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第四十一話 姉譲りか

ー/ー



 中学の教師。わざわざ複数人を指す言葉を使ったという事は、そういう事か。糞が。

「何人かの教師と、果ては校長まで関わっていたらしい。それで、家に警察が来た。姉さんが長い間援交してたってその時知ったんだ」

 あの中学では辻堂を介して援交をしていた女が何人もいた。警察はそいつらと菊池との繋がりを聞いてきたらしい。
 相当ショックだっただろうな。
 俺も、咲季がそうなったらと思うと背筋が凍る。

「けど、驚いたのはそれだけじゃなかった。その時聞かされたんだ」
「…………え?」

 自殺じゃなかった?
 想定外の言葉に耳を疑った。
 自殺以外なら、事故死か殺人という事。しかし、あの死に方は事故死じゃあり得ない。

「さっき言った糞教師の供述から分かったらしいんだ。日記が書かれた日はさ、糞教師と会う日だったんだって。学校のトイレで」

 学校のトイレ、菊池が死んでいた場所だ。
〝会う〟というのは恐らく先生としてでは無くという意味だろう。

「その日も糞教師はいつもの通り楽しめるもんだと思ってた。けど、姉さんが抵抗した。今までの事を警察に話すって言ったみたいでさ、いけない事だ、もう止める。あなたもその他の先生もみんな止めるべきだ……って」

 それで言い争いから揉み合いになった結果、菊池は突き飛ばされ、頭を打って気を失ったそうだ。そして、

「気絶した姉さんを死んだと思った糞教師が、自殺だって思わせるために……姉さんの手首を切った。……それで、姉さんは……、死んだ。殺されたんだ」
「――――っ」

 感情を殺した無機質な言葉。だけどその裏には殺意を凝縮したようなどす黒い感情が吹き溜まっているのだろう。
 息を飲んだ。
 気持ちは、分からないはずが無かった。
 だって菊池は屑野郎の保身のためだけに殺されたんだ。家族がそうなれば許せる訳が無い。手を強く握りしめる。

「そんな雑な隠蔽工作、警察は気付いただろ……」

 湧いてきた怒りを紛らわせるために、疑問を口にした。

「気付いた人もいたのかもね。けどそうはならなかった。噂だけど、教師の親類に政界の重鎮がいて、そこから警察に「さっさと捜査を切り上げろ」って圧力があったって話。僕はあながち間違いじゃないと思う。だって殺人事件って事になったら本格的に捜査が入る。そこから芋づる式に援交の事実が出て、それに関わってるのが親類だってなれば問題になるからね。もし噂が本当なら動く可能性は十分ある」

 誰から聞いたのかはともかく、嘘とも本当とも判断がつかない話だ。
 だが実際に当時、殺人が自殺だと判断されてしまっている。こじつけだと一笑に付す事は出来ないだろう。
 信じたくはないが。

「当然バレたくない教師側は隠蔽に協力。菊池霞は虐められていた。だから自殺した。そう口を揃えた。それを聞いた警察は疑問から無理矢理目を瞑らされ、姉さんは自殺したと判断されたってわけ」
「そんなの……」

 最悪だ。
 汚い大人達に食い物にされて、都合が悪くなったら殺されて、そんな死に方はあまりにも酷過ぎる。

「……これが、僕が知ってる姉さんの死の真相」

 菊池弟は深く息を吐いて、事務的に言った。
 漏れ出そうになる殺意を押し殺すように。

「……話してくれて、ありがとう」

 菊池弟は何も言わなかった。ただ辛そうに眉を寄せるだけ。

 しばし、沈黙が続いた。
 耳が痛くなるような静寂。それが苦しくて、俺は頭の隅をつつくようにして話題を絞り出し、

「その、教師達とか、関係者ってもう捕まったの?」

 訊いた。

「何人かはもう逮捕されたみたい。全員逮捕出来るかは分からないけど、そこは今の警察に頑張ってもらうしかない」
「……そっか」

 順調に捜査は続いてるみたいだな。安心した。
 あの中学の援交には辻堂が大きく関わっていた。捜査がちゃんと続いているのならばいずれあいつにも手が伸びるだろう。
 問題は、当時未成年だったあいつへの罰がどうなるのかだが。

「早く捕まるといいな」
「うん」
「………………」

 またしても、沈黙。
 外を走る電車の微かな音が規則的に耳朶を打つ。
 ぎこちなさが漂う静寂。お互いに何かを言いたくて、言えないような微妙な空気。
 長く続くと思われた沈黙はしかし、今度は菊池弟によって破かれた。

「どうしたの?暗い顔して」

 体は仏壇に。視線だけこちらに寄越して菊池弟が問う。

「こんな話してて明るくなれる奴いないだろ」
「片桐さんは何も悪く無かった。それが分かっただけでも素直に喜んで良いと思うけど」

 投げやりとしか思えない慰め。
 俺は視線を下に逸らした。

「悪く無かったって、そんな事無い。だって……」

『アキ君は悪くなかった』。
 赤坂さんの言葉の真意は今までの話を聞いて理解出来た。
 最悪な教師のせいで菊池は殺された。
 それはきっと事実なんだろう。けど、

「あのさ、当時、僕とお袋は不思議に思ってたんだ」

 俺の言葉と思考を切るような話題変換。怪訝に思って再び視線を寄こした俺を、菊池弟は目で制した。

「食事も出来ないくらい生活が苦しい時、必ず姉さんが〝バイト〟をしてお金を持ってきてくれた。体には所々に傷があった。笑ってたけど、苦しそうだった。リストカットの痕もあった。それ見たら何をして稼いだ金なのか怖くて聞けなかったよ。家族なのに、力になるどころか負担になってた」

 話してくれたのは、過去の辛い日々の記憶。
 想像出来る。菊池は自分がどんなに傷付いても他の〝輝かしい誰か〟のために尽くしたかったのだろう。いや、尽くさなければいけなかった。そういう生き方を自らに強いていた。当時は理解出来ない考え方だったけど、今は分かる。

「だから、感謝してるんだ」
「え?」

 続いた言葉に、俺は思わず声を上げた。
 何を言っている?感謝される理由が分からなかった。俺はそんな事を言われる資格は無い。
 俺が関わった事で辻堂に繋がりを持ち、援交に手を出したわけでは無いのは、菊池が長い間それをしていたって聞いた時点で分かった。今まで俺の罪だと感じていたものは全くの見当違いだった。
 けど、で結局は同じだ。

「感謝される事なんて、ない。だってその話が真実なら、俺がいたから、菊池は殺されて……」

 そう。俺の不良然とした振る舞いに感化されてしまったから、菊池は行動を起こした。結果、菊池は殺されたんだ。

 俺の尻すぼみになった言葉に何故か菊池弟は苦笑する。「仕方がないな」と言わんばかりの温かい目で。

「まあ、そういう受け取り方も出来るね。でも責められないよ。だって片桐さん、良い人だし」
「俺が、良い人?」

 そんなわけ無い。
 俺は自分の事ばかり考えているだけの人間だ。良い人って言うのは菊池や咲季、櫻井さんのような人の事だろう。俺は比べようも無い。

 だけど菊池弟は確信を持った表情をしていた。

「昔想像してたような屑野郎だったら蹴り飛ばして追い返してた所だけど……ほら、僕が生意気言ってもキレたりしないじゃん?それと、さっきからの態度見てれば嫌でも分かるよ。姉さんの事大切に思ってたんだって。虐めてたなんて絶対に嘘だ。百聞は一見に如かず、だね」
「…………」

 最初喧嘩腰だったのは俺の反応を見ていたのか。
 普通なら嫌がる所なんだろうが、不思議と何とも思わなかった。

「姉さんも片桐さんの事を責めたりしないよ。むしろ感謝してると思う。片桐さんに会わないまま過ごしていたら姉さんはいつか壊れてた。だから、僕達家族から言えるのは一つだけ」

 俺の方に体を向け、菊池弟は頭を下げた。

「ありがとう、姉さんに勇気をくれて。姉さんを、救ってくれて」

 救った?俺が?
 ただのいきがった不良(もど)きがあいつを?
 呆然と口を開いたまま、言葉が出ない。

「片桐さんのお陰で姉さんは最後の最後にに姉さんらしく生きる事が出来たんだ。だからそんな背中丸めてないでさ、胸張っててよ」

 菊池弟が冗談めかして笑った。
 その姿に姉の――菊池の姿が重なる。
 真っ直ぐに見てくれるあの目。同じだ。

「あ…………」

 視界が滲んだ。
 自分が許されたからか、誤解が解けたからか。いや、それよりも。
 俺を真っ直ぐに見てくれた、俺のために泣いてくれたあいつに少しでも何かを返す事ができていた。それが嬉しかったんだ。

 何も無い、要らない人間にも何かが出来るのだと。

「ていうか、原因が誰にあるとか一々全部考えてたら人類全員悪者だよ。悪いのは全部あの糞教師」

 心の中にあった(おり)が少しずつ流れていくような感覚があった。
 やっぱり彼は菊池の弟なんだなと強く実感する。

「……男が泣いてても慰めないよ、僕」

 俺の顔を見て一瞬ギョッとし、菊池弟が呟いた。

「うるさいな」

 容赦の無い物言いに小さく吹き出す。
 一言多いのも姉譲りか。

 # #

「菊池雄仁(きくちゆうじん)。雄弁の〝雄〟に仁義の〝仁〟。今後縁があるかは分からないけど、そん時はよろしく」

 玄関の前。帰り際に菊池弟が思い出したように自己紹介。

「ああ。よろしく」

 随分と遅れたそれに俺は笑いつつ、差し出された手に握手した。

「そういやお袋も、片桐さんに会いたがってたよ。謝りたいって。今は入院してて身動き取れないから、退院したら一緒に改めて挨拶する」
「お母さん、どこか悪いの?」
「過労でね。数日入院」

 肩を竦めてみせる雄仁。
 苦しい生活は未だ変わらず、と言う事らしい。

 それ以上会話は続かず、俺は菊池家から出る事となった。

 いつかは分からないけど、また近い内に会う事になる。不思議とそんな気がした。
 会えればいいなと思う。

 いつぶりだろうか、こんな希望的な思いを抱くのは。

 外に出て、歩みを進める。
 いつの間にか外は夜の帳が落ちていて、遠くで誰かがはしゃいで(じゃ)れている声が聴こえる。

 暗い世界が広がる、街灯の少ない田んぼだらけの道。ともすれば前が見えなくなるほどの闇。
 しかし見上げると、雲一つ無い空には満天の星が散りばめられていた。



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 中学の教師《《共》》。わざわざ複数人を指す言葉を使ったという事は、そういう事か。糞が。
「何人かの教師と、果ては校長まで関わっていたらしい。それで、家に警察が来た。姉さんが長い間援交してたってその時知ったんだ」
 あの中学では辻堂を介して援交をしていた女が何人もいた。警察はそいつらと菊池との繋がりを聞いてきたらしい。
 相当ショックだっただろうな。
 俺も、咲季がそうなったらと思うと背筋が凍る。
「けど、驚いたのはそれだけじゃなかった。《《姉さんは自殺じゃなかったって事も》》その時聞かされたんだ」
「…………え?」
 自殺じゃなかった?
 想定外の言葉に耳を疑った。
 自殺以外なら、事故死か殺人という事。しかし、あの死に方は事故死じゃあり得ない。
「さっき言った糞教師の供述から分かったらしいんだ。日記が書かれた日はさ、糞教師と会う日だったんだって。学校のトイレで」
 学校のトイレ、菊池が死んでいた場所だ。
〝会う〟というのは恐らく先生としてでは無く《《客として》》という意味だろう。
「その日も糞教師はいつもの通り楽しめるもんだと思ってた。けど、姉さんが抵抗した。今までの事を警察に話すって言ったみたいでさ、いけない事だ、もう止める。あなたもその他の先生もみんな止めるべきだ……って」
 それで言い争いから揉み合いになった結果、菊池は突き飛ばされ、頭を打って気を失ったそうだ。そして、
「気絶した姉さんを死んだと思った糞教師が、自殺だって思わせるために……姉さんの手首を切った。……それで、姉さんは……、死んだ。殺されたんだ」
「――――っ」
 感情を殺した無機質な言葉。だけどその裏には殺意を凝縮したようなどす黒い感情が吹き溜まっているのだろう。
 息を飲んだ。
 気持ちは、分からないはずが無かった。
 だって菊池は屑野郎の保身のためだけに殺されたんだ。家族がそうなれば許せる訳が無い。手を強く握りしめる。
「そんな雑な隠蔽工作、警察は気付いただろ……」
 湧いてきた怒りを紛らわせるために、疑問を口にした。
「気付いた人もいたのかもね。けどそうはならなかった。噂だけど、教師の親類に政界の重鎮がいて、そこから警察に「さっさと捜査を切り上げろ」って圧力があったって話。僕はあながち間違いじゃないと思う。だって殺人事件って事になったら本格的に捜査が入る。そこから芋づる式に援交の事実が出て、それに関わってるのが親類だってなれば問題になるからね。もし噂が本当なら動く可能性は十分ある」
 誰から聞いたのかはともかく、嘘とも本当とも判断がつかない話だ。
 だが実際に当時、殺人が自殺だと判断されてしまっている。こじつけだと一笑に付す事は出来ないだろう。
 信じたくはないが。
「当然バレたくない教師側は隠蔽に協力。菊池霞は虐められていた。だから自殺した。そう口を揃えた。それを聞いた警察は疑問から無理矢理目を瞑らされ、姉さんは自殺したと判断されたってわけ」
「そんなの……」
 最悪だ。
 汚い大人達に食い物にされて、都合が悪くなったら殺されて、そんな死に方はあまりにも酷過ぎる。
「……これが、僕が知ってる姉さんの死の真相」
 菊池弟は深く息を吐いて、事務的に言った。
 漏れ出そうになる殺意を押し殺すように。
「……話してくれて、ありがとう」
 菊池弟は何も言わなかった。ただ辛そうに眉を寄せるだけ。
 しばし、沈黙が続いた。
 耳が痛くなるような静寂。それが苦しくて、俺は頭の隅をつつくようにして話題を絞り出し、
「その、教師達とか、関係者ってもう捕まったの?」
 訊いた。
「何人かはもう逮捕されたみたい。全員逮捕出来るかは分からないけど、そこは今の警察に頑張ってもらうしかない」
「……そっか」
 順調に捜査は続いてるみたいだな。安心した。
 あの中学の援交には辻堂が大きく関わっていた。捜査がちゃんと続いているのならばいずれあいつにも手が伸びるだろう。
 問題は、当時未成年だったあいつへの罰がどうなるのかだが。
「早く捕まるといいな」
「うん」
「………………」
 またしても、沈黙。
 外を走る電車の微かな音が規則的に耳朶を打つ。
 ぎこちなさが漂う静寂。お互いに何かを言いたくて、言えないような微妙な空気。
 長く続くと思われた沈黙はしかし、今度は菊池弟によって破かれた。
「どうしたの?暗い顔して」
 体は仏壇に。視線だけこちらに寄越して菊池弟が問う。
「こんな話してて明るくなれる奴いないだろ」
「片桐さんは何も悪く無かった。それが分かっただけでも素直に喜んで良いと思うけど」
 投げやりとしか思えない慰め。
 俺は視線を下に逸らした。
「悪く無かったって、そんな事無い。だって……」
『アキ君は悪くなかった』。
 赤坂さんの言葉の真意は今までの話を聞いて理解出来た。
 最悪な教師のせいで菊池は殺された。
 それはきっと事実なんだろう。けど、
「あのさ、当時、僕とお袋は不思議に思ってたんだ」
 俺の言葉と思考を切るような話題変換。怪訝に思って再び視線を寄こした俺を、菊池弟は目で制した。
「食事も出来ないくらい生活が苦しい時、必ず姉さんが〝バイト〟をしてお金を持ってきてくれた。体には所々に傷があった。笑ってたけど、苦しそうだった。リストカットの痕もあった。それ見たら何をして稼いだ金なのか怖くて聞けなかったよ。家族なのに、力になるどころか負担になってた」
 話してくれたのは、過去の辛い日々の記憶。
 想像出来る。菊池は自分がどんなに傷付いても他の〝輝かしい誰か〟のために尽くしたかったのだろう。いや、尽くさなければいけなかった。そういう生き方を自らに強いていた。当時は理解出来ない考え方だったけど、今は分かる。
「だから、感謝してるんだ」
「え?」
 続いた言葉に、俺は思わず声を上げた。
 何を言っている?感謝される理由が分からなかった。俺はそんな事を言われる資格は無い。
 俺が関わった事で辻堂に繋がりを持ち、援交に手を出したわけでは無いのは、菊池が長い間それをしていたって聞いた時点で分かった。今まで俺の罪だと感じていたものは全くの見当違いだった。
 けど、《《そこじゃなかっただけ》》で結局は同じだ。
「感謝される事なんて、ない。だってその話が真実なら、俺がいたから、菊池は殺されて……」
 そう。俺の不良然とした振る舞いに感化されてしまったから、菊池は行動を起こした。結果、菊池は殺されたんだ。
 俺の尻すぼみになった言葉に何故か菊池弟は苦笑する。「仕方がないな」と言わんばかりの温かい目で。
「まあ、そういう受け取り方も出来るね。でも責められないよ。だって片桐さん、良い人だし」
「俺が、良い人?」
 そんなわけ無い。
 俺は自分の事ばかり考えているだけの人間だ。良い人って言うのは菊池や咲季、櫻井さんのような人の事だろう。俺は比べようも無い。
 だけど菊池弟は確信を持った表情をしていた。
「昔想像してたような屑野郎だったら蹴り飛ばして追い返してた所だけど……ほら、僕が生意気言ってもキレたりしないじゃん?それと、さっきからの態度見てれば嫌でも分かるよ。姉さんの事大切に思ってたんだって。虐めてたなんて絶対に嘘だ。百聞は一見に如かず、だね」
「…………」
 最初喧嘩腰だったのは俺の反応を見ていたのか。
 普通なら嫌がる所なんだろうが、不思議と何とも思わなかった。
「姉さんも片桐さんの事を責めたりしないよ。むしろ感謝してると思う。片桐さんに会わないまま過ごしていたら姉さんはいつか壊れてた。だから、僕達家族から言えるのは一つだけ」
 俺の方に体を向け、菊池弟は頭を下げた。
「ありがとう、姉さんに勇気をくれて。姉さんを、救ってくれて」
 救った?俺が?
 ただのいきがった不良|擬《もど》きがあいつを?
 呆然と口を開いたまま、言葉が出ない。
「片桐さんのお陰で姉さんは最後の最後にに姉さんらしく生きる事が出来たんだ。だからそんな背中丸めてないでさ、胸張っててよ」
 菊池弟が冗談めかして笑った。
 その姿に姉の――菊池の姿が重なる。
 真っ直ぐに見てくれるあの目。同じだ。
「あ…………」
 視界が滲んだ。
 自分が許されたからか、誤解が解けたからか。いや、それよりも。
 俺を真っ直ぐに見てくれた、俺のために泣いてくれたあいつに少しでも何かを返す事ができていた。それが嬉しかったんだ。
 何も無い、要らない人間にも何かが出来るのだと。
「ていうか、原因が誰にあるとか一々全部考えてたら人類全員悪者だよ。悪いのは全部あの糞教師」
 心の中にあった澱《おり》が少しずつ流れていくような感覚があった。
 やっぱり彼は菊池の弟なんだなと強く実感する。
「……男が泣いてても慰めないよ、僕」
 俺の顔を見て一瞬ギョッとし、菊池弟が呟いた。
「うるさいな」
 容赦の無い物言いに小さく吹き出す。
 一言多いのも姉譲りか。
 # #
「菊池雄仁《きくちゆうじん》。雄弁の〝雄〟に仁義の〝仁〟。今後縁があるかは分からないけど、そん時はよろしく」
 玄関の前。帰り際に菊池弟が思い出したように自己紹介。
「ああ。よろしく」
 随分と遅れたそれに俺は笑いつつ、差し出された手に握手した。
「そういやお袋も、片桐さんに会いたがってたよ。謝りたいって。今は入院してて身動き取れないから、退院したら一緒に改めて挨拶する」
「お母さん、どこか悪いの?」
「過労でね。数日入院」
 肩を竦めてみせる雄仁。
 苦しい生活は未だ変わらず、と言う事らしい。
 それ以上会話は続かず、俺は菊池家から出る事となった。
 いつかは分からないけど、また近い内に会う事になる。不思議とそんな気がした。
 会えればいいなと思う。
 いつぶりだろうか、こんな希望的な思いを抱くのは。
 外に出て、歩みを進める。
 いつの間にか外は夜の帳が落ちていて、遠くで誰かがはしゃいで戯《じゃ》れている声が聴こえる。
 暗い世界が広がる、街灯の少ない田んぼだらけの道。ともすれば前が見えなくなるほどの闇。
 しかし見上げると、雲一つ無い空には満天の星が散りばめられていた。