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走馬灯の続き

ー/ー



 意味を成さないと感じた瞬間、キーボードに触れていた指が止まった。言い合いを終えて無性に自分の世界にかぶりつきたくなって、溜飲が下がった途端に突き動かされた。

 こんなことをしている場合ではない。宅配で部屋に送るバックにパソコンを詰めコート一枚を羽織って、私は外へ出た。雲一つない星の煌く夜空を一瞥すると、ロビーにいたコンシェルジュから「お出かけですか佐伯様?」と声を掛けられた。

「星を見に」

 ただ一言。それを聞いて朗らかな笑みを浮かべ、そのコンシェルジュは去る背中を見送る。

 夜空は満点の星空だった。黒い世界で輝くその星々は都会の喧騒ではまずお目に掛かれない光景で、新鮮味さえある。

 私が私自身を殺す日にはとても勿体ないくらいの空模様だ。深々と積もる雪野に足を沈めながら、か細い木々の枯れた森へと呑み込まれていった。

 ここが自死の名所とか、そういう噂はない。ただ広大なわりに人の気配がない、厳戒な自然に律せられた、謂わば隔地だったからというのが理由の一つだ。

 書き積んでいたパソコンの遺書は途中で投げ出してしまった。もはや必要もないんじゃないかとも。誰かに自分の秘めた感情や想いを伝えようとしたことが、この雪のように積んできたことの全てが無駄だった。そう結論づけて、私は手近で体重が掛かっても音一つ上げない丈夫な木を、俗にいう死に場所を求めて探した。

 適当で良い。探し始めて十分と経っていない一角に剛腕な枝の大樹を見つけて、そこにしようと即断した。

 バックから縄を取って頑丈そうな太い枝に巻き付けると、余った残りで輪っかを結わいて私の前に差し出す。バックから折りたたまれた踏み台も出して広げて置いて、質素で飾り気のない絞首台が完成した。

 あとはこの輪に首を入れて、踵でもつま先でも良い。乗った台を蹴り飛ばせばそれで私はこの世界から発てる。

 最後に星空を拝む。数えるのも億劫になるような夥しい数のそれらが色彩豊かな輝きを放って、人々を見下ろしている。ちっぽけな一人の死を眺めるように、暗闇を一筋の光が流れた。

 心の中で唱える。願わくば、来世では理不尽を打ち破れるだけの力がありますように、と。

 私は二度と戻れない旅に出る。暗く、孤立無援で、彩も声も人という存在もない旅に。そして絞首台の足場を落とした。

 重力が身体を吸い寄せ、抗うように縄が首を支点にして私を吊るす。酸素を断つ感覚は苦しくもだんだんと身体から力が抜ける、不思議な快楽で心地良い。

 嗚咽する口と引き攣る表情はまるでその意思を拒絶しているようだった。

 死ぬという感覚を初めて味わう。小説では簡単に人を殺せるし、死なせられるけれど本当の死はジワジワと身体を熟すように訪れるのかと、私は感慨に浸っていた。

 そして視界すらなくなりかけたところで目線ががらりと変わる。雪原でも無ければ、肌を刺す寒さもない。

 宙づりのはずの足が地面についていて、シャンデリアの飾られたホールに小高い舞台には壇が設けられた。周りにはタキシードやドレスで談笑する人々の影。自分の姿はわからないけれど、あの時着ていた華やかさとは隔たれたブレザーだったことを薄れる思考で思い出す。

 私はもうそんな年齢ではない、という不粋なことは口からは出ない。というより嗚咽でかき消されて言えない。けれどまだ残っている感覚が僅かに口の端を吊り上がったことは逃さず捉えていた。

 アレは授賞式。新人賞を取った時のだ。まだ学生だった——と言っても二年程前のことだけれど——エネルギーと希望に溢れていた頃の事だ。

 皆が祝福してくれて心が満たされたあの日。仕事のパートナーと共に笑って、未来について熱く語り合い、そして誓い合った。私を率いてくれると、連れて行ってくれると信頼していた人たちの顔が思い浮かび、殺意に沸いた。

 私の死が彼らに何かしらの変化を齎すのは明らかだろう。全てを破壊され立ち直れず後を追う者、それでも這い上がり記憶にすら留めない者。けれど裏を返せばまるでこいつらの為に死ぬようなもので、癪に障った。

 嗤う口が冷めて真一文字に戻る。白目をむき始めたとき、墜ちる様に私の意識が飛ぶのを覚えた。

 まるで縄が外れて地面の雪に刺さったような、そんな死の感覚だった。

「お礼も受け取らずにとんずらなんて、節操がないんじゃない?」

 声。聞き覚えのある偉そうな口調。繋ぎ留められた意識が戻ったとき、思いっきり咽て地面でのたうち回った。

 どうして私はまだ……訊こうとするも喉が塞がれてて叶わない。視界が黒から星明りを拾って明転し、立っていた影に目が行った。

「ディナーの誘いをしようとしたのだけれど、ロビーで見かけたからついてきちゃった」

 そう言い放つと、身体を持ち上げて生死を彷徨う私を断りもなく攫ったのだった。


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 意味を成さないと感じた瞬間、キーボードに触れていた指が止まった。言い合いを終えて無性に自分の世界にかぶりつきたくなって、溜飲が下がった途端に突き動かされた。
 こんなことをしている場合ではない。宅配で部屋に送るバックにパソコンを詰めコート一枚を羽織って、私は外へ出た。雲一つない星の煌く夜空を一瞥すると、ロビーにいたコンシェルジュから「お出かけですか佐伯様?」と声を掛けられた。
「星を見に」
 ただ一言。それを聞いて朗らかな笑みを浮かべ、そのコンシェルジュは去る背中を見送る。
 夜空は満点の星空だった。黒い世界で輝くその星々は都会の喧騒ではまずお目に掛かれない光景で、新鮮味さえある。
 私が私自身を殺す日にはとても勿体ないくらいの空模様だ。深々と積もる雪野に足を沈めながら、か細い木々の枯れた森へと呑み込まれていった。
 ここが自死の名所とか、そういう噂はない。ただ広大なわりに人の気配がない、厳戒な自然に律せられた、謂わば隔地だったからというのが理由の一つだ。
 書き積んでいたパソコンの遺書は途中で投げ出してしまった。もはや必要もないんじゃないかとも。誰かに自分の秘めた感情や想いを伝えようとしたことが、この雪のように積んできたことの全てが無駄だった。そう結論づけて、私は手近で体重が掛かっても音一つ上げない丈夫な木を、俗にいう死に場所を求めて探した。
 適当で良い。探し始めて十分と経っていない一角に剛腕な枝の大樹を見つけて、そこにしようと即断した。
 バックから縄を取って頑丈そうな太い枝に巻き付けると、余った残りで輪っかを結わいて私の前に差し出す。バックから折りたたまれた踏み台も出して広げて置いて、質素で飾り気のない絞首台が完成した。
 あとはこの輪に首を入れて、踵でもつま先でも良い。乗った台を蹴り飛ばせばそれで私はこの世界から発てる。
 最後に星空を拝む。数えるのも億劫になるような夥しい数のそれらが色彩豊かな輝きを放って、人々を見下ろしている。ちっぽけな一人の死を眺めるように、暗闇を一筋の光が流れた。
 心の中で唱える。願わくば、来世では理不尽を打ち破れるだけの力がありますように、と。
 私は二度と戻れない旅に出る。暗く、孤立無援で、彩も声も人という存在もない旅に。そして絞首台の足場を落とした。
 重力が身体を吸い寄せ、抗うように縄が首を支点にして私を吊るす。酸素を断つ感覚は苦しくもだんだんと身体から力が抜ける、不思議な快楽で心地良い。
 嗚咽する口と引き攣る表情はまるでその意思を拒絶しているようだった。
 死ぬという感覚を初めて味わう。小説では簡単に人を殺せるし、死なせられるけれど本当の死はジワジワと身体を熟すように訪れるのかと、私は感慨に浸っていた。
 そして視界すらなくなりかけたところで目線ががらりと変わる。雪原でも無ければ、肌を刺す寒さもない。
 宙づりのはずの足が地面についていて、シャンデリアの飾られたホールに小高い舞台には壇が設けられた。周りにはタキシードやドレスで談笑する人々の影。自分の姿はわからないけれど、あの時着ていた華やかさとは隔たれたブレザーだったことを薄れる思考で思い出す。
 私はもうそんな年齢ではない、という不粋なことは口からは出ない。というより嗚咽でかき消されて言えない。けれどまだ残っている感覚が僅かに口の端を吊り上がったことは逃さず捉えていた。
 アレは授賞式。新人賞を取った時のだ。まだ学生だった——と言っても二年程前のことだけれど——エネルギーと希望に溢れていた頃の事だ。
 皆が祝福してくれて心が満たされたあの日。仕事のパートナーと共に笑って、未来について熱く語り合い、そして誓い合った。私を率いてくれると、連れて行ってくれると信頼していた人たちの顔が思い浮かび、殺意に沸いた。
 私の死が彼らに何かしらの変化を齎すのは明らかだろう。全てを破壊され立ち直れず後を追う者、それでも這い上がり記憶にすら留めない者。けれど裏を返せばまるでこいつらの為に死ぬようなもので、癪に障った。
 嗤う口が冷めて真一文字に戻る。白目をむき始めたとき、墜ちる様に私の意識が飛ぶのを覚えた。
 まるで縄が外れて地面の雪に刺さったような、そんな死の感覚だった。
「お礼も受け取らずにとんずらなんて、節操がないんじゃない?」
 声。聞き覚えのある偉そうな口調。繋ぎ留められた意識が戻ったとき、思いっきり咽て地面でのたうち回った。
 どうして私はまだ……訊こうとするも喉が塞がれてて叶わない。視界が黒から星明りを拾って明転し、立っていた影に目が行った。
「ディナーの誘いをしようとしたのだけれど、ロビーで見かけたからついてきちゃった」
 そう言い放つと、身体を持ち上げて生死を彷徨う私を断りもなく攫ったのだった。