第15話:初めてのケンカ、そして手料理(前編)
ー/ーその日の夕方、高遠陽樹はいつもより早く帰宅した。
運行管理室でのトラブルが片付き、久しぶりにユウキとゆっくり過ごせる夜だった。
リビングのドアを開けると、森野悠希がソファで何やら夢中になってスマートフォンを操作しているのが見えた。彼女は、楽しそうに鼻歌を歌っていた。
「ただいま、ユウキ」
アキが声をかけると、ユウキはパッと顔を上げ、満面の笑みでアキに駆け寄ってきた。
「アキくん!おかえり!お疲れ様!」
ユウキは、そう言って、アキに抱きついた。アキは、ユウキの頭を優しく撫でた。
「今日は、アキくんが早く帰ってきてくれるって分かってたから、今日の晩ごはんは、アキくんが好きな、カレイの煮付けだよ!」
ユウキは、得意げにそう言った。しかし、アキの顔は、一瞬だけ曇った。
「…そうか。ありがとう」
アキは、そう言って、少しだけ視線を逸らした。ユウキは、アキの様子がいつもと違うことに、すぐに気づいた。
「どうしたの、アキくん?何かあった?」
ユウキが心配そうに尋ねると、アキは、スマートフォンを取り出して、ユウキに見せた。画面には、運行管理室の同僚から送られてきた、カレイの煮付けの画像が表示されていた。
「…今日、会社の食堂で、カレイの煮付けが出たんだ。しかも、この前、ユウキが作ってくれたレシピと同じやつで…」
アキは、そう言って、少しだけ申し訳なさそうな顔をした。
アキにとって、それは、ユウキの手間を思っての、些細な気遣いのつもりだった。しかし、ユウキの表情は、みるみるうちに硬くなっていった。
「…え?じゃあ、アキくんは、もう食べちゃったの…?」
ユウキの声は、震えていた。ユウキの心に、小さな失望が広がっていく。
せっかく、アキくんが早く帰ってきてくれるって分かって、一生懸命作ったのに。
アキは、そんなユウキの気持ちに、気づいていないようだった。
「ああ。せっかく作ってくれたのに、悪いな」
アキは、悪気なくそう言った。
アキは、ユウキが自分のために料理を作ってくれたことを、心から嬉しく思っていた。だからこそ、ユウキの期待を裏切ってしまったことに、罪悪感を感じていたのだ。
しかし、ユウキには、アキのその気持ちが、全く伝わらなかった。
ユウキは、これまで、何度もアキに自分の想いを伝えてきた。それでも、アキは、いつも素っ気ない。彼の言葉は、ユウキの気持ちを無視した、冷たいものにしか聞こえなかった。
「…ひどいよ、アキくん」
ユウキは、そう言って、アキから一歩、後ずさった。
「せっかく、アキくんが早く帰ってくるって分かって、一生懸命作ったのに…どうして、一言、言ってくれなかったの?」
ユウキの目に、涙が浮かんだ。
「…いや、だって、そんな…」
アキは、言葉に詰まった。アキは、ユウキの怒りの理由が、分からなかった。
アキにとっては、ただ、食堂でたまたま同じメニューが出た、という、それだけの出来事だったからだ。
「アキくんは、いつもそうだ!私のこと、全然分かってくれてない!私の気持ちなんて、どうでもいいんでしょ!」
ユウキは、そう言って、アキの腕を叩いた。アキは、ユウキの突然の行動に、呆然として立ち尽くした。
「もういい!アキくんがそんなんなら、私、もう、アキくんのためにご飯作らないから!」
ユウキは、そう言い放ち、涙を流しながら、リビングを飛び出し、自分の部屋へと駆け込んでいった。ドアは、静かに、そしてユウキの決意を示すかのように、大きな音を立てて閉まった。
アキは、その場に立ち尽くし、何も言えなかった。
食卓に並んだ、湯気の立つカレイの煮付けだけが、二人の間に残された、深い溝を物語っていた。アキは、料理が冷めていくのを、ただじっと見つめていた。カレイの煮付けからは、ユウキが込めた愛情が、温かい湯気となって立ち上っている。
しかし、アキは、その温かさに触れることができなかった。
アキは、ユウキの部屋のドアの前まで行き、ノックをしようと手を上げた。
だが、彼の指は、ドアに触れることができなかった。ユウキが、あんなにも怒っている。アキは、自分が何を言えばいいのか、分からなかった。
彼は、自分の不器用さが、どれほどユウキを傷つけてしまったのかを、ようやく理解し始めていた。言葉で伝えられない、言葉を間違えてしまう。
そんな自分の不甲斐なさに、アキは、唇を強く噛み締めた。
「ユウキ…?」
アキは、小さな声で、部屋のドアに話しかけた。
でも、返事はない。
もう一度、アキは声をかける。
「…ごめん」
その声も、ドアの向こう側には届かなかった。アキは、一人、リビングに戻り、冷え切ったカレイの煮付けを、ただじっと見つめていた。
みんなのリアクション
まだリアクションはありません。最初の一歩を踏み出しましょう!
その日の夕方、高遠陽樹《たかとおはるき》はいつもより早く帰宅した。
運行管理室でのトラブルが片付き、久しぶりにユウキとゆっくり過ごせる夜だった。
リビングのドアを開けると、森野悠希《もりのゆうき》がソファで何やら夢中になってスマートフォンを操作しているのが見えた。彼女は、楽しそうに鼻歌を歌っていた。
「ただいま、ユウキ」
アキが声をかけると、ユウキはパッと顔を上げ、満面の笑みでアキに駆け寄ってきた。
「アキくん!おかえり!お疲れ様!」
ユウキは、そう言って、アキに抱きついた。アキは、ユウキの頭を優しく撫でた。
「今日は、アキくんが早く帰ってきてくれるって分かってたから、今日の晩ごはんは、アキくんが好きな、カレイの煮付けだよ!」
ユウキは、得意げにそう言った。しかし、アキの顔は、一瞬だけ曇った。
「…そうか。ありがとう」
アキは、そう言って、少しだけ視線を逸らした。ユウキは、アキの様子がいつもと違うことに、すぐに気づいた。
「どうしたの、アキくん?何かあった?」
ユウキが心配そうに尋ねると、アキは、スマートフォンを取り出して、ユウキに見せた。画面には、運行管理室の同僚から送られてきた、カレイの煮付けの画像が表示されていた。
「…今日、会社の食堂で、カレイの煮付けが出たんだ。しかも、この前、ユウキが作ってくれたレシピと同じやつで…」
アキは、そう言って、少しだけ申し訳なさそうな顔をした。
アキにとって、それは、ユウキの手間を思っての、些細な気遣いのつもりだった。しかし、ユウキの表情は、みるみるうちに硬くなっていった。
「…え?じゃあ、アキくんは、もう食べちゃったの…?」
ユウキの声は、震えていた。ユウキの心に、小さな失望が広がっていく。
せっかく、アキくんが早く帰ってきてくれるって分かって、一生懸命作ったのに。
アキは、そんなユウキの気持ちに、気づいていないようだった。
「ああ。せっかく作ってくれたのに、悪いな」
アキは、悪気なくそう言った。
アキは、ユウキが自分のために料理を作ってくれたことを、心から嬉しく思っていた。だからこそ、ユウキの期待を裏切ってしまったことに、罪悪感を感じていたのだ。
しかし、ユウキには、アキのその気持ちが、全く伝わらなかった。
ユウキは、これまで、何度もアキに自分の想いを伝えてきた。それでも、アキは、いつも素っ気ない。彼の言葉は、ユウキの気持ちを無視した、冷たいものにしか聞こえなかった。
「…ひどいよ、アキくん」
ユウキは、そう言って、アキから一歩、後ずさった。
「せっかく、アキくんが早く帰ってくるって分かって、一生懸命作ったのに…どうして、一言、言ってくれなかったの?」
ユウキの目に、涙が浮かんだ。
「…いや、だって、そんな…」
アキは、言葉に詰まった。アキは、ユウキの怒りの理由が、分からなかった。
アキにとっては、ただ、食堂でたまたま同じメニューが出た、という、それだけの出来事だったからだ。
「アキくんは、いつもそうだ!私のこと、全然分かってくれてない!私の気持ちなんて、どうでもいいんでしょ!」
ユウキは、そう言って、アキの腕を叩いた。アキは、ユウキの突然の行動に、呆然として立ち尽くした。
「もういい!アキくんがそんなんなら、私、もう、アキくんのためにご飯作らないから!」
ユウキは、そう言い放ち、涙を流しながら、リビングを飛び出し、自分の部屋へと駆け込んでいった。ドアは、静かに、そしてユウキの決意を示すかのように、大きな音を立てて閉まった。
アキは、その場に立ち尽くし、何も言えなかった。
食卓に並んだ、湯気の立つカレイの煮付けだけが、二人の間に残された、深い溝を物語っていた。アキは、料理が冷めていくのを、ただじっと見つめていた。カレイの煮付けからは、ユウキが込めた愛情が、温かい湯気となって立ち上っている。
しかし、アキは、その温かさに触れることができなかった。
アキは、ユウキの部屋のドアの前まで行き、ノックをしようと手を上げた。
だが、彼の指は、ドアに触れることができなかった。ユウキが、あんなにも怒っている。アキは、自分が何を言えばいいのか、分からなかった。
彼は、自分の不器用さが、どれほどユウキを傷つけてしまったのかを、ようやく理解し始めていた。言葉で伝えられない、言葉を間違えてしまう。
そんな自分の不甲斐なさに、アキは、唇を強く噛み締めた。
「ユウキ…?」
アキは、小さな声で、部屋のドアに話しかけた。
でも、返事はない。
もう一度、アキは声をかける。
「…ごめん」
その声も、ドアの向こう側には届かなかった。アキは、一人、リビングに戻り、冷え切ったカレイの煮付けを、ただじっと見つめていた。