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fragment 4 秋春の章(終)

ー/ー



 辻堂は病院に運ばれた。どこかの骨にひびが入っていたらしい。
 死ねば良かったのにと思う。

 俺は二週間の停学を受けた。
 しかし、そんなのはどうでもよかった。ただ、菊池が死ぬ原因を作った辻堂が罰せられないのは許せなかったから、訴え続けた。
 あいつはこの学校の女子に売春をさせていると。
 それに巻き込まれて菊池は自殺したんだと。
 叫びは、教師たちに一蹴された。

『何を言っている』
『辻堂がそんな事するはずないだろう』
『嘘ならもっとマシな嘘をつけ』

 それが教師の総意だった。
 辻堂は表向きは人柄の良い人気者。俺は不良の屑。信じるに値するのは前者だったってわけだ。辻堂が実は他人が喧嘩して殴り合っているのを見て笑っているような悪趣味な奴だとは夢にも思っていない。
 だから俺が嘘をついて辻堂を貶めようとしているのだと、教師(あいつら)は語気を荒げていった。

『お前はそうやって菊池にした事をなすりつけるつもりか!』
『菊池さんを追い込んだのは片桐君でしょう!』
『辻堂が言っていたぞ!お前が菊池の死に関わっているんじゃないかと話を聞いたら突然殴りかかってきたそうだな!』
『人として情けないとは思わんのか!』

 もう、いつ誰が言ったのかも分からなくなるほど、俺の周りは敵意で満ちていった。
 世界の全てが俺に矛先を向けているようだった。

 いつの間にか俺は菊池に付きまとって嫌がらせをし、自殺へ追い込んだ〝人殺し〟になっていた。
 おそらく辻堂が情報を操作したんだろう。自分の立場を最大限利用した報復。あいつらしい粘着質なやり方だ。おかげで俺の訴えなんて誰も聞いてくれやしない。

『この借りはちゃんと返してやるから』

 血で手が濡れるまで殴って、通りがかった羽柴や教師たちに取り押さえられた後、あいつは言った。言葉の意味を理解した頃には遅かった。
 何をどう弁明しようが、辻堂のやった事を訴えようが無駄だった。俺が悪者で、最低で最悪だという周囲の認識は以前の行動も相まって盤石なものとなっていたから。

 それは俺の両親にも同じ事が言えた。

 ♯


 停学を受けた後、家。リビングのテーブルを挟んで、父さんは俺を殴って叱りつけた。
「君はなんでこんな事をしたんだ!」と、整った顔を怒りに歪めて言った。
 ただでさえ世間体を気にする人だ。自分の子供が同級生を殴って病院送りにするなんて以ての外だったろう。加えてその理由が虐めをしていた事を同級生に指摘されたからという最低な理由ならなおさらだ。
 鈍い痛みを頬に感じながら、俺は顔を上げた。

 父さんの横で母さんは悲痛な面持ちで俺を見ていた。

 何かを訴えかけるような視線。今まで、どんな理由だろうとこんなふうに俺を見てくれた事は無かった。
 だから、僅かな期待が湧いた。
 家族ならもしかしたら信じてくれるのではないか。家族なら俺の話を少しでも聞いてくれるんじゃないか。
 少なくとも一蹴される事は無いだろう、と。

 他人を殴って重傷を負わせた事に変わりは無い。
 だが、せめて菊池を虐めていたのだというのだけは違うのだと知ってほしかった。……いや、信じて欲しかった。

 だから、

「俺は……虐めなんてしてない。だからあいつを殴ったのもあんな理由じゃなくて……」

 希望を抱いて言葉を発した。

「……あ」

 視界に映ったのは、静かな怒りを目に宿した父さんと、顔を伏せて震える母さんだった。

「そうやって言い逃れする気かい?」

 家族に向けるようなものじゃない底冷えした目。
 母さんは「情けない」と呪文のように唱えて泣き崩れている。

「先生方の前でもそうやって見苦しい言い訳をしたそうじゃないか」

 俺を責め立てた教師共と同じ目。

 ……ああ、そうか。

「ふ、は、はは」

 楽しくもないのに口が歪んんだ。

「なに笑ってるの!」

 母さんが怒りの形相で怒鳴った。

「いや……、うん。そうだよな…そりゃあ、そうだよ」

 何を期待してたんだろう。
 母さんは俺に大人しく謝って欲しかっただけだったんだ。俺が何を言おうが信じる気なんて無かった。

は僕たちを馬鹿にしているのか!」
「……ははは」

 いや、内心分かってた事がより鮮明に、はっきりしただけだよ。
『誰に似たのかしらね』とか『君』とかさぁ。あからさまなんだよ。

 要はさ、

「はは……」

 俺は母さんたちの家族じゃないんだろ。


 # # #


 停学の間、プリントや提出書類等は結愛姉ちゃんが届けてくれた。
 その時に本当は何があったのかと訊かれたが、俺は何も答えなかった。
 それはどうせ信じてくれないとか卑屈な思いもあったけど、一番はそれを信じた結愛姉ちゃんが周りから変な目で見られるのを避けるためだった。
 結愛姉ちゃんは来る度に俺に問いただしてきたけど、俺が無言を貫き通していたら何も訊いてこなくなった。
 ただ最後に「力になれなくてごめんね」と謝って、俺の前から去っていった。

 そうして二週間を経て、俺は停学明けに学校に登校した。
 いつも通る教室までの道のりが遠く感じる。のろのろと正門からすぐ左手にある下駄箱へと向かい、靴を上履きに履き替え、廊下を進んだ。
 その間、周囲から多数の視線。どれもが不快感や悪意の視線。教室に入ってもそれは変わらず。だが、直接文句を言ってくるような奴は居らず、遠巻きに「よく登校して来れたよね」とか「さっさと少年院に入ってくれよ」とか言っているだけだった。

 ……どうでもいい。

 俺は大人しく座って、顔を伏せた。
 登校してきたのは、家に居たくなかったから。
 こうやって席についてるのは単に時間潰し。
 いつも通り、退屈な授業が始まった。

 ただ時間が過ぎるのを待った。

 #

 昼休み、足が自然と中庭のうさぎ小屋に向いた。
 うさぎ小屋には見慣れない二人組の女子がいて、白いうさぎに餌をやっていた。
 菊池とのやり取りを思いだす。
 ……確かアリスだったか。
 なんとなしに遠巻きから眺めた。

「ねえ、この子たち名前あるのかな?」
「さあ?うさぎ小屋の管理なんて急に回ってきた仕事だもん。前任の人も誰だか分かんないし」
「それはあんたが美化委員の集まりサボってたからでしょ」
「うっさいわねー」
「ねぇねぇ、ウチらで名前決めちゃおうよ。まずこの白い子は……しらたま!で、この子が……」
「ちょ、待って待って!わたしにも決めさせてよ!」

 楽しげにじゃれ合いながらうさぎの名前を勝手に決めていく女子たち。

「…………おい……」

 やめろ。
 そう口をついて出そうになったのを理性で抑えた。

 俺はその場から一刻も早く離れたくて、急いで踵を返して校舎へ戻った。

 校舎に戻って、当てもなく校内を歩き回る。何をしたいのか自分でも分からない。
 何かを探すように俺は歩き回った。
 三年の教室が並ぶ三階にも行った。
 菊池のクラスも覗いてみた。
 だけどそこには、楽しそうにはしゃぐ生徒の声が響くだけだった。誰もが笑っていた。菊池を虐めていたあいつらもスマホの画面を見せ合いながら笑っていた。
 その光景を見て、愕然とする。

 どうして笑っていられる。

 まるで何もなかったみたいに、どうして笑っていられる。

 菊池は死んだんだ。自殺したんだ。

 それなのに、これじゃあまるで……

「最初から誰も居なかったみたいじゃねぇか……」

 たった二週間だ。
 たった二週間で、こんなにも

「おまっ、ふざけんなよ〜!」

 ガタンと、教室でふざけ合っていた男子の一人が机にぶつかった。
 その拍子に何かが倒れる。

 花瓶だ。
 菊の花が添えられたそれがバランスを崩して倒れ、中の水がぶちまけられる。

「ちょっとー!スカートにかかったー!」
「わりーわりー!」

 花瓶が置かれていた空席の隣に座っていた女子が文句を言って、男子が謝る。男子は花瓶を急いで立て、雑巾を持ってきて水を拭いて、

「コレ、また水入れなきゃ駄目かな?」
「いいわよ入れなくて!あんたみたいなのがまた倒すかもしれないし、その度に濡れたんじゃたまったもんじゃない!」
「だ、だよなー、ホントごめん!」

 男子が平謝りして、その一幕は終わった。


「……なんだよ、それ……」

 胸糞悪くて、俺は走った。逃げるように、今の光景を振り払うようにただただ走った。

 #

 いつの間にか、俺は屋上にいた。
 屋上への扉は鍵が壊れていたのか、難なく入ることが出来たようだ。

 アブラゼミの耳障りな声が飛び交う中、空を見上げた。

 晴天。

 清々しいほどの青に、目が眩むようだ。
 本当に、今まで起きた事が嘘だったんじゃないかってくらい綺麗で、だからこそ吐き気がした。
 まるで何事も無かったかのような世界。
 菊池の生きていた痕跡を消し去っていくような日常。

 全てが不快で、理解できなくて、怖かった。

 なあ菊池、お前は誰かのためにって生きていたのに、お前が死んだらこんな風にすぐに忘れ去られて、ないがしろにされていってるんだぞ。
 理不尽だ。ふざけてる。
 誰のためにお前が虐められてたのか知らないけど、あんなの見させられたらそいつもお前に対してなんとも思っていないんじゃないかって思っちまうよ。

「……だから」

 だからせめて、俺だけはお前を忘れない。
 お前の『輝かしい未来を持った人のために生きる』って生き方、俺にも真似させてくれ。
 菊池は確かに居たんだって証明するために、お前の考えを、意思を、俺が継ぐよ。

 それに、やっと理解できたんだ。
 俺みたいに誰にも必要とされない人間は存在する。そんな生きていても仕方が無いような奴はどうやって生きていけば良いのか。
 その答えが、菊池の言っていたそれなんだろ。
 だったら、おあつらえ向きだ。

 俺は輝かしい誰かのために、そいつの幸せのために生きる。
 そうすれば、こんなやつでも生きていて意味があるって思えるから。


 # # #


 これが、始まり。片桐秋春にかかった呪いの原点。

 言うなれば、そう。

 誰かに尽くさなければいけない。そういう呪い。





次のエピソードへ進む 第二十一話 これに尽きる


みんなのリアクション

 辻堂は病院に運ばれた。どこかの骨にひびが入っていたらしい。
 死ねば良かったのにと思う。
 俺は二週間の停学を受けた。
 しかし、そんなのはどうでもよかった。ただ、菊池が死ぬ原因を作った辻堂が罰せられないのは許せなかったから、訴え続けた。
 あいつはこの学校の女子に売春をさせていると。
 それに巻き込まれて菊池は自殺したんだと。
 叫びは、教師たちに一蹴された。
『何を言っている』
『辻堂がそんな事するはずないだろう』
『嘘ならもっとマシな嘘をつけ』
 それが教師の総意だった。
 辻堂は表向きは人柄の良い人気者。俺は不良の屑。信じるに値するのは前者だったってわけだ。辻堂が実は他人が喧嘩して殴り合っているのを見て笑っているような悪趣味な奴だとは夢にも思っていない。
 だから俺が嘘をついて辻堂を貶めようとしているのだと、教師《あいつら》は語気を荒げていった。
『お前はそうやって菊池にした事をなすりつけるつもりか!』
『菊池さんを追い込んだのは片桐君でしょう!』
『辻堂が言っていたぞ!お前が菊池の死に関わっているんじゃないかと話を聞いたら突然殴りかかってきたそうだな!』
『人として情けないとは思わんのか!』
 もう、いつ誰が言ったのかも分からなくなるほど、俺の周りは敵意で満ちていった。
 世界の全てが俺に矛先を向けているようだった。
 いつの間にか俺は菊池に付きまとって嫌がらせをし、自殺へ追い込んだ〝人殺し〟になっていた。
 おそらく辻堂が情報を操作したんだろう。自分の立場を最大限利用した報復。あいつらしい粘着質なやり方だ。おかげで俺の訴えなんて誰も聞いてくれやしない。
『この借りはちゃんと返してやるから』
 血で手が濡れるまで殴って、通りがかった羽柴や教師たちに取り押さえられた後、あいつは言った。言葉の意味を理解した頃には遅かった。
 何をどう弁明しようが、辻堂のやった事を訴えようが無駄だった。俺が悪者で、最低で最悪だという周囲の認識は以前の行動も相まって盤石なものとなっていたから。
 それは俺の両親にも同じ事が言えた。
 ♯
 停学を受けた後、家。リビングのテーブルを挟んで、父さんは俺を殴って叱りつけた。
「君はなんでこんな事をしたんだ!」と、整った顔を怒りに歪めて言った。
 ただでさえ世間体を気にする人だ。自分の子供が同級生を殴って病院送りにするなんて以ての外だったろう。加えてその理由が虐めをしていた事を同級生に指摘されたからという最低な理由ならなおさらだ。
 鈍い痛みを頬に感じながら、俺は顔を上げた。
 父さんの横で母さんは悲痛な面持ちで俺を見ていた。
 何かを訴えかけるような視線。今まで、どんな理由だろうとこんなふうに俺を見てくれた事は無かった。
 だから、僅かな期待が湧いた。
 家族ならもしかしたら信じてくれるのではないか。家族なら俺の話を少しでも聞いてくれるんじゃないか。
 少なくとも一蹴される事は無いだろう、と。
 他人を殴って重傷を負わせた事に変わりは無い。
 だが、せめて菊池を虐めていたのだというのだけは違うのだと知ってほしかった。……いや、信じて欲しかった。
 だから、
「俺は……虐めなんてしてない。だからあいつを殴ったのもあんな理由じゃなくて……」
 希望を抱いて言葉を発した。
「……あ」
 視界に映ったのは、静かな怒りを目に宿した父さんと、顔を伏せて震える母さんだった。
「そうやって言い逃れする気かい?」
 家族に向けるようなものじゃない底冷えした目。
 母さんは「情けない」と呪文のように唱えて泣き崩れている。
「先生方の前でもそうやって見苦しい言い訳をしたそうじゃないか」
 俺を責め立てた教師共と同じ目。
 ……ああ、そうか。
「ふ、は、はは」
 楽しくもないのに口が歪んんだ。
「なに笑ってるの!」
 母さんが怒りの形相で怒鳴った。
「いや……、うん。そうだよな…そりゃあ、そうだよ」
 何を期待してたんだろう。
 母さんは俺に大人しく謝って欲しかっただけだったんだ。俺が何を言おうが信じる気なんて無かった。
「《《君》》は僕たちを馬鹿にしているのか!」
「……ははは」
 いや、内心分かってた事がより鮮明に、はっきりしただけだよ。
『誰に似たのかしらね』とか『君』とかさぁ。あからさまなんだよ。
 要はさ、
「はは……」
 俺は母さんたちの家族じゃないんだろ。
 # # #
 停学の間、プリントや提出書類等は結愛姉ちゃんが届けてくれた。
 その時に本当は何があったのかと訊かれたが、俺は何も答えなかった。
 それはどうせ信じてくれないとか卑屈な思いもあったけど、一番はそれを信じた結愛姉ちゃんが周りから変な目で見られるのを避けるためだった。
 結愛姉ちゃんは来る度に俺に問いただしてきたけど、俺が無言を貫き通していたら何も訊いてこなくなった。
 ただ最後に「力になれなくてごめんね」と謝って、俺の前から去っていった。
 そうして二週間を経て、俺は停学明けに学校に登校した。
 いつも通る教室までの道のりが遠く感じる。のろのろと正門からすぐ左手にある下駄箱へと向かい、靴を上履きに履き替え、廊下を進んだ。
 その間、周囲から多数の視線。どれもが不快感や悪意の視線。教室に入ってもそれは変わらず。だが、直接文句を言ってくるような奴は居らず、遠巻きに「よく登校して来れたよね」とか「さっさと少年院に入ってくれよ」とか言っているだけだった。
 ……どうでもいい。
 俺は大人しく座って、顔を伏せた。
 登校してきたのは、家に居たくなかったから。
 こうやって席についてるのは単に時間潰し。
 いつも通り、退屈な授業が始まった。
 ただ時間が過ぎるのを待った。
 #
 昼休み、足が自然と中庭のうさぎ小屋に向いた。
 うさぎ小屋には見慣れない二人組の女子がいて、白いうさぎに餌をやっていた。
 菊池とのやり取りを思いだす。
 ……確かアリスだったか。
 なんとなしに遠巻きから眺めた。
「ねえ、この子たち名前あるのかな?」
「さあ?うさぎ小屋の管理なんて急に回ってきた仕事だもん。前任の人も誰だか分かんないし」
「それはあんたが美化委員の集まりサボってたからでしょ」
「うっさいわねー」
「ねぇねぇ、ウチらで名前決めちゃおうよ。まずこの白い子は……しらたま!で、この子が……」
「ちょ、待って待って!わたしにも決めさせてよ!」
 楽しげにじゃれ合いながらうさぎの名前を勝手に決めていく女子たち。
「…………おい……」
 やめろ。
 そう口をついて出そうになったのを理性で抑えた。
 俺はその場から一刻も早く離れたくて、急いで踵を返して校舎へ戻った。
 校舎に戻って、当てもなく校内を歩き回る。何をしたいのか自分でも分からない。
 何かを探すように俺は歩き回った。
 三年の教室が並ぶ三階にも行った。
 菊池のクラスも覗いてみた。
 だけどそこには、楽しそうにはしゃぐ生徒の声が響くだけだった。誰もが笑っていた。菊池を虐めていたあいつらもスマホの画面を見せ合いながら笑っていた。
 その光景を見て、愕然とする。
 どうして笑っていられる。
 まるで何もなかったみたいに、どうして笑っていられる。
 菊池は死んだんだ。自殺したんだ。
 それなのに、これじゃあまるで……
「最初から誰も居なかったみたいじゃねぇか……」
 たった二週間だ。
 たった二週間で、こんなにも《《消えていくものなのか》》?
「おまっ、ふざけんなよ〜!」
 ガタンと、教室でふざけ合っていた男子の一人が机にぶつかった。
 その拍子に何かが倒れる。
 花瓶だ。
 菊の花が添えられたそれがバランスを崩して倒れ、中の水がぶちまけられる。
「ちょっとー!スカートにかかったー!」
「わりーわりー!」
 花瓶が置かれていた空席の隣に座っていた女子が文句を言って、男子が謝る。男子は花瓶を急いで立て、雑巾を持ってきて水を拭いて、
「コレ、また水入れなきゃ駄目かな?」
「いいわよ入れなくて!あんたみたいなのがまた倒すかもしれないし、その度に濡れたんじゃたまったもんじゃない!」
「だ、だよなー、ホントごめん!」
 男子が平謝りして、その一幕は終わった。
「……なんだよ、それ……」
 胸糞悪くて、俺は走った。逃げるように、今の光景を振り払うようにただただ走った。
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 いつの間にか、俺は屋上にいた。
 屋上への扉は鍵が壊れていたのか、難なく入ることが出来たようだ。
 アブラゼミの耳障りな声が飛び交う中、空を見上げた。
 晴天。
 清々しいほどの青に、目が眩むようだ。
 本当に、今まで起きた事が嘘だったんじゃないかってくらい綺麗で、だからこそ吐き気がした。
 まるで何事も無かったかのような世界。
 菊池の生きていた痕跡を消し去っていくような日常。
 全てが不快で、理解できなくて、怖かった。
 なあ菊池、お前は誰かのためにって生きていたのに、お前が死んだらこんな風にすぐに忘れ去られて、ないがしろにされていってるんだぞ。
 理不尽だ。ふざけてる。
 誰のためにお前が虐められてたのか知らないけど、あんなの見させられたらそいつもお前に対してなんとも思っていないんじゃないかって思っちまうよ。
「……だから」
 だからせめて、俺だけはお前を忘れない。
 お前の『輝かしい未来を持った人のために生きる』って生き方、俺にも真似させてくれ。
 菊池は確かに居たんだって証明するために、お前の考えを、意思を、俺が継ぐよ。
 それに、やっと理解できたんだ。
 俺みたいに誰にも必要とされない人間は存在する。そんな生きていても仕方が無いような奴はどうやって生きていけば良いのか。
 その答えが、菊池の言っていたそれなんだろ。
 だったら、おあつらえ向きだ。
 俺は輝かしい誰かのために、そいつの幸せのために生きる。
 そうすれば、こんなやつでも生きていて意味があるって思えるから。
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 これが、始まり。片桐秋春にかかった呪いの原点。
 言うなれば、そう。
 誰かに尽くさなければいけない。そういう呪い。