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流星の色

ー/ー



 二度も雪だるまになった私のナイタースキーはお開きになり、クリスカさんを残して私と薫さんはホテルへ帰りました。

 用具を返却して、彼女を迎えるべく途中の喫茶コーナーへ入りました。つい数分前まで温もりとは掛け離れた厳寒に肌を晒していた私達に、湯気の立ち昇るコーヒーと紅茶は格別なご褒美に映ります。

「スキーなんて、修学旅行ぶりだ」
「私と同じくらいブランクありましたね」
「あんた程、鈍っちゃいなかったけど」
「言わないでくださいよーそれ」
「また腹抱えて笑ってたな」
「えぇ。けれど満更でもないかも」

 紅茶を片手に私がクスリと笑みを溢すと、神妙そうな面持ちを薫さんが向けていました。

「さっきまでの威勢が嘘のようだ。風にでも攫われたのか?」
「ちょっとしたおふざけです。凄かったなぁクリスカさん」

 鮮明に焼き付いた勇姿を振り返って惚け顔になります。控え目に言って格好良かったんですもの。

「本当、不思議な旅人達だ」
 深い溜息に混ぜた呟き。
「案外、捨てたものでもないと思ってしまった」
「捨てたもの?」
「列車の旅も良い物だと思った。仕事が捗るとか、そういう不純なことを抜きにして」
「私も教えられた気がします。賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」
「なら私達は愚者だな」
「ですね。それも悪くない」

 初めて知る感動。初めて触れる体験。五官の記憶にないことを経験するというのも存外悪いことではない。旅立ちから数日と思い知らされた気分です。

 仮に私が賢者だとしたら、きっと文字だけの世界で終わっていたと追認させられます。
 感嘆が呼び起こされて悦に浸り、惚けた表情を前に薫さんが立ち上がりました。

「私に与えられたエスコートの務めはこれで果たしたはずだ」
「クリスカさんに伺ってみてください。直接、頼んだのは私じゃないので」
「いや、スキー場でも山だ。それも雪山。柵や仕切りで囲まれていようと、初心者一人置いておくのはリスクが大きい。けれど今はこうして温室で呑気に談議をしていられる。エスコート、護衛の意味も必要性ももはや感じられない」
「でも終わりという言葉をまだ言っていません」
「その言葉が無ければ、解放されないというのか。私は君達の奴隷か?」

 沈黙。返す言葉が見つからず、何を言っているのと呆気に取られた表情をしていました。

「君が始めたことだろう? クリスカとかいう金髪の女はただ君に利用されているだけで」
「何を言って」
「君は私の要らないところまで見てしまった。それこそ君達がここにいる理由なのだろう?」
「……想像ですよね?」

 誰も寄せ付けまい。そう取れるように淡々とかごとがましく言い連ねる薫さん。私はその推理を否定しようと、憶測であるとレッテルを貼りました。

「想像——私がそれを生業に生きているから、自分達が至らない飛躍的な妄想を抱いている、ようは異端者だとでも思っているのか?」
「違います。私はただ、列車の中で聞いた言葉がまるで正反対に動いたみたいで嬉しくて。もう会う事はないなんて悲しいことにならなくて、それがひたすらに嬉しくて」
「あはは——そうか」

 シニカルな高笑いがカフェの一角を埋めました。

「嘘偽りない純真な気持ちだと良かった。けどその本音は違う。私の足を引っ張ろうと必死だ。君は君自身が思っている以上に怖い女だよ」
「そんなの決めつけです!」

 流石に頭に来た、と私の平手がバンと机を殴打します。言わせておけば、やれ嘘だの利用しているだのと好き放題に宣って、暫く我慢していた怒りが現れて青筋を立てねめつけます。
 薫さんはそれでも動揺などなく、狂気に包まれたように声を上げて笑っていました。

「では訊くとしよう。なぜ私を邪魔する? 目指す先になぜ立ちはだかろうとするんだ?」
「あなたが描こうとしている道筋は間違っているから」
「君の手前勝手な価値観だろう?」
「それでも私の目の前でしようものなら、看過できない。貴方は愚かで惨めよ! 何もかも間違っている!」
「はっきりした。君はやはり愚者だ。自らの価値観で他人を縛り上げようだなんてことをやってのけようとしているんだ。きっと次の言葉はこうだろう。まだ変われる、引き返せる。無知だから口に出せるんだろう。でも、もうダメなんだよ。一度走り去った刻には二度と引き返せない。過ぎ去った駅に列車が戻れないよう、不可逆的なのさ。私はもうこれ以上の変化を望めないし、望まない」

 咄嗟に目を逸らして、彼女が呟きます。

 勝手な価値観で縛りあげようとしている。
それは最もらしくも聞こえます。けれど、でも他に手立ては幾らでもあるはずだとも思うわけです。諦観して、全てを悟ったような姿がただ無気力なだけでどこかみすぼらしい。

 気を悪くさせたのなら謝りたいと願い出ようとしますが、そのまま背を向けて薫さんは一言だけ、

「これで最後。さよなら」

 文字通りです。我に返って私は去り際の彼女の背に手を伸ばしました。しかし虚しくそれは届きません。

 消えた背中の輪郭がぼんやりと浮かんできます。膝から崩れ落ちて、無力さを呪うように私は泣き出しました。

 その流星の色は一体何色なのか。それは顔を眺めた人以外にわかるはずのない問い。訊きたくもその泣きっ面を見られるのが酷く恥ずかしくて、逃げ出すように代金だけを吐くようにテーブルに置いて走り出しました。


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 二度も雪だるまになった私のナイタースキーはお開きになり、クリスカさんを残して私と薫さんはホテルへ帰りました。
 用具を返却して、彼女を迎えるべく途中の喫茶コーナーへ入りました。つい数分前まで温もりとは掛け離れた厳寒に肌を晒していた私達に、湯気の立ち昇るコーヒーと紅茶は格別なご褒美に映ります。
「スキーなんて、修学旅行ぶりだ」
「私と同じくらいブランクありましたね」
「あんた程、鈍っちゃいなかったけど」
「言わないでくださいよーそれ」
「また腹抱えて笑ってたな」
「えぇ。けれど満更でもないかも」
 紅茶を片手に私がクスリと笑みを溢すと、神妙そうな面持ちを薫さんが向けていました。
「さっきまでの威勢が嘘のようだ。風にでも攫われたのか?」
「ちょっとしたおふざけです。凄かったなぁクリスカさん」
 鮮明に焼き付いた勇姿を振り返って惚け顔になります。控え目に言って格好良かったんですもの。
「本当、不思議な旅人達だ」
 深い溜息に混ぜた呟き。
「案外、捨てたものでもないと思ってしまった」
「捨てたもの?」
「列車の旅も良い物だと思った。仕事が捗るとか、そういう不純なことを抜きにして」
「私も教えられた気がします。賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」
「なら私達は愚者だな」
「ですね。それも悪くない」
 初めて知る感動。初めて触れる体験。五官の記憶にないことを経験するというのも存外悪いことではない。旅立ちから数日と思い知らされた気分です。
 仮に私が賢者だとしたら、きっと文字だけの世界で終わっていたと追認させられます。
 感嘆が呼び起こされて悦に浸り、惚けた表情を前に薫さんが立ち上がりました。
「私に与えられたエスコートの務めはこれで果たしたはずだ」
「クリスカさんに伺ってみてください。直接、頼んだのは私じゃないので」
「いや、スキー場でも山だ。それも雪山。柵や仕切りで囲まれていようと、初心者一人置いておくのはリスクが大きい。けれど今はこうして温室で呑気に談議をしていられる。エスコート、護衛の意味も必要性ももはや感じられない」
「でも終わりという言葉をまだ言っていません」
「その言葉が無ければ、解放されないというのか。私は君達の奴隷か?」
 沈黙。返す言葉が見つからず、何を言っているのと呆気に取られた表情をしていました。
「君が始めたことだろう? クリスカとかいう金髪の女はただ君に利用されているだけで」
「何を言って」
「君は私の要らないところまで見てしまった。それこそ君達がここにいる理由なのだろう?」
「……想像ですよね?」
 誰も寄せ付けまい。そう取れるように淡々とかごとがましく言い連ねる薫さん。私はその推理を否定しようと、憶測であるとレッテルを貼りました。
「想像——私がそれを生業に生きているから、自分達が至らない飛躍的な妄想を抱いている、ようは異端者だとでも思っているのか?」
「違います。私はただ、列車の中で聞いた言葉がまるで正反対に動いたみたいで嬉しくて。もう会う事はないなんて悲しいことにならなくて、それがひたすらに嬉しくて」
「あはは——そうか」
 シニカルな高笑いがカフェの一角を埋めました。
「嘘偽りない純真な気持ちだと良かった。けどその本音は違う。私の足を引っ張ろうと必死だ。君は君自身が思っている以上に怖い女だよ」
「そんなの決めつけです!」
 流石に頭に来た、と私の平手がバンと机を殴打します。言わせておけば、やれ嘘だの利用しているだのと好き放題に宣って、暫く我慢していた怒りが現れて青筋を立てねめつけます。
 薫さんはそれでも動揺などなく、狂気に包まれたように声を上げて笑っていました。
「では訊くとしよう。なぜ私を邪魔する? 目指す先になぜ立ちはだかろうとするんだ?」
「あなたが描こうとしている道筋は間違っているから」
「君の手前勝手な価値観だろう?」
「それでも私の目の前でしようものなら、看過できない。貴方は愚かで惨めよ! 何もかも間違っている!」
「はっきりした。君はやはり愚者だ。自らの価値観で他人を縛り上げようだなんてことをやってのけようとしているんだ。きっと次の言葉はこうだろう。まだ変われる、引き返せる。無知だから口に出せるんだろう。でも、もうダメなんだよ。一度走り去った刻には二度と引き返せない。過ぎ去った駅に列車が戻れないよう、不可逆的なのさ。私はもうこれ以上の変化を望めないし、望まない」
 咄嗟に目を逸らして、彼女が呟きます。
 勝手な価値観で縛りあげようとしている。
それは最もらしくも聞こえます。けれど、でも他に手立ては幾らでもあるはずだとも思うわけです。諦観して、全てを悟ったような姿がただ無気力なだけでどこかみすぼらしい。
 気を悪くさせたのなら謝りたいと願い出ようとしますが、そのまま背を向けて薫さんは一言だけ、
「これで最後。さよなら」
 文字通りです。我に返って私は去り際の彼女の背に手を伸ばしました。しかし虚しくそれは届きません。
 消えた背中の輪郭がぼんやりと浮かんできます。膝から崩れ落ちて、無力さを呪うように私は泣き出しました。
 その流星の色は一体何色なのか。それは顔を眺めた人以外にわかるはずのない問い。訊きたくもその泣きっ面を見られるのが酷く恥ずかしくて、逃げ出すように代金だけを吐くようにテーブルに置いて走り出しました。