魯達は常に騒がしく、癇癪もちの怪力で、粗暴な言動を恐れられていたが、少なくとも提轄という職務に対しては誠実な男であった。
それ故、仲間も上司も渭州の民も、魯提轄を近寄りがたく恐ろしい迷惑な男と思う一方で、弱い物に味方する役人として信頼してもいた。
そういうわけで、肉屋の鄭の妻が州の衙門に駆け込み、魯達がわけもなく鄭を殺したと訴え出てきたとき、府尹をはじめ、その場にいた誰もが驚いたのである。
「魯達はああ言う男だが、罪もない民を勝手に殺めるとは思えぬ。いったいどうしてそのようなことを」
なんとしても夫の無念を晴らしてくれと無き崩れる鄭の妻を落ちつかせると、府尹は事の次第を報告するため、慌てて魯達の上官である経略使・小种公のもとを訪ねた。
「府尹殿、そんなに慌てて、どうされたのだ」
「それが、御配下の魯提轄が、故もなく拳で夫を殴り殺したと訴え出てきた女がおりましてね。殺されたのは肉屋の鄭という者だそうで。魯提轄は気性こそ激しくとも、わけもなく人を殴り殺したりはせんと思うのですが、こうして訴えがあるのもまた事実。ただ私どもの判断だけで彼を逮捕することはできませぬ故、御意を賜りにまいったのです」
「なんと……」
魯提轄の癇癪には度々困らされてきた小种公だったが、彼の人柄を買ってはいた。それでも事が人殺しとなれば、そんなお人よしなことを言ってはいられない。
「あの男、元は我が父のもとで武官を務めていたところ、私のほうで人手が足りずによこしてもらった者なのだ。腕がたち、弱い者を助ける男と思い、多少のやんちゃには目をつぶってきたが、この度ばかりはそうもいかぬ。逮捕して、法のもとに裁かねばなるまい」
「では、すぐに魯達を探し出し、逮捕を」
「ああ……だが、ひとつ頼みがある。罪状が明らかとなった暁には、父に知らせてから刑を執行してくれぬか。後で父が、あの男を要ると言うかもしれぬ故」
「承知しました」
小种公の言を受け、府尹はさっそく捕吏たちに魯達の逮捕を命じた。だが二十名ほどの捕吏たちが魯達の下宿に押し掛けたときには、すでに魯達は小さな包みを担いで逃げ出した後であった。
下宿の主人も、まさか魯達が大罪を犯し姿をくらまそうとしているとは思わなかったのであろう、行き先をわざわざ聞くことはしなかったと言う。部屋に押し入ってみても、そこに残されていたのは着古した着物や夜具だけであった。
それでも何も証拠も得ぬままに帰ることはできなかった捕吏たちは、鄭の隣家の者と魯達の下宿の主人を連れ帰り、鄭を見殺しにした罰として隣家の者を棒刑に処し、下宿の主人の方は、みすみす魯達を逃がしたとして散々叱りつけた。
こうして魯達の首には一千貫の賞金がかけられ、彼の人となりを書き連ねた人相書はあまねく渭州内外に貼り出されることとなったのであるが、そのころ当の魯達はと言えば、果たして特に行く当てがあるわけでもなく、ただ焦りのままにあちこちをさまよい歩いていた。
「腹が減った……」
半月まともな気持ちで寝食することもできずに長い道中をさまよっていたようには見えぬ巨躯を、情けないほどに折り曲げながら、魯達はさながら群れから逸れた雁のようにとぼとぼと歩く。
前に小さな村を出立してからすでに五、六日はたち、そろそろ持ち歩いていた食糧も尽き果てようとしていたところに、秋の冷たい風が容赦なく吹き付けた。
「まったく、鄭の野郎さえあんな真似をしなければ、こんな目に合わずに済んだものを……ん?」
未だ消えぬ鄭への恨みごとを一人呟きながら林の中を進んでいた矢先、ふと、突然に木立の影が消える。開けた小高い丘の眼下に目をやれば、往来の人々で賑わう城壁が姿を現した。
「はは、ありがたい。街だ!」
そうとなればこれまでの疲れもどこへやら、魯達は城壁を目指して転がるように丘を駆け下りた。
「随分北の方まで逃げたはずだが、ここは……」
背の高い立派な建物が整然と立ち並び、商人や旅人や街の者たちが活気よく行き交う街並みは、どこか故郷を彷彿とさせる。
字の分からぬ魯達には、城門に掲げられた街の名を読むことはできなかったが、あふれんばかりの荷を積んだ車を器用に避けながら門をくぐったときすれ違った人々の話を小耳に挟んだところによれば、ここは代州雁門県という場所であるらしい。代州雁門と言えば、長城の雁門関を擁する軍事拠点でもあった。
「ふむ、ここならば、正体を隠して仕官することもできるかもしれん」
呑気にそんなことを考えながら賑わう街並みをうろうろしていると、なにやら大勢の民が道端に集い、高札を読んでいる姿が目に入った。
老若男女が頭を突き出しながら札を読んでいる様子に気を取られた魯達は、己もその群れに交じらんと、背後からそっと人だかりに近づき、一番前にいる若者が手配書を読み上げるのに聞き耳を立てた。
「渭州よりのお達しにより、肉屋の鄭某を殴り殺した罪人、元経略府提轄の魯達を逮捕すべし……いやあ、提轄でさえ人を殺すとは、嫌な世の中だよ」
まさか己を捕らえるための高札だったとは、と魯達は一つ、瞬いた。己をかくまった者は同罪とみなされるだとかいうお決まりの文言の後、見つけたものには賞金一千貫、と読み上げられたのを聞き、はて、俺の首の価値もなかなか見くびられたものよと髭を掻きむしった、その時。
「おや、張さん、こんなところでお会いするとは」
背中の向こうから聞いたことのあるような声がしたと思った刹那、魯達は人ごみの中から引きずり出されていた。
<第三回 了>