巣立ちの日 ~送る想い
ー/ー◼️ 巣立ちの日
小鳥は、結翔によって「ソラ」という名を与えられた。
澄んだ青の羽を持つオオルリの雛は、見違えるほどにたくましく育ち、今では園の中を自由に飛び回るまでになっていた。
「ソラ、こっち!」
結翔の声に応えるように、ソラは軽やかに旋回し、彼の腕に舞い降りた。
餌をついばみ、くちばしの端に小さな殻をつけたまま首をかしげる。
「ほら、ついてるよ」
結翔が笑いながら指で取ると、ソラは「ピィ」と鳴き、得意げに胸を張った。
その仕草が、まるで「どう?ちゃんとできたでしょ」と言っているみたいだった。
――結翔によく懐いている。
まずい。兄弟のような親密さ。
それは、非常によくない。
なぜなら、そろそろ“その時”が近づいているからだ。
巣立ちの時――親離れの時。
結翔のそばを、離れる時。
そこには、ふたつの大きな問題があった。
ひとつは、ソラ自身のこと。
自然界で生きるには、餌の取り方や身の守り方を、親鳥から教わる必要がある。
その機会を持たずに育ったソラが、果たしてひとりで生きていけるのか。
そしてもうひとつは、結翔のこと。
彼にとってソラは、心を通わせた大切な存在。再び「別れ」という痛みを経験させることになる。その傷を、今の彼が受け止めきれるだろうか。
「飼育の許可は降りているわ。だから焦らなくていいの。でも、ソラを自然に帰すことが、きっといちばん大切。結翔君の心のケアは、私たちが責任を持って見守りましょう。ルリ。」
学園長の言葉は、いつも穏やかで確かだった。
私は素直にうなずいた。
結翔には、私と学園長がついている。
※※※
ここ数日、学園長の視線をよく感じる。
なぜだろう。何か不手際でも?
それとも……私の中の“何か”を見抜かれているのだろうか。
その目は、まるで巣立つソラを見守るように、
私自身を見つめていた。
そこに、理由のないぬくもりを感じた。
これが何なのか、今の私にはまだわからない。
けれど――嫌ではなかった。
※※※
ある日の午後。
風に揺れる木陰の下、結翔の弾んだ声が響いた。
「ルリ、見て! ソラが!」
小さな体が庭先の枝に止まり、虫をくわえている。
「……自分で捕まえたんだ。すごいよ、ソラ!」
結翔は誇らしげに笑っていた。
でも、その声はかすかに震えていた。
その瞳には、涙の光があった。
――いけない。
こんな顔を、させてはならない。
胸の奥に、得体の知れない熱が広がる。
異常反応? 違う。
これは、心の反応だ。
無意識に、私は結翔の身体を抱き寄せていた。
何の指示も、検索もなく。
ただ自然に、両手が伸びた。
あたたかい。
確かに感じる、ぬくもり。
「大丈夫です。結翔をひとりにしたりは、しません。」
そう伝えたとき、結翔は唇をかみしめ、かすかに笑った。
「……ソラは、外のほうが幸せだよね。
だから……ぼく、大丈夫。」
強く、まっすぐな目だった。
その目は、私の青い瞳よりもずっと澄んで、美しかった。
……賢い子。巣立ちの意味を、きちんと理解しているのですね。
左胸の奥が、じわりと熱を帯びる。
これは“ぬくもり”――。
そう、前にも感じたもの。
結翔と“同じ痛み”を分け合っている感覚。
※※※
日ごとに、ソラの飛ぶ距離は伸びていった。
空高く舞い、時には半日戻らないこともあった。そのたびに、みんなが胸を痛め、帰りを待った。けれどソラは、いつも帰ってきた。まるで「まだ行かないよ」と告げるように。
そして――その日は来た。
空は穏やかで、夕陽が園を朱に染めていた。ソラは庭の上空をゆっくりと旋回し、こちらを見た。
その瞳には、確かな決意が宿っていた。
「ピーヒヨヒヨ、ピーピー――」
美しい鳴き声を残し、ソラは空へと舞い上がった。
まるで「ありがとう」と言うように、
静かに、しかし力強く。
やがてその姿は、燃えるような夕焼けの中に溶けていった。
※※※
結翔は私の手を、強く握っていた。
涙をこらえるその横顔に、私はそっと寄り添う。
「ソラの卵が落ちてきた日も、とても気持ちの良い朝でした。」
「今日も、美しい夕焼けです。
きっとあの子は……天と地を結ぶ者なのですね。」
「うん。きっと、幸せになれる。」
二人で、旅立つソラを見送った。
その背に、「さようなら」ではなく、「いってらっしゃい」の想いを込めて。
その様子を、学園長がひとり、穏やかな眼差しで見つめていた。
◼️ 送る想い
ソラが生まれた日から、毎日が光で満たされていた。
朝は小さな鳴き声で始まり、夜は胸の中の鼓動がまだ聞こえてくる気がして眠れなかった。あの小さな命が、確かにここで生きている。――そのことが、何よりもうれしかった。
けれど、成長はあっという間だった。
気づけばソラは、もう僕の肩よりも高く飛べるようになっていた。
羽ばたくたびに、胸の奥がきゅっと締めつけられる。
嬉しいのに、苦しい。
それが何なのか、自分でもよくわからなかった。
「ソラ、こっち」
僕の声に、ソラは軽やかに応える。
掌に止まるその体は、もうあの小さな雛ではない。
強くて、美しくて――どこか、遠くの空を見ているような瞳をしていた。
餌をついばんだソラのくちばしに、小さな殻がくっついている。笑いながらそれを取ると、ソラは「ピィ」と鳴いて胸を張った。まるで「もう大丈夫」と言っているみたいで、僕は笑いながら泣きそうになった。
最近、ルリの表情が少しだけ違う。
相変わらず穏やかで優しいのに、どこか遠くを見ているような目をしている。
たぶん、わかっているんだ。ソラが、もうすぐ飛び立つことを。僕も、わかっている。
だけど――心が追いつかない。
あの日、ルリが抱きしめてくれた。
温かくて、静かで、安心できる場所だった。人間じゃないのに、ルリの腕の中には“ぬくもり”があった。あれは、プログラムなんかじゃない。だって、僕の涙に合わせて、ルリの手が少しだけ震えていたから。
「ソラは、外のほうが幸せだよね。だから…ぼく、大丈夫」
そう言った時、本当は全然大丈夫なんかじゃなかった。でも、言葉にしないと、ソラを送り出せなくなる気がした。
夕陽が園を染める頃、ソラは空に羽ばたいた。燃えるような赤の中を、何度も旋回して、やがて小さな点になった。
胸の中に、風が通り抜ける。
空のどこかで、ソラがまだこっちを見ている気がして、僕は手を伸ばした。
「いってらっしゃい」
そうつぶやくと、ルリが隣で小さく微笑んだ。その瞳は、空の色を映したように深く澄んでいた。
――ああ、そうか。
僕は、また守られたんだ。
ルリも、ソラも、みんな僕を守ってくれていたんだ。
風が頬を撫でる。
泣く代わりに、笑ってみた。
涙はこぼれなかったけれど、胸の奥がじんわりと痛い。
でも、その痛みはどこかあたたかくて、
まるで〈生きている〉ってことを教えてくれているようだった。
あの日から僕は少しだけ強くなった。
もう一度、勇気を出せるようになった気がする。
“別れ”は終わりじゃない。
“想い”は形を変えて、生き続ける。
その夜、窓の外の星を見上げた。
空のどこかで、ソラが同じ星を見ている気がした。そして、その隣にルリの瞳の色――瑠璃色の光が静かに瞬いていた。
※※※
一年後。
朝の光がやわらかく差し込む庭。
突然、影が頭上をかすめた。
「うわっ!びっくりした!」
見上げると、一羽の瑠璃色の鳥が旋回していた。
やがてその隣に、もう一羽が並ぶ。
二羽の瑠璃色の鳥が、枝に並んで寄り添っていた。
「ルリ!来て! 見て、あれ!」
「……ソラですね。お嫁さんを連れてきたのですね。」
「お嫁さん?」
「結翔に会ってほしかったのではないでしょうか。きっと春には、また卵が生まれますよ。」
「……タマゴ……新しい命……」
『天と地を繋ぐ者だから』
二人の声が重なり、笑顔が重なった。
瑠璃色のつがいは朝日に照らされて寄り添っている。
その姿は、まるで未来の希望のように輝いて見えた。
みんなのリアクション
まだリアクションはありません。最初の一歩を踏み出しましょう!
◼️ 巣立ちの日
小鳥は、結翔によって「ソラ」という名を与えられた。
澄んだ青の羽を持つオオルリの雛は、見違えるほどにたくましく育ち、今では園の中を自由に飛び回るまでになっていた。
「ソラ、こっち!」
結翔の声に応えるように、ソラは軽やかに旋回し、彼の腕に舞い降りた。
餌をついばみ、くちばしの端に小さな殻をつけたまま首をかしげる。
「ほら、ついてるよ」
結翔が笑いながら指で取ると、ソラは「ピィ」と鳴き、得意げに胸を張った。
その仕草が、まるで「どう?ちゃんとできたでしょ」と言っているみたいだった。
――結翔によく懐いている。
まずい。兄弟のような親密さ。
それは、非常によくない。
なぜなら、そろそろ“その時”が近づいているからだ。
巣立ちの時――親離れの時。
結翔のそばを、離れる時。
そこには、ふたつの大きな問題があった。
ひとつは、ソラ自身のこと。
自然界で生きるには、餌の取り方や身の守り方を、親鳥から教わる必要がある。
その機会を持たずに育ったソラが、果たしてひとりで生きていけるのか。
そしてもうひとつは、結翔のこと。
彼にとってソラは、心を通わせた大切な存在。再び「別れ」という痛みを経験させることになる。その傷を、今の彼が受け止めきれるだろうか。
「飼育の許可は降りているわ。だから焦らなくていいの。でも、ソラを自然に帰すことが、きっといちばん大切。結翔君の心のケアは、私たちが責任を持って見守りましょう。ルリ。」
学園長の言葉は、いつも穏やかで確かだった。
私は素直にうなずいた。
結翔には、私と学園長がついている。
※※※
ここ数日、学園長の視線をよく感じる。
なぜだろう。何か不手際でも?
それとも……私の中の“何か”を見抜かれているのだろうか。
その目は、まるで巣立つソラを見守るように、
私自身を見つめていた。
そこに、理由のないぬくもりを感じた。
これが何なのか、今の私にはまだわからない。
けれど――嫌ではなかった。
※※※
ある日の午後。
風に揺れる木陰の下、結翔の弾んだ声が響いた。
「ルリ、見て! ソラが!」
小さな体が庭先の枝に止まり、虫をくわえている。
「……自分で捕まえたんだ。すごいよ、ソラ!」
結翔は誇らしげに笑っていた。
でも、その声はかすかに震えていた。
その瞳には、涙の光があった。
――いけない。
こんな顔を、させてはならない。
胸の奥に、得体の知れない熱が広がる。
異常反応? 違う。
これは、心の反応だ。
無意識に、私は結翔の身体を抱き寄せていた。
何の指示も、検索もなく。
ただ自然に、両手が伸びた。
あたたかい。
確かに感じる、ぬくもり。
「大丈夫です。結翔をひとりにしたりは、しません。」
そう伝えたとき、結翔は唇をかみしめ、かすかに笑った。
「……ソラは、外のほうが幸せだよね。
だから……ぼく、大丈夫。」
強く、まっすぐな目だった。
その目は、私の青い瞳よりもずっと澄んで、美しかった。
……賢い子。巣立ちの意味を、きちんと理解しているのですね。
左胸の奥が、じわりと熱を帯びる。
これは“ぬくもり”――。
そう、前にも感じたもの。
結翔と“同じ痛み”を分け合っている感覚。
※※※
日ごとに、ソラの飛ぶ距離は伸びていった。
空高く舞い、時には半日戻らないこともあった。そのたびに、みんなが胸を痛め、帰りを待った。けれどソラは、いつも帰ってきた。まるで「まだ行かないよ」と告げるように。
そして――その日は来た。
空は穏やかで、夕陽が園を朱に染めていた。ソラは庭の上空をゆっくりと旋回し、こちらを見た。
その瞳には、確かな決意が宿っていた。
「ピーヒヨヒヨ、ピーピー――」
美しい鳴き声を残し、ソラは空へと舞い上がった。
まるで「ありがとう」と言うように、
静かに、しかし力強く。
やがてその姿は、燃えるような夕焼けの中に溶けていった。
※※※
結翔は私の手を、強く握っていた。
涙をこらえるその横顔に、私はそっと寄り添う。
「ソラの卵が落ちてきた日も、とても気持ちの良い朝でした。」
「今日も、美しい夕焼けです。
きっとあの子は……天と地を結ぶ者なのですね。」
「うん。きっと、幸せになれる。」
二人で、旅立つソラを見送った。
その背に、「さようなら」ではなく、「いってらっしゃい」の想いを込めて。
その様子を、学園長がひとり、穏やかな眼差しで見つめていた。
◼️ 送る想い
ソラが生まれた日から、毎日が光で満たされていた。
朝は小さな鳴き声で始まり、夜は胸の中の鼓動がまだ聞こえてくる気がして眠れなかった。あの小さな命が、確かにここで生きている。――そのことが、何よりもうれしかった。
けれど、成長はあっという間だった。
気づけばソラは、もう僕の肩よりも高く飛べるようになっていた。
羽ばたくたびに、胸の奥がきゅっと締めつけられる。
嬉しいのに、苦しい。
それが何なのか、自分でもよくわからなかった。
「ソラ、こっち」
僕の声に、ソラは軽やかに応える。
掌に止まるその体は、もうあの小さな雛ではない。
強くて、美しくて――どこか、遠くの空を見ているような瞳をしていた。
餌をついばんだソラのくちばしに、小さな殻がくっついている。笑いながらそれを取ると、ソラは「ピィ」と鳴いて胸を張った。まるで「もう大丈夫」と言っているみたいで、僕は笑いながら泣きそうになった。
最近、ルリの表情が少しだけ違う。
相変わらず穏やかで優しいのに、どこか遠くを見ているような目をしている。
たぶん、わかっているんだ。ソラが、もうすぐ飛び立つことを。僕も、わかっている。
だけど――心が追いつかない。
あの日、ルリが抱きしめてくれた。
温かくて、静かで、安心できる場所だった。人間じゃないのに、ルリの腕の中には“ぬくもり”があった。あれは、プログラムなんかじゃない。だって、僕の涙に合わせて、ルリの手が少しだけ震えていたから。
「ソラは、外のほうが幸せだよね。だから…ぼく、大丈夫」
そう言った時、本当は全然大丈夫なんかじゃなかった。でも、言葉にしないと、ソラを送り出せなくなる気がした。
夕陽が園を染める頃、ソラは空に羽ばたいた。燃えるような赤の中を、何度も旋回して、やがて小さな点になった。
胸の中に、風が通り抜ける。
空のどこかで、ソラがまだこっちを見ている気がして、僕は手を伸ばした。
「いってらっしゃい」
そうつぶやくと、ルリが隣で小さく微笑んだ。その瞳は、空の色を映したように深く澄んでいた。
――ああ、そうか。
僕は、また守られたんだ。
ルリも、ソラも、みんな僕を守ってくれていたんだ。
風が頬を撫でる。
泣く代わりに、笑ってみた。
涙はこぼれなかったけれど、胸の奥がじんわりと痛い。
でも、その痛みはどこかあたたかくて、
まるで〈生きている〉ってことを教えてくれているようだった。
あの日から僕は少しだけ強くなった。
もう一度、勇気を出せるようになった気がする。
“別れ”は終わりじゃない。
“想い”は形を変えて、生き続ける。
その夜、窓の外の星を見上げた。
空のどこかで、ソラが同じ星を見ている気がした。そして、その隣にルリの瞳の色――瑠璃色の光が静かに瞬いていた。
※※※
一年後。
朝の光がやわらかく差し込む庭。
突然、影が頭上をかすめた。
「うわっ!びっくりした!」
見上げると、一羽の瑠璃色の鳥が旋回していた。
やがてその隣に、もう一羽が並ぶ。
二羽の瑠璃色の鳥が、枝に並んで寄り添っていた。
「ルリ!来て! 見て、あれ!」
「……ソラですね。お嫁さんを連れてきたのですね。」
「お嫁さん?」
「結翔に会ってほしかったのではないでしょうか。きっと春には、また卵が生まれますよ。」
「……タマゴ……新しい命……」
『天と地を繋ぐ者だから』
二人の声が重なり、笑顔が重なった。
瑠璃色のつがいは朝日に照らされて寄り添っている。
その姿は、まるで未来の希望のように輝いて見えた。