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#101 絶望を祓う月 その5 (カグヤ視点)

ー/ー



 先程、ヌンヴィス司教の停戦を命じる声がルーンベイル中に響き渡った。


 かなり切羽詰まった声だったことからして、恐らくはダスクとジェフによって順当に叩きのめされ、停戦を呼び掛けなければ命は無いとでも脅迫されたと思われる。
 司教に扇動され、殺気立っていた反徒たちは途端に戦意を失くし、解散していった。


 これで反乱は収束するだろうが、安心するにはまだ早い。


「『原点へ立ち返る期(リターン・オブ・ザ・ネイティヴ)』」


 ケルド帝の寝室でも使った、物体の時間を戻して元通りにする魔法。


 反徒たちの目的はフェンデリン一族の打倒であり、自分たちが今後も暮らしていく街を荒らし回ることではなかった訳だが、それでも街中にも破壊された物や傷を負った者は当然居る。


 私の役目は、そうした者たちへ救いの手を差し伸べること。
 故にこうして街中を歩き、怪我人や破壊された建物に『原点へ立ち返る期(リターン・オブ・ザ・ネイティヴ)』を掛けているのだが、


「「きゃああああああああああああああああーッ!!」」


 すぐ近くで、悲鳴交じりの崩落音がガラガラと轟いた。
 悲鳴の感じと鳴り響いた音の規模から考えて、明らかに只事ではない。
 私の足は、自然とそちらへ向かって駆け出す。


「おい、早く引っ張り出せよ……!」
「急かすなよ。まずそっちをどかしてくれ」


 つい先程までは木造の家屋だったと思われるそこでは、今や木の骸の山と化しており、既に数人の男たちが救助作業に当たっていた。


原点へ立ち返る期(リターン・オブ・ザ・ネイティヴ)』を使えば、崩れ落ちた家屋だろうと十秒もあれば復元できるが、まずは巻き込まれた人を運び出し終え、誰も居ない状態にする必要がある。


「おい、あんた大丈夫か……?」
「しっかりしろ、お嬢ちゃん……!」


 程無くして、残骸の中から二人が救助された。
 八歳くらいの少女と、その母親と思しき女性。


「けほっ、けほっ……」
「良かった、女の子の方は無事だ……!」


 幸いにも少女の方は軽傷で済んだようだが、共に救助された母親の方は──


「おい、そっちの人はどうだ?」
「まだ息はあるみたいだが……まずいな、胸を貫かれている……!」


 彼女の胸は、まるで大輪の薔薇でも咲いたかのような真紅に染まっており、その真ん中から折れた材木の先端が突き出た痛々しい有様は、心臓に杭を打ち込まれた吸血鬼を彷彿とさせた。


「お母さん! お母さん……!」


 娘が何度呼び掛けても、母親はか細い呻き声のみで応答しない。
 恐らくは、家屋の倒壊から我が子を庇った結果だろう。
 刺さった材木が栓となって出血を止めているお陰で、奇跡的に命を保っているものの、極めて危険な状態だということは素人目にも分かる。


「大変だこりゃ……早く引き抜けよ!」
「いや待て、これはどう見ても心臓をやられている。抜いたらその瞬間に血がドバッと噴き出てあの世行きだ」
「抜いた瞬間に素早く治癒魔法を掛けるってのは?」
「治癒魔法だって万能じゃない。掛けてすぐ傷が塞がるなんてことは無いんだ。治癒魔導薬(キュア・ポーション)もな。かと言って、刺さったままの状態ではどんな治癒魔法を掛けても意味が無い……」


 治癒魔法は対象者の細胞や魔力を活性化、組織の再生を促進させるものであり、剣や矢などが体に刺さっていたり、破片や弾丸のような異物が体内に残留したまま掛けてしまうと、傷が完全に治らなかったり、治ったとしても後で重大な炎症を引き起こす恐れがある。


「治癒魔法を掛け続けた状態で、木を引っこ抜くってのはどうだ?」
「噴き出る血の勢いに心臓そのものが耐え切れない。高度な治癒魔法なら何とかなるかも知れないが、私が使えるものでは治る前に死んでしまう。これはもう私の力ではどうにも……」


 あの母親を救うには、まず突き刺さった材木を引き抜き、細かい破片なども全て摘出するという外科的な処置を施さなくてはならないようだが、残念ながらこの場にそんな高度な技術を持つ者は居なさそうだ。
 病院ならばまだ望みはあるかも知れないが、今頃は次々に担ぎ込まれる負傷者への対応で手一杯なのは間違い無く、手遅れになる可能性が大きい。


 ならば、手段は一つ。


「その人は私が処置します。皆さん、離れて下さい」


 名乗りを上げて進み出た私へ、全員の視線が注がれる。


「君も快癒術師(ヒーラー)か? 今の話は聞こえていたはずだ。この状態ではどんな治癒魔法でも助けられない」
「承知しています。だからこそ私がやるのです」


 会話している間にも、目の前の女性の容体は悪化していく。
 物体や生物の時間を損傷する前まで戻したとしても、終わってしまった命を取り戻すことだけは──勿論アンデッド化は除く──決してできない。


「お母さん、なおる……?」
「大丈夫よ。安心して」


 涙ぐむ少女を(なだ)め、意識の戻らない母親に触れて『原点へ立ち返る期(リターン・オブ・ザ・ネイティヴ)』を掛ける。
 誰も触れていないにも関わらず、刺さった材木が独りでに母親の胸から抜けた。


「いけない……! 血が噴き出──えっ……?」


 通常であれば、隣の快癒術師(ヒーラー)の言う通り大量に出血してしまう所だ。
 治癒魔法では傷の修復と再生はできても、体内の血液量まで元通りになる訳ではないため、治療自体に成功しても血を失い過ぎて命を落としてしまうケースも多々あると聞いた。


 しかし、今は出血どころかその逆──


「ち、血が……胸の穴へ吸い込まれて──いや、戻って来ている……!?」


原点へ立ち返る期(リターン・オブ・ザ・ネイティヴ)』ならば、異物を摘出した際に噴き出た血液は勿論、既に壁や地面に染み込んでしまった血さえも、一ミリリットルに至るまで体内へ帰るため、失血死の恐れは無い。


「何なんだ、こりゃあ……」
「これ、治癒魔法なのか……!?」


 材木が刺さって胸を貫かれる過程の高速逆再生とも言うべき光景に、その場の者たちは我が眼を疑い、呆気に取られていた。


 失われた血液が全て体内に帰り、胸の穴も痕跡すら残さず閉じられた。
 のみならず、衣服の損傷も綺麗に修復され、汚れさえも消え去り、彼女の全身は傷を負う直前の状態まで完全に戻った。


「お、おい見ろよ、崩れ落ちた建物が……!!」
「マジかよ、どんどん元に戻っている……!?」


原点へ立ち返る期(リターン・オブ・ザ・ネイティヴ)』の効果は、母娘を巻き込んで崩れ落ちた建物にも及ぶ。


「何が、どうなってんだ……? 俺は夢か幻でも見てるのか……?」


 どんな腕利きの職人でも修復できない状態だった建物は、十秒と経たぬ間に元の姿を取り戻していた。


「──終わりました」


 未だ気を失ったままだが、呼吸も脈拍も安定している。
 母と娘に訪れるはずだった悲劇は無事に回避された。


 安堵する人々の様子を見届けて、背を向けて立ち去ろうとする私を、先程の快癒術師(ヒーラー)が呼び止めた。


「待ってくれ。一体今の魔法は何なんだ……? 治癒魔法、なのか? そんなもの初めて見るぞ。どうやって習得したんだ……?」
「申し訳ありませんが、それは秘密です」


 皇宮の禁書庫に保管されていた特級の魔導書(グリモワール)から、などと言える訳が無い。
 今の様子を眺めていた者たちも、起きた現象の正体が時間回帰だとは思い至っていない様子だった。


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 先程、ヌンヴィス司教の停戦を命じる声がルーンベイル中に響き渡った。
 かなり切羽詰まった声だったことからして、恐らくはダスクとジェフによって順当に叩きのめされ、停戦を呼び掛けなければ命は無いとでも脅迫されたと思われる。
 司教に扇動され、殺気立っていた反徒たちは途端に戦意を失くし、解散していった。
 これで反乱は収束するだろうが、安心するにはまだ早い。
「『|原点へ立ち返る期《リターン・オブ・ザ・ネイティヴ》』」
 ケルド帝の寝室でも使った、物体の時間を戻して元通りにする魔法。
 反徒たちの目的はフェンデリン一族の打倒であり、自分たちが今後も暮らしていく街を荒らし回ることではなかった訳だが、それでも街中にも破壊された物や傷を負った者は当然居る。
 私の役目は、そうした者たちへ救いの手を差し伸べること。
 故にこうして街中を歩き、怪我人や破壊された建物に『|原点へ立ち返る期《リターン・オブ・ザ・ネイティヴ》』を掛けているのだが、
「「きゃああああああああああああああああーッ!!」」
 すぐ近くで、悲鳴交じりの崩落音がガラガラと轟いた。
 悲鳴の感じと鳴り響いた音の規模から考えて、明らかに只事ではない。
 私の足は、自然とそちらへ向かって駆け出す。
「おい、早く引っ張り出せよ……!」
「急かすなよ。まずそっちをどかしてくれ」
 つい先程までは木造の家屋だったと思われるそこでは、今や木の骸の山と化しており、既に数人の男たちが救助作業に当たっていた。
『|原点へ立ち返る期《リターン・オブ・ザ・ネイティヴ》』を使えば、崩れ落ちた家屋だろうと十秒もあれば復元できるが、まずは巻き込まれた人を運び出し終え、誰も居ない状態にする必要がある。
「おい、あんた大丈夫か……?」
「しっかりしろ、お嬢ちゃん……!」
 程無くして、残骸の中から二人が救助された。
 八歳くらいの少女と、その母親と思しき女性。
「けほっ、けほっ……」
「良かった、女の子の方は無事だ……!」
 幸いにも少女の方は軽傷で済んだようだが、共に救助された母親の方は──
「おい、そっちの人はどうだ?」
「まだ息はあるみたいだが……まずいな、胸を貫かれている……!」
 彼女の胸は、まるで大輪の薔薇でも咲いたかのような真紅に染まっており、その真ん中から折れた材木の先端が突き出た痛々しい有様は、心臓に杭を打ち込まれた吸血鬼を彷彿とさせた。
「お母さん! お母さん……!」
 娘が何度呼び掛けても、母親はか細い呻き声のみで応答しない。
 恐らくは、家屋の倒壊から我が子を庇った結果だろう。
 刺さった材木が栓となって出血を止めているお陰で、奇跡的に命を保っているものの、極めて危険な状態だということは素人目にも分かる。
「大変だこりゃ……早く引き抜けよ!」
「いや待て、これはどう見ても心臓をやられている。抜いたらその瞬間に血がドバッと噴き出てあの世行きだ」
「抜いた瞬間に素早く治癒魔法を掛けるってのは?」
「治癒魔法だって万能じゃない。掛けてすぐ傷が塞がるなんてことは無いんだ。|治癒魔導薬《キュア・ポーション》もな。かと言って、刺さったままの状態ではどんな治癒魔法を掛けても意味が無い……」
 治癒魔法は対象者の細胞や魔力を活性化、組織の再生を促進させるものであり、剣や矢などが体に刺さっていたり、破片や弾丸のような異物が体内に残留したまま掛けてしまうと、傷が完全に治らなかったり、治ったとしても後で重大な炎症を引き起こす恐れがある。
「治癒魔法を掛け続けた状態で、木を引っこ抜くってのはどうだ?」
「噴き出る血の勢いに心臓そのものが耐え切れない。高度な治癒魔法なら何とかなるかも知れないが、私が使えるものでは治る前に死んでしまう。これはもう私の力ではどうにも……」
 あの母親を救うには、まず突き刺さった材木を引き抜き、細かい破片なども全て摘出するという外科的な処置を施さなくてはならないようだが、残念ながらこの場にそんな高度な技術を持つ者は居なさそうだ。
 病院ならばまだ望みはあるかも知れないが、今頃は次々に担ぎ込まれる負傷者への対応で手一杯なのは間違い無く、手遅れになる可能性が大きい。
 ならば、手段は一つ。
「その人は私が処置します。皆さん、離れて下さい」
 名乗りを上げて進み出た私へ、全員の視線が注がれる。
「君も|快癒術師《ヒーラー》か? 今の話は聞こえていたはずだ。この状態ではどんな治癒魔法でも助けられない」
「承知しています。だからこそ私がやるのです」
 会話している間にも、目の前の女性の容体は悪化していく。
 物体や生物の時間を損傷する前まで戻したとしても、終わってしまった命を取り戻すことだけは──勿論アンデッド化は除く──決してできない。
「お母さん、なおる……?」
「大丈夫よ。安心して」
 涙ぐむ少女を|宥《なだ》め、意識の戻らない母親に触れて『|原点へ立ち返る期《リターン・オブ・ザ・ネイティヴ》』を掛ける。
 誰も触れていないにも関わらず、刺さった材木が独りでに母親の胸から抜けた。
「いけない……! 血が噴き出──えっ……?」
 通常であれば、隣の|快癒術師《ヒーラー》の言う通り大量に出血してしまう所だ。
 治癒魔法では傷の修復と再生はできても、体内の血液量まで元通りになる訳ではないため、治療自体に成功しても血を失い過ぎて命を落としてしまうケースも多々あると聞いた。
 しかし、今は出血どころかその逆──
「ち、血が……胸の穴へ吸い込まれて──いや、戻って来ている……!?」
『|原点へ立ち返る期《リターン・オブ・ザ・ネイティヴ》』ならば、異物を摘出した際に噴き出た血液は勿論、既に壁や地面に染み込んでしまった血さえも、一ミリリットルに至るまで体内へ帰るため、失血死の恐れは無い。
「何なんだ、こりゃあ……」
「これ、治癒魔法なのか……!?」
 材木が刺さって胸を貫かれる過程の高速逆再生とも言うべき光景に、その場の者たちは我が眼を疑い、呆気に取られていた。
 失われた血液が全て体内に帰り、胸の穴も痕跡すら残さず閉じられた。
 のみならず、衣服の損傷も綺麗に修復され、汚れさえも消え去り、彼女の全身は傷を負う直前の状態まで完全に戻った。
「お、おい見ろよ、崩れ落ちた建物が……!!」
「マジかよ、どんどん元に戻っている……!?」
『|原点へ立ち返る期《リターン・オブ・ザ・ネイティヴ》』の効果は、母娘を巻き込んで崩れ落ちた建物にも及ぶ。
「何が、どうなってんだ……? 俺は夢か幻でも見てるのか……?」
 どんな腕利きの職人でも修復できない状態だった建物は、十秒と経たぬ間に元の姿を取り戻していた。
「──終わりました」
 未だ気を失ったままだが、呼吸も脈拍も安定している。
 母と娘に訪れるはずだった悲劇は無事に回避された。
 安堵する人々の様子を見届けて、背を向けて立ち去ろうとする私を、先程の|快癒術師《ヒーラー》が呼び止めた。
「待ってくれ。一体今の魔法は何なんだ……? 治癒魔法、なのか? そんなもの初めて見るぞ。どうやって習得したんだ……?」
「申し訳ありませんが、それは秘密です」
 皇宮の禁書庫に保管されていた特級の|魔導書《グリモワール》から、などと言える訳が無い。
 今の様子を眺めていた者たちも、起きた現象の正体が時間回帰だとは思い至っていない様子だった。