ハムスターとモルモットに交互に目をやりながら、妹は鼻の頭にしわを寄せる。ぷくっとふくらんだ頬が頬袋に似ているので、ハムスターにすればいいんじゃないかとわたしは思った。
「どっちもかわいいもんねえ、悩んじゃうよねえ」
ペットショップの女性店員が妹にあまったるい声で話しかける。一面パステルピンクの壁に覆われた店内だと、声はよりあまくとろんとして聞こえた。
「どちらのほうが人気ですかねえ?」
店員の声のとろみがうつったような声で母がたずねる。店員は「んー」とちょっと首を傾げ、「どっちも人気ですよお」となんの参考にもならない返事を返していた。
「そうだ、一度手に乗せてみてはどうでしょう?」
ナイスアイディア、というように店員が手をぽんとたたきながら提案してきた。どうする? と母が妹のほうを見ると、妹はにちゃっとした笑顔で首を縦に振った。少なくとも妹にとってはナイスアイディアだったようだ。
小さく丸い手の上にまずはハムスターが乗せられた。逃げたりしないのだろうかと思ったけれど、ハムスターは妹の手の上でおとなしくじっとしていた。妹はうれしそうに笑った顔をハムスターに近づける。そのまま食べてしまいそうだった。
妹の様子ばかり見ていても退屈なので、店内のほかの場所に視線を移した。近くの棚には使い道のわからないカラフルなグッズがぎっしりと陳列されている。雑然と床に積まれた重たそうな袋はペットフードだろうか。なにかの肥料にも見える。壁に貼られたポスターには「わんダフルセール! 表示価格から最大50%OFF!」という文言とともに、こちらに視線を送る子犬の写真がずらっと並べられている。「生体価格」という見慣れない言葉が、なぜかしらぞわっとする感覚を催させた。
「はあい、次はモルモットさんですよお」という声が聞こえ、妹のほうに視線を戻す。妹の手の上にはモルモットが乗っていた。妹はハムスターに対してしていたのと同じようにだらしなく口を開けて笑っている。
「かわいいでしょお」
ねっとりした声で店員が言った。
「かわいいねえ」
母も妹に顔を寄せる。母はハムスターよりモルモットのほうを気に入ったようだった。
「かわいー」
二人のおとなに言わされるようにして、妹は返事を返した。
結局、買うのはモルモットに決まった。透明な箱の中から出されたモルモットは、そのまま持ち帰り用の小さな箱の中に移された。会計の際、側面に空いた穴からたまにモルモットが鼻を出すのを見て妹はけらけらと笑っていた。自分が持ちたいと言い張る妹を母がたしなめ、箱はわたしが持たされることになった。妹はうらめしそうな目でわたしを見ていた。小さな命が入った箱は、存在を忘れそうなほど軽かった。
家に帰ると、「おかえり」と父がわたしたちを出迎えた。そしてわたしが持っている箱に向かって、「いらっしゃい、モルモットくん」と声をかけた。
「どうしてモルモットだって知ってるの?」
「さっきママからメールで教えてもらったから」
母は予想以上にモルモットを気に入っているのかもしれない。
「ケージの組み立て、お願いしてもいい?」
母が父に言った。父は一瞬わずかに面倒くさそうな顔をしたが、すぐに「まかせろ」と笑顔をつくった。
すると、ショートパンツの裾を妹にぐいと引っぱられた。
「おねえちゃん、はやくハナちゃんをお外に出してあげて」
「ハナちゃん?」
妹はわたしの持っている箱に丸い指を向けた。どうやら妹のなかでいつのまにか名づけが完了していたようだ。
「ハナちゃん。いい名前ね」
「うん。いいね、ハナちゃん」
母と父が賛意を示した。ということは、たぶんその名前で決定だ。
ハナちゃん――。
モルモットの名前がどうなろうとわたしとしてはどうでもよいのだけど、妹はこのモルモットのどこを見てその名前を思いついたのだろう。帰りの道中、空気穴から頻繁に鼻をのぞかせていたから、それを見てだろうか。「鼻ちゃん」ということだろうか。
「おねえちゃん、ハナちゃんはやく出して」
妹がパンツの裾をぐいぐい引っぱる。
「いいけど、出したら逃げちゃわないかな」
「だいじょうぶ。かのの手にのせておくから」
妹はペットショップでのあれをまたやりたがっているようだった。「じゃあ、はい、奏乃」と妹の手の上で箱の蓋を開けてやると、モルモットがひょこっと顔を出した。家に近づくにつれ中からあまり音がしなくなっていたから、死んだんじゃないかと思っていたけれど、ちゃんと生きていたようだ。モルモットは箱から出ると、妹の手の上にちょこんと乗った。逃げだす様子はない。あとから取り付けたみたいなつるんとした黒い瞳は従順そうに妹を見上げていた。
「えへへ。ハナちゃん、かわいい」
妹がにやにやした顔でモルモットを見つめる。とっておきのおもちゃを手にしたような顔だった。
「ほんと、かわいいわねえ」
「うん、そうだね。かわいいね」
父と母も身をかがめてモルモットに顔を近づけていた。三人の頭によって、わたしの位置からモルモットの姿は見えなくなった。
ふと、空腹を感じた。そういえばもう昼時だ。わたしは「ねえ」と父に声をかけた。「お昼ごはん、もう用意してあるの?」
「え?」父はぽかんとした顔をする。
「『え?』って。休日はお父さんがごはん作ることにしたんじゃなかったの?」
最近料理にはまった父が先月そう宣言し、実際この一か月はそういうルーティーンで生活していた。
「あー……。そういえば、そうだったなあ」
この様子だと、今日は昼食の準備をしていないようだ。「わかった。もういい」とわたしはひとりキッチンに向かった。
冷蔵庫には食材しか入っていなかった。料理に凝る父は次々と新たな食材を買ってきては中途半端に余らせる。冷蔵庫を閉め、今度は戸棚を開けた。積み上げられたカップヌードルが目に入る。すべてチリトマト味なのは、最近母にトマトブームがきているからだ。カップヌードルならプレーンのやつが好きだけど、ほかに選択肢がないのでしかたなく一つを手に取った。
電気ケトルに水を入れようとすると、キッチンの台の上に飲みかけのトマトジュースの入ったグラスが無造作に置かれていた。近ごろ母が好んで飲んでいるものだ。今朝飲んでいる途中でなにか用事があって一度ここに置き、忘れてそのままになっていたのだろう。
電気ケトルにミネラルウォーターを注ぎ、電源スイッチを入れた。水が沸騰するのを待っている間にも、玄関のほうから楽しげな声が聞こえてくる。わたしはグラスを手に取って、半分ほど残っているジュースをシンクに捨てた。赤い液体は渦を巻きながら排水口へと吸いこまれていった。