「和尚様、もう少し、お米を召し上がりますかな」
「いや、酒と肉をもらおうか」
そうして、あひるの肉と溢れんばかりの酒を腹いっぱいにおさめた智深は、さっそく禅杖と戒刀を手に部屋を出た。
「じいさん、娘さんはもう隠しただろうな」
「ええ、娘はすっかり隣の屋敷にやりましたとも。ささ、こちらが花嫁の部屋でございます」
花嫁の部屋に身を潜め、のこのこやってきた山賊を一喝してやろうという智深の策に、それは妙案と喜んだ劉太公は、さっそく智深を部屋へと案内した。
「……あの、和尚様」
「どうした」
ふと、部屋を見回し身を隠す場所を考えていた智深に、老人が不安げな声をかける。
「まさか……花嫁衣装までは要りますまいな」
「あんたは何を言っとるんだ、そんなもん、あったところで小さくて入らん! 寝ぼけたことを言っていないで、あんたもさっさと備えをしてください」
追い立てられた劉太公が使用人とともに屋敷へ引っ込んだのを確かめると、智深は部屋の中の邪魔な椅子や机を脇に寄せ、繊細な刺繍が施された赤や金の布で飾り立てられた寝台には不釣り合いな、己の物騒な得物をその枕元に立てかける。
「まったく、女ってやつも、苦労するものだな」
智深にはまったくもって理解できない衝動のままに弱い女たちを困らせる助平男を再び懲らしめるため、智深は着物を脱ぎすて身軽になると、まばゆいばかりの帳の中に、でん、と転がり込む。
寝具の心地よい柔らかさと浴びるほど飲んだ酒のせいで微かな眠気を覚えるが、ぶるりと首を振り、髭面を撫でまわす。
「ふん、どんな新郎か、俺がしっかり見てやるぞ」
次第に辺りは、こっくりとした宵闇に覆われはじめていた。
智深が花嫁の寝台で息を潜めているころ、劉太公はさっそく智深の策どおりに、婚礼の宴の準備を始めていた。
屋敷中の松明には赤々と火が灯り、麦打ち場にあつらえた大きな卓には、瑞々しい花々と蝋燭の炎が祝福の色を帯びて揺らめく。
さらに、卓を覆う大皿小椀には肉や酒がなんともうまそうな湯気をあげ、その光景は、あたかも花婿を迎える喜びにあふれた幸福な夜のようであった。
「た、太公様、この音は……」
そうこうしているうちに、桃花山の方角から、にぎにぎしい銅鑼や太鼓の音がぎらぎらと響いてくる。
ついに、やってきたのだ――山賊の花婿が。
「和尚様がなんとかしてくださる。皆、平静にするのだ」
手のひらに滲む汗を着物の裾で拭い、太公は使用人たちに支度を急がせる。やがて婚礼の宴席が完全に整った頃、屋敷の前に現れた男たちの姿は、いかにも山の賊という字が似合う様子であった。
不気味な夜霧の向こうに霞む鬱蒼とした桃花山をその背に負い、行列を成してこちらへと進んでくる男たちの体はみな屈強で、目出度いはずの茜色の頭巾をかぶってすら、数多の修羅場を潜り抜けてきたのであろう太々しい顔は凶神のようにぎらついている。
馬上の賊たちが掲げる松明の灯りは靄の中でことさら妖しく揺らぎ、徒歩の賊たちが各々手にする槍や旗は毒々しいまでに鮮やかな寿ぎの絹をなびかせているのに、皆一様に可憐な野の草花を頭巾に挿しているのだから、なんとも奇妙な光景である。
「門を、広げてさしあげろ」
ためらうように半端に開かれていた門を、使用人たちが恐々とした手つきで開け広げる。
祝いの行列はゆっくりと門をくぐり、そしてついに、緋色の燈篭を掲げる男を従え、彼らの大王がその姿を現した。
「二の大王様のお成り!」
手下どもにはやし立てられ、たくましい白馬の背で両手を挙げて笑う二の大王――周通の姿を見上げ、劉太公は、必死で嗚咽をかみ殺した。
紅色の頭巾をかぶった鬢になんとも大げさな花を挿し、この日のためにあつらえたか、はたまたどこかから奪ったか、田舎の山奥の賊にしては豪奢な金糸銀糸の着物を纏い、赤い花飾りを襷がけにした男は、初めてこの屋敷で出会ったときと比べて随分とはつらつとした若者のようにも見える。
まわりの手下どもよりいささか小柄な体を精一杯大きく見せようと尊大に反り返っていたあの日と違い、一目で惚れた女を誰に邪魔だてされることなく嫁に迎える喜びに顔を輝かせているせいであろう。
これが娘の望む婚礼で、この男が誠実な人間であったなら、どんなに今日は幸せな夜であったことだろう。
「新郎さまのお帽子は
今宵いっとうひかひかと
花婿さまのお着物は
今宵いっとうきらきらと」
野太い声で祝いの唄を口ずさむ手下たちに何度も何度も頷き返すと、周通はひらりと白馬から飛び降り、劉太公の目の前にいそいそと近づいた。
ひどく醜いというわけではないが万人並みの顔かたち、そこらの男より逞しいと言えども山賊の頭領と言うにはやや小粒な背格好、そして仰々しく飾り立てて姿を現した割合にそわそわと落ち着きのない様子は、どこか桃花山の大王という肩書からはかけ離れているのだが、それでもこれほどの手下にかしずかれるのだから、凶悪な男であることには違いあるまい。
「大王さま、今宵は私の娘なんぞを嫁に迎えていただき、身にあまる光栄でございます」
使用人が震える手で差し出した酒を一気に飲み干す姿を見届けるのもそこそこに、がばりと地面に平伏した劉太公は、じっと周通の靴を見つめた。彼の履いている牛皮の靴を、以前もう少し東の方のまちの役人が履いていたことを思い出す。
「はは、あんたは今日から俺の舅、つまり俺の義理の父だ。何を堅苦しく礼なんぞ」
「いいえ、私どもは大王様のしもべ、ただの百姓風情でございます。どうして拝礼せずにいられましょう」
「ああ、わかった、わかったよ。でもまあ、俺があんたの家の婿となったからにゃ、もう安心だ。あんたの家に悪さをするやつがいれば、俺たち桃花山がそいつの首をへし折ってやる。あんたの娘さんのことも、きっと江湖一の幸せな女にしてやるさ」
かなり酔っているのであろう、やはり大王というよりは、やんちゃのすぎる若者のような軽い口ぶりで笑った周通は、太公の腕をむんずとつかんだ。
「さあ、立ってくれ」
「大王さま……それでは、心ばかりではありますが、宴席を設けておりますので、どうぞこちらへ」
婿となる男の筋張った手を取り、劉太公は智深とのはかりごとを気取られぬよう、心を落ち着かせて麦打ち場の宴席の華やかな様子を見せて回る。
婚礼を祝う数々の松明や飾りを見てはいちいち上ずった声で笑い、「ここまでしてくれなくてもいいんだぞ」などと殊勝な言葉をかけていた周通も、さらに三杯の祝いの盃を飲み干したころにはすっかり気が大きくなってきた様子であった。赤らんだ顔を尊大に反らし、手下に命じて手入れの行き届いた美しい白馬を柳に繋がせ、さらに数名の手下を呼びつけて鳴り物を奏でさせると、小躍りしそうな足取りで座敷に上がり込んでどかりと腰を下ろす。
「舅さん、あんたよくやってくれたよ、こんなにさあ」
次々と注がれる酒を遠慮もせずにせっせと胃袋に流し込み続ける周通が、ふいに、にやにやとあたりを見回した。
「なあ舅さん、ところで俺の花嫁はどこにいる?」
「……む、娘は、恥ずかしがっておりまして、表に出ようとせんのです」
いかに備えていたとはいえ、突然娘の話を持ち出され、声が微かに震える。だが、何か勘付かれはしなかったかと横目に大王を見れば、酒が入って上機嫌なのが幸いし、まったく不審に気が付いた様子もない。
「わはは、なんと愛らしい花嫁だ。それじゃあ、先に舅さんと……」
酒をなみなみ注いだ盃を掲げる周通の手が、ふと止まる。
(まさか、何か……)
背中を一筋、汗が伝い落ちるのを感じたと思った刹那、大王はだらしなく目尻を下げ、唇を吊り上げた。
「いや、やはり愛しの花嫁の顔を見るのが先だ。酒は後にしよう。あの日、一目見たときでさえ、たまげるほどに美しかったんだから、婚礼の晴れ姿もどれだけ美しいだろう。舅さん、いや、義父殿、あんた、本当に幸運な人だよ。美人な娘の婿に、この『小覇王』周通を迎えられるなんてなあ」
「も、もったいないお言葉で……さ、さあ、それでは、娘のもとへ参りましょう」
しきりに娘の容姿を褒めちぎる大王の腕をとり、劉太公は花嫁の寝所へ――豪傑の僧侶が待つ部屋へとのろのろ歩を進める。
あとのことはすべて、智深に託すしかなかった。