く深く潜る。
やがて光すらも届かず、音も響かない圧倒的な圧力に支配された深海へと。奈落の底へと。
リヴァイアサンは潜る。
『何もかもがずるいわぁ』
鈍く低く響く声。海鳴りよりも轟くどす黒い感情。
『世界すら制する力を持っているのがずるいわぁ。弱者と戯れてるのもずるいわぁ。本能に抗う高潔な信念があってずるいわぁ。死を望むのがずるいわぁ。ママにはないものを持っていてずるいわぁ』
嫉妬。
リヴァイアサンは、嫉妬の悪魔。醜い巨獣。
それは自分が持っていない『何か』を持っている存在に対して、強く想う心。羨み、妬み、嫉む心。
そして、
『だから、そんなティーガンちゃんが傷つく様を見たかったのぉ。無くして無くして、全てを失う。それが見たかったのよぉ』
それは誰かを傷つける行動。蹴落とし、自己優位を保つ行動。
逆説的に考えれば、羨む、妬み、嫉んだとしても、傷つけなればそれは嫉妬ではない。
悪ではない。
それは、
『哀れなもんじゃ。恋もできぬ哀れな獣。渇望も尊敬も憧憬も持てぬ哀しき獣。蹴落とすことしか出来ぬ』
恋。憧れ。尊敬。
ティーガンが抱く全て。
巨獣のリヴァイアサンの腹の奥から、ティーガンの声が響く。淡々と静かな声音だ。
『……やっぱりずるいわぁ。姉さまみたいだわぁ。ずるいわぁ!』
リヴァイアサンはどす黒い心を隠そうともせず、深海の奥深くへとその嫉妬の声を響かせる。
天使も悪魔もとある存在によって創られた生物だ。天使は正感情を、悪魔は悪感情を糧とする存在をコンセプトとしている。
つまるところ、七つの大罪と七つの美徳が対となるように、天使も悪魔も対となる存在がいる。
もちろん、感情とは白と黒の二つで分けられるものではなく、近しかったり、混ざっていたりしている。
けれど……そう、想いと行動。
抱く感情から、どのような想いを願うか。どのような行動を選ぶか。
たぶん、そこが正と悪に分かれる基準。
とある存在はそう考え、天使と悪魔を創った。
そしてリヴァイアサンは、嫉妬の悪魔。
その対は、
『冀いの天使もママを憐れんでいたわぁ』
冀うを司る天使。
持っていない『何か』を愛し、尊び、欲しいと願い、祈り、動く。
淡く優しく強い想い。行動。
だから、だからこそ、リヴァイアサンは、
『喰ったのよぉ。姉さまが愛した存在全てと一緒に。あぁ、姉さまだってママには敵わない。どんなにママにはないものを持っていても、ママには敵わないぃ!』
うっとりとした声を響かせる。
『これ以上の悦びがあるかしらぁ!』
深海に響いたそれは悦びの声音のはずなのに、とても醜く感じてしまう。悍ましく感じてしまう。
『やはり哀れじゃ。そんな事でしかお主は自分を魅せられぬのだろう。幸せを抱けぬのじゃろう。……本当に哀れじゃ』
リヴァイアサンの腹の中から再びティーガンの声が響く。
『哀れぇ? 哀れではないわぁ! だって、こんなに愉快ですものぉ! ママは吸血鬼の歴史の頂点に立つティーガンちゃんを殺すぅ! その全てを奪う力がこの手にあるぅッッ! 高潔で強い存在すらもママには敵わないぃ! これ以上の愉快はあるかしらぁッッッ!』
つまるところ、地球における吸血鬼の歴史は全てティーガンという存在を栄光の頂点へと輝かせるための布石。駒。
そして栄光のトロフィーであるティーガンをリヴァイアサンが蹴落とす。ついでに、ティーガンに封印された吸血鬼たちも喰らう。
姉さまに似ていて、強大な力を持つのに脆弱な存在になりたがる心を、自分には理解できず絶対に持っていない想いを抱くティーガンへの嫉妬。
ドクンと深海が脈動する。圧倒的な水圧と闇が支配するその暗い世界に、更に深く悍ましい圧が掛かる。
全てを奈落の底へと引きずり込もうとする。
だから、リヴァイアサンの腹の中にいたティーガンは、抗う。
『妾は支配されぬ。この冀う翼をもぐことは誰にもできん。それに吸血鬼は妾の手元にはおらん』
『ッ!?』
リヴァイアサンの驚愕の声が深海に蠢く。
リヴァイアサンの腹の中は、半ば異空間のようなものとなっている。外に出ることは敵わず、じわじわと力と心を奪う場所。
対となる天使すらもそこから逃れることはできず朽ちたのだ。父上にすら破れぬ鱗を持つ巨獣なのだ。
だがしかし、
『恋する乙女は最強なのじゃ』
ティーガンのそんな冗談めかした言葉と共に、深海を、世界を震撼させるほどの唸り声が響き渡る。
『ママに何をしたのぉ!!!???』
そしてリヴァイアサンの腹が喰い破られた。ティーガンによる変性を対策していたリヴァイアサンは腹を喰い破られた激痛と驚愕に慟哭する。
その慟哭に答えるのは、
『妾の牙がお主の鱗より強かった。それだけじゃ』
リヴァイアサンの腹を喰い破った巨獣。
まるでリヴァイアサンと対になるように、煌々と輝く鱗を幾万も連ねた全長数キロメートルの巨躯。どんな津波であろうと封殺する巨大な尾。どんな色よりも鮮やかな紅の瞳。
違うのは、雄々しいほどの巨大で立派な鮮血の牙。
ティーガンの生命に干渉する権能で自身の身体を変化させたのだ。
しかも、リヴァイアサンに異空間につれてこられてから今までの間で、祈力の性質の理解と操作の習得に専念していたのだ。
だから、そこまでの力の行使も反撃もしなかった。
また、巨獣に身体を変化させたのは、ティーガンが得た祈力の昇華に一番適応している姿がこれだったからだ。
深海が紅く染まっていく。海水が鮮血になり変わっていく。
『ほれ、追ってくるのじゃ』
巨獣のティーガンが上へ上へと泳ぐ。それはまるで空を飛んでいるかのように美しく鮮烈だ。
ティーガンが一度巨大な尾を打てば、青鈍色にも近い海水が、紅に色めく鮮血へと移り変わる。
まるで飛行機雲のようにその鮮血は一筋の線を描き、腹を喰い破られて動揺していたリヴァイアサンはその鮮血の線を追いかける。
そしてティーガンは海から躍り出る!
『ほぅ、雨まで降るんじゃな。ここは』
『ここはママの世界。ママの心に全てが支配される世界なのぉ!』
重力中和で空中を浮くティーガンは、幾万もの鱗を濡らす塩の雨に不愉快な声を示す。
塩の雨がティーガンの鱗に触れると、その鱗がパキパキと塩と化してしまうからだ。
腹を喰い破られて鬱屈した気持ちになっていたリヴァイアサンはそんな鬱陶しそうなティーガンの声に心を高揚させる。
それに益々ティーガンは不愉快な様子になるが、一転。
『では、妾の世界に変えてしまうとするかの』
『ッッッ!!!???』
ティーガンから鮮血の光が迸ったかと思うと、碧の大海は鮮血の大海へ変わり、降り注ぐ塩の雨は血の雨へと変わる。
『ぬぅ。ちょいと辛いのじゃ』
いくら祈力があろうとティーガンの持つ力は空間の書き換えではなく、生命への干渉。
つまるところ、この異空間そのものをティーガンの一部とすることで、リヴァイアサンから異空間の制御権を奪ったのだ。
しかし、果てまで続く異空間を自身の身体とした事で、無限にも近い情報量がティーガンの脳や魂魄を侵食する。
『ママから奪うことは許さないわぁ!』
『む』
だが、一瞬は動揺したものの元々この異空間を創り出したのはリヴァイアサン。ティーガンに奪われた制御権の半分を一瞬で取り返した。
血の領域と塩水の領域がぶつかり合う。
『最初から全力を出させてもらうのじゃ』
『ママには誰も勝てないのぉ!』
ティーガンは短期決戦が是と考え、その巨大な身体をうねらせ、リヴァイアサンへと突撃する。
リヴァイアサンもその巨大な身体を蠢かせ、ティーガンに突撃する。
両者が激突し、異空間そのものに歪を創るほどの衝撃波が迸る。血と塩の海が割れ強大な津波が発生する。
それは異空間の果てにまで伝わり、反響。波という性質に伴って共鳴し、更に津波が大きくなっていく。
しかし、ティーガンもリヴァイアサンもそれに目もくれない。
――グガァオオオオオオォォォッォォォッォォォォ!!!!
――ヴウゥオウオオオオオォォォッォォォォォォォ!!!!
全てが巨きい。
躰も咆哮も力も、何もかもが巨きい。
ティーガンとリヴァイアサン以外の存在がその場にいた時点で消し飛ぶほど、巨きかった。
その巨きな躰を揺らせば、脆弱な躰は崩れ落ち。その巨きな呼吸をすれば、脆弱な心は消し飛ばされ。
力は到底及ばず。
直樹と大輔ですらここに留まるだけでも精一杯になるほどの力が迸っている。
そんな巨大な力を振りまく巨きい獣は何度も何度も激突し、互いのその堅き鱗を削っていく。砕いていく。
何度も、何度も、何度も。
血の海も塩の海も、その衝撃に飲まれ、共鳴し、最終的にもう一つの巨きい獣となって衝突し合う。
世界の終わりのような光景だ。
そして、
「はぁ、はぁ、はぁ」
「ハァ、ハァ、ハァ」
互いに巨獣となる力すら尽きてしまう。
人の力だけとなり、海すらもなくなったその異空間で睨みあう。
ティーガンは血の日傘を、リヴァイアサンは海水の鞭を創り出し、互いに残る僅かな力を注ぎ、その剣を必殺とする。
だがしかし、もう既に手足を動かすことも難しく、呼吸することすらも酷く億劫で。
酷く脆弱で暗弱な存在の体。
だが、だからこそ、
「これで終わりじゃ」
「ッッ!!??」
その存在に対して、敬意を持つか見下すかの違いが、ティーガンの恋が轟く。
ぬるりと一歩を踏み出したティーガンは、重力に逆らうことなく、前に倒れ続ける。
それが人間の走り方。
対してリヴァイアサンは走ることはおろか、足を動かすことすらままならず。
「ママは王よぉッッッ!!!」
リヴァイアサンはそんな自らの様を誤魔化し、海水の鞭を構える。
自分に向かって愚直に一直線に走ってくるティーガンを正眼に捉える。
そしてティーガンがリヴァイアサンの海水の鞭の間合いに入った。ティーガンの血の日傘は未だにリヴァイアサンには届かない。
だからこそ、リヴァイアサンは勝利を確信し、猪突猛進してくるティーガンに海水の鞭を振るう。
海水の鞭の先端がティーガンの首元を捉え――
「知らぬのか? 人は小賢しいんじゃよ」
「ッッッ!!??」
ティーガンが消えた。海水の鞭は空虚を打った。
そのティーガンは幻影。
ティーガンの腹の中にいるヒデリの力を少しばかり借り、空気中の水分量を調節して幻影を創り出し、そこに生命干渉する力でティーガンの気配を付加したのだ。
つまり、それは偽物。
では、ティーガンは?
「終わりじゃ」
リヴァイアサンの背後だ。
「まだ、ママはッッ――」
リヴァイアサンは背後にいたティーガンに向かって、無理やり腕を動かし、海水の鞭をしならせようとして、
「ではの、哀れな獣」
それよりも速く、ティーガンは人の動きの自然なままに血の日傘を振り下ろし、リヴァイアサンを両断した。
生命に干渉する権能の真髄がリヴァイアサンの魂魄すらも切り裂き、この世から消滅させた。
リヴァイアサンは死んだ。
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