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(五)

ー/ー



 劉太公とともに駕籠に乗せられた智深が、馬上の李忠一行に案内されて桃花山の寨に到着したころには、とっくに夜は明けていた。
 明るいところで見れば、けちな周通や山賊になりたての李忠、そしてどうにも気質の弱そうな男たちが根城にする割には、なかなかに立派な山寨である。
 「さ、兄貴、太公、こちらに座ってください。おい、周通! 周通、来い!」
 智深たちを本陣の上座に座らせた李忠は、一体大王は何故先ほどまで殴り込んでやると言っていた相手を連れて戻って来たのかと怪訝な顔をする手下たちの間を縫って広間を抜け、しばらくすると誰が見ても不機嫌とわかる顔をした弟分を引き連れて戻ってきた。
 「兄貴、なあ、俺の仇を取ってくれるって言ったよな? なのに、仇討ちどころかどうしてこの糞坊主を一番の上座に座らせているんだよ。それとも、たっぷりもてなして油断させるって寸法か?」
 「まあ、そう拗ねるな。お前は、この好漢が誰だか知らないようだ」
 「おいおい、知り合いなら俺の男前の顔にこんな傷をこさえたりしないだろうよ」
 ぶすっと口尻を下げる周通をなだめるように彼の背に手を添えた李忠は、智深の真ん前まで彼を歩かせ、そして自慢気に胸を張った。
 「この和尚さんは、誰あろう、俺がお前によくよく話して聞かせていた魯達殿――拳三発で鎮関西を殴り殺した好漢だ。今はわけあって僧形となり、魯智深と名乗っておられるがな」
 「……はあ?」
 しばらく李忠の言葉を胸の内で反芻していたらしい周通はしかし、目の前の人物が常々あっぱれと憧れていた江湖の好漢であることを解すると、先ほどまでのむくれっ面はどこへやら、目を輝かせてがばりと平伏した。
 「なんてこった、目がついていながら泰山も見抜けないとはまさに今の俺のこと。魯の兄貴とは知らず、大変な失礼をいたしました。どうかお許しを」
 「はは、男前の顔をぶん殴って悪かったな。さあ、そんなところで這いつくばっていないで、こっちへ来てお前も座れ。劉のじいさんも、ほら、何故いきなり立ち上がる。何も怖いことなんかない、さあ、座って」
 きらきらとした眼差しに気分をよくした智深は、おろおろと腰が引けたまま立ち尽くす劉太公を強引に隣に座らせ、周通の顔をじ、と見つめた。
 「周通よ、李忠に聞けば、お前も悪い気を起こしたわけではないとは言え、今回の縁談の話はちと強引すぎると思わんか。お前は知らんだろうが、お前が嫁にと望んでいたあの娘さんは、劉太公の一人娘。じいさんは今後の暮らしも自分が死んだあとの供養も、あの娘だけが頼りなんだ。それをお前がこの山に連れてきちまったんじゃ、じいさんは頼る相手もいなくなってしまうだろう。じいさんも娘さんも、お前たちが山賊をやっているんで怖くて断れなかったが、そもそも父娘そろって望まぬ縁談、どうかここは俺の言うことを聞いて、別の相手を探してはくれんか」
 神妙な顔をして智深の言葉を聞いていた周通は、ちらりと劉太公を見て、そして再び智深を見た。
 「……俺はただ、あの娘さんが健気で、可愛くて、幸せにしてやりたいと思っただけだ」
 「それはそうかもしれんが、そもそもあの娘さんは、どこの馬の骨とも知らん山賊稼業のお前の嫁になどなりたくはないんだ。好漢なら、潔く諦めろ」
 「ああ、わかった、わかったよ! 何もそんなにはっきり言うことないだろ……でも、そうか、娘さんが嫌ならしかたないな」
 まだすっかり納得したわけではなさそうだったが、それでも周通は、彼にできうる限りの真摯な顔で劉太公に向き直った。
 「こんなふうに結納品も持ち帰ってきてもらったんだ、もう二度とあんたたち父娘を困らせることはしない。騒がせて悪かったよ」
 「ああ、大王さま、なんと寛大なお言葉。我々父娘、心から感謝いたします」
 当の本人の口から諦めの言葉を聞いて安堵したのだろう、娘を手放さずに済んだ劉太公は、細めた目に涙さえ浮かべ、何度も周通に向かって拝礼する。
 「俺も男だからな、男に二言はないぞ。これが誓いの証だ!」
 手下が背に負う矢筒から一本の矢を抜いた周通の両手の中で、その太い矢は軽やかな音を立てて二つに折れた。

 それから数日、とりたてて急ぐ旅路でもない智深は、李忠と周通たっての願いで桃花山の寨に留まった。
 さすがは名高い青州三山のひとつ、浮足立つ二人に案内されて見て回った山の景色は、どこをとってもすさまじさが迫り来る。
 四方は険しい断崖を見下ろし、登るにも下りるにも道は獣さえも難儀するような険しい細道が一つきりなのを見れば、なるほどどこか呑気な桃花山の山賊連中であろうと、なかなか攻めたてられはすまいと思われた。
 小高く突き出た崖の上に立ち、青みを増し始めた草むらを眼下に見渡せば、朝霧の向こうには同じく青州三山のひとつ、二龍山(にりゅうざん)の姿がぼやけて見える。その威容は、桃花山よりもさらに険しく見えて、智深は思わず目を細めた。
 「天然の要害、というやつだな」
 あの山に寨を築けば、大軍を指揮するような職ではなかった己でも、いともたやすく敵の侵入を防げそうだなどと、この先縁もないであろうことをふと考える。
 「いつまでもこうしてはおれんなあ」
 胸に当てた手が着物越しに触れたのは、いまだ懐にしまわれたままの、智真長老の書状である。
 二人の頭領の手前、なかなかすぐに山を下りるとは言い出せなかったが、それにしてもこの桃花山は少しばかり気が抜けすぎている。
 己の義侠心を熱心に語る割には、周通も、そして李忠も、大きな博打に出るほどの義挙を起こすわけでもない。
 時折ふもとを通る小金持ちを脅かしては金品を奪い、それをなんとも細かく分配する様を見ていては、たとえ山賊に身を落とす覚悟をしたとて、こんなけちけちとした山で共に暮らせはしないだろう。
 そうと決まれば、ここに長居をする理由もない。せめて二人の頭領たちに挨拶くらいはしてから出立しようと踵を返せば、ちょうど李忠と周通が、己のためにと酒を抱えてこちらへやってくるところだった。
 「魯の兄貴、そんなところにいたのか。ちょうどいい、上酒が手に入ったところだから、ひとつ盃を交わそう」
 「いや……結構」
 上酒、という言葉と、言葉通りに漂うよい香りにあやうくほだされそうになるが、智深はつるりと禿頭を撫で、二人の頭領を順番に見つめた。
 「よくしてくれたあんたらには悪いが、俺はそろそろ先を急ごうと思う。このままここに留まっていちゃあ、俺の師匠にも、訪ね先の坊さんにも心配をかけるんでな」
 大酒を飲んで寺を追われた坊主が言うにはあまりにも殊勝な言葉と思ったのだろう、李忠と周通はあからさまな驚き顔を見合わせる。
 「なんだよ兄貴、あんた、ずいぶんしおらしくなっちまったんだな」
 まるで智深を試すように酒壷を掲げ、李忠が目を細めた。
 「兄貴の言ってたその東京の坊さんってのは、信頼できるのかい? いくら兄貴のお師匠さんの弟分とは言え、罪を負った兄貴を受け入れるどころか、役人に突き出すかもしれないぞ」
 「そ、そうですよ。兄貴ほどの男がおとなしく坊主らしい暮らしをするなんて。それより、ここにとどまって、俺たちの親分になっちゃくれませんか。俺だって李忠の兄貴だって、魯の兄貴が頭領になるなら喜んで席を譲るのに」
 かつての智深ならば、豪傑よ好漢よと己を認める者の言葉に勇気をもらい、どうなろうとままよと落草の道を選ぶこともあったろう。
 だが、大きな騒動を起こした己を、それでもまったくすべて見捨てようとはしなかった師の言葉が、今は胸の中にある。
 「林に遇いて起ち……」
 「え、兄貴、何か言ったかい?」
 林というのが、劉太公の屋敷のまわりの雑木林のことなどではないことくらい、とうにわかっていた。
 「あいや、独り言だ。せっかくの申し出だが、これでも俺は一度出家となった身。師匠への恩を捨てて落草し、山賊になることだけはできんのだ」
 口調こそ和らげたが確固たる決意を持った智深の眼差しに、周通の方はまだ何か言いたげに口元をもごもごさせたが、李忠がその肩を叩いてとどまらせた。
 「わかったよ兄貴、そこまで言われちゃ無理強いはできないな。だけど、今すぐ出てかなきゃいけないってわけでもないだろう? 俺たちがちょいとふもとでひと稼ぎして、兄貴の路銀を調達する。明日は宴を開くから、最後に酒を交わし、路銀を受け取って、それから発ってくれ」


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 劉太公とともに駕籠に乗せられた智深が、馬上の李忠一行に案内されて桃花山の寨に到着したころには、とっくに夜は明けていた。
 明るいところで見れば、けちな周通や山賊になりたての李忠、そしてどうにも気質の弱そうな男たちが根城にする割には、なかなかに立派な山寨である。
 「さ、兄貴、太公、こちらに座ってください。おい、周通! 周通、来い!」
 智深たちを本陣の上座に座らせた李忠は、一体大王は何故先ほどまで殴り込んでやると言っていた相手を連れて戻って来たのかと怪訝な顔をする手下たちの間を縫って広間を抜け、しばらくすると誰が見ても不機嫌とわかる顔をした弟分を引き連れて戻ってきた。
 「兄貴、なあ、俺の仇を取ってくれるって言ったよな? なのに、仇討ちどころかどうしてこの糞坊主を一番の上座に座らせているんだよ。それとも、たっぷりもてなして油断させるって寸法か?」
 「まあ、そう拗ねるな。お前は、この好漢が誰だか知らないようだ」
 「おいおい、知り合いなら俺の男前の顔にこんな傷をこさえたりしないだろうよ」
 ぶすっと口尻を下げる周通をなだめるように彼の背に手を添えた李忠は、智深の真ん前まで彼を歩かせ、そして自慢気に胸を張った。
 「この和尚さんは、誰あろう、俺がお前によくよく話して聞かせていた魯達殿――拳三発で鎮関西を殴り殺した好漢だ。今はわけあって僧形となり、魯智深と名乗っておられるがな」
 「……はあ?」
 しばらく李忠の言葉を胸の内で反芻していたらしい周通はしかし、目の前の人物が常々あっぱれと憧れていた江湖の好漢であることを解すると、先ほどまでのむくれっ面はどこへやら、目を輝かせてがばりと平伏した。
 「なんてこった、目がついていながら泰山も見抜けないとはまさに今の俺のこと。魯の兄貴とは知らず、大変な失礼をいたしました。どうかお許しを」
 「はは、男前の顔をぶん殴って悪かったな。さあ、そんなところで這いつくばっていないで、こっちへ来てお前も座れ。劉のじいさんも、ほら、何故いきなり立ち上がる。何も怖いことなんかない、さあ、座って」
 きらきらとした眼差しに気分をよくした智深は、おろおろと腰が引けたまま立ち尽くす劉太公を強引に隣に座らせ、周通の顔をじ、と見つめた。
 「周通よ、李忠に聞けば、お前も悪い気を起こしたわけではないとは言え、今回の縁談の話はちと強引すぎると思わんか。お前は知らんだろうが、お前が嫁にと望んでいたあの娘さんは、劉太公の一人娘。じいさんは今後の暮らしも自分が死んだあとの供養も、あの娘だけが頼りなんだ。それをお前がこの山に連れてきちまったんじゃ、じいさんは頼る相手もいなくなってしまうだろう。じいさんも娘さんも、お前たちが山賊をやっているんで怖くて断れなかったが、そもそも父娘そろって望まぬ縁談、どうかここは俺の言うことを聞いて、別の相手を探してはくれんか」
 神妙な顔をして智深の言葉を聞いていた周通は、ちらりと劉太公を見て、そして再び智深を見た。
 「……俺はただ、あの娘さんが健気で、可愛くて、幸せにしてやりたいと思っただけだ」
 「それはそうかもしれんが、そもそもあの娘さんは、どこの馬の骨とも知らん山賊稼業のお前の嫁になどなりたくはないんだ。好漢なら、潔く諦めろ」
 「ああ、わかった、わかったよ! 何もそんなにはっきり言うことないだろ……でも、そうか、娘さんが嫌ならしかたないな」
 まだすっかり納得したわけではなさそうだったが、それでも周通は、彼にできうる限りの真摯な顔で劉太公に向き直った。
 「こんなふうに結納品も持ち帰ってきてもらったんだ、もう二度とあんたたち父娘を困らせることはしない。騒がせて悪かったよ」
 「ああ、大王さま、なんと寛大なお言葉。我々父娘、心から感謝いたします」
 当の本人の口から諦めの言葉を聞いて安堵したのだろう、娘を手放さずに済んだ劉太公は、細めた目に涙さえ浮かべ、何度も周通に向かって拝礼する。
 「俺も男だからな、男に二言はないぞ。これが誓いの証だ!」
 手下が背に負う矢筒から一本の矢を抜いた周通の両手の中で、その太い矢は軽やかな音を立てて二つに折れた。
 それから数日、とりたてて急ぐ旅路でもない智深は、李忠と周通たっての願いで桃花山の寨に留まった。
 さすがは名高い青州三山のひとつ、浮足立つ二人に案内されて見て回った山の景色は、どこをとってもすさまじさが迫り来る。
 四方は険しい断崖を見下ろし、登るにも下りるにも道は獣さえも難儀するような険しい細道が一つきりなのを見れば、なるほどどこか呑気な桃花山の山賊連中であろうと、なかなか攻めたてられはすまいと思われた。
 小高く突き出た崖の上に立ち、青みを増し始めた草むらを眼下に見渡せば、朝霧の向こうには同じく青州三山のひとつ、|二龍山《にりゅうざん》の姿がぼやけて見える。その威容は、桃花山よりもさらに険しく見えて、智深は思わず目を細めた。
 「天然の要害、というやつだな」
 あの山に寨を築けば、大軍を指揮するような職ではなかった己でも、いともたやすく敵の侵入を防げそうだなどと、この先縁もないであろうことをふと考える。
 「いつまでもこうしてはおれんなあ」
 胸に当てた手が着物越しに触れたのは、いまだ懐にしまわれたままの、智真長老の書状である。
 二人の頭領の手前、なかなかすぐに山を下りるとは言い出せなかったが、それにしてもこの桃花山は少しばかり気が抜けすぎている。
 己の義侠心を熱心に語る割には、周通も、そして李忠も、大きな博打に出るほどの義挙を起こすわけでもない。
 時折ふもとを通る小金持ちを脅かしては金品を奪い、それをなんとも細かく分配する様を見ていては、たとえ山賊に身を落とす覚悟をしたとて、こんなけちけちとした山で共に暮らせはしないだろう。
 そうと決まれば、ここに長居をする理由もない。せめて二人の頭領たちに挨拶くらいはしてから出立しようと踵を返せば、ちょうど李忠と周通が、己のためにと酒を抱えてこちらへやってくるところだった。
 「魯の兄貴、そんなところにいたのか。ちょうどいい、上酒が手に入ったところだから、ひとつ盃を交わそう」
 「いや……結構」
 上酒、という言葉と、言葉通りに漂うよい香りにあやうくほだされそうになるが、智深はつるりと禿頭を撫で、二人の頭領を順番に見つめた。
 「よくしてくれたあんたらには悪いが、俺はそろそろ先を急ごうと思う。このままここに留まっていちゃあ、俺の師匠にも、訪ね先の坊さんにも心配をかけるんでな」
 大酒を飲んで寺を追われた坊主が言うにはあまりにも殊勝な言葉と思ったのだろう、李忠と周通はあからさまな驚き顔を見合わせる。
 「なんだよ兄貴、あんた、ずいぶんしおらしくなっちまったんだな」
 まるで智深を試すように酒壷を掲げ、李忠が目を細めた。
 「兄貴の言ってたその東京の坊さんってのは、信頼できるのかい? いくら兄貴のお師匠さんの弟分とは言え、罪を負った兄貴を受け入れるどころか、役人に突き出すかもしれないぞ」
 「そ、そうですよ。兄貴ほどの男がおとなしく坊主らしい暮らしをするなんて。それより、ここにとどまって、俺たちの親分になっちゃくれませんか。俺だって李忠の兄貴だって、魯の兄貴が頭領になるなら喜んで席を譲るのに」
 かつての智深ならば、豪傑よ好漢よと己を認める者の言葉に勇気をもらい、どうなろうとままよと落草の道を選ぶこともあったろう。
 だが、大きな騒動を起こした己を、それでもまったくすべて見捨てようとはしなかった師の言葉が、今は胸の中にある。
 「林に遇いて起ち……」
 「え、兄貴、何か言ったかい?」
 林というのが、劉太公の屋敷のまわりの雑木林のことなどではないことくらい、とうにわかっていた。
 「あいや、独り言だ。せっかくの申し出だが、これでも俺は一度出家となった身。師匠への恩を捨てて落草し、山賊になることだけはできんのだ」
 口調こそ和らげたが確固たる決意を持った智深の眼差しに、周通の方はまだ何か言いたげに口元をもごもごさせたが、李忠がその肩を叩いてとどまらせた。
 「わかったよ兄貴、そこまで言われちゃ無理強いはできないな。だけど、今すぐ出てかなきゃいけないってわけでもないだろう? 俺たちがちょいとふもとでひと稼ぎして、兄貴の路銀を調達する。明日は宴を開くから、最後に酒を交わし、路銀を受け取って、それから発ってくれ」