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第25話:小悪魔の乱入とルナの苦悩

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 1. 孤独な覚醒者と司令塔の重圧

 ミストによる大規模な総攻撃が終結して数日が経った。メゾン・ド・バレットのリビングは、M.A.の事後処理班によって見事なまでに修復されていたが、洋館を覆う空気だけは、未だ鉄のように重かった。

 志藤悠真は、ヴィクトリア調のソファに深く身体を預けていた。膝の上には水色のゼリー状の魔物、スライミーが安堵を示すようにプルプルと震え、彼の影の中には黒いファントムが静かに潜んでいる。その穏やかな日常の風景とは裏腹に、悠真の心は鉛のように沈んでいた。

(マヤがミストの幹部だった。俺の平和主義や、友人を信じる優しさ……そのすべてが、彼女に利用されていた。この手で支配力を覚醒させたというのに、俺は結局、愛するみんなを危険に晒しただけだ)

 友人だと信じた者に裏切られた事実は、彼の心を深く抉り、ヒーローとしての覚悟を揺さぶっていた。

「悠真くん、あまり思い詰めないで」

 戦闘の疲労が残る身体で、アリスが悠真の肩にそっと頭を乗せてきた。茶色のミディアムボブから香る甘い匂いが、悠真の頬を優しく撫でる。

「マヤのことは、もう忘れよう? 私が、悠真くんの心の傷も、全部護るから。私の愛の盾は、永遠にあなただけのものよ」

 彼女の独占欲に満ちた愛情は、任務の境界線を越え、悠真の心を包み込もうとしていた。

 その瞬間、リビングで待機していた銀髪ロングのルナのモノクルが、駆動音とともに赤く点滅した。ルナは誰にも悟られないよう、ごく微かに指先でモノクルに触れる。その静かな仕草に、アリスはすぐに戦闘的な緊張を察知した。

 ルナは、悠真とアリスに表情を変えることなく告げた。

「志藤様、有栖川。M.A.本部より、緊急の通信が入りました。ミスト総攻撃後の護衛体制に関する調整です。公衆の場では扱えない機密事項が含まれています」

 ルナはアリスを一瞥し、厳かに命じた。

「有栖川。私は司令室に篭ります。あなたと佐倉(メイ)は、志藤様を連れて自室で待機しなさい。私からの連絡があるまで、誰もリビングに出ることは許しません」

 アリスは不満そうに唇を尖らせたが、司令塔の厳格な命令に逆らうことはできない。ルナは、エレノアの言葉の裏にある『極秘指令』を読み取り、一人静かに司令室へと向かう。

 ルナは司令室に入り、防音と電磁シールドを起動すると、ドアを施錠した。部屋の緊張感は、戦場のそれと変わらない。

 メインモニターに、金色の刺繍が施されたシックなスーツ姿のエレノア総帥が優雅な姿を映し出す。

 エレノアは言った。

「ルナ。ミスト総攻撃の対処と鎮圧、ご苦労様でした。……ですが、敵はさっそく次の一手を打ってきました」

 ルナはモノクルの奥の瞳を光らせ、感情を押し殺した声で応じた。

「……次の、一手、ですか?」
「ええ。アジア本部から、新たな『護衛』が派遣されます。表向きは、疲弊したバレット隊のサポート、ということになっていますが……」

 モニターには、天真爛漫な笑顔を浮かべる少女の写真が表示された。ルナは、その冷たい瞳に既視感を覚えていた。

「彼女の名はシェン。アジア本部のトップハッカーです。そして、マヤを飛び越えた、ミストの『粛清部隊』よ」

 ルナは静かに拳を握りしめた。内部の裏切り者が、さらに上位の敵によって排除されるという、非情な現実。

「粛清部隊。ミストのなかでも実力者ぞろいの精鋭部隊ですね。では、直ちに拘束を?」

 エレノアは優雅に微笑み、その表情は怜悧な戦略家のものだった。

「いいえ、ルナ。シェンは、ミストの内部崩壊を誘う『高度な戦略』の鍵にしたいと考えています。そして、その作戦の舵取りは、理性を貫く司令塔である、あなたにしか任せられませんわ。あえて、シェンを泳がせなさい。彼女の目的は、悠真様の支配力の再測定。あなたの冷静で孤独な選択に期待しています」

 エレノアの言葉の重圧が、ルナの全身の駆動部にのしかかる。内部に工作員を抱え、悠真に真実を隠し、バレット隊の内部崩壊の危機を一人で抱え込むという、司令塔としての孤独な選択。ルナの愛は、理性的な使命という名の重圧となって、彼女の心にのしかかった。

(エレノア総帥との通信を終了したルナは、静かに一呼吸置くと、クロエにのみ極秘回線で連絡を入れる。)

 ルナは冷たい声で命じた。

「クロエ。今すぐ司令室に来なさい。機密情報です。他の誰にも知られてはなりません」

(数分後、黒縁メガネのクロエが、冷静沈着な面持ちで司令室に入室する。)

 ルナは告げた。

「クロエ。エレノア総帥からの極秘指令です。バレット隊のサポートとして派遣されるシェンは、ミストの工作員であり、マヤを粛清するための『内部の敵』です。私たちは彼女を泳がせ、ミストの自滅を誘う高度な戦略を実行します」

 クロエは一瞬メガネを押し上げ、冷静に応じた。

「承知しました。シェンの技術は、ドクター・ヴァイス系と推測されます。私の研究対象として、この情報戦は極めて興味深い。私以外の隊員への情報共有は不要と判断します」

 ルナは頷いた。

「その通り。佐倉(メイ)の衝動、有栖川(アリス)の独占欲、ソフィアの母性…彼女たちの感情的なノイズは、この作戦の最大の障害となる。あなたは冷静にシェンの監視とデータ分析を続けなさい。これが、司令塔からの極秘命令です」

「御意。理性を貫き、任務を遂行します」

 クロエは深く頭を下げた。

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 2. 小悪魔の乱入と独占欲の炎上

 翌日、セーフハウスの厳重なセキュリティゲートが開いた。

 そこに立っていたのは、小柄な少女、シェンだった。フリル付きの可愛らしい私服に、大きなキャリーケースを引く姿は、まるで旅行に来たばかりの普通の高校生に見える。

 シェンは迷いなく、まるでターゲットを見つけたかのように、キャリーケースを放り出すと悠真に向かって一直線に駆け寄った。その小悪魔的な笑顔と、底知れない活発さが溢れていた。

 シェンは弾むような声で言った。

「あー! 見つけた! あなたが志藤悠真お兄ちゃんですね!?」

 シェンは悠真の腕に抱きつき、その無防備なスキンシップに、悠真は戸惑うしかない。

 悠真は混乱した。

「え、あ、お兄ちゃん!?」

 アリスが激しい嫉妬を露わにし、シェンを悠真から引き剥がそうとする。

「なっ……! ちょっとあなた! 悠真くんはあなたのお兄ちゃんじゃなくて、私の『恋人』よ!」

 物陰から飛び出してきたメイも、ツインテールを揺らしながら威嚇した。

「そ、そうです! 悠真せんぱいの『後輩』はメイです! どこから来たんですか、あなた!」

 シェンは二人を意に介さず、悠真の腕にさらに強く抱きつく。

「(上目遣いで)私、シェンって言います。アジア本部から、お兄ちゃんの護衛サポートに来ました! お兄ちゃんのこと、ずーっとデータで見てましたよ? 優しくて、穏やかで……最高のお兄ちゃん!」

 彼女の天真爛漫な態度と、計算されたような『お兄ちゃん』呼びは、バレット隊の独占欲の炎を一気に燃え上がらせた。

 ルナが司令塔として、冷徹にシェンに手を差し伸べる。

「シェン隊員。ようこそ、メゾン・ド・バレットへ。私は司令塔のルナです。あなたのサポート性能、データで見せていただきましょう」

 シェンは笑顔で答えた。

「はいっ! ルナ隊長! お兄ちゃんのために、頑張っちゃいます!」

 ルナのモノクルの奥の瞳が、シェンの笑顔の裏にある冷たい光を捉える。ルナは、シェンがマヤを飛び越えた粛清部隊であることを再認識し、内部の敵を泳がせるという孤独な決意を内にひめていたが、その片鱗をまったく見せずいつも通りに対処した。

 クロエは冷静にシェンを分析していた。彼女の駆動系は、フェロモンの影響を意図的に遮断しているようだった。

(この技術……ドクター・ヴァイス系の技術痕跡。そして、彼女の心拍数は常に安定。私たちバレット隊の感情の揺れとは、対極にある存在。理性の仮面を被った、非常に危険な敵だ)クロエは内心でそう分析した。

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 3. 感情的なノイズと司令塔の決断

 その夜、クロエは自身の分析室で、シェンからの『挨拶』代わりのハッキング痕跡と格闘していた。

「(キーボードを叩きながら)……速い。私の第一防壁を、遊び感覚で突破してきた。シェン、あなたの技術は、私にとって極めて興味深い研究対象です」クロエはそう呟く。

 そこに、シェンが警戒心のかけらもなく、ひょっこりと顔を出す。

 シェンは言った。

「あ、クロエ先輩、お疲れ様です! お兄ちゃんの護衛データ、ちょっと見させてもらいましたけど、古いですね? シェンが最新版にアップデートしてあげましょうか?」

 クロエは黒縁メガネを押し上げ、冷徹に言い放った。

「あなたの介入は不要です。私のデータは、私の研究に基づいて構築されています」

 シェンは言った。

「ふーん。ま、いいですけど。あ、そうだ。お兄ちゃん、映画研究会にいたんですよね? 昔のデータ、ちょっと面白そうだから、覗いてみちゃおっと」

 シェンはそう言うと、悠真の映画研究会のデータをハッキングし始める。

 彼女の狙いは、マヤという「友人の裏切り」によって悠真の心に残った「感情的なノイズ」を利用すること。次の襲撃のトリガーを仕掛けていた。

 クロエはルナの指示通り、シェンを泳がせるしかなかった。

 シェンがミストへ送信しようとしているデータは、悠真の最新のフェロモン暴走データだった。クロエはキーボードを叩き、冷静に分析する。

(これは、ルナ隊長の戦略と合致する、次の刺客を誘い込むための餌だ)

 とクロエは分析した。

 司令室に戻ったルナは、クロエの解析データを受け取り、エレノア総帥の意図を完全に理解した。

 ルナは告げた。

「シェンを通じて、ミスト内部の派閥争い(マヤの失脚)を利用するつもりだ。私たちは、彼女の行動を逆手に取り、ミストの自滅を誘う」

 ルナは、静かに、そして明確に、クロエに告げる。

「クロエ。シェンの監視を継続しなさい。私は、彼女の最終標的がマヤの排除であることを、エレノア総帥に報告する。……そして、悠真様の支配力の暴発を誘発する計画を実行する」

 ルナは、悠真の優しさを護るため、そしてバレット隊の使命を全うするため、内部に敵を抱え、悠真に真実を隠し続けるという孤独な使命を、再び強く背負い込んだ。

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 4. 小悪魔の優しさと秘密の独占

 深夜。ルナの厳しい監視体制が敷かれる中、悠真は自室のベッドでマヤとの映画研究会の写真を見つめ、苦悩の淵にいた。

 その時、ドアが静かに開く。フリル付きの可愛らしいパジャマ姿のシェンが、音もなく部屋に忍び込んできた。

 シェンが囁いた。

「……お兄ちゃん、眠れないの?」

 悠真は尋ねた。

「シェン……。どうしてここに」
「お兄ちゃんの心拍数が乱れてたから、心配で来ちゃったの。……マヤ先輩のこと、考えてたんでしょ?」

 シェンは悠真のベッドに潜り込み、テイム魔物たち(スライミー、スパイク)を巧みに手懐けながら、悠真にそっと寄り添う。彼女の体からは、甘い花の香りが漂っていた。

 シェンは言った。

「シェンね、データで見たよ。お兄ちゃんは優しすぎる。だから、マヤ先輩みたいな人に利用されちゃうんだ」

 シェンはそう言うと、悠真の頭を自分の胸元に引き寄せた。

「大丈夫。シェンが、お兄ちゃんの『感情的なノイズ』、全部消してあげる。私だけが、お兄ちゃんの本当の『護衛』だから……ね?」

 シェンは小悪魔的な笑顔を浮かべ、悠真の耳元で囁いた。その声には、任務を越えた、あるいは任務を装った、冷たい執着が宿っていた。彼女は、悠真の優しさという「盲点」を突き、メイドたちとの間に「信頼の亀裂」を入れるための、秘密の独占を始めている。

 悠真は、彼女の言葉の裏にある冷たい棘に気づかないまま、新たな『内部の敵』の腕の中にいた。ルナの孤独な選択と、シェンの小悪魔的な独占欲が、悠真の秘密の共同生活に、新たなサスペンスとラブコメの波紋を投げかけたのだった。




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 1. 孤独な覚醒者と司令塔の重圧
 ミストによる大規模な総攻撃が終結して数日が経った。メゾン・ド・バレットのリビングは、M.A.の事後処理班によって見事なまでに修復されていたが、洋館を覆う空気だけは、未だ鉄のように重かった。
 志藤悠真は、ヴィクトリア調のソファに深く身体を預けていた。膝の上には水色のゼリー状の魔物、スライミーが安堵を示すようにプルプルと震え、彼の影の中には黒いファントムが静かに潜んでいる。その穏やかな日常の風景とは裏腹に、悠真の心は鉛のように沈んでいた。
(マヤがミストの幹部だった。俺の平和主義や、友人を信じる優しさ……そのすべてが、彼女に利用されていた。この手で支配力を覚醒させたというのに、俺は結局、愛するみんなを危険に晒しただけだ)
 友人だと信じた者に裏切られた事実は、彼の心を深く抉り、ヒーローとしての覚悟を揺さぶっていた。
「悠真くん、あまり思い詰めないで」
 戦闘の疲労が残る身体で、アリスが悠真の肩にそっと頭を乗せてきた。茶色のミディアムボブから香る甘い匂いが、悠真の頬を優しく撫でる。
「マヤのことは、もう忘れよう? 私が、悠真くんの心の傷も、全部護るから。私の愛の盾は、永遠にあなただけのものよ」
 彼女の独占欲に満ちた愛情は、任務の境界線を越え、悠真の心を包み込もうとしていた。
 その瞬間、リビングで待機していた銀髪ロングのルナのモノクルが、駆動音とともに赤く点滅した。ルナは誰にも悟られないよう、ごく微かに指先でモノクルに触れる。その静かな仕草に、アリスはすぐに戦闘的な緊張を察知した。
 ルナは、悠真とアリスに表情を変えることなく告げた。
「志藤様、有栖川。M.A.本部より、緊急の通信が入りました。ミスト総攻撃後の護衛体制に関する調整です。公衆の場では扱えない機密事項が含まれています」
 ルナはアリスを一瞥し、厳かに命じた。
「有栖川。私は司令室に篭ります。あなたと佐倉(メイ)は、志藤様を連れて自室で待機しなさい。私からの連絡があるまで、誰もリビングに出ることは許しません」
 アリスは不満そうに唇を尖らせたが、司令塔の厳格な命令に逆らうことはできない。ルナは、エレノアの言葉の裏にある『極秘指令』を読み取り、一人静かに司令室へと向かう。
 ルナは司令室に入り、防音と電磁シールドを起動すると、ドアを施錠した。部屋の緊張感は、戦場のそれと変わらない。
 メインモニターに、金色の刺繍が施されたシックなスーツ姿のエレノア総帥が優雅な姿を映し出す。
 エレノアは言った。
「ルナ。ミスト総攻撃の対処と鎮圧、ご苦労様でした。……ですが、敵はさっそく次の一手を打ってきました」
 ルナはモノクルの奥の瞳を光らせ、感情を押し殺した声で応じた。
「……次の、一手、ですか?」
「ええ。アジア本部から、新たな『護衛』が派遣されます。表向きは、疲弊したバレット隊のサポート、ということになっていますが……」
 モニターには、天真爛漫な笑顔を浮かべる少女の写真が表示された。ルナは、その冷たい瞳に既視感を覚えていた。
「彼女の名はシェン。アジア本部のトップハッカーです。そして、マヤを飛び越えた、ミストの『粛清部隊』よ」
 ルナは静かに拳を握りしめた。内部の裏切り者が、さらに上位の敵によって排除されるという、非情な現実。
「粛清部隊。ミストのなかでも実力者ぞろいの精鋭部隊ですね。では、直ちに拘束を?」
 エレノアは優雅に微笑み、その表情は怜悧な戦略家のものだった。
「いいえ、ルナ。シェンは、ミストの内部崩壊を誘う『高度な戦略』の鍵にしたいと考えています。そして、その作戦の舵取りは、理性を貫く司令塔である、あなたにしか任せられませんわ。あえて、シェンを泳がせなさい。彼女の目的は、悠真様の支配力の再測定。あなたの冷静で孤独な選択に期待しています」
 エレノアの言葉の重圧が、ルナの全身の駆動部にのしかかる。内部に工作員を抱え、悠真に真実を隠し、バレット隊の内部崩壊の危機を一人で抱え込むという、司令塔としての孤独な選択。ルナの愛は、理性的な使命という名の重圧となって、彼女の心にのしかかった。
(エレノア総帥との通信を終了したルナは、静かに一呼吸置くと、クロエにのみ極秘回線で連絡を入れる。)
 ルナは冷たい声で命じた。
「クロエ。今すぐ司令室に来なさい。機密情報です。他の誰にも知られてはなりません」
(数分後、黒縁メガネのクロエが、冷静沈着な面持ちで司令室に入室する。)
 ルナは告げた。
「クロエ。エレノア総帥からの極秘指令です。バレット隊のサポートとして派遣されるシェンは、ミストの工作員であり、マヤを粛清するための『内部の敵』です。私たちは彼女を泳がせ、ミストの自滅を誘う高度な戦略を実行します」
 クロエは一瞬メガネを押し上げ、冷静に応じた。
「承知しました。シェンの技術は、ドクター・ヴァイス系と推測されます。私の研究対象として、この情報戦は極めて興味深い。私以外の隊員への情報共有は不要と判断します」
 ルナは頷いた。
「その通り。佐倉(メイ)の衝動、有栖川(アリス)の独占欲、ソフィアの母性…彼女たちの感情的なノイズは、この作戦の最大の障害となる。あなたは冷静にシェンの監視とデータ分析を続けなさい。これが、司令塔からの極秘命令です」
「御意。理性を貫き、任務を遂行します」
 クロエは深く頭を下げた。
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 2. 小悪魔の乱入と独占欲の炎上
 翌日、セーフハウスの厳重なセキュリティゲートが開いた。
 そこに立っていたのは、小柄な少女、シェンだった。フリル付きの可愛らしい私服に、大きなキャリーケースを引く姿は、まるで旅行に来たばかりの普通の高校生に見える。
 シェンは迷いなく、まるでターゲットを見つけたかのように、キャリーケースを放り出すと悠真に向かって一直線に駆け寄った。その小悪魔的な笑顔と、底知れない活発さが溢れていた。
 シェンは弾むような声で言った。
「あー! 見つけた! あなたが志藤悠真お兄ちゃんですね!?」
 シェンは悠真の腕に抱きつき、その無防備なスキンシップに、悠真は戸惑うしかない。
 悠真は混乱した。
「え、あ、お兄ちゃん!?」
 アリスが激しい嫉妬を露わにし、シェンを悠真から引き剥がそうとする。
「なっ……! ちょっとあなた! 悠真くんはあなたのお兄ちゃんじゃなくて、私の『恋人』よ!」
 物陰から飛び出してきたメイも、ツインテールを揺らしながら威嚇した。
「そ、そうです! 悠真せんぱいの『後輩』はメイです! どこから来たんですか、あなた!」
 シェンは二人を意に介さず、悠真の腕にさらに強く抱きつく。
「(上目遣いで)私、シェンって言います。アジア本部から、お兄ちゃんの護衛サポートに来ました! お兄ちゃんのこと、ずーっとデータで見てましたよ? 優しくて、穏やかで……最高のお兄ちゃん!」
 彼女の天真爛漫な態度と、計算されたような『お兄ちゃん』呼びは、バレット隊の独占欲の炎を一気に燃え上がらせた。
 ルナが司令塔として、冷徹にシェンに手を差し伸べる。
「シェン隊員。ようこそ、メゾン・ド・バレットへ。私は司令塔のルナです。あなたのサポート性能、データで見せていただきましょう」
 シェンは笑顔で答えた。
「はいっ! ルナ隊長! お兄ちゃんのために、頑張っちゃいます!」
 ルナのモノクルの奥の瞳が、シェンの笑顔の裏にある冷たい光を捉える。ルナは、シェンがマヤを飛び越えた粛清部隊であることを再認識し、内部の敵を泳がせるという孤独な決意を内にひめていたが、その片鱗をまったく見せずいつも通りに対処した。
 クロエは冷静にシェンを分析していた。彼女の駆動系は、フェロモンの影響を意図的に遮断しているようだった。
(この技術……ドクター・ヴァイス系の技術痕跡。そして、彼女の心拍数は常に安定。私たちバレット隊の感情の揺れとは、対極にある存在。理性の仮面を被った、非常に危険な敵だ)クロエは内心でそう分析した。
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 3. 感情的なノイズと司令塔の決断
 その夜、クロエは自身の分析室で、シェンからの『挨拶』代わりのハッキング痕跡と格闘していた。
「(キーボードを叩きながら)……速い。私の第一防壁を、遊び感覚で突破してきた。シェン、あなたの技術は、私にとって極めて興味深い研究対象です」クロエはそう呟く。
 そこに、シェンが警戒心のかけらもなく、ひょっこりと顔を出す。
 シェンは言った。
「あ、クロエ先輩、お疲れ様です! お兄ちゃんの護衛データ、ちょっと見させてもらいましたけど、古いですね? シェンが最新版にアップデートしてあげましょうか?」
 クロエは黒縁メガネを押し上げ、冷徹に言い放った。
「あなたの介入は不要です。私のデータは、私の研究に基づいて構築されています」
 シェンは言った。
「ふーん。ま、いいですけど。あ、そうだ。お兄ちゃん、映画研究会にいたんですよね? 昔のデータ、ちょっと面白そうだから、覗いてみちゃおっと」
 シェンはそう言うと、悠真の映画研究会のデータをハッキングし始める。
 彼女の狙いは、マヤという「友人の裏切り」によって悠真の心に残った「感情的なノイズ」を利用すること。次の襲撃のトリガーを仕掛けていた。
 クロエはルナの指示通り、シェンを泳がせるしかなかった。
 シェンがミストへ送信しようとしているデータは、悠真の最新のフェロモン暴走データだった。クロエはキーボードを叩き、冷静に分析する。
(これは、ルナ隊長の戦略と合致する、次の刺客を誘い込むための餌だ)
 とクロエは分析した。
 司令室に戻ったルナは、クロエの解析データを受け取り、エレノア総帥の意図を完全に理解した。
 ルナは告げた。
「シェンを通じて、ミスト内部の派閥争い(マヤの失脚)を利用するつもりだ。私たちは、彼女の行動を逆手に取り、ミストの自滅を誘う」
 ルナは、静かに、そして明確に、クロエに告げる。
「クロエ。シェンの監視を継続しなさい。私は、彼女の最終標的がマヤの排除であることを、エレノア総帥に報告する。……そして、悠真様の支配力の暴発を誘発する計画を実行する」
 ルナは、悠真の優しさを護るため、そしてバレット隊の使命を全うするため、内部に敵を抱え、悠真に真実を隠し続けるという孤独な使命を、再び強く背負い込んだ。
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 4. 小悪魔の優しさと秘密の独占
 深夜。ルナの厳しい監視体制が敷かれる中、悠真は自室のベッドでマヤとの映画研究会の写真を見つめ、苦悩の淵にいた。
 その時、ドアが静かに開く。フリル付きの可愛らしいパジャマ姿のシェンが、音もなく部屋に忍び込んできた。
 シェンが囁いた。
「……お兄ちゃん、眠れないの?」
 悠真は尋ねた。
「シェン……。どうしてここに」
「お兄ちゃんの心拍数が乱れてたから、心配で来ちゃったの。……マヤ先輩のこと、考えてたんでしょ?」
 シェンは悠真のベッドに潜り込み、テイム魔物たち(スライミー、スパイク)を巧みに手懐けながら、悠真にそっと寄り添う。彼女の体からは、甘い花の香りが漂っていた。
 シェンは言った。
「シェンね、データで見たよ。お兄ちゃんは優しすぎる。だから、マヤ先輩みたいな人に利用されちゃうんだ」
 シェンはそう言うと、悠真の頭を自分の胸元に引き寄せた。
「大丈夫。シェンが、お兄ちゃんの『感情的なノイズ』、全部消してあげる。私だけが、お兄ちゃんの本当の『護衛』だから……ね?」
 シェンは小悪魔的な笑顔を浮かべ、悠真の耳元で囁いた。その声には、任務を越えた、あるいは任務を装った、冷たい執着が宿っていた。彼女は、悠真の優しさという「盲点」を突き、メイドたちとの間に「信頼の亀裂」を入れるための、秘密の独占を始めている。
 悠真は、彼女の言葉の裏にある冷たい棘に気づかないまま、新たな『内部の敵』の腕の中にいた。ルナの孤独な選択と、シェンの小悪魔的な独占欲が、悠真の秘密の共同生活に、新たなサスペンスとラブコメの波紋を投げかけたのだった。