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1 運命の人に出会いました

ー/ー



プロローグ

 恋とは狩りだ、と誰かが言った。

「素敵だな」と私は思った。

 まさか自分が狩られる側(=餌)だとも気づかずに。



       ◇ ◇ ◇

1 運命の人に出会いました

 勤めていた音楽教室をやめた。ピアノ講師歴五年目、8月のことだった。

「なぜ秘書課出身なのに音楽講師に?」

 ハローワークで担当女性に尋ねられた。
 言いたくないけれど、仕方ない。

「学生時代に講師のバイトを……店長の引きでそのまま正社員に抜擢です」
「なるほど。おせっかいな大人に人生を狂わされたんですね。新卒の五年は貴重ですよ」

 抜擢というポジティブワードが別なものに書き換えられたのを、私は作り笑いでやり過ごす。
 ああ、デジャヴ。
 母は「だから普通のОLになりなさい言うたでしょ!」と私をなじり、件の店長は「倉田(くらた)先生の未来を潰してしまって」とうなだれた。
 まだ25歳。一度くらいの転職で大げさな。そう思いたいけれど。
 流石に3度目の苦言である。もしかして私、結構ヤバい?

「まあ、今後は正しい選択をしてください。くれぐれも高望みはやめること。夢が仕事に、なんて都市伝説ですからね」

 言われっぱなしで面談終了。失業手当は3ヶ月後だそう。 
 高望みなんてしてなくて、ただただ流されてそうなっただけで……。ていうか、それが駄目だったのかな……。


(…………何なのよ)

 なんだか、ひどくむしゃくしゃして、自然に足が土手へと向かう。キョロキョロと周りを見て、人影チェック。誰もいない。私は大きく深呼吸をすると、川に向かって大声で叫んだ。

「私の人生、これからでしょーーーー!! 勝手に負け犬にするなーーーーーーーー!!!!!」

 職業斡旋のプロなのに、迷える仔羊をさらなる迷路へと引っぱりこんでどうすんの。少なくとも私は今、途方に暮れている。

「えっ? 犬?」

 正面の木陰からカップル二人が顔を出し、ぎょっとしたような顔で私を見る。いや、驚いているのは女性の方だけで、男性は面白そうに笑っている。
 美男美女なので無駄に顔を覚えてしまった。

「元気なワンちゃんだね。ははっ」
「もうっ。また別な女の子に目移りしてる」

 私はカッと頬を赤らめる。

「あっ、ごめんなさい。お邪魔しましたっ」

 私は慌てて逃げ出した。

 よろよろとアパートにたどり着く。
 2DKの部屋へと転がり込み、スーツ姿のままソファへとダイブ。
 窓際にある電子ピアノを見ないようにしながら、クッションをギュッと抱きしめて独りごちる。

 正しい選択……かあ……。
 今の私は夜の大海原にいるようだ。
 星明かりすら見当たらず、どうしていいかわからない。
 
 「はああああ。まさしく漂流中の小舟だわ……いつになったら丘に上がれるんだろう……」

 前向きと言われる私だが、散々周りにおどされたせいで、流石に不安マックスになっている。
 気分を変えようとタブレットを起動。何気なく動画サイトをひらく。
 たまたま知らないチャンネルをクリックしてしまったらしく、よく通るバリトンが流れて来た。

「過去を悔やむのは大いなる無駄だ。今すぐ目的に向かって舵をとれ」
(え? 舵?)

 私は体を起こし、タブレットを掴んだ。
 そこに映っていたのは自己啓発系動画にありがちな、白い背景にスーツ姿の男性が座り真面目な顔で語りかけてくるというものだった。しかしありきたりなのは背景のみ。
 男性のビジュアルは、瞬きを忘れて見入ってしまうほど飛び抜けていた。
 広い額に無造作に分けられたサラサラの黒髪。高い鼻梁。シャープな顎。
 ハリウッドスターさながらの、完璧すぎるルックス。
 オフィスとおぼしき無機質な空間で、圧倒的な存在感と輝くオーラを放っている。

(かっこいい……!)

 私は思わず身を乗り出した。イケメン、スパダリ、いや、どんな言葉も到底足りない端正な顔。
 しかし肝心なのはそこじゃない。
 薄く形のいい唇から流れるよく通るバリトン。
 耳がいい私は自他共に認める声フェチだ。そんな私の鼓膜を、彼の声は甘く震わせた。
 はっきり言って一生聞いていられると思う。それくらい好きな声だった。

「またどうせ失敗する。現実を見ろ。できるわけがない。世の中はそんな言葉で溢れている。君のやる気を奪い挑戦を阻む呪いの言葉だ。今すぐゴミ箱に捨ててしまえ」

 私は昼間の職員を思い出す。まるでモニタリングされてたかのような完璧なタイミング。

「君がもし立ち止まっているとしたら、それは目的を決めなかったからだ。誰かの言葉に流されて、人生の舵を他人に渡したから、大海原の真ん中で途方に暮れる羽目になる」
「なんてこと……! 確かにそうだわ……!」

 私は感動に打ち震える。
 ピアノ講師になったのも、やめたのも、他人に手を差し伸べられたり、はなされたりしたためだ。
 大義があって飛び込んだ世界なら、「音大出じゃない講師は迷惑だ」なんて周りの空気なんて、きっと、はらいのけることが出来ただろう。

 頭の中のイメージに星が見えた。
 行く先はまだわからないけれど、小さな明かりがあるだけで、どれほど心強いだろう。

「人生の舵はいつでも取り戻せる。目的を決めて、ダイブするんだ。過去なんて関係ない。大切なのは一歩前へ、踏み出す勇気だ」

 彼……烏丸さんは、はまっすぐな瞳でそう締めくくる。

「人生の選択を間違えましたね」

 グワングワンと頭の中で鳴り響いていたノイズが、超ど級の美声に上書きされて消えて行く。
 ミルクのような霧に覆われていた視界が、一筋の太陽で祓われるような、思考が一気にクリアになっていく感覚。
 すっぽりと空いた心のスペースに彼の言葉だけが深く刻まれた。
 大切なのは過去じゃなくて未来。そう。今度こそ正しい道を選べばいい。

(もう私は迷わない)

 ぐるぐるしていた胸の中の羅針盤がぐぐぐ、と一点を指すのがわかる。

「中小企業のOLになる。秘書課を出た私には一番相応しいポジションだわ」

 方針が決まった。最高である。
 目的、だなんて、気がつけばシンプルすぎる答えだが、見つけられたのは、この人のおかげだ。

 日本を代表する総合商社、烏丸商事のCEO。烏丸怜(からすまれい)
 2年前に先代から代替わりをしたばかりの若社長だ。御年29歳だが貫禄がありもう少し年上に見える。

「今を生きるチャレンジャーな君たちとの出会いを待っている」

 そんな風に締めくくられた「会社説明会」用のその動画を、私は一言一句を暗唱できるまで鬼リピし、立派な烏丸信者へと成長した。

 そしてその一週間後。

 学生たちでひしめく、迎賓館ホールの最後尾で、私は胸をときめかせながら推しの登場を今か今かと待っていた。





みんなのリアクション

プロローグ
 恋とは狩りだ、と誰かが言った。
「素敵だな」と私は思った。
 まさか自分が狩られる側(=餌)だとも気づかずに。
       ◇ ◇ ◇
1 運命の人に出会いました
 勤めていた音楽教室をやめた。ピアノ講師歴五年目、8月のことだった。
「なぜ秘書課出身なのに音楽講師に?」
 ハローワークで担当女性に尋ねられた。
 言いたくないけれど、仕方ない。
「学生時代に講師のバイトを……店長の引きでそのまま正社員に抜擢です」
「なるほど。おせっかいな大人に人生を狂わされたんですね。新卒の五年は貴重ですよ」
 抜擢というポジティブワードが別なものに書き換えられたのを、私は作り笑いでやり過ごす。
 ああ、デジャヴ。
 母は「だから普通のОLになりなさい言うたでしょ!」と私をなじり、件の店長は「|倉田《くらた》先生の未来を潰してしまって」とうなだれた。
 まだ25歳。一度くらいの転職で大げさな。そう思いたいけれど。
 流石に3度目の苦言である。もしかして私、結構ヤバい?
「まあ、今後は正しい選択をしてください。くれぐれも高望みはやめること。夢が仕事に、なんて都市伝説ですからね」
 言われっぱなしで面談終了。失業手当は3ヶ月後だそう。 
 高望みなんてしてなくて、ただただ流されてそうなっただけで……。ていうか、それが駄目だったのかな……。
(…………何なのよ)
 なんだか、ひどくむしゃくしゃして、自然に足が土手へと向かう。キョロキョロと周りを見て、人影チェック。誰もいない。私は大きく深呼吸をすると、川に向かって大声で叫んだ。
「私の人生、これからでしょーーーー!! 勝手に負け犬にするなーーーーーーーー!!!!!」
 職業斡旋のプロなのに、迷える仔羊をさらなる迷路へと引っぱりこんでどうすんの。少なくとも私は今、途方に暮れている。
「えっ? 犬?」
 正面の木陰からカップル二人が顔を出し、ぎょっとしたような顔で私を見る。いや、驚いているのは女性の方だけで、男性は面白そうに笑っている。
 美男美女なので無駄に顔を覚えてしまった。
「元気なワンちゃんだね。ははっ」
「もうっ。また別な女の子に目移りしてる」
 私はカッと頬を赤らめる。
「あっ、ごめんなさい。お邪魔しましたっ」
 私は慌てて逃げ出した。
 よろよろとアパートにたどり着く。
 2DKの部屋へと転がり込み、スーツ姿のままソファへとダイブ。
 窓際にある電子ピアノを見ないようにしながら、クッションをギュッと抱きしめて独りごちる。
 正しい選択……かあ……。
 今の私は夜の大海原にいるようだ。
 星明かりすら見当たらず、どうしていいかわからない。
 「はああああ。まさしく漂流中の小舟だわ……いつになったら丘に上がれるんだろう……」
 前向きと言われる私だが、散々周りにおどされたせいで、流石に不安マックスになっている。
 気分を変えようとタブレットを起動。何気なく動画サイトをひらく。
 たまたま知らないチャンネルをクリックしてしまったらしく、よく通るバリトンが流れて来た。
「過去を悔やむのは大いなる無駄だ。今すぐ目的に向かって舵をとれ」
(え? 舵?)
 私は体を起こし、タブレットを掴んだ。
 そこに映っていたのは自己啓発系動画にありがちな、白い背景にスーツ姿の男性が座り真面目な顔で語りかけてくるというものだった。しかしありきたりなのは背景のみ。
 男性のビジュアルは、瞬きを忘れて見入ってしまうほど飛び抜けていた。
 広い額に無造作に分けられたサラサラの黒髪。高い鼻梁。シャープな顎。
 ハリウッドスターさながらの、完璧すぎるルックス。
 オフィスとおぼしき無機質な空間で、圧倒的な存在感と輝くオーラを放っている。
(かっこいい……!)
 私は思わず身を乗り出した。イケメン、スパダリ、いや、どんな言葉も到底足りない端正な顔。
 しかし肝心なのはそこじゃない。
 薄く形のいい唇から流れるよく通るバリトン。
 耳がいい私は自他共に認める声フェチだ。そんな私の鼓膜を、彼の声は甘く震わせた。
 はっきり言って一生聞いていられると思う。それくらい好きな声だった。
「またどうせ失敗する。現実を見ろ。できるわけがない。世の中はそんな言葉で溢れている。君のやる気を奪い挑戦を阻む呪いの言葉だ。今すぐゴミ箱に捨ててしまえ」
 私は昼間の職員を思い出す。まるでモニタリングされてたかのような完璧なタイミング。
「君がもし立ち止まっているとしたら、それは目的を決めなかったからだ。誰かの言葉に流されて、人生の舵を他人に渡したから、大海原の真ん中で途方に暮れる羽目になる」
「なんてこと……! 確かにそうだわ……!」
 私は感動に打ち震える。
 ピアノ講師になったのも、やめたのも、他人に手を差し伸べられたり、はなされたりしたためだ。
 大義があって飛び込んだ世界なら、「音大出じゃない講師は迷惑だ」なんて周りの空気なんて、きっと、はらいのけることが出来ただろう。
 頭の中のイメージに星が見えた。
 行く先はまだわからないけれど、小さな明かりがあるだけで、どれほど心強いだろう。
「人生の舵はいつでも取り戻せる。目的を決めて、ダイブするんだ。過去なんて関係ない。大切なのは一歩前へ、踏み出す勇気だ」
 彼……烏丸さんは、はまっすぐな瞳でそう締めくくる。
「人生の選択を間違えましたね」
 グワングワンと頭の中で鳴り響いていたノイズが、超ど級の美声に上書きされて消えて行く。
 ミルクのような霧に覆われていた視界が、一筋の太陽で祓われるような、思考が一気にクリアになっていく感覚。
 すっぽりと空いた心のスペースに彼の言葉だけが深く刻まれた。
 大切なのは過去じゃなくて未来。そう。今度こそ正しい道を選べばいい。
(もう私は迷わない)
 ぐるぐるしていた胸の中の羅針盤がぐぐぐ、と一点を指すのがわかる。
「中小企業のOLになる。秘書課を出た私には一番相応しいポジションだわ」
 方針が決まった。最高である。
 目的、だなんて、気がつけばシンプルすぎる答えだが、見つけられたのは、この人のおかげだ。
 日本を代表する総合商社、烏丸商事のCEO。|烏丸怜《からすまれい》。
 2年前に先代から代替わりをしたばかりの若社長だ。御年29歳だが貫禄がありもう少し年上に見える。
「今を生きるチャレンジャーな君たちとの出会いを待っている」
 そんな風に締めくくられた「会社説明会」用のその動画を、私は一言一句を暗唱できるまで鬼リピし、立派な烏丸信者へと成長した。
 そしてその一週間後。
 学生たちでひしめく、迎賓館ホールの最後尾で、私は胸をときめかせながら推しの登場を今か今かと待っていた。