愛田は、これまで歯牙にもかけない存在からやり返されるだなんてこと、夢にも思わなかった。自分自身が、かつてグレープにて健全に、そして不健全に多額の金をふしだらな輩から毟り取ってきた。いわゆる、ビリオンプレイヤーという存在だからこそ、多少なり自分に自信があった。
しかも、それは性的な方面だけではない。もし善吉に歯向かう不都合が存在したのなら、もう一つの刃である『法律』の刃にて斬り伏せるのみであった。慢心はない、そこにあるのは経験から基づく絶対的な自信だけ。どんな存在にも、よほどでない限り負けはない。
それが、絶対的な敗北につながるとは、夢にも思わず。
『
罪の裁定、それは悦楽の時』によって、多大なバフが懸かっているはずの物語たちが、たった一振りで壊滅状態に追い込まれていたのだ。
村正と各物語たちに何の因果関係も存在しない、そこにあるのは『因果関係なし』という絶対的な真実のみ。
だが、彼女の能力が、そう考えを放棄させてくれなかったのだ。
エヴァのベース能力は、非常に希少価値の高い『光』。あらゆる不浄を浄化し、並大抵の怪人であれば当人の傍に寄るだけで浄化させていく。所謂、悪人に対する絶対的な『
特効』が掛かるのだ。
「そっちが数多の物語を盾に戦うなら、私はこうだよ!!」
無数に生み出されるは、銘が入っていない刀身。それを顕現させた物語の数そっくりそのまま生成し、全てに小鎚を打つ。浮き出る文字は、それぞれを打倒できるレベルの特効が付与された、この世に一つしか存在しえない
特効兵装であったのだ。
『ば、馬鹿な!? 日本の刀工・村正が、これら世界の物語に関わりがあるはずがない!! そんなものはハッタリだ!!』
「そう思うのも当然だろうね。でも――そんな
出鱈目を実現できるのが、この力だ!!」
付与している特効は、村正のものでは無く『光』の力によるもの。それぞれの物語を象徴する存在が犯した罪、そしてそれらを背負う罪人に対する特効をかけたのだ。
それらで勢いよく一刀両断された物語たちは、派手に爆発四散し、残るは愛田怪人体のみであったのだ。
「さ、ここからは楽しい斬り合いだ――簡単に終わらないでよ!!」
『クソッ……これだから
最高潮状態の
英雄は大嫌いなんだ、自分の意のままに事が動くと考えるッ!!』
すぐさまフリップブッカーを操作、初めに戻った結果生まれたのはハートの女王が使っていた鞭であった。それを即席で硬質化し、罪の力を埋め込む。
『第二百六十三条・他人の信書を隠匿した者は、六月以下の懲役若しくは禁錮又は十万円以下の罰金若しくは科料に処す――――』
しかし、その硬質鞭すら、まるで豆腐を斬るような気軽さで一刀両断。頭部装甲の目元から覗く瞳は、まだまだ斬り足りないと言わんばかりに、喜びに狂っていたのだ。
その時、初めて愛田は眼前の存在に慄然とした。愛ゆえに愛に狂う、のではなく愛ゆえに愛を原動力に狂っているのだから。
そしてその恐怖心は、どこか仲間意識を芽生えさせるきっかけにもなった。罪の力を抱えさせずに超高速で打ち合う中で、ここまで狂える存在がいることに、敵ながら喜びに震えていたのだ。
元からそこまで戦闘狂という訳ではないのだが、エヴァに感化されより上の
狂人へ進化したのだ。
顔面の鏡が崩壊し、ガラス片にて何か所か切った、血だらけの顔半分が覗く中で、愛田もエヴァに釣られ笑っていたのだ。
だが、自身に罪の力を背負わせた瞬間に、『光』のベース能力による特効が自動的にかかり、窮地に追い詰められる。かといって、罪の力を背負わないと明確な火力不足に陥る。因子は無い上にドライバーの力を十二分に活かせている訳でもない。
この状況に意味は無い。それでも、同じように愛がきっかけとなり狂った存在と打ち合えることに、心から喜びに打ち震えていたのだ。
これまでの人生経験において学んできた、各種格闘技術を用いて新銘刀に何度も立ち向かうも、圧倒的膂力に圧される。八方塞がりな状況でも、愛田は笑っていた。
しかし、どこまで行っても窮地は変わらず。
遂に両腕の動きの起点となる腱を斬り飛ばされ、一切の防御すら出来ない状況に陥る。
それで終わる――はずもなく。愛田は鏡の強度をドライバー本来の魔力を用いて強化したのだ。
『負けたくない』。ただそれだけの願いが、欲望が、愛田をどこまでも強靭な狂人とする。
来栖善吉という、人道を完全に外れた究極の外道に、心も体も尽くしたい。何なら、そんな存在と共にこれからも生きていきたい。隣で笑い合っていたい。下らないことを駄弁りながら、共に生きていきたい。そのために、すぐに負けるだなんて無様を見せたくない。ただその女の意地が、どこまでも泥臭く勝利を目指す意固地さを生み出したのだ。
腱をドライバー由来の魔力によって修復し、両腕を動かしエヴァの頭部装甲を思い切り殴り飛ばす。しかし、一切の傷は入らない。
だが、エヴァもまた彼女の泥臭い意地に拳を介して気付いた。同じように愛ゆえに行動する彼女にシンパシーを感じ取り、彼女の意地を、己の意地で正当に圧し折ってやろうと考えたのだ。
新銘刀を虚空に預け、意趣返しと言わんばかりに思い切り顔面を殴り飛ばす。愛田が与えた蚊が刺したようなダメージとは裏腹に、鏡面を思い切りぶち破る、至高のストレートが突き刺さったのだ。
あれだけ元夜の蝶として整っていた顔面が、鏡の破片によって、そして打撃によってどんどん傷ついていく。瘤や出血、傷により、ビリオンプレイヤーとしての顔は消え失せていく。
自分にコンプレックスは今や存在しない。だからこその『この姿』になるのだが、それは同時に自分を見失っている証でもあるのだ。フリップブッカーも彼女らしいアイテムである。
決まった顔、決まった服が一部を除いて存在しない夜の蝶。ありとあらゆる存在が好むような、千変万化の面を持つ。本来存在したはずの愛田は、もはや強靭かつねじ曲がった精神性でしか存在しない。
そんな中で、基本的に誰も知らない素の姿を見たのは、ほんのごく一部。その内の一人に来栖善吉はいるのだが、彼は仕事の結果のみを求め、それを当人の評価として見るがゆえに、見せても支障のない相手となったのだ。
エヴァもまた、たった今素の姿を見た一人。愛田自身が見せても構わないと考えたのもあるだろうが、それ以前に愛を武器に戦う存在同士、敬意を持って接するべきだと考えたゆえの結果である。
互いに何度も拳を打ち合って、互いの頬で互いの拳を受け止める。だが、その拳に血を現在進行形で塗布しているのはエヴァのみ。愛田の意識も飛びかけであった。
あまりにもの力の差に、足元がおぼつかない愛田。それでも、最後まで足掻くべくフリップブッカーを操作、顕現できる物語を全てその場に化け物の姿で露出させる。特効が掛かろうが掛かるまいがそんなこと知るか、と言わんばかりに、全員にか細い声で罪の力を付着。六法全書すら見ずに、丸暗記した条項を一字一句違わずに詠唱したのだ。
「――本当、これまで戦った中で一番……ある意味話の分かる存在だった」
『わたし――も……あんた……たたかえたの――――うれしい。まけたくなんて、ないんだけどね』
もう命の灯火すら消えかかっている中で、エヴァは最後の情けを掛けるのだった。なんと、『光』の力で愛田を全快の状態にまで、一瞬で治したのだ。その代わり、エヴァの魔力量が目に見えて減ったものの、愛田はそれを好機と見たのだ。
『何で、治したんだよ――そうなったら私はアンタを殺しにかかっちゃう!! 好敵手を殺す
好機見逃すほど馬鹿じゃあないんだわ、善吉さんのためにッ、ためにッ私はァァッ!!』
「――そう。なら……その
好機に見える蜘蛛の糸や怪人もろとも――全部ぶった斬るだけだから」
ドライバー両端、そしてドライバーの上下を深く押し込んで、互いに自分と周囲、あるいは自分と化け物たちもろとも溢れるほどの魔力を満たす。
『超必殺承認!!』
『Killing Engine Ignition』
「行くぞ、愛田亜紗!!」
『来い、エヴァ・クリストフ!!』
互いに跳躍し、より高みから飛び蹴りを放つエヴァに対し、怪人として顕現させた全ての力を集約し、攻防一体の盾とし迎え撃つ愛田。
圧倒的力と力が、衝突する。膨大な魔力と衝撃が、それぞれの狭間に生まれ爆音を生み出す。拮抗した状態はほんの数秒、徐々に単独で技を放つエヴァが徐々に圧し始めたのだ。
じりじりと、圧され始めている現状に怒る。自身の血管数本を、そして全身の筋肉繊維をお釈迦にしても、心の底から勝ちたかったのだ。徐々に鏡の肉体が壊れていく中で、人間の姿が現れていく。それでもなお、そんなことを考える余裕はない。
圧倒的な差があろうと、勝ちたい。子供の
癇癪を彷彿とさせるものであるが、その根源に存在するは実に純粋かつ美しい欲求。
雄叫びを上げながら防ぎ続けるも、結局は全て崩壊。蹴りを迎え撃つのかと思った愛田は、度肝を抜かれる。
眼前の英雄が手にしていたのは、新銘刀・ムラマサ。必殺の一振りが、今まさに愛田の肉体を捉えようとしていたのだ。だが、その現実を許容するかのように、涙交じりに笑って見せたのだ。
「
覚悟は良い?」
『ッ――――嫌だッ!! でも、でもッッ!! 戦えて、向き合えて嬉しかったッッ!!』
『|村正剣戟一ノ段・一刀完全両断《ムラマサチャンバラ・ファースト=ブッタギリショータイム!!』
右肩から袈裟に振り下ろされる、不可視かつ超高速の一撃。刀自体には血が一切付着することの無い、究極の切れ味を堪能できる、至高の一撃であった。
打倒するならば、確実性を持たせ複数攻撃した方が良いだろう。だが、たった一振りで終わらせる無常を味わわせるのも、好敵手としての礼儀であると確信したエヴァの、心ばかりの礼であった。
「ありがとうございます、愛田さん。お陰様で……私は今一度『狂う』ことが出来ました。
戦場に戻るきっかけの一つを担ってくれて……本当に、ありがとうございました」