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第四十六話 笑ってる顔大好きだなぁって

ー/ー



 灯火病院は総合病院だ。多数の診療科を有しており、その分建物自体も大きい。当然それに比例して駐車場も広く、院の裏手に広がったそれは車の収容台数も100は優に超えているだろうほどの広さ。
 そんなだだっ広い駐車場の中、院から一番離れた位置にある軽自動車の前に俺は立っていた。
 時刻は18時。夕闇の中で点在した外灯が照らすだけの薄暗い世界。隣接した公園の木々が外灯の光を遮っているから余計に暗く、人が寄り付く気配は無かった。

 この場所を待ち合わせ場所に選んだのにはいくつかの意図がある。
 大きな木の下と言えばもすぐに場所が分かるという事。
 そして、他人に見られたくはない大立ち回りをする可能性があるからだ。

 成功するかは分からないけど、今まで無理だと思っていた事に可能性を見いだせただけで凄い進歩だから弱音なんて吐かない。全霊を尽くすだけだ。
 咲季は今日で自由になる。父さんにも母さんにも文句は言わせない。

 アスファルトを靴が擦る音がすぐ近くで鳴った。どうやら待ち人がやって来たらしい。
 半月ぶりくらいだろうか、今までほぼ毎日会っていた分、少しの期間会わなかっただけで随分久し振りな気がした。
 気恥ずかしさと罪悪感と嬉しさ、様々な感情が混ざって身体が強張る。
 どんな態度で声をかければいいんだろう。
 悩んでいる間にそいつは俺の前までやって来てしまった。

「あ……」

 いつもの病院着では無く、シャツにスカートといった格好。背中半ばまで伸びた真っ黒な髪。愛嬌のある顔を戸惑い気味に強張らせながらも真っ直ぐにこちらを見つめている。

 咲季だ。

 俺の妹。血を分けた兄妹。そのくせ俺と恋人になりたいとか言ってくる血迷ったお馬鹿。
 俺を好きだと言ってくれる数少ない人間。
 外灯に照らされた瞳はきらきらと光っていて、まるでプリズムのよう。

 ――会いたかった。

 素直にそう思った。

「よ」

 やっと出たのはそんな声。
 もっと気の利いた言葉が出ないのか俺。流石に自分で呆れる。

「元気、してたか?」

 視線を合わせられない。
 誰だ「やっぱり電話じゃなくて直接会った方がロマンチックでしょ!」とか言った某看護師は。事前に電話で話してたらこんなに気まずい思いをしなくて済んだだろうに。

 返事も無いまま咲季は俺の目の前へ。そしてゆっくりと服を掴み、胸に顔を(うず)めてくる。

「…………」

 心地良い温かさが溶けるように伝わっていった。しばらく続く無言。
 言葉は無かったけど、自分が何をすべきかはすぐに分かった。咲季の身体を優しく抱き、背中をさする。

「ごめん」
「……さみしかった」

 俺の謝罪に対して、いつもと比べると素直過ぎる言葉。それだけ咲季は参っていたという事。涙ぐんだ声がそれを裏付けている。咲季を泣かせたくなんか無いのに、そう思っている俺がこいつを泣かせているという事実がひどく腹立たしかった。

「さみしかった。会いたかった」

 淡々としたような声色に混じっているのは悲しみと嬉しさと僅かな怒り。
 俺に会えなかった悲しみ、怒り、そして会えた嬉しさ。
 きっとそういう事なんだろう。
 俺が誰かから想われるなんて違和感を覚えるし、現実感も薄い。だけど今の咲季の感情は本物だ。いつもの冗談の応酬じゃない剥き出しの心が確かにある。
 だってこんなにも震えている。俺の腕の中で咲季は会えなかった分の時間を埋めるように身体を強く押し付けた。

「本当にごめん。少し前まで俺、頭の中ぐちゃぐちゃでさ、自分の事しか考えられなくなってた、お前の事を(ないがし)ろにして……兄貴失格だ」
「ホントだよお馬鹿!お馬鹿お兄ちゃんばかばか!」

 ポカポカと俺の胸を叩く。
 いつもなら反論をしている場面なんだけど、今回ばかりは咲季の言う通りでしかない。「ごめんな」と再び謝った。
 すると咲季の腕の動きが止まり、恐る恐るといった具合でゆっくり離れて俺を上目遣いで見つめる。

「あの、今の、全然そんな事思ってないよ?だからそんな顔しないで?ね?」
「なんだそれ」

 秒で手のひらを返された。思わず吹き出すと、咲季も涙を目尻に溜めてはにかんだ。
 てっきり口を尖らせてぶーぶー言うのかと思ったんだが、意外な反応だ。

 そんな事を考えていると、咲季の目に溜まった涙が堰を切ったように頬を伝っていく。

「さ、咲季っ?」

 さすがに焦った。思わず伸ばした手が宙をさまよう。どうしたらいいか分からない。
 咲季は次々と溢れるそれを手のひらで拭い、

「ご、ごめっ、ごめんね?こんなつもりじゃなかったんだけど……」
「わ、悪かった!笑う場面じゃ無かったよな!ごめん!だから泣くなって!えっと、ほら、えっと、なんかして欲しい事とかあったら何でも聞く!だから、な?」

 止まらない涙に俺は大いに慌てふためく。挙動不審に手を振りまくってなんとか咲季に笑って貰おうと藻掻いた。
 そんな俺の無様な姿を見てか、咲季の涙が止まり、また笑顔が戻った。

「違うよ。ただ、やっぱり私、お兄ちゃんの、笑ってる顔大好きだなぁって思ったの」
「へ?」
「可愛くって、ずっと見てたいなぁって。愛おしいなぁって」
「は、はぁっ?」

 と、安心したのも束の間、今度はなんか急に恥ずい事を言ってくる。
 焦っていた熱と恥ずかしさの熱とがぶつかり合って頭の中が混沌としてしまうほどには恥ずかしい。

「…………趣味悪いなお前」

 結果、妙に冷静になった。

「あれ?ちょっと?そこは『お、おまえっ、(かああああ///)』ってなって「ば、ばかじゃねーの?冗談でもそういうの男に言うんじゃねーよ(ドッドッドッ←心臓の音)」ってなるところでしょ?」
「知るか。なんだその解像度低いんだか高いんだか分からんしょうもない妄想は」
「妄想じゃないよニチアサアニメ『ぎちぎちビッチ』第56話〝チョコざいな恋心〟にて主人公のびち子にメグル君がBパートにて放った名台詞だよ。ファンに言ったら殺されるよお兄ちゃん」

 知らねーっつの。てかそのアニメのタイトルまじで終わってんな。

「あ、けどお兄ちゃんに笑っててほしいのは冗談じゃないよ!絶対ホント!」
「今の流れで言われてもなぁ」

 久々の咲季らしい一連の発言に苦笑。
 けど、ふと見た咲季の表情(かお)はらしからぬほど真剣で、

「本当だよ?だからね、もう止めよう?」

 強い口調で言った。
 止めようとは一体何を指しているのか。
 どういう事か分からず首を傾げる俺へ諭すように、

「私、お兄ちゃんに泣いて欲しくない。沈んだ顔なんて見たくない。だからもう私のわがままに付き合わないで。退院とか、外に連れ出したりとかしなくたって、お兄ちゃんや皆が時々お見舞いに来てくれれば十分だから」

 咲季の意図が分かった。

 咲季の退院を認めさせるために奔走すればするほど、父さん達の俺への心象は悪くなっていく。それで俺が苦しむくらいなら退院に拘らなくたって良いと、そういう事か。

 だがそれは見当違いも甚だしい。

「馬鹿かお前」

 指の関節で咲季の額を軽く小突いた。「痛い」と非難する咲季へとあからさまなため息をつきつつ、

「俺もお前と同じだよ」

 お前の笑顔が好きなんだ。
 お前が笑ってなきゃ笑えないんだ。
 つまり――

「俺が、もっと咲季と一緒にいたいんだよ。悔いの残らないくらい楽しい毎日を送って欲しいんだよ。そうじゃなきゃ俺は一生後悔する」

 泣いたからだろうか、咲季の頬が朱く染まっている。

「退院して友達とか家族で色んな所に行って、楽しい思い出を作りたいんだろ?文句のつけようが無いくらいの、最高なやつ」

 遠慮がちに小さく頷く咲季の頭をわしゃわしゃと撫でくりまわす。くすぐったそうに目を細めるだけで、満更でも無さそうな様子だった。

「だったら遠慮するな。任せとけ」

 今度は失敗なんかさせない。
 なりふり構わなくなった人間の怖さってやつを今から父さんに思い知らせてやる。


「何をしているんだ君は!!」


 十数メートルほど先。
 憎悪さえこもった怒号が聞こえた。





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次のエピソードへ進む 第四十七話 勝負


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 そんなだだっ広い駐車場の中、院から一番離れた位置にある軽自動車の前に俺は立っていた。
 時刻は18時。夕闇の中で点在した外灯が照らすだけの薄暗い世界。隣接した公園の木々が外灯の光を遮っているから余計に暗く、人が寄り付く気配は無かった。
 この場所を待ち合わせ場所に選んだのにはいくつかの意図がある。
 大きな木の下と言えば《《待ち合わせ相手》》もすぐに場所が分かるという事。
 そして、他人に見られたくはない大立ち回りをする可能性があるからだ。
 成功するかは分からないけど、今まで無理だと思っていた事に可能性を見いだせただけで凄い進歩だから弱音なんて吐かない。全霊を尽くすだけだ。
 咲季は今日で自由になる。父さんにも母さんにも文句は言わせない。
 アスファルトを靴が擦る音がすぐ近くで鳴った。どうやら待ち人がやって来たらしい。
 半月ぶりくらいだろうか、今までほぼ毎日会っていた分、少しの期間会わなかっただけで随分久し振りな気がした。
 気恥ずかしさと罪悪感と嬉しさ、様々な感情が混ざって身体が強張る。
 どんな態度で声をかければいいんだろう。
 悩んでいる間にそいつは俺の前までやって来てしまった。
「あ……」
 いつもの病院着では無く、シャツにスカートといった格好。背中半ばまで伸びた真っ黒な髪。愛嬌のある顔を戸惑い気味に強張らせながらも真っ直ぐにこちらを見つめている。
 咲季だ。
 俺の妹。血を分けた兄妹。そのくせ俺と恋人になりたいとか言ってくる血迷ったお馬鹿。
 俺を好きだと言ってくれる数少ない人間。
 外灯に照らされた瞳はきらきらと光っていて、まるでプリズムのよう。
 ――会いたかった。
 素直にそう思った。
「よ」
 やっと出たのはそんな声。
 もっと気の利いた言葉が出ないのか俺。流石に自分で呆れる。
「元気、してたか?」
 視線を合わせられない。
 誰だ「やっぱり電話じゃなくて直接会った方がロマンチックでしょ!」とか言った某看護師は。事前に電話で話してたらこんなに気まずい思いをしなくて済んだだろうに。
 返事も無いまま咲季は俺の目の前へ。そしてゆっくりと服を掴み、胸に顔を埋《うず》めてくる。
「…………」
 心地良い温かさが溶けるように伝わっていった。しばらく続く無言。
 言葉は無かったけど、自分が何をすべきかはすぐに分かった。咲季の身体を優しく抱き、背中をさする。
「ごめん」
「……さみしかった」
 俺の謝罪に対して、いつもと比べると素直過ぎる言葉。それだけ咲季は参っていたという事。涙ぐんだ声がそれを裏付けている。咲季を泣かせたくなんか無いのに、そう思っている俺がこいつを泣かせているという事実がひどく腹立たしかった。
「さみしかった。会いたかった」
 淡々としたような声色に混じっているのは悲しみと嬉しさと僅かな怒り。
 俺に会えなかった悲しみ、怒り、そして会えた嬉しさ。
 きっとそういう事なんだろう。
 俺が誰かから想われるなんて違和感を覚えるし、現実感も薄い。だけど今の咲季の感情は本物だ。いつもの冗談の応酬じゃない剥き出しの心が確かにある。
 だってこんなにも震えている。俺の腕の中で咲季は会えなかった分の時間を埋めるように身体を強く押し付けた。
「本当にごめん。少し前まで俺、頭の中ぐちゃぐちゃでさ、自分の事しか考えられなくなってた、お前の事を蔑《ないがし》ろにして……兄貴失格だ」
「ホントだよお馬鹿!お馬鹿お兄ちゃんばかばか!」
 ポカポカと俺の胸を叩く。
 いつもなら反論をしている場面なんだけど、今回ばかりは咲季の言う通りでしかない。「ごめんな」と再び謝った。
 すると咲季の腕の動きが止まり、恐る恐るといった具合でゆっくり離れて俺を上目遣いで見つめる。
「あの、今の、全然そんな事思ってないよ?だからそんな顔しないで?ね?」
「なんだそれ」
 秒で手のひらを返された。思わず吹き出すと、咲季も涙を目尻に溜めてはにかんだ。
 てっきり口を尖らせてぶーぶー言うのかと思ったんだが、意外な反応だ。
 そんな事を考えていると、咲季の目に溜まった涙が堰を切ったように頬を伝っていく。
「さ、咲季っ?」
 さすがに焦った。思わず伸ばした手が宙をさまよう。どうしたらいいか分からない。
 咲季は次々と溢れるそれを手のひらで拭い、
「ご、ごめっ、ごめんね?こんなつもりじゃなかったんだけど……」
「わ、悪かった!笑う場面じゃ無かったよな!ごめん!だから泣くなって!えっと、ほら、えっと、なんかして欲しい事とかあったら何でも聞く!だから、な?」
 止まらない涙に俺は大いに慌てふためく。挙動不審に手を振りまくってなんとか咲季に笑って貰おうと藻掻いた。
 そんな俺の無様な姿を見てか、咲季の涙が止まり、また笑顔が戻った。
「違うよ。ただ、やっぱり私、お兄ちゃんの、笑ってる顔大好きだなぁって思ったの」
「へ?」
「可愛くって、ずっと見てたいなぁって。愛おしいなぁって」
「は、はぁっ?」
 と、安心したのも束の間、今度はなんか急に恥ずい事を言ってくる。
 焦っていた熱と恥ずかしさの熱とがぶつかり合って頭の中が混沌としてしまうほどには恥ずかしい。
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 知らねーっつの。てかそのアニメのタイトルまじで終わってんな。
「あ、けどお兄ちゃんに笑っててほしいのは冗談じゃないよ!絶対ホント!」
「今の流れで言われてもなぁ」
 久々の咲季らしい一連の発言に苦笑。
 けど、ふと見た咲季の表情《かお》はらしからぬほど真剣で、
「本当だよ?だからね、もう止めよう?」
 強い口調で言った。
 止めようとは一体何を指しているのか。
 どういう事か分からず首を傾げる俺へ諭すように、
「私、お兄ちゃんに泣いて欲しくない。沈んだ顔なんて見たくない。だからもう私のわがままに付き合わないで。退院とか、外に連れ出したりとかしなくたって、お兄ちゃんや皆が時々お見舞いに来てくれれば十分だから」
 咲季の意図が分かった。
 咲季の退院を認めさせるために奔走すればするほど、父さん達の俺への心象は悪くなっていく。それで俺が苦しむくらいなら退院に拘らなくたって良いと、そういう事か。
 だがそれは見当違いも甚だしい。
「馬鹿かお前」
 指の関節で咲季の額を軽く小突いた。「痛い」と非難する咲季へとあからさまなため息をつきつつ、
「俺もお前と同じだよ」
 お前の笑顔が好きなんだ。
 お前が笑ってなきゃ笑えないんだ。
 つまり――
「俺が、もっと咲季と一緒にいたいんだよ。悔いの残らないくらい楽しい毎日を送って欲しいんだよ。そうじゃなきゃ俺は一生後悔する」
 泣いたからだろうか、咲季の頬が朱く染まっている。
「退院して友達とか家族で色んな所に行って、楽しい思い出を作りたいんだろ?文句のつけようが無いくらいの、最高なやつ」
 遠慮がちに小さく頷く咲季の頭をわしゃわしゃと撫でくりまわす。くすぐったそうに目を細めるだけで、満更でも無さそうな様子だった。
「だったら遠慮するな。任せとけ」
 今度は失敗なんかさせない。
 なりふり構わなくなった人間の怖さってやつを今から父さんに思い知らせてやる。
「何をしているんだ君は!!」
 十数メートルほど先。
 憎悪さえこもった怒号が聞こえた。