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二話 せ、せいっ! ってか、どうっ!

ー/ー



「どういう事っ、直樹!」
「……う~、うるさい」

 四時間目が終わるまでずっと寝ていた直樹を屋上へ引っ張ってきた大輔は、開口一番怒鳴る。

 直樹は一度だけ瞼を開いたが、直ぐに閉じて寝てしまう。今日は日差しが温かくて気持ちい。屋上のコンクリートもいい具合に温められてる。

 最高のお布団ではないか。

「スヤー」

 くっそ、こっちだって寝たいのに! と地団太を踏みながら、大輔はスヤーっと言っている直樹の頬を叩く。少しだけ赤く()れ、直樹は、親父にも打たれた事がないのに、と小さくつぶやく。

 大輔はもう一度頬を叩く。

「……眠い。お休み」
「お休みじゃないっ! その前に冥土(ギズィア)の件、どういうことっ!? 冥土(ギズィア)が勝手に動くのは機能上できないし、(マスター)が許可していない以上、直樹(サブマスター)が許可したんでしょ!」
「……した」

 一言小さく答えた直樹は直ぐに寝に入るが、大輔がそれを許さない。肩をガっと掴み、揺さぶる。ぐわんぐわん揺れる。

「揺れる~~完徹の頭に~それはつらい~~」
「僕だって辛いよっ!」
「一緒に寝るか?」
「その前に説明っ!」

 ギャーギャー騒ぐ大輔は本当に死にそうな顔をしている。血の気は少ないし、銀縁眼鏡の下には大きな(くま)がある。

 だから。

「おっと、大丈夫か?」
「……ありがと」

 ふらっと後ろに倒れ込んでしまった。遅れてやってきた杏がサッと大輔を抱きとめた。お姫様抱っこに近い。

 大輔は直ぐに立ち上がるがふらりとよろけ、これはまずい、と思った杏が肩に大輔の腕を通し、ゆっくりと座らせた。

「……重ね重ねありがとう」
「どういたしまして。それよりも本当に大丈夫か? 顔色が物凄く悪いが。回復はできないのか?」

 杏は心配そうに大輔の顔を覗き込む。直樹? 知らん。もう寝息を立てながら気持ちよさそうに寝ているし。

 杏の疑問に答えたのは大輔はなく、冥土(ギズィア)だった。三つの肩掛けバックを手に持ち、後ろには雪がいた。

「回復は無理です」
「……アタシたちにくれた透明な薬品を使ってもか?」
「はい。というか、既に飲んでこの状態です」

 冥土(ギズィア)は自分の肩掛けバックからブランケットを二枚取り出し、コンクリートの地面にそれぞれ引いた。それから器用に直樹と大輔を抱え、それぞれの上に移動させる。

「基本的に学校に来れる状態でもなかったのですが……それでも無理やり来たようです。そこまで面白味のあるところではないと思うのですが」
「……そうか」

 雪がブランケットの上で横になる直樹の顔を覗き込み、少しでも寝やすくするためかスカートのポケットから花柄のハンカチを取り出し、細長く折って目の上に被せた。

 なるほど、と思った冥土(ギズィア)は明らかに高級品と思われる真っ白なハンカチを取り出し、直樹のと同様に細長く折って大輔に被せた。大輔は小さくありがとう、と呟き、そして寝息を立てながら寝てしまった。

「では、私たちは昼食を取りましょうか」

 冥土(ギズィア)は杏と雪の方を見て、自分の肩掛けバックからお弁当を取り出した。杏はえ、食べるのと一瞬思ったが、そういえば紅茶とかクッキーとか食べていたなと思い出し、自分も持ってきた弁当を広げる。

 雪も一瞬だけ直樹を見た後、同様に少し小さめの弁当を取り出した。

「では、頂きます」
「「いただきます」」

 そして一緒に食事をする。沈黙が下りる。

 杏は冷凍のコーンコロッケを食べながら冥土(ギズィア)を見た。

 改めて人外の美しさだと思う。一本一本が光沢を放つ黒髪。宝石のように無機質で綺麗な黒の瞳。ビスクドールのように無表情な美貌。真っ白で清らかな玉のお肌。プロポーションは黄金比で、楚々としたイメージを持つ。

 纏う雰囲気は常軌を逸脱した『死』で、それでも仕草が洗練されていて優美だ。

 半袖のワイシャツに水色のノースリーブセーターは少しだけ似合っていないが、それでも着こなしている感がある。

 対して自分はあんまり着こなしていない。袖を通して二ヶ月少しというのもあるが、ベリーショートの金髪と鋭く大きな碧眼、ほりが深い西洋の顔立ちは日本の制服に合いにくいのだ。

 たぶん、この中で一番似合っているのは雪。毛先が白い黒髪ショートにクリリとした可愛らしい黒の瞳。顔は小さく可憐。

 水色のノースリーブセーターも相まって、清廉(せいれん)としたイメージを抱く。制服にとても似合いっている。

「杏様。そうマジマジと見てどうされましたか?」
「あ、ああ。いや、冥土(ギズィア)さんはどうして転校、というかこの高校に入ってきたのか、と」
冥土(ギズィア)で結構ですよ。年齢というものに当てはめれば私は赤子のようなものですし、クラスというグループの中心であるアナタには、呼び捨てで呼ばれた方が親近感を持ってもらえると思います」

 言い方自体に人間味が少し薄いな、と思いながら杏は頷いた。

「分かった。冥土(ギズィア)。それで、どうして転校してきたんだ? そもそも、転校する意味なんて」
「まぁ、幾つかあります」

 冥土(ギズィア)は昨日、瞳子から教えてもらったふんわり卵焼きの味を確かめながら背筋を正した。雪が思わず冥土(ギズィア)の弁当を覗き、綺麗、と呟いた。確かに整然としていて色鮮やかで美味しそうだった。

「まずは牽制です」
「牽制だと?」
「はい。あなた方には監視がついています。そして私はこの創造主様(マスター)から賜った美しき容姿以外は基本的に偽装をしていません。ここを監視している相手には私の情報がいっているでしょう」

 冥土(ギズィア)は、雪様、そのうぃんなーとやらをくれませんか? と尋ね、雪は代わりにその卵焼きを下さいと言って、それぞれを交換した。

「脅しが効くのはそこまで長くありません。ですから、私が近くにいるという事が重要になります」
「でも、何で冥土(ギズィア)さんは鈴木さんの家に居候しているという設定にしたんですか? 疑いの目が鈴木さんにいくと思うんですが」

 貰った卵焼きを頬張った雪が尋ねる。冥土(ギズィア)はタコさんウィンナーを食べ、答える。杏は仲がいいな、と少しだけ思った。

「全く疑われないより、多少の疑念があった方がいいのです。これからの事も考えると」
「これから?」
「はい。私が高校生としてここに来たのには実験としての意味合いも強いのです」

 魔法瓶の蓋を開け、そこに緑茶を注いだ冥土(ギズィア)はゆっくりと飲み干し、言う。

「一昨日、ようやく異世界転移を可能とする道具を作りました」
「……もしかして直樹さんたちがこんなにぐったりしているのは」
「はい、そうです。三日程度はこんな感じでしょう。それはさておき、異世界転移が可能になれば、イザベラ様やヘレナ様達がこちらに住むことになります」
「……つまり異世界人がこちらに住むことになるから、そのためのだと? 神和ぎ社がどれほどの精査能力を持っているか等々を洗い出すため。そして鈴木達の近くにそれが現れても、それは冥土(ギズィア)のせいだと?」
「簡単にいえば。まぁそんな想定通り物事が進むわけではありませんが、その時はその時です」
 
 杏はなるほど、と言った感じに頷いた。冥土(ギズィア)がワザと姿を表すことによって、どれほど正確に個人情報の偽装を見破れるか確かめるのだろう。偽装しているということ自体を見破るのと、偽装した痕跡を探すという事には大きな違いがあるし。

 そして、冥土(ギズィア)を印象付けることによって、こっちに住むイザベラたちへの疑念を分散させるのが狙いだ。

 雪も同じ考えに至っていたのだが、それよりも気になる言葉が出てきた。いや、人か。少しだけ警戒した表情を浮かべている。

「あの、ヘレナさんっていうのは?」
「ヘレナ様はヘレナ様でございます。ミラ様とノア様のママでございます」
「ママ? ええっと、そのミラとノアって子は……」

 雪はおずおずと尋ねる。まるで当たってくれるなと祈る感じだ。

副創造主様(サブマスター)のお子様でございます」
「こ、子供っ!? な、直樹さんに子供がいるんですか!? え、何歳っ!? 何歳なんですかっ!? っというか、そのヘレナさんって方は直樹さんとけけけけ、結婚してる、えっ!?」
「……雪。驚くのは分かるが、落ち着け」

 雪は手に持っていた弁当を叩きつけるように置くと、冥土(ギズィア)の両肩をガシッと掴み、わっさわっさと揺らす。少しだけ涙目になっていて、え、え、もうっ? と小さく呟いている。

 冥土(ギズィア)は、はは~んっと頷いた。そして自分に糞みたいな名前を付けた副創造主様(サブマスター)を困らせることができるのでは、と思いつく。

 直接的な危害を加える事は許可がない限りできないが、許可がなくとも結果的に困らせたりする事ならばできる。さっきだって大輔を困らせることができたのだから。

「雪様、落ち着いてください」
「おち、落ち着いていなんてっ、大体、直樹さんはいつ、いつ子供をっ! そのヘレナさんとっ!?」
「だから落ち着いてください、雪様。ミラ様とノア様は副創造主様(サブマスター)の子ではありますが、血は繋がっておりません。また、ヘレナ様も同様です」
「…………………………へ?」

 呆然とした雪の両手を肩から離し、少し埃を(はら)った冥土(ギズィア)は疑念を宿す雪に向けて本当です、と頷いた。

「深い深い事情がありますが、それは直接副創造主様(サブマスター)に聞いてください。たぶん、ミラ様とノア様にきちんと興味を持てば、話してくれます。饒舌に話してくれるでしょう。親バカなんで」

 ホント、何で私にも毎日毎日話すんでしょうか? と冥土(ギズィア)は呟きながら、指をビシッと立てた。ここからが重要なのだと。

「兎も角、直樹様とミラ様たちは血は繋がっておられませんが、本物の親子でございます。ヘレナ様とミラ様たちもです」

 そしてここからが重要です、と言う。

「けれど、副創造主様(サブマスター)とヘレナ様は夫婦ではございません。恋人でもございません。接吻や性行為等々を一切交わしてはおりません。そもそも副創造主様(サブマスター)は年齢イコール彼女無しの童貞でございます」
「せ、せいっ! ってか、どうっ!」

 雪の顔がボンッと真っ赤に染まる。手で顔を覆い俯く。杏も杏で急に飛び出してきた用語に少しだけ顔を紅くしている。

 冥土(ギズィア)はそれを見ながら、心の内で今は、と付け加える。これからは分からないから。ついでに、尻を掘られかけた事はあります、とも付け加える。

 女装で潜入捜査する事も多かった直樹は、まぁ夜を誘われることも……あった。もちろんのらりくらりと躱したりしていたのだが、相手が相手の場合、男とバレることもあった。

 そして男でもOKという者も……意外にいた。潜入するために直樹の容姿がとても女らしかったというのもあるだろうが、欲深い者は業も深いとだけ言っておく。

 幸い、後ろを失ったことは一度もない。

「ですから雪様。大丈夫でございます。ちょっと積極的に迫れば問題ありません。くそチョロですので。それに二人や三人を受け入れるのが度量であり、独占したいのであれば最愛になればいいのです」
「ッ。そ、そんなんじゃっ! っというか、二人や三人ってっ」
「何かおかしなことでも?」

 アルビオンでは一夫多妻が多かった。魔物という脅威がいて、魔王の進軍により男が戦死したりすることも多かったのでそれは更にだった。

 それに冥土(ギズィア)の周り、というか主に翔だが、五人もお嫁さんがいるし、他にも出会った既婚男性の半分近くが二人以上の嫁を持っていたので、それが悪いという発想にはならない。

 だが、雪の言葉に冥土(ギズィア)は逡巡し、そういえばと思い出す。

「ああ、この国では重婚は禁止されているのでしたか。一夫一妻が至高だと。ですが、それはこの国の価値観でございます。価値観など、場所が変われば一変いたします。嫁が何人いようが、夫が何人いようが、結局は本人たちの想いの問題かと」
「だ、だからそうではなくてっ!」

 雪がブンブンと手を振りながら弁解するのを尻目に、杏は冥土(ギズィア)の言葉に妙な納得感を覚えていた。

 確かにそれは価値観だ。一夫多妻だろうが、多夫一妻だろうが、結局は価値観でしかない。原理的本能どうこうはあるが、それでもだ。

 差別倫理等々の問題ではなく、基本的な価値観の問題だ。

 そしてそれを聞いて、本当に目の前にいる冥土(ギズィア)も、後ろで寝ている大輔たちも日本とは全くもって違う価値観で過ごしてきたんだと思った。冥土(ギズィア)は大輔たちが作ったのだから、大輔たちの影響を受けているだろうし。

 そう思いながら杏が弁当の蓋を閉めたのと同時に予鈴が響いた。

「……昼休みとやらはこれで終了でしょうか?」
「あ、ああ」
「そうですか。なら、創造主様(マスター)を抱えて教室に行きましょう」

 冥土(ギズィア)は淡々と弁当を片し、自分と大輔の肩掛けバックを持ち、大輔をお姫様抱っこした。ブランケットを器用に拾い上げ、丁寧に畳み仕舞う。手際が良い。

 そして出口へ向かう。

「あ、佐藤君は?」
「放っておいて問題はありません。どうせいなくても気づかれることはないでしょうし、寝かせてあげましょう」

 冥土(ギズィア)は直樹を一瞥して、そのあと頬を紅潮させながらわたわたと弁当を片している雪を見た。

「雪様。遅れますよ」
「は、はい!」

 そうして冥土(ギズィア)の初めての学校が終わった。

 そして直樹は忘れ去られていた。


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次のエピソードへ進む 三話 何より自分を誇れない


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「……う~、うるさい」
 四時間目が終わるまでずっと寝ていた直樹を屋上へ引っ張ってきた大輔は、開口一番怒鳴る。
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 最高のお布団ではないか。
「スヤー」
 くっそ、こっちだって寝たいのに! と地団太を踏みながら、大輔はスヤーっと言っている直樹の頬を叩く。少しだけ赤く|腫《は》れ、直樹は、親父にも打たれた事がないのに、と小さくつぶやく。
 大輔はもう一度頬を叩く。
「……眠い。お休み」
「お休みじゃないっ! その前に|冥土《ギズィア》の件、どういうことっ!? |冥土《ギズィア》が勝手に動くのは機能上できないし、|僕《マスター》が許可していない以上、|直樹《サブマスター》が許可したんでしょ!」
「……した」
 一言小さく答えた直樹は直ぐに寝に入るが、大輔がそれを許さない。肩をガっと掴み、揺さぶる。ぐわんぐわん揺れる。
「揺れる~~完徹の頭に~それはつらい~~」
「僕だって辛いよっ!」
「一緒に寝るか?」
「その前に説明っ!」
 ギャーギャー騒ぐ大輔は本当に死にそうな顔をしている。血の気は少ないし、銀縁眼鏡の下には大きな|隈《くま》がある。
 だから。
「おっと、大丈夫か?」
「……ありがと」
 ふらっと後ろに倒れ込んでしまった。遅れてやってきた杏がサッと大輔を抱きとめた。お姫様抱っこに近い。
 大輔は直ぐに立ち上がるがふらりとよろけ、これはまずい、と思った杏が肩に大輔の腕を通し、ゆっくりと座らせた。
「……重ね重ねありがとう」
「どういたしまして。それよりも本当に大丈夫か? 顔色が物凄く悪いが。回復はできないのか?」
 杏は心配そうに大輔の顔を覗き込む。直樹? 知らん。もう寝息を立てながら気持ちよさそうに寝ているし。
 杏の疑問に答えたのは大輔はなく、|冥土《ギズィア》だった。三つの肩掛けバックを手に持ち、後ろには雪がいた。
「回復は無理です」
「……アタシたちにくれた透明な薬品を使ってもか?」
「はい。というか、既に飲んでこの状態です」
 |冥土《ギズィア》は自分の肩掛けバックからブランケットを二枚取り出し、コンクリートの地面にそれぞれ引いた。それから器用に直樹と大輔を抱え、それぞれの上に移動させる。
「基本的に学校に来れる状態でもなかったのですが……それでも無理やり来たようです。そこまで面白味のあるところではないと思うのですが」
「……そうか」
 雪がブランケットの上で横になる直樹の顔を覗き込み、少しでも寝やすくするためかスカートのポケットから花柄のハンカチを取り出し、細長く折って目の上に被せた。
 なるほど、と思った|冥土《ギズィア》は明らかに高級品と思われる真っ白なハンカチを取り出し、直樹のと同様に細長く折って大輔に被せた。大輔は小さくありがとう、と呟き、そして寝息を立てながら寝てしまった。
「では、私たちは昼食を取りましょうか」
 |冥土《ギズィア》は杏と雪の方を見て、自分の肩掛けバックからお弁当を取り出した。杏はえ、食べるのと一瞬思ったが、そういえば紅茶とかクッキーとか食べていたなと思い出し、自分も持ってきた弁当を広げる。
 雪も一瞬だけ直樹を見た後、同様に少し小さめの弁当を取り出した。
「では、頂きます」
「「いただきます」」
 そして一緒に食事をする。沈黙が下りる。
 杏は冷凍のコーンコロッケを食べながら|冥土《ギズィア》を見た。
 改めて人外の美しさだと思う。一本一本が光沢を放つ黒髪。宝石のように無機質で綺麗な黒の瞳。ビスクドールのように無表情な美貌。真っ白で清らかな玉のお肌。プロポーションは黄金比で、楚々としたイメージを持つ。
 纏う雰囲気は常軌を逸脱した『死』で、それでも仕草が洗練されていて優美だ。
 半袖のワイシャツに水色のノースリーブセーターは少しだけ似合っていないが、それでも着こなしている感がある。
 対して自分はあんまり着こなしていない。袖を通して二ヶ月少しというのもあるが、ベリーショートの金髪と鋭く大きな碧眼、ほりが深い西洋の顔立ちは日本の制服に合いにくいのだ。
 たぶん、この中で一番似合っているのは雪。毛先が白い黒髪ショートにクリリとした可愛らしい黒の瞳。顔は小さく可憐。
 水色のノースリーブセーターも相まって、|清廉《せいれん》としたイメージを抱く。制服にとても似合いっている。
「杏様。そうマジマジと見てどうされましたか?」
「あ、ああ。いや、|冥土《ギズィア》さんはどうして転校、というかこの高校に入ってきたのか、と」
「|冥土《ギズィア》で結構ですよ。年齢というものに当てはめれば私は赤子のようなものですし、クラスというグループの中心であるアナタには、呼び捨てで呼ばれた方が親近感を持ってもらえると思います」
 言い方自体に人間味が少し薄いな、と思いながら杏は頷いた。
「分かった。|冥土《ギズィア》。それで、どうして転校してきたんだ? そもそも、転校する意味なんて」
「まぁ、幾つかあります」
 |冥土《ギズィア》は昨日、瞳子から教えてもらったふんわり卵焼きの味を確かめながら背筋を正した。雪が思わず|冥土《ギズィア》の弁当を覗き、綺麗、と呟いた。確かに整然としていて色鮮やかで美味しそうだった。
「まずは牽制です」
「牽制だと?」
「はい。あなた方には監視がついています。そして私はこの|創造主様《マスター》から賜った美しき容姿以外は基本的に偽装をしていません。ここを監視している相手には私の情報がいっているでしょう」
 |冥土《ギズィア》は、雪様、そのうぃんなーとやらをくれませんか? と尋ね、雪は代わりにその卵焼きを下さいと言って、それぞれを交換した。
「脅しが効くのはそこまで長くありません。ですから、私が近くにいるという事が重要になります」
「でも、何で|冥土《ギズィア》さんは鈴木さんの家に居候しているという設定にしたんですか? 疑いの目が鈴木さんにいくと思うんですが」
 貰った卵焼きを頬張った雪が尋ねる。|冥土《ギズィア》はタコさんウィンナーを食べ、答える。杏は仲がいいな、と少しだけ思った。
「全く疑われないより、多少の疑念があった方がいいのです。これからの事も考えると」
「これから?」
「はい。私が高校生としてここに来たのには実験としての意味合いも強いのです」
 魔法瓶の蓋を開け、そこに緑茶を注いだ|冥土《ギズィア》はゆっくりと飲み干し、言う。
「一昨日、ようやく異世界転移を可能とする道具を作りました」
「……もしかして直樹さんたちがこんなにぐったりしているのは」
「はい、そうです。三日程度はこんな感じでしょう。それはさておき、異世界転移が可能になれば、イザベラ様やヘレナ様達がこちらに住むことになります」
「……つまり異世界人がこちらに住むことになるから、そのためのだと? 神和ぎ社がどれほどの精査能力を持っているか等々を洗い出すため。そして鈴木達の近くにそれが現れても、それは|冥土《ギズィア》のせいだと?」
「簡単にいえば。まぁそんな想定通り物事が進むわけではありませんが、その時はその時です」
 杏はなるほど、と言った感じに頷いた。|冥土《ギズィア》がワザと姿を表すことによって、どれほど正確に個人情報の偽装を見破れるか確かめるのだろう。偽装しているということ自体を見破るのと、偽装した痕跡を探すという事には大きな違いがあるし。
 そして、|冥土《ギズィア》を印象付けることによって、こっちに住むイザベラたちへの疑念を分散させるのが狙いだ。
 雪も同じ考えに至っていたのだが、それよりも気になる言葉が出てきた。いや、人か。少しだけ警戒した表情を浮かべている。
「あの、ヘレナさんっていうのは?」
「ヘレナ様はヘレナ様でございます。ミラ様とノア様のママでございます」
「ママ? ええっと、そのミラとノアって子は……」
 雪はおずおずと尋ねる。まるで当たってくれるなと祈る感じだ。
「|副創造主様《サブマスター》のお子様でございます」
「こ、子供っ!? な、直樹さんに子供がいるんですか!? え、何歳っ!? 何歳なんですかっ!? っというか、そのヘレナさんって方は直樹さんとけけけけ、結婚してる、えっ!?」
「……雪。驚くのは分かるが、落ち着け」
 雪は手に持っていた弁当を叩きつけるように置くと、|冥土《ギズィア》の両肩をガシッと掴み、わっさわっさと揺らす。少しだけ涙目になっていて、え、え、もうっ? と小さく呟いている。
 |冥土《ギズィア》は、はは~んっと頷いた。そして自分に糞みたいな名前を付けた|副創造主様《サブマスター》を困らせることができるのでは、と思いつく。
 直接的な危害を加える事は許可がない限りできないが、許可がなくとも結果的に困らせたりする事ならばできる。さっきだって大輔を困らせることができたのだから。
「雪様、落ち着いてください」
「おち、落ち着いていなんてっ、大体、直樹さんはいつ、いつ子供をっ! そのヘレナさんとっ!?」
「だから落ち着いてください、雪様。ミラ様とノア様は|副創造主様《サブマスター》の子ではありますが、血は繋がっておりません。また、ヘレナ様も同様です」
「…………………………へ?」
 呆然とした雪の両手を肩から離し、少し埃を|掃《はら》った|冥土《ギズィア》は疑念を宿す雪に向けて本当です、と頷いた。
「深い深い事情がありますが、それは直接|副創造主様《サブマスター》に聞いてください。たぶん、ミラ様とノア様にきちんと興味を持てば、話してくれます。饒舌に話してくれるでしょう。親バカなんで」
 ホント、何で私にも毎日毎日話すんでしょうか? と|冥土《ギズィア》は呟きながら、指をビシッと立てた。ここからが重要なのだと。
「兎も角、直樹様とミラ様たちは血は繋がっておられませんが、本物の親子でございます。ヘレナ様とミラ様たちもです」
 そしてここからが重要です、と言う。
「けれど、|副創造主様《サブマスター》とヘレナ様は夫婦ではございません。恋人でもございません。接吻や性行為等々を一切交わしてはおりません。そもそも|副創造主様《サブマスター》は年齢イコール彼女無しの童貞でございます」
「せ、せいっ! ってか、どうっ!」
 雪の顔がボンッと真っ赤に染まる。手で顔を覆い俯く。杏も杏で急に飛び出してきた用語に少しだけ顔を紅くしている。
 |冥土《ギズィア》はそれを見ながら、心の内で今は、と付け加える。これからは分からないから。ついでに、尻を掘られかけた事はあります、とも付け加える。
 女装で潜入捜査する事も多かった直樹は、まぁ夜を誘われることも……あった。もちろんのらりくらりと躱したりしていたのだが、相手が相手の場合、男とバレることもあった。
 そして男でもOKという者も……意外にいた。潜入するために直樹の容姿がとても女らしかったというのもあるだろうが、欲深い者は業も深いとだけ言っておく。
 幸い、後ろを失ったことは一度もない。
「ですから雪様。大丈夫でございます。ちょっと積極的に迫れば問題ありません。くそチョロですので。それに二人や三人を受け入れるのが度量であり、独占したいのであれば最愛になればいいのです」
「ッ。そ、そんなんじゃっ! っというか、二人や三人ってっ」
「何かおかしなことでも?」
 アルビオンでは一夫多妻が多かった。魔物という脅威がいて、魔王の進軍により男が戦死したりすることも多かったのでそれは更にだった。
 それに|冥土《ギズィア》の周り、というか主に翔だが、五人もお嫁さんがいるし、他にも出会った既婚男性の半分近くが二人以上の嫁を持っていたので、それが悪いという発想にはならない。
 だが、雪の言葉に|冥土《ギズィア》は逡巡し、そういえばと思い出す。
「ああ、この国では重婚は禁止されているのでしたか。一夫一妻が至高だと。ですが、それはこの国の価値観でございます。価値観など、場所が変われば一変いたします。嫁が何人いようが、夫が何人いようが、結局は本人たちの想いの問題かと」
「だ、だからそうではなくてっ!」
 雪がブンブンと手を振りながら弁解するのを尻目に、杏は|冥土《ギズィア》の言葉に妙な納得感を覚えていた。
 確かにそれは価値観だ。一夫多妻だろうが、多夫一妻だろうが、結局は価値観でしかない。原理的本能どうこうはあるが、それでもだ。
 差別倫理等々の問題ではなく、基本的な価値観の問題だ。
 そしてそれを聞いて、本当に目の前にいる|冥土《ギズィア》も、後ろで寝ている大輔たちも日本とは全くもって違う価値観で過ごしてきたんだと思った。|冥土《ギズィア》は大輔たちが作ったのだから、大輔たちの影響を受けているだろうし。
 そう思いながら杏が弁当の蓋を閉めたのと同時に予鈴が響いた。
「……昼休みとやらはこれで終了でしょうか?」
「あ、ああ」
「そうですか。なら、|創造主様《マスター》を抱えて教室に行きましょう」
 |冥土《ギズィア》は淡々と弁当を片し、自分と大輔の肩掛けバックを持ち、大輔をお姫様抱っこした。ブランケットを器用に拾い上げ、丁寧に畳み仕舞う。手際が良い。
 そして出口へ向かう。
「あ、佐藤君は?」
「放っておいて問題はありません。どうせいなくても気づかれることはないでしょうし、寝かせてあげましょう」
 |冥土《ギズィア》は直樹を一瞥して、そのあと頬を紅潮させながらわたわたと弁当を片している雪を見た。
「雪様。遅れますよ」
「は、はい!」
 そうして|冥土《ギズィア》の初めての学校が終わった。
 そして直樹は忘れ去られていた。