第1話 行き止まりの先
ー/ー 商店街の端っこ、古いアーケードを抜けた先に、ぽつんと小さな木の看板が立っている。白いペンキで丁寧に書かれた文字は、誰が見ても同じ結論へ導く。
「ここから先は行き止まりです」
その看板の真下に、なぜか新装開店したばかりの喫茶店「ツムギ堂」があった。
「おかしいよね。行き止まりの先に店作るなんて」
悠乃がカップを磨きながら、理屈っぽい顔で言う。黒髪をきゅっと結び、作業の手元が一切乱れない。
「行き止まりだから、落ち着くんだよ」
紬は皿を拭きつつ笑った。誰かの選択を否定せず、まず良い面を拾い上げる癖がある。今日も、店を始めた自分の判断を、そうやって肯定していた。
午後三時。静かな時間になるはずが、入口の鈴が忙しく鳴った。
「入りますよー、って、あれ? お客さんゼロ?」
富士男だった。いつも一拍置いて周囲を観察してから動く男で、店に入る前にガラス越しに中を確認するのが習慣だ。
「ちょうどよかった」
紬が身を乗り出す。「富士男、ちょっと相談。今度の“町内寄席”で、うちも出店しないかって話が来てて」
「寄席……落語とか漫才とかやるやつ?」
悠乃が即座に補足する。「人の流れを作るには合理的。商店街の他のお店も参加するなら、相乗効果が期待できる」
紬はなぜか照れくさそうに頭をかく。
「でも、うちの売りは“静けさ”じゃん? 賑やかな日に出店するのって、変かなって」
富士男は顎に指を当て、しばらく黙った。熟考のスイッチが入った合図だ。
「静けさが売りでも、顔を覚えてもらう場は必要だと思う。出店したって、また普段は静かな店に戻る。両立はできるよ」
その言い方に、紬はぱっと顔を明るくした。
「ありがとう! さすが富士男、ちゃんと人の気持ち考えてくれるなあ」
悠乃も微笑む。「私たちがやるなら、準備の負担を数字で整理して、できる範囲に収めましょう」
そこへ、裏口から小さな声がした。
「……あの、これ、持ってきました」
羽希が紙袋を抱えて立っていた。近所の和菓子屋の娘で、言葉は少ないが、頼まれたことは黙って完璧にやり遂げる。
「あ、羽希。寄席用のどら焼きだっけ?」
紬が言いかけて、慌てて口をつぐむ。羽希は顔を真っ赤にして首を振った。
「ちが、えっと……出店……よかったら、うちのも一緒に……って」
羽希は言い終えると、まるで影のように一歩下がった。
悠乃が優しく受け取る。「助かる。羽希さんのお菓子なら、お客さんも喜ぶはず」
羽希は小さく頷き、誰にも聞こえないくらいの声で「はい」とだけ言った。
こうして、四人は“町内寄席”に向けて、喫茶と和菓子の屋台を共同で出すことになった。
*
寄席当日まで一週間。ツムギ堂はいつもより慌ただしい。
紬は新しいメニュー札を書き、悠乃は材料の発注リストを作り、富士男は導線と備品の配置を考え、羽希は黙々と和菓子を試作する。
その合間に、紬は屋台用の簡易エスプレッソ機を練習していた。
「よし、今日こそ“いい泡”を――」
勢いよくレバーを引いた瞬間、ぷしゅっと音がして泡が天井に一直線。
「紬さん、泡の飛距離が更新されましたね」
悠乃は淡々と雑巾を差し出す。
「ご、ごめん! 天井のほうが飲みたかったかな……」
紬が焦ると、富士男が静かに笑った。
「落ち着け。泡は上に逃げるのが自然だし、紬の気持ちも上向きってことだ」
羽希がくすっと笑って顔を袖で隠す。笑い声が短くて、でも確かな音だった。
「すごいな、みんな。こんなに協力してくれるなんて」
紬が感慨深げに言うと、悠乃は淡々と返した。
「協力と効率は両立するから」
「俺としては、紬が頑張って店を開いたから、応援したいだけだよ」
富士男は視線を外しつつ、少し照れた様子。
羽希はのれんの陰から、そっと小さく拍手した。
そんな空気の中で、紬だけが、時折わずかに浮かない顔を見せた。
夜、閉店後のカウンターで、悠乃が気づく。
「紬さん、何か気にしてます?」
「え? ああ、いや……」
紬は笑って誤魔化そうとしたが、悠乃の冷静な視線に抗えず、ぽつりと漏らした。
「寄席の日、商店街の奥の旧倉庫、使わせてもらえるって話だったじゃん? でも今日、管理の人から“急に使えない”って言われてさ」
「場所が変わると、準備も導線も全部やり直しですね」
「うん。みんなに迷惑かけたくないし……」
悠乃は一度、ノートを開いて計算し直した。そして顔を上げる。
「まだ間に合います。状況を整理して、最適解を探しましょう。紬さんだけが背負う話じゃない」
「でもさ、俺が始めたことだし」
紬は肩をすぼめた。祝福する力は強いのに、自分の価値だけは過小評価しがちだ。
悠乃はカウンターを指先で軽く叩く。
「あなたが始めたから、みんなが乗った。そこはきちんと自分で認めるべきです」
そのまっすぐな言葉に、紬は目を瞬かせた。
「……そっか。俺、みんなの好意に甘えちゃだめだって思ってた。でも、好意を受け取るのも大事だよな」
悠乃は笑う。「受け取らないと、私たちの喜びも成立しない」
そこへ富士男と羽希が戻ってきた。二人とも、どこか探検帰りの顔をしている。
「紬、旧倉庫の件、聞いた」
富士男が静かに切り出す。「代わりの場所、見つけたかもしれない」
「代わり?」
「商店街の終点の先、ほら、あの“行き止まり”の奥。閉まってた小道が、今なら通れる」
羽希が控えめに補足する。
「……工事が終わったみたいで。小さな広場が、できてました」
紬は目を丸くした。「行き止まりの奥に広場?」
四人は懐中電灯を持って外へ出た。
看板の横の柵が外され、細い道が続いている。進むと、確かに新しい石畳の広場が姿を現した。街灯はまだ仮設だが、屋台を並べるには十分。
紬は思わず笑った。
「行き止まりの先に、ちゃんと“先”があったんだな」
悠乃が頷く。「状況が変わっただけで、道は元からあった。私たちが見えてなかっただけ」
富士男が周囲を見回す。「ここなら静かで、寄席の後にゆっくりお茶できる。紬の店にも合うと思う」
羽希は広場の端にあるベンチを撫で、そっと呟いた。
「……ここ、好きです」
紬は胸の奥が温かくなるのを感じた。
誰かが道を見つけてくれて、誰かが理屈で支えてくれて、誰かが黙って寄り添ってくれる。
自分一人で店を続けていると思っていたけれど、実際は違う。
「よし、ここでやろう。みんな、ありがとう!」
四人の笑い声が、夜の新しい広場に弾んだ。
看板の足元には、いつの間にか近所の黒猫が座っていた。首には小さな鈴が揺れている。紬がしゃがむと、猫は「にゃ」と短く鳴いて、尻尾で看板をぽんと叩く。
「お前もここの常連になる?」
紬が聞くと、猫は当然のように店のほうへ歩き出した。
「……店番、確保です」
悠乃の真顔の冗談に、三人はまた笑った。
その背後で、看板の文字が月明かりに白く浮かんでいた。
「ここから先は行き止まりです」と、相変わらず真面目な顔で。
「ここから先は行き止まりです」
その看板の真下に、なぜか新装開店したばかりの喫茶店「ツムギ堂」があった。
「おかしいよね。行き止まりの先に店作るなんて」
悠乃がカップを磨きながら、理屈っぽい顔で言う。黒髪をきゅっと結び、作業の手元が一切乱れない。
「行き止まりだから、落ち着くんだよ」
紬は皿を拭きつつ笑った。誰かの選択を否定せず、まず良い面を拾い上げる癖がある。今日も、店を始めた自分の判断を、そうやって肯定していた。
午後三時。静かな時間になるはずが、入口の鈴が忙しく鳴った。
「入りますよー、って、あれ? お客さんゼロ?」
富士男だった。いつも一拍置いて周囲を観察してから動く男で、店に入る前にガラス越しに中を確認するのが習慣だ。
「ちょうどよかった」
紬が身を乗り出す。「富士男、ちょっと相談。今度の“町内寄席”で、うちも出店しないかって話が来てて」
「寄席……落語とか漫才とかやるやつ?」
悠乃が即座に補足する。「人の流れを作るには合理的。商店街の他のお店も参加するなら、相乗効果が期待できる」
紬はなぜか照れくさそうに頭をかく。
「でも、うちの売りは“静けさ”じゃん? 賑やかな日に出店するのって、変かなって」
富士男は顎に指を当て、しばらく黙った。熟考のスイッチが入った合図だ。
「静けさが売りでも、顔を覚えてもらう場は必要だと思う。出店したって、また普段は静かな店に戻る。両立はできるよ」
その言い方に、紬はぱっと顔を明るくした。
「ありがとう! さすが富士男、ちゃんと人の気持ち考えてくれるなあ」
悠乃も微笑む。「私たちがやるなら、準備の負担を数字で整理して、できる範囲に収めましょう」
そこへ、裏口から小さな声がした。
「……あの、これ、持ってきました」
羽希が紙袋を抱えて立っていた。近所の和菓子屋の娘で、言葉は少ないが、頼まれたことは黙って完璧にやり遂げる。
「あ、羽希。寄席用のどら焼きだっけ?」
紬が言いかけて、慌てて口をつぐむ。羽希は顔を真っ赤にして首を振った。
「ちが、えっと……出店……よかったら、うちのも一緒に……って」
羽希は言い終えると、まるで影のように一歩下がった。
悠乃が優しく受け取る。「助かる。羽希さんのお菓子なら、お客さんも喜ぶはず」
羽希は小さく頷き、誰にも聞こえないくらいの声で「はい」とだけ言った。
こうして、四人は“町内寄席”に向けて、喫茶と和菓子の屋台を共同で出すことになった。
*
寄席当日まで一週間。ツムギ堂はいつもより慌ただしい。
紬は新しいメニュー札を書き、悠乃は材料の発注リストを作り、富士男は導線と備品の配置を考え、羽希は黙々と和菓子を試作する。
その合間に、紬は屋台用の簡易エスプレッソ機を練習していた。
「よし、今日こそ“いい泡”を――」
勢いよくレバーを引いた瞬間、ぷしゅっと音がして泡が天井に一直線。
「紬さん、泡の飛距離が更新されましたね」
悠乃は淡々と雑巾を差し出す。
「ご、ごめん! 天井のほうが飲みたかったかな……」
紬が焦ると、富士男が静かに笑った。
「落ち着け。泡は上に逃げるのが自然だし、紬の気持ちも上向きってことだ」
羽希がくすっと笑って顔を袖で隠す。笑い声が短くて、でも確かな音だった。
「すごいな、みんな。こんなに協力してくれるなんて」
紬が感慨深げに言うと、悠乃は淡々と返した。
「協力と効率は両立するから」
「俺としては、紬が頑張って店を開いたから、応援したいだけだよ」
富士男は視線を外しつつ、少し照れた様子。
羽希はのれんの陰から、そっと小さく拍手した。
そんな空気の中で、紬だけが、時折わずかに浮かない顔を見せた。
夜、閉店後のカウンターで、悠乃が気づく。
「紬さん、何か気にしてます?」
「え? ああ、いや……」
紬は笑って誤魔化そうとしたが、悠乃の冷静な視線に抗えず、ぽつりと漏らした。
「寄席の日、商店街の奥の旧倉庫、使わせてもらえるって話だったじゃん? でも今日、管理の人から“急に使えない”って言われてさ」
「場所が変わると、準備も導線も全部やり直しですね」
「うん。みんなに迷惑かけたくないし……」
悠乃は一度、ノートを開いて計算し直した。そして顔を上げる。
「まだ間に合います。状況を整理して、最適解を探しましょう。紬さんだけが背負う話じゃない」
「でもさ、俺が始めたことだし」
紬は肩をすぼめた。祝福する力は強いのに、自分の価値だけは過小評価しがちだ。
悠乃はカウンターを指先で軽く叩く。
「あなたが始めたから、みんなが乗った。そこはきちんと自分で認めるべきです」
そのまっすぐな言葉に、紬は目を瞬かせた。
「……そっか。俺、みんなの好意に甘えちゃだめだって思ってた。でも、好意を受け取るのも大事だよな」
悠乃は笑う。「受け取らないと、私たちの喜びも成立しない」
そこへ富士男と羽希が戻ってきた。二人とも、どこか探検帰りの顔をしている。
「紬、旧倉庫の件、聞いた」
富士男が静かに切り出す。「代わりの場所、見つけたかもしれない」
「代わり?」
「商店街の終点の先、ほら、あの“行き止まり”の奥。閉まってた小道が、今なら通れる」
羽希が控えめに補足する。
「……工事が終わったみたいで。小さな広場が、できてました」
紬は目を丸くした。「行き止まりの奥に広場?」
四人は懐中電灯を持って外へ出た。
看板の横の柵が外され、細い道が続いている。進むと、確かに新しい石畳の広場が姿を現した。街灯はまだ仮設だが、屋台を並べるには十分。
紬は思わず笑った。
「行き止まりの先に、ちゃんと“先”があったんだな」
悠乃が頷く。「状況が変わっただけで、道は元からあった。私たちが見えてなかっただけ」
富士男が周囲を見回す。「ここなら静かで、寄席の後にゆっくりお茶できる。紬の店にも合うと思う」
羽希は広場の端にあるベンチを撫で、そっと呟いた。
「……ここ、好きです」
紬は胸の奥が温かくなるのを感じた。
誰かが道を見つけてくれて、誰かが理屈で支えてくれて、誰かが黙って寄り添ってくれる。
自分一人で店を続けていると思っていたけれど、実際は違う。
「よし、ここでやろう。みんな、ありがとう!」
四人の笑い声が、夜の新しい広場に弾んだ。
看板の足元には、いつの間にか近所の黒猫が座っていた。首には小さな鈴が揺れている。紬がしゃがむと、猫は「にゃ」と短く鳴いて、尻尾で看板をぽんと叩く。
「お前もここの常連になる?」
紬が聞くと、猫は当然のように店のほうへ歩き出した。
「……店番、確保です」
悠乃の真顔の冗談に、三人はまた笑った。
その背後で、看板の文字が月明かりに白く浮かんでいた。
「ここから先は行き止まりです」と、相変わらず真面目な顔で。
みんなのリアクション
まだリアクションはありません。最初の一歩を踏み出しましょう!
商店街の端っこ、古いアーケードを抜けた先に、ぽつんと小さな木の看板が立っている。白いペンキで丁寧に書かれた文字は、誰が見ても同じ結論へ導く。
「ここから先は行き止まりです」
その看板の真下に、なぜか新装開店したばかりの喫茶店「ツムギ堂」があった。
「おかしいよね。行き止まりの先に店作るなんて」
悠乃がカップを磨きながら、理屈っぽい顔で言う。黒髪をきゅっと結び、作業の手元が一切乱れない。
悠乃がカップを磨きながら、理屈っぽい顔で言う。黒髪をきゅっと結び、作業の手元が一切乱れない。
「行き止まりだから、落ち着くんだよ」
紬は皿を拭きつつ笑った。誰かの選択を否定せず、まず良い面を拾い上げる癖がある。今日も、店を始めた自分の判断を、そうやって肯定していた。
紬は皿を拭きつつ笑った。誰かの選択を否定せず、まず良い面を拾い上げる癖がある。今日も、店を始めた自分の判断を、そうやって肯定していた。
午後三時。静かな時間になるはずが、入口の鈴が忙しく鳴った。
「入りますよー、って、あれ? お客さんゼロ?」
富士男だった。いつも一拍置いて周囲を観察してから動く男で、店に入る前にガラス越しに中を確認するのが習慣だ。
富士男だった。いつも一拍置いて周囲を観察してから動く男で、店に入る前にガラス越しに中を確認するのが習慣だ。
「ちょうどよかった」
紬が身を乗り出す。「富士男、ちょっと相談。今度の“町内寄席”で、うちも出店しないかって話が来てて」
紬が身を乗り出す。「富士男、ちょっと相談。今度の“町内寄席”で、うちも出店しないかって話が来てて」
「寄席……落語とか漫才とかやるやつ?」
悠乃が即座に補足する。「人の流れを作るには合理的。商店街の他のお店も参加するなら、相乗効果が期待できる」
悠乃が即座に補足する。「人の流れを作るには合理的。商店街の他のお店も参加するなら、相乗効果が期待できる」
紬はなぜか照れくさそうに頭をかく。
「でも、うちの売りは“静けさ”じゃん? 賑やかな日に出店するのって、変かなって」
「でも、うちの売りは“静けさ”じゃん? 賑やかな日に出店するのって、変かなって」
富士男は顎に指を当て、しばらく黙った。熟考のスイッチが入った合図だ。
「静けさが売りでも、顔を覚えてもらう場は必要だと思う。出店したって、また普段は静かな店に戻る。両立はできるよ」
「静けさが売りでも、顔を覚えてもらう場は必要だと思う。出店したって、また普段は静かな店に戻る。両立はできるよ」
その言い方に、紬はぱっと顔を明るくした。
「ありがとう! さすが富士男、ちゃんと人の気持ち考えてくれるなあ」
「ありがとう! さすが富士男、ちゃんと人の気持ち考えてくれるなあ」
悠乃も微笑む。「私たちがやるなら、準備の負担を数字で整理して、できる範囲に収めましょう」
そこへ、裏口から小さな声がした。
「……あの、これ、持ってきました」
羽希が紙袋を抱えて立っていた。近所の和菓子屋の娘で、言葉は少ないが、頼まれたことは黙って完璧にやり遂げる。
羽希が紙袋を抱えて立っていた。近所の和菓子屋の娘で、言葉は少ないが、頼まれたことは黙って完璧にやり遂げる。
「あ、羽希。寄席用のどら焼きだっけ?」
紬が言いかけて、慌てて口をつぐむ。羽希は顔を真っ赤にして首を振った。
紬が言いかけて、慌てて口をつぐむ。羽希は顔を真っ赤にして首を振った。
「ちが、えっと……出店……よかったら、うちのも一緒に……って」
羽希は言い終えると、まるで影のように一歩下がった。
羽希は言い終えると、まるで影のように一歩下がった。
悠乃が優しく受け取る。「助かる。羽希さんのお菓子なら、お客さんも喜ぶはず」
羽希は小さく頷き、誰にも聞こえないくらいの声で「はい」とだけ言った。
こうして、四人は“町内寄席”に向けて、喫茶と和菓子の屋台を共同で出すことになった。
*
寄席当日まで一週間。ツムギ堂はいつもより慌ただしい。
紬は新しいメニュー札を書き、悠乃は材料の発注リストを作り、富士男は導線と備品の配置を考え、羽希は黙々と和菓子を試作する。
紬は新しいメニュー札を書き、悠乃は材料の発注リストを作り、富士男は導線と備品の配置を考え、羽希は黙々と和菓子を試作する。
その合間に、紬は屋台用の簡易エスプレッソ機を練習していた。
「よし、今日こそ“いい泡”を――」
勢いよくレバーを引いた瞬間、ぷしゅっと音がして泡が天井に一直線。
「よし、今日こそ“いい泡”を――」
勢いよくレバーを引いた瞬間、ぷしゅっと音がして泡が天井に一直線。
「紬さん、泡の飛距離が更新されましたね」
悠乃は淡々と雑巾を差し出す。
悠乃は淡々と雑巾を差し出す。
「ご、ごめん! 天井のほうが飲みたかったかな……」
紬が焦ると、富士男が静かに笑った。
「落ち着け。泡は上に逃げるのが自然だし、紬の気持ちも上向きってことだ」
紬が焦ると、富士男が静かに笑った。
「落ち着け。泡は上に逃げるのが自然だし、紬の気持ちも上向きってことだ」
羽希がくすっと笑って顔を袖で隠す。笑い声が短くて、でも確かな音だった。
「すごいな、みんな。こんなに協力してくれるなんて」
紬が感慨深げに言うと、悠乃は淡々と返した。
紬が感慨深げに言うと、悠乃は淡々と返した。
「協力と効率は両立するから」
「俺としては、紬が頑張って店を開いたから、応援したいだけだよ」
富士男は視線を外しつつ、少し照れた様子。
富士男は視線を外しつつ、少し照れた様子。
羽希はのれんの陰から、そっと小さく拍手した。
そんな空気の中で、紬だけが、時折わずかに浮かない顔を見せた。
夜、閉店後のカウンターで、悠乃が気づく。
夜、閉店後のカウンターで、悠乃が気づく。
「紬さん、何か気にしてます?」
「え? ああ、いや……」
紬は笑って誤魔化そうとしたが、悠乃の冷静な視線に抗えず、ぽつりと漏らした。
「え? ああ、いや……」
紬は笑って誤魔化そうとしたが、悠乃の冷静な視線に抗えず、ぽつりと漏らした。
「寄席の日、商店街の奥の旧倉庫、使わせてもらえるって話だったじゃん? でも今日、管理の人から“急に使えない”って言われてさ」
「場所が変わると、準備も導線も全部やり直しですね」
「うん。みんなに迷惑かけたくないし……」
「うん。みんなに迷惑かけたくないし……」
悠乃は一度、ノートを開いて計算し直した。そして顔を上げる。
「まだ間に合います。状況を整理して、最適解を探しましょう。紬さんだけが背負う話じゃない」
「まだ間に合います。状況を整理して、最適解を探しましょう。紬さんだけが背負う話じゃない」
「でもさ、俺が始めたことだし」
紬は肩をすぼめた。祝福する力は強いのに、自分の価値だけは過小評価しがちだ。
紬は肩をすぼめた。祝福する力は強いのに、自分の価値だけは過小評価しがちだ。
悠乃はカウンターを指先で軽く叩く。
「あなたが始めたから、みんなが乗った。そこはきちんと自分で認めるべきです」
「あなたが始めたから、みんなが乗った。そこはきちんと自分で認めるべきです」
そのまっすぐな言葉に、紬は目を瞬かせた。
「……そっか。俺、みんなの好意に甘えちゃだめだって思ってた。でも、好意を受け取るのも大事だよな」
「……そっか。俺、みんなの好意に甘えちゃだめだって思ってた。でも、好意を受け取るのも大事だよな」
悠乃は笑う。「受け取らないと、私たちの喜びも成立しない」
そこへ富士男と羽希が戻ってきた。二人とも、どこか探検帰りの顔をしている。
「紬、旧倉庫の件、聞いた」
富士男が静かに切り出す。「代わりの場所、見つけたかもしれない」
富士男が静かに切り出す。「代わりの場所、見つけたかもしれない」
「代わり?」
「商店街の終点の先、ほら、あの“行き止まり”の奥。閉まってた小道が、今なら通れる」
「商店街の終点の先、ほら、あの“行き止まり”の奥。閉まってた小道が、今なら通れる」
羽希が控えめに補足する。
「……工事が終わったみたいで。小さな広場が、できてました」
「……工事が終わったみたいで。小さな広場が、できてました」
紬は目を丸くした。「行き止まりの奥に広場?」
四人は懐中電灯を持って外へ出た。
看板の横の柵が外され、細い道が続いている。進むと、確かに新しい石畳の広場が姿を現した。街灯はまだ仮設だが、屋台を並べるには十分。
看板の横の柵が外され、細い道が続いている。進むと、確かに新しい石畳の広場が姿を現した。街灯はまだ仮設だが、屋台を並べるには十分。
紬は思わず笑った。
「行き止まりの先に、ちゃんと“先”があったんだな」
「行き止まりの先に、ちゃんと“先”があったんだな」
悠乃が頷く。「状況が変わっただけで、道は元からあった。私たちが見えてなかっただけ」
富士男が周囲を見回す。「ここなら静かで、寄席の後にゆっくりお茶できる。紬の店にも合うと思う」
羽希は広場の端にあるベンチを撫で、そっと呟いた。
「……ここ、好きです」
「……ここ、好きです」
紬は胸の奥が温かくなるのを感じた。
誰かが道を見つけてくれて、誰かが理屈で支えてくれて、誰かが黙って寄り添ってくれる。
自分一人で店を続けていると思っていたけれど、実際は違う。
誰かが道を見つけてくれて、誰かが理屈で支えてくれて、誰かが黙って寄り添ってくれる。
自分一人で店を続けていると思っていたけれど、実際は違う。
「よし、ここでやろう。みんな、ありがとう!」
四人の笑い声が、夜の新しい広場に弾んだ。
看板の足元には、いつの間にか近所の黒猫が座っていた。首には小さな鈴が揺れている。紬がしゃがむと、猫は「にゃ」と短く鳴いて、尻尾で看板をぽんと叩く。
「お前もここの常連になる?」
紬が聞くと、猫は当然のように店のほうへ歩き出した。
紬が聞くと、猫は当然のように店のほうへ歩き出した。
「……店番、確保です」
悠乃の真顔の冗談に、三人はまた笑った。
その背後で、看板の文字が月明かりに白く浮かんでいた。
「ここから先は行き止まりです」と、相変わらず真面目な顔で。
悠乃の真顔の冗談に、三人はまた笑った。
その背後で、看板の文字が月明かりに白く浮かんでいた。
「ここから先は行き止まりです」と、相変わらず真面目な顔で。