第2話:冷めた夕食と温かい声(後編)
ー/ー 赤、青、緑。無数の光がモニターに点滅し、まるで生き物のように蠢いていた。その光の一つ一つを、高遠陽樹は凝視していた。
彼の周りでは、世界各国から集まった運行管理者たちが、自国語で状況を報告し、専門用語が飛び交っている。軌道エレベーターを管理するAIシステムに予期せぬエラーが発生し、復旧は難航していた。
エレベーターを一時的に止めることは簡単だが、それは乗客の不安を煽り、運行スケジュール全体に影響を与える。アキは、何が何でも稼働を止めずに復旧させる道を選んでいた。
「高遠、メインプロトコルのバイパスを頼む!」
上司の鋭い声が響く。アキは迷いなくキーボードを叩く。彼の指は、まるでピアノを弾くかのように軽やかだった。
しかし、彼の心は、張り詰めた糸のようにぴんと張っていた。このエレベーターは、ただの機械ではない。彼の父親が、命をかけて建設に携わった、多くの人の夢を乗せた「船」なのだ。
その安全を、今は自分が守っている。
その強い責任感が、アキを突き動かしていた。
スマートフォンの通知が鳴る。ユウキからの音声メッセージだった。
アキは周囲に気づかれないように、そっとイヤホンを耳につけた。
張り詰めた空気が満ちる運行管理室に、ユウキの明るく、楽しそうな声が響く。
「ねぇ、アキくん。今日はね、地上駅の展望台にすごく面白いお客さんが来たんだ。自分の名前を宇宙に刻んでほしいって言うの。本当にいるんだね、そういう人。すごく素敵な夢だなって思ったよ」
彼女は、軌道エレベーターの地上にある展望台で働くコンシェルジュとして、観光客のささやかな夢を語っていた。
その声は、張り詰めていた彼の心を優しく包み込んだ。
ユウキが話す人々のささやかな「夢」は、アキが今、必死に守ろうとしているものそのものだった。ユウキの声が、彼の心を少しずつ解きほぐしていく。
「…アキくんが守っているのは、きっと、こういう人たちの夢なんだね。すごいね、アキくん」
最後の言葉が耳に残り、アキはぐっと胸が熱くなるのを感じた。
この声が、この温かさが、彼の心を支えていたのだと、改めて実感した。
アキは、ユウキのメッセージを何度も再生した。この声が聞けただけで、張り詰めていた糸が少し緩んだ気がした。
「高遠、復旧だ!」
上司の声が、再び響く。アキは、ユウキの声がもたらした安堵感を胸に、再びキーボードに向き直った。ユウキの「すごいね、アキくん」という言葉が、彼に力をくれた。
作業が終わり、アキが地上駅を出たのは、すっかり夜が明けてからだった。
外に出ると、生暖かい夜風が頬を撫でる。
ふと、スマートフォンの画面に目を落とすと、ユウキからの音声メッセージに「未開封」の表示が残っていることに気づいた。こんな時間まで、きっと自分の帰りを待ってくれていたのだろう。そう思うと、胸の奥がチクリと痛んだ。
何か、ユウキに喜んでもらえるものを買って帰ろう。
そう思い立ったが、時刻はすでに午前4時。
開いている店など、コンビニくらいしかなかった。アキは、ふらりとコンビニの自動ドアをくぐった。
店内をぐるりと見渡す。雑誌や飲み物、お菓子…いつも見慣れた商品が並んでいる。その中で、アキの目が留まったのは、デザートコーナーだった。
ユウキが好きな、プリンの棚。
「えーっと…ユウキ、どれが好きだっけ…?」
生クリームがたっぷり乗ったプリン、フルーツが彩るプリン、そしてシンプルなカスタードプリン。種類が多すぎて、アキは戸惑ってしまう。
ユウキは、どれも「美味しい!」と言ってくれる。
しかし、彼女の本当に好きな味は、どれなのだろう。
アキは、スマホを取り出し、ユウキとの過去のやりとりを遡った。
『ねぇ、アキくん、このプリン食べたことある?』
『すっごく濃厚で、びっくりするくらい美味しいんだよ!』
そこには、ユウキが笑顔でプリンの写真を送ってくれた履歴が残っていた。
アキは、その写真に写っている、シンプルなカスタードプリンを手に取った。これだ。このプリンを買って帰ろう。
アキは、そのプリンを手にレジに向かった。
---
鍵を回し、静かに扉を開ける。
リビングの照明は消え、冷えてしまったグラタンがテーブルに置かれていた。その隣には、彼を待ち続けたユウキが、ソファーで眠ってしまっている。
アキは、彼女の寝顔をじっと見つめる。
その表情は、まるで幼い子供のように無邪気で、見ているだけで心が温かくなるようだった。彼は、冷めたグラタンにそっと触れた。ユウキが、どれだけの気持ちを込めて、この料理を作ってくれたのかが、手に取るように分かった。
それは、言葉がなくとも伝わる、ユウキの深い愛情だった。
アキは、静かにユウキを抱き上げた。ユウキは、一瞬だけ身じろぎ、アキの胸に顔を埋める。
「ん…アキくん…」
ユウキの寝言が、彼の耳に届く。アキは、ユウキの頭を優しく撫で、ベッドへと運んだ。
翌朝、ユウキが目を覚ますと、隣にはアキの穏やかな寝顔があった。ユウキは、アキの頬にそっと触れる。アキは、ユウキの温かい手に、目をゆっくりと開ける。
「…おはよう」
「…おかえり」
二人の間に流れる空気が、言葉は少なくても、互いの想いを通じさせていることを、二人は知っていた。
アキは、ユウキの手をそっと握りしめる。
「…ただいま。あと、これ」
アキは、そう言ってユウキにコンビニの袋を差し出した。中には、シンプルなカスタードプリンが二つ入っていた。
「わぁ…!プリン!なんでアキくん、私がこれが一番好きだって分かったの?」
ユウキは、満面の笑みでプリンを受け取った。アキは、少し照れくさそうに微笑む。
「…前に、写真送ってくれただろ」
「…そっか。覚えててくれたんだ」
ユウキは、嬉しさで少し涙ぐんでいた。二人は、冷めてしまったグラタンと、温かいコーヒー、そしてプリンを囲んで、静かな朝食の時間を過ごした。
二人の間に流れる、静かで温かい時間が、彼らにとって何よりも大切な時間だった。
みんなのリアクション
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赤、青、緑。無数の光がモニターに点滅し、まるで生き物のように蠢いていた。その光の一つ一つを、高遠陽樹《たかとおはるき》は凝視していた。
彼の周りでは、世界各国から集まった運行管理者たちが、自国語で状況を報告し、専門用語が飛び交っている。軌道エレベーターを管理するAIシステムに予期せぬエラーが発生し、復旧は難航していた。
エレベーターを一時的に止めることは簡単だが、それは乗客の不安を煽り、運行スケジュール全体に影響を与える。アキは、何が何でも稼働を止めずに復旧させる道を選んでいた。
「高遠、メインプロトコルのバイパスを頼む!」
上司の鋭い声が響く。アキは迷いなくキーボードを叩く。彼の指は、まるでピアノを弾くかのように軽やかだった。
しかし、彼の心は、張り詰めた糸のようにぴんと張っていた。このエレベーターは、ただの機械ではない。彼の父親が、命をかけて建設に携わった、多くの人の夢を乗せた「船」なのだ。
その安全を、今は自分が守っている。
その強い責任感が、アキを突き動かしていた。
スマートフォンの通知が鳴る。ユウキからの音声メッセージだった。
アキは周囲に気づかれないように、そっとイヤホンを耳につけた。
張り詰めた空気が満ちる運行管理室に、ユウキの明るく、楽しそうな声が響く。
「ねぇ、アキくん。今日はね、地上駅の展望台にすごく面白いお客さんが来たんだ。自分の名前を宇宙に刻んでほしいって言うの。本当にいるんだね、そういう人。すごく素敵な夢だなって思ったよ」
彼女は、軌道エレベーターの地上にある展望台で働くコンシェルジュとして、観光客のささやかな夢を語っていた。
その声は、張り詰めていた彼の心を優しく包み込んだ。
ユウキが話す人々のささやかな「夢」は、アキが今、必死に守ろうとしているものそのものだった。ユウキの声が、彼の心を少しずつ解きほぐしていく。
「…アキくんが守っているのは、きっと、こういう人たちの夢なんだね。すごいね、アキくん」
最後の言葉が耳に残り、アキはぐっと胸が熱くなるのを感じた。
この声が、この温かさが、彼の心を支えていたのだと、改めて実感した。
アキは、ユウキのメッセージを何度も再生した。この声が聞けただけで、張り詰めていた糸が少し緩んだ気がした。
「高遠、復旧だ!」
上司の声が、再び響く。アキは、ユウキの声がもたらした安堵感を胸に、再びキーボードに向き直った。ユウキの「すごいね、アキくん」という言葉が、彼に力をくれた。
作業が終わり、アキが地上駅を出たのは、すっかり夜が明けてからだった。
外に出ると、生暖かい夜風が頬を撫でる。
ふと、スマートフォンの画面に目を落とすと、ユウキからの音声メッセージに「未開封」の表示が残っていることに気づいた。こんな時間まで、きっと自分の帰りを待ってくれていたのだろう。そう思うと、胸の奥がチクリと痛んだ。
何か、ユウキに喜んでもらえるものを買って帰ろう。
そう思い立ったが、時刻はすでに午前4時。
開いている店など、コンビニくらいしかなかった。アキは、ふらりとコンビニの自動ドアをくぐった。
店内をぐるりと見渡す。雑誌や飲み物、お菓子…いつも見慣れた商品が並んでいる。その中で、アキの目が留まったのは、デザートコーナーだった。
ユウキが好きな、プリンの棚。
「えーっと…ユウキ、どれが好きだっけ…?」
生クリームがたっぷり乗ったプリン、フルーツが彩るプリン、そしてシンプルなカスタードプリン。種類が多すぎて、アキは戸惑ってしまう。
ユウキは、どれも「美味しい!」と言ってくれる。
しかし、彼女の本当に好きな味は、どれなのだろう。
アキは、スマホを取り出し、ユウキとの過去のやりとりを遡った。
『ねぇ、アキくん、このプリン食べたことある?』
『すっごく濃厚で、びっくりするくらい美味しいんだよ!』
そこには、ユウキが笑顔でプリンの写真を送ってくれた履歴が残っていた。
アキは、その写真に写っている、シンプルなカスタードプリンを手に取った。これだ。このプリンを買って帰ろう。
アキは、そのプリンを手にレジに向かった。
---
鍵を回し、静かに扉を開ける。
リビングの照明は消え、冷えてしまったグラタンがテーブルに置かれていた。その隣には、彼を待ち続けたユウキが、ソファーで眠ってしまっている。
アキは、彼女の寝顔をじっと見つめる。
その表情は、まるで幼い子供のように無邪気で、見ているだけで心が温かくなるようだった。彼は、冷めたグラタンにそっと触れた。ユウキが、どれだけの気持ちを込めて、この料理を作ってくれたのかが、手に取るように分かった。
それは、言葉がなくとも伝わる、ユウキの深い愛情だった。
アキは、静かにユウキを抱き上げた。ユウキは、一瞬だけ身じろぎ、アキの胸に顔を埋める。
「ん…アキくん…」
ユウキの寝言が、彼の耳に届く。アキは、ユウキの頭を優しく撫で、ベッドへと運んだ。
翌朝、ユウキが目を覚ますと、隣にはアキの穏やかな寝顔があった。ユウキは、アキの頬にそっと触れる。アキは、ユウキの温かい手に、目をゆっくりと開ける。
「…おはよう」
「…おかえり」
二人の間に流れる空気が、言葉は少なくても、互いの想いを通じさせていることを、二人は知っていた。
アキは、ユウキの手をそっと握りしめる。
「…ただいま。あと、これ」
アキは、そう言ってユウキにコンビニの袋を差し出した。中には、シンプルなカスタードプリンが二つ入っていた。
「わぁ…!プリン!なんでアキくん、私がこれが一番好きだって分かったの?」
ユウキは、満面の笑みでプリンを受け取った。アキは、少し照れくさそうに微笑む。
「…前に、写真送ってくれただろ」
「…そっか。覚えててくれたんだ」
ユウキは、嬉しさで少し涙ぐんでいた。二人は、冷めてしまったグラタンと、温かいコーヒー、そしてプリンを囲んで、静かな朝食の時間を過ごした。
二人の間に流れる、静かで温かい時間が、彼らにとって何よりも大切な時間だった。