十一話 喰らうてやる

ー/ー



 だからこそ、ティーガンは地に伏していた。

 祈力熾所(ししょ)の一つ、桜島。

 多少噴煙を上げており、近隣住民は避難している。一般人が今回の騒動でファンタジーと直接接触しないようにティーガンが日本全土に張った過越しの結界のせいでもあるが。

 そこにはあらゆる化生が伏していた。

 大地を覆うほどの巨大な蛇も千の手がある夜叉、太陽の(たてがみ)を持つ獅子、(ふくろう)の頭に狼の体と蛇の尻尾をもった存在。ワニの顔を持つ男性。様々な動物の頭と巨大な腕、新生児の指を連ねたベルトを腰に巻く羅刹。

 他にも銀の巨狼、八本足の馬に乗り二匹の(からす)を肩に乗せた隻眼の男性、三つ目の巨人に黄金に輝く猪。

 様々な存在が桜島の前に伏して息絶えていた。いや、仮死状態にされていた。

 ティーガンによって、叩きのめされたのだ。

 そして、しかし、

『ふんっ。西洋の鬼神も大したものではないな』
「カハッ!」

 ティーガンは伏していた。地に這い、うめき声をあげる。

 ティーガンと同等か、いや、むしろそれ以上に肌が白く生気もない少女が、ティーガンを見下ろしていた。

 チャイナ風の衣服を身に纏い、体は枯れたように細い。顔立ちだけ見れば相当な美女だったのではないかと伺えるが、今は見る影もない。

 紅い瞳だけが、炯々(けいけい)と輝いている。

 それは僵尸(きょうし)、ヒデリ。

 大陸に封印されていた化生の一体であり、神性を持たずとも神とさえ戦えるほどの力を持っていた存在。

 あらゆるものを()らし、()らす。(しお)れと(かわ)きの化身。

 ヒデリは地に伏すティーガンに向かって大きく足を振り上げる。

「グッ」

 ティーガンは豪速で空中に蹴り上げられる。それと同時に、ヒデリは空を駆けティーガンの頭上へ。

『堕ちろ』
「ガッ」

 火山灰が噴き上げる火口の一つ、南岳へ蹴り落とす。

「このっ!」

 噴煙に(まみ)れながら、何とか気を保ったティーガンは吸血鬼(ヴァンパイア)の翼を羽ばたかせ、真下のマグマに触れる前に勢いを殺す。

 だが。

(のろ)い』

 結界で噴煙を防ぎながらヒデリは、ティーガンを溶岩へと蹴り落とす。ティーガンは声を出せぬままマグマに沈む。

『私と同じ領域にいると思ったが……腑抜けた奴よの。萎れぬほどの希望もなく、渇かぬほどの望蜀(ぼうしょく)もないとは』

 心底呆れたと言わんばかりにヒデリは、その光を映さぬ瞳でティーガンが沈んだマグマを見下ろした。

 そして次の瞬間。

「確かに、妾は失った」
『ッ!!』

 マグマに燃え沈んだはずのティーガンの静かな声音が響いた。

 同時に、ヒデリの四肢が脈絡もなく切断される。枯れた(死体)を象徴する彼女の身には有り得ない生命の潤い(紅き血)が噴き散る。

 もちろん千切れた四肢は瞬く間に再生するが、ヒデリはその紅い瞳を怯えるように揺らす。

 その静かな声音は先ほどのティーガンとは全く別物。

 ヒデリの力により、肉体と魂魄に宿る力は失われ(萎れて渇き)、無気力となり飽きぬ渇きに支配され腑抜けた存在ではない。

 理性的に世界各地の化け物たちを圧倒していた存在ではない。

 (おぞ)ましい。

 まるで、深淵に潜むナニカが、理性とは真逆のナニカが這い出てきたような。

 つまり、それは吸血鬼(ヴァンパイア)

 理知ありし始祖ではなく、己の欲を望む化け物。

 そこに律された美しさ(理性)はなく、荒々しい美しさ()だけが吠える。

『ッ!!』

 ヒデリは顔を歪め、火山から脱出する。噴煙を防ぐ結界すらも忘れて、灰に(まみ)れながら必死に夜空へと飛び出る。

 同時に。

「お主が悪いんじゃぞ。妾の始祖の力を、いや理性だけを萎れさせてしもうたから」
『がァッ!!??』

 火を纏った巨大な血の腕が桜島の山肌から突き出てきた。ヒデリは殴られる。(ひしゃ)げる。

 その中で、ヒデリは視た。神通力とも言える透視の力で、それを見た。

 桜島のマグマ深くに眠る存在に。

大皇(おおすめ)日女(ひめ)のお陰で呪いによる反動は、既に消え去っていたんじゃ。全盛期の力を取り戻しておった」

 それは血の巨人。溶岩と火山灰を纏い鮮血に輝くその血の巨人は、火山が巨大噴火したかの如く(うな)る。

 ティーガンが張った過越しの結界では庇いきれぬほどの存在は、九州全土の存在が見た。聞いた。

『枯れろッ!! 渇けッ!!』

 (ひしゃ)げた体を再生させながら、ヒデリは己の権能を(ふる)う。ティーガンの生命に干渉する力と同等の格をもつ力。失わせる(潤いを涸らす)力。

 それは確かに効力があった。溶岩を纏う血の巨人が一瞬だけ、崩れ去った。

 されど、直ぐに元に戻る。無限に血が湧き出てくる。その血に溶岩の高熱の炎が伝い、山を燃やしていく。

 桜島の各地に伏した、死んでいながらも肉体と魂魄を丁寧に保護(封印)されていた様々な化生たちが燃えていく山に飲み込まれていく。

「呪いが消えようと、(とが)は消えぬ。それは矜持じゃった。理知への誇りじゃった」

 節制。自立。自戒。

 以前はそれが行き過ぎて暴走した。

 雪がそれを止めてくれたが、しかしながら理性の暴走があれば、その逆もしかり。

「満たされておった。数千年続いた戦いは終わり、平穏を手に入れた。本当の平穏じゃ。拗れていたクロノアとも徐々に話し合えてきた。愛孫のようなウィオリナが笑顔を取り戻し、楽し気に学校の話を聞くのが好きじゃった。愛する朝焼けの灰(アブギ)の者たちも徐々に平穏な日常生活を取り戻しておった。世界の、人間の発展を目の当たりにできて、吸血鬼(ヴァンパイア)から人間を守ってきた誇りもあったんじゃ」

 恋愛感情とはなにか。その答えは千差万別であり、答えはない。

 ただ、根源的にそれは『欲』から生まれる。

 それは生物的な欲だけではない。知的欲。承認的な欲。独占的な欲。奉仕的な欲。依存的な欲。

 欲を律する理知とは真逆であるそれは、つまり渇き。足りぬナニかへの渇望()

 それを(うち)からうねらす血の巨人――ティーガンは、ヒデリに向かって巨腕を振り下ろす。

 まるで、これで終わってくれと願うように。その先を進んでしまえば、平穏には戻れないから。諦められなくなるから。

「確かに妾は失ったんじゃよ。それを。それで良かったんじゃ」

 だが、そうやすやすと終わるはずもない。終わっていいはずもない。

『舐めるっ、なっ!! 私は(ヒデリガミ)ぞ! その身に溢れる冀い(望蜀)()れさせてたるわ!』

 ヒデリは大地を涸らす。山を涸らし、溶岩の輝きを涸らす。

 淡く黒い波動を纏い、ヒデリはその血の巨腕を受け止める。また、体に纏う淡い黒の波動を迸らせ、その血の巨腕を()らしていく。

 唸り、その身を変じさせていく。あらゆる欲を奪い、()らしていく巨竜へと。淡く黒い波動を纏う竜巻へと。

 かつて神性すらも()らしたその力で、目の前にいる生命()の化身を()らそうとする。

 だが、それは間に合わない。

(恋願)うとはまさにこれじゃ。恋焦がれるとはまさにこの感情()じゃ」

 いつ頃だっただろうか?

 人への強い憧れ()がただの尊敬(理知)に変わったのは。己を律するがあまり、いつの間にか自分の変化にすらも気が付かなくなっていた。 

 未だに己は人に憧れているのだと振舞った。今でもそう振舞っていた。

 始祖となり、始祖となれぬ吸血鬼(ヴァンパイア)たちの()に疲れていたティーガン。

 地球に来たのは、静かに生きる屍となろうと思っていたから。誰にも邪魔されず、ただそこにいる石像のような存在に。

 なのに、出会った。

 美しいだけじゃない。悲しいし、苦しいし、醜い。汚れていたり、浅ましかったり。それでいて、清かったり、優しかったり。

 そんな人間が己の()を為そうとすることが酷く眩しく見えた。

 こういう欲もあるのだと。醜いだけじゃない。輝かしい()があるのだと。

 ティーガンはそれに()せられ、仲間である始祖たちにそれを()せて。

 だから、()せた者として仲間(始祖)を人にして。クロノアが人にできないと知って。試行錯誤していたら、吸血鬼(ヴァンパイア)が自分たちを追いかけてきて。

 自分たちが、自分が撒いた種であるから――否。自分が人間に憧れているから、彼らがいなくなっては困るから、人間を守るために戦って、戦って、戦って……

 いつしか自分の本心()は忘れ、建前(誇り)だけが残ってしまって。

 だがしかし。今。身を焦がす渇き(欲望)に、駆り立てるような恋願(こいねが)うに支配されたティーガンは、

「喰らうてやる」

 生命()を迸らせる。

 大海とすら思える鮮血で火山を覆い、己の体とする。溶岩と灰を纏った鮮血の巨獣へと変身する。

 それは(くじら)にも近い。幾万の血の鱗をもったティーガン(巨獣)は巨大な(あぎと)を開く。

 まるで果てしない()の全てを喰らいつくかのように、渇望の巨竜となっていたヒデリすらも簡単に丸飲みにしてしまう。

 それでもヒデリは抗う。

『馬鹿がッ! 内から()らしてやろうぞ!』
「たわけ。妾に宿る輝き()はその程度では渇かぬ。終わりなどないのじゃ」

 巨獣を形成する血を体の内から喰らい涸らそうとするヒデリに、ティーガンはまるで全てを包み込む母の如く欲望を(たぎ)らせる。

 涸らしても涸らしても尽きない()

 故に、巨竜であるヒデリの腹は、その()で満杯になろうとしていた。

「怨みもあるが、感謝するぞ。忘れていたものを思い出した」
『……こんな、終わり――』
「終わりではない。お主は死なぬ。お主の渇きは妾が潤してやる」
『そう、か』

 そしてヒデリはティーガンに完全に飲み込まれた。



 Φ



「……やってしもうた」

 紫ツインドリルに鮮血の瞳、ゴスロリ巨乳姿に戻ったティーガンは、身を焦がす感情を必死に抑制しながら、後悔する。

 桜島は崩壊。溶岩も次々に溢れだしており、あと十分もせずに近隣の住宅やらは全て焼き滅んでしまう。

 いや、今もティーガンが暴れた余波によってところどころが(えぐ)れてしまっている。

 ティーガンは申し訳ないやら、物悲しいやら。

 それにヒデリは己の裡で封印しているからまだいいのだが、この地を襲った化生は全て焼き滅ぼしてしまった。彼らも封印して保護しようとしていたのに。欲望に支配され、忘れてしまった。

 情けなさが押し寄せてくる。

 が、

「ここら辺はミュールさんに似ているな」
「ッ!!」

 ティーガンは息を飲む。

 いつの間にか少しボロボロの直樹が隣に立っていたから。

 そして同時に。

「済まぬっ!」
「謝るな」

 ティーガンは直樹の首に(かぶ)り付く。犬歯を首筋に立て、血を吸う。

 抑えきれなかったのだ。

 雪の血を吸った時以上に、その吸血衝動が強く、そしてあの時にはなかった安堵とも言うべき感情がティーガンを突き動かした。

「んく。ぅうん」

 直樹はそんなティーガンの心情を察しているのかいないのか、ただただティーガンの吸血を受け止めていく。背中をポンポンと撫でる。

「ほぅ……」

 そして、致死量ギリギリまで直樹の血を喰らいつくしたティーガンは、妖艶に唇の周りについた血を舌で舐めとる。

 数十分前の焼き直しともとれるそれは、けれど、違う。

 直樹は兎も角、ティーガンは違う。

 恍惚に頬を紅潮させたティーガンは、歓喜を宿したその瞳を伏せる。

「すま……ありがとうじゃ」

 直樹の周囲には数百の[影魔]モード・グリフォンがいて、ティーガンが燃やしてしまったはずの化生たちが息絶えていた。つまり、封印されていた。

「妾は暴れた。あれだけ暴れれば、周囲の被害もこれだけではすまぬ。本当に助かった」

 愛しい人を見つめるように、誇らしく嬉しく(恋焦がれるように)微笑んだティーガンに、失った血を回復すべく大輔お手製の血増薬を飲んでいた直樹は溜息を吐く。

 呆れたように首を横に振る。

「あのな。お前はこいつらを燃やしてないし、自分で自分の攻撃を防いだんだ。俺はただ回収しただけだ」
「ッ」
「無意識でもお前はお前の過去に報いた。積み重ねてきた矜持があった。忘れてない。何一つな」

 そう言って直樹は済まなそうに眉を八の字にする。

「それよりも、遅れて済まない。ヒデリとやらも確認していたし、お前がやられているのも分かっていたが、直ぐには来れなかった」

 銚子を襲う化生を相手にしていた翔が、様々な幻力をいっぺんに喰らったせいで気持ち悪くなってしまったエクスィナの影響を受け、お腹を壊したのだ。トイレでずっと戦っていたのだ。

 なので、直樹は急遽(きゅうきょ)、その穴を埋めていたのだ。

 そのせいで、律するティーガンとはその正反対の渇望のヒデリに一方的にやられていたのに、直ぐに助けにいけなかった。

「よい。妾を信じておったのじゃろう?」
「……まぁ、お前は強いからな」

 ティーガンの嬉しそうに艶笑(えんしょう)に、直樹は少しだけそっぽを向く。

 それから、真剣な瞳でティーガンに確かめる。

「大丈夫なのか? 感情とかある程度制御できるか?」
「うむ。大丈夫じゃ。お主の血を吸ったおかげでだいぶ収まった。それよりもお主の方が大丈夫かえ? あれだけの血を飲んでしもうたし……」

 生命に干渉する力で、体を調べたり、回復したりはしているものの、ティーガンは心配そうに直樹を見やった。

 直樹は頷く。

「問題ない。それよりも、ここの被害も含めて、クロノアの力で巻き戻しをしたいんだが、連絡はまだこないのか?」
「こないの。たぶんじゃが、イギリスでも何かしらが起こっておるのじゃろう」
「……そうか。あとでそっちにも行かなきゃな」

 そう呟いた直樹は、やばッと呟く。

「ティーガン。京都の方がそろそろヤバそうだから戻る。何か、向こうに伝えておくことはあるか?」
「ふむ……」

 ティーガンは少し考えこんだ末に、片手を虚空にかざす。

「今の妾なら、できるな」

 そこには血の巨竜が三体、創り出された。また、崩壊した桜島から流れ込んでいた溶岩が生きた生物かのように(うご)き、やがて巨人となる。

 それに少し驚く直樹の腕にティーガンが抱きつく。

「大丈夫とは言うが、お主が心配じゃ。妾も向こうに行く。大丈夫、あの竜たちは妾に届かないものの、それなりの力がある。本隊が来るまでは問題なかろうて」
「……分かった」

 そう言って、どうにか抱きつくティーガンから離れようと試行錯誤する直樹は、ティーガンを連れて京都へ転移した。


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 だからこそ、ティーガンは地に伏していた。
 祈力|熾所《ししょ》の一つ、桜島。
 多少噴煙を上げており、近隣住民は避難している。一般人が今回の騒動でファンタジーと直接接触しないようにティーガンが日本全土に張った過越しの結界のせいでもあるが。
 そこにはあらゆる化生が伏していた。
 大地を覆うほどの巨大な蛇も千の手がある夜叉、太陽の|鬣《たてがみ》を持つ獅子、|梟《ふくろう》の頭に狼の体と蛇の尻尾をもった存在。ワニの顔を持つ男性。様々な動物の頭と巨大な腕、新生児の指を連ねたベルトを腰に巻く羅刹。
 他にも銀の巨狼、八本足の馬に乗り二匹の|烏《からす》を肩に乗せた隻眼の男性、三つ目の巨人に黄金に輝く猪。
 様々な存在が桜島の前に伏して息絶えていた。いや、仮死状態にされていた。
 ティーガンによって、叩きのめされたのだ。
 そして、しかし、
『ふんっ。西洋の鬼神も大したものではないな』
「カハッ!」
 ティーガンは伏していた。地に這い、うめき声をあげる。
 ティーガンと同等か、いや、むしろそれ以上に肌が白く生気もない少女が、ティーガンを見下ろしていた。
 チャイナ風の衣服を身に纏い、体は枯れたように細い。顔立ちだけ見れば相当な美女だったのではないかと伺えるが、今は見る影もない。
 紅い瞳だけが、|炯々《けいけい》と輝いている。
 それは|僵尸《きょうし》、ヒデリ。
 大陸に封印されていた化生の一体であり、神性を持たずとも神とさえ戦えるほどの力を持っていた存在。
 あらゆるものを|枯《か》らし、|涸《か》らす。|萎《しお》れと|渇《かわ》きの化身。
 ヒデリは地に伏すティーガンに向かって大きく足を振り上げる。
「グッ」
 ティーガンは豪速で空中に蹴り上げられる。それと同時に、ヒデリは空を駆けティーガンの頭上へ。
『堕ちろ』
「ガッ」
 火山灰が噴き上げる火口の一つ、南岳へ蹴り落とす。
「このっ!」
 噴煙に|塗《まみ》れながら、何とか気を保ったティーガンは|吸血鬼《ヴァンパイア》の翼を羽ばたかせ、真下のマグマに触れる前に勢いを殺す。
 だが。
『|鈍《のろ》い』
 結界で噴煙を防ぎながらヒデリは、ティーガンを溶岩へと蹴り落とす。ティーガンは声を出せぬままマグマに沈む。
『私と同じ領域にいると思ったが……腑抜けた奴よの。萎れぬほどの希望もなく、渇かぬほどの|望蜀《ぼうしょく》もないとは』
 心底呆れたと言わんばかりにヒデリは、その光を映さぬ瞳でティーガンが沈んだマグマを見下ろした。
 そして次の瞬間。
「確かに、妾は失った」
『ッ!!』
 マグマに燃え沈んだはずのティーガンの静かな声音が響いた。
 同時に、ヒデリの四肢が脈絡もなく切断される。|枯れた《死体》を象徴する彼女の身には有り得ない|生命の潤い《紅き血》が噴き散る。
 もちろん千切れた四肢は瞬く間に再生するが、ヒデリはその紅い瞳を怯えるように揺らす。
 その静かな声音は先ほどのティーガンとは全く別物。
 ヒデリの力により、肉体と魂魄に宿る力は|失われ《萎れて渇き》、無気力となり飽きぬ渇きに支配され腑抜けた存在ではない。
 理性的に世界各地の化け物たちを圧倒していた存在ではない。
 |悍《おぞ》ましい。
 まるで、深淵に潜むナニカが、理性とは真逆のナニカが這い出てきたような。
 つまり、それは|吸血鬼《ヴァンパイア》。
 理知ありし始祖ではなく、己の欲を望む化け物。
 そこに|律された美しさ《理性》はなく、|荒々しい美しさ《欲》だけが吠える。
『ッ!!』
 ヒデリは顔を歪め、火山から脱出する。噴煙を防ぐ結界すらも忘れて、灰に|塗《まみ》れながら必死に夜空へと飛び出る。
 同時に。
「お主が悪いんじゃぞ。妾の始祖の力を、いや理性だけを萎れさせてしもうたから」
『がァッ!!??』
 火を纏った巨大な血の腕が桜島の山肌から突き出てきた。ヒデリは殴られる。|拉《ひしゃ》げる。
 その中で、ヒデリは視た。神通力とも言える透視の力で、それを見た。
 桜島のマグマ深くに眠る存在に。
「|大皇《おおすめ》|日女《ひめ》のお陰で呪いによる反動は、既に消え去っていたんじゃ。全盛期の力を取り戻しておった」
 それは血の巨人。溶岩と火山灰を纏い鮮血に輝くその血の巨人は、火山が巨大噴火したかの如く|唸《うな》る。
 ティーガンが張った過越しの結界では庇いきれぬほどの存在は、九州全土の存在が見た。聞いた。
『枯れろッ!! 渇けッ!!』
 |拉《ひしゃ》げた体を再生させながら、ヒデリは己の権能を|揮《ふる》う。ティーガンの生命に干渉する力と同等の格をもつ力。|失わせる《潤いを涸らす》力。
 それは確かに効力があった。溶岩を纏う血の巨人が一瞬だけ、崩れ去った。
 されど、直ぐに元に戻る。無限に血が湧き出てくる。その血に溶岩の高熱の炎が伝い、山を燃やしていく。
 桜島の各地に伏した、死んでいながらも肉体と魂魄を丁寧に|保護《封印》されていた様々な化生たちが燃えていく山に飲み込まれていく。
「呪いが消えようと、|咎《とが》は消えぬ。それは矜持じゃった。理知への誇りじゃった」
 節制。自立。自戒。
 以前はそれが行き過ぎて暴走した。
 雪がそれを止めてくれたが、しかしながら理性の暴走があれば、その逆もしかり。
「満たされておった。数千年続いた戦いは終わり、平穏を手に入れた。本当の平穏じゃ。拗れていたクロノアとも徐々に話し合えてきた。愛孫のようなウィオリナが笑顔を取り戻し、楽し気に学校の話を聞くのが好きじゃった。愛する|朝焼けの灰《アブギ》の者たちも徐々に平穏な日常生活を取り戻しておった。世界の、人間の発展を目の当たりにできて、|吸血鬼《ヴァンパイア》から人間を守ってきた誇りもあったんじゃ」
 恋愛感情とはなにか。その答えは千差万別であり、答えはない。
 ただ、根源的にそれは『欲』から生まれる。
 それは生物的な欲だけではない。知的欲。承認的な欲。独占的な欲。奉仕的な欲。依存的な欲。
 欲を律する理知とは真逆であるそれは、つまり渇き。足りぬナニかへの|渇望《恋》。
 それを|裡《うち》からうねらす血の巨人――ティーガンは、ヒデリに向かって巨腕を振り下ろす。
 まるで、これで終わってくれと願うように。その先を進んでしまえば、平穏には戻れないから。諦められなくなるから。
「確かに妾は失ったんじゃよ。それを。それで良かったんじゃ」
 だが、そうやすやすと終わるはずもない。終わっていいはずもない。
『舐めるっ、なっ!! 私は|魃《ヒデリガミ》ぞ! その身に溢れる|冀い《望蜀》を|涸《か》れさせてたるわ!』
 ヒデリは大地を涸らす。山を涸らし、溶岩の輝きを涸らす。
 淡く黒い波動を纏い、ヒデリはその血の巨腕を受け止める。また、体に纏う淡い黒の波動を迸らせ、その血の巨腕を|涸《か》らしていく。
 唸り、その身を変じさせていく。あらゆる欲を奪い、|涸《か》らしていく巨竜へと。淡く黒い波動を纏う竜巻へと。
 かつて神性すらも|涸《か》らしたその力で、目の前にいる|生命《欲》の化身を|涸《か》らそうとする。
 だが、それは間に合わない。
「|冀《恋願》うとはまさにこれじゃ。恋焦がれるとはまさにこの|感情《欲》じゃ」
 いつ頃だっただろうか?
 人への強い|憧れ《恋》がただの|尊敬《理知》に変わったのは。己を律するがあまり、いつの間にか自分の変化にすらも気が付かなくなっていた。 
 未だに己は人に憧れているのだと振舞った。今でもそう振舞っていた。
 始祖となり、始祖となれぬ|吸血鬼《ヴァンパイア》たちの|欲《業》に疲れていたティーガン。
 地球に来たのは、静かに生きる屍となろうと思っていたから。誰にも邪魔されず、ただそこにいる石像のような存在に。
 なのに、出会った。
 美しいだけじゃない。悲しいし、苦しいし、醜い。汚れていたり、浅ましかったり。それでいて、清かったり、優しかったり。
 そんな人間が己の|欲《夢》を為そうとすることが酷く眩しく見えた。
 こういう欲もあるのだと。醜いだけじゃない。輝かしい|欲《恋》があるのだと。
 ティーガンはそれに|魅《み》せられ、仲間である始祖たちにそれを|魅《み》せて。
 だから、|魅《み》せた者として|仲間《始祖》を人にして。クロノアが人にできないと知って。試行錯誤していたら、|吸血鬼《ヴァンパイア》が自分たちを追いかけてきて。
 自分たちが、自分が撒いた種であるから――否。自分が人間に憧れているから、彼らがいなくなっては困るから、人間を守るために戦って、戦って、戦って……
 いつしか自分の|本心《欲》は忘れ、|建前《誇り》だけが残ってしまって。
 だがしかし。今。身を焦がす|渇き《欲望》に、駆り立てるような|恋願《こいねが》うに支配されたティーガンは、
「喰らうてやる」
 |生命《欲》を迸らせる。
 大海とすら思える鮮血で火山を覆い、己の体とする。溶岩と灰を纏った鮮血の巨獣へと変身する。
 それは|鯨《くじら》にも近い。幾万の血の鱗をもった|ティーガン《巨獣》は巨大な|顎《あぎと》を開く。
 まるで果てしない|海《欲》の全てを喰らいつくかのように、渇望の巨竜となっていたヒデリすらも簡単に丸飲みにしてしまう。
 それでもヒデリは抗う。
『馬鹿がッ! 内から|涸《か》らしてやろうぞ!』
「たわけ。妾に宿る|輝き《欲》はその程度では渇かぬ。終わりなどないのじゃ」
 巨獣を形成する血を体の内から喰らい涸らそうとするヒデリに、ティーガンはまるで全てを包み込む母の如く欲望を|滾《たぎ》らせる。
 涸らしても涸らしても尽きない|血《欲》。
 故に、巨竜であるヒデリの腹は、その|血《欲》で満杯になろうとしていた。
「怨みもあるが、感謝するぞ。忘れていたものを思い出した」
『……こんな、終わり――』
「終わりではない。お主は死なぬ。お主の渇きは妾が潤してやる」
『そう、か』
 そしてヒデリはティーガンに完全に飲み込まれた。
 Φ
「……やってしもうた」
 紫ツインドリルに鮮血の瞳、ゴスロリ巨乳姿に戻ったティーガンは、身を焦がす感情を必死に抑制しながら、後悔する。
 桜島は崩壊。溶岩も次々に溢れだしており、あと十分もせずに近隣の住宅やらは全て焼き滅んでしまう。
 いや、今もティーガンが暴れた余波によってところどころが|抉《えぐ》れてしまっている。
 ティーガンは申し訳ないやら、物悲しいやら。
 それにヒデリは己の裡で封印しているからまだいいのだが、この地を襲った化生は全て焼き滅ぼしてしまった。彼らも封印して保護しようとしていたのに。欲望に支配され、忘れてしまった。
 情けなさが押し寄せてくる。
 が、
「ここら辺はミュールさんに似ているな」
「ッ!!」
 ティーガンは息を飲む。
 いつの間にか少しボロボロの直樹が隣に立っていたから。
 そして同時に。
「済まぬっ!」
「謝るな」
 ティーガンは直樹の首に|齧《かぶ》り付く。犬歯を首筋に立て、血を吸う。
 抑えきれなかったのだ。
 雪の血を吸った時以上に、その吸血衝動が強く、そしてあの時にはなかった安堵とも言うべき感情がティーガンを突き動かした。
「んく。ぅうん」
 直樹はそんなティーガンの心情を察しているのかいないのか、ただただティーガンの吸血を受け止めていく。背中をポンポンと撫でる。
「ほぅ……」
 そして、致死量ギリギリまで直樹の血を喰らいつくしたティーガンは、妖艶に唇の周りについた血を舌で舐めとる。
 数十分前の焼き直しともとれるそれは、けれど、違う。
 直樹は兎も角、ティーガンは違う。
 恍惚に頬を紅潮させたティーガンは、歓喜を宿したその瞳を伏せる。
「すま……ありがとうじゃ」
 直樹の周囲には数百の[影魔]モード・グリフォンがいて、ティーガンが燃やしてしまったはずの化生たちが息絶えていた。つまり、封印されていた。
「妾は暴れた。あれだけ暴れれば、周囲の被害もこれだけではすまぬ。本当に助かった」
 愛しい人を見つめるように、|誇らしく嬉しく《恋焦がれるように》微笑んだティーガンに、失った血を回復すべく大輔お手製の血増薬を飲んでいた直樹は溜息を吐く。
 呆れたように首を横に振る。
「あのな。お前はこいつらを燃やしてないし、自分で自分の攻撃を防いだんだ。俺はただ回収しただけだ」
「ッ」
「無意識でもお前はお前の過去に報いた。積み重ねてきた矜持があった。忘れてない。何一つな」
 そう言って直樹は済まなそうに眉を八の字にする。
「それよりも、遅れて済まない。ヒデリとやらも確認していたし、お前がやられているのも分かっていたが、直ぐには来れなかった」
 銚子を襲う化生を相手にしていた翔が、様々な幻力をいっぺんに喰らったせいで気持ち悪くなってしまったエクスィナの影響を受け、お腹を壊したのだ。トイレでずっと戦っていたのだ。
 なので、直樹は|急遽《きゅうきょ》、その穴を埋めていたのだ。
 そのせいで、律するティーガンとはその正反対の渇望のヒデリに一方的にやられていたのに、直ぐに助けにいけなかった。
「よい。妾を信じておったのじゃろう?」
「……まぁ、お前は強いからな」
 ティーガンの嬉しそうに|艶笑《えんしょう》に、直樹は少しだけそっぽを向く。
 それから、真剣な瞳でティーガンに確かめる。
「大丈夫なのか? 感情とかある程度制御できるか?」
「うむ。大丈夫じゃ。お主の血を吸ったおかげでだいぶ収まった。それよりもお主の方が大丈夫かえ? あれだけの血を飲んでしもうたし……」
 生命に干渉する力で、体を調べたり、回復したりはしているものの、ティーガンは心配そうに直樹を見やった。
 直樹は頷く。
「問題ない。それよりも、ここの被害も含めて、クロノアの力で巻き戻しをしたいんだが、連絡はまだこないのか?」
「こないの。たぶんじゃが、イギリスでも何かしらが起こっておるのじゃろう」
「……そうか。あとでそっちにも行かなきゃな」
 そう呟いた直樹は、やばッと呟く。
「ティーガン。京都の方がそろそろヤバそうだから戻る。何か、向こうに伝えておくことはあるか?」
「ふむ……」
 ティーガンは少し考えこんだ末に、片手を虚空にかざす。
「今の妾なら、できるな」
 そこには血の巨竜が三体、創り出された。また、崩壊した桜島から流れ込んでいた溶岩が生きた生物かのように|蠢《うご》き、やがて巨人となる。
 それに少し驚く直樹の腕にティーガンが抱きつく。
「大丈夫とは言うが、お主が心配じゃ。妾も向こうに行く。大丈夫、あの竜たちは妾に届かないものの、それなりの力がある。本隊が来るまでは問題なかろうて」
「……分かった」
 そう言って、どうにか抱きつくティーガンから離れようと試行錯誤する直樹は、ティーガンを連れて京都へ転移した。