とある町の外れに、いつ建てられたのかすら誰も知らない、古びた木造二階建てのアパートがある。
「ああ、たまき荘なら私が生まれる前からずっと建ってるよ」
町民は老若男女を問わず、口を揃えて同じことを言っている。
この町で生まれた中町惟人も、たまき荘は生まれた時からあるアパートだと認識して育った。
惟人の小学校でも、たまき荘はちょっとした怪談の定番になっている。
「なあ、たまき荘って幽霊出るんだぜ!」
「マジ? お前適当なこと言うなよ」
「ほんとだよ! この前見たってやついたんだよ!」
「俺なんか宅配便の人が入って行くの見たぞ」
「うそつけ!」
夏休みにもなると、肝試しと称して何人もの生徒達が建物に侵入していた。
彼らは決まって、新聞受けは空、電気やガスのメーターもまったく動いていないのに、103号室からは畳の軋む音や咳払いが聞こえたと本気で震えながら帰ってきたという。
「ただいま」
「お帰り惟人。どうしたの、顔が真っ青よ」
出迎えた母親の明菜は、魂が抜かれたような表情で玄関に立っている息子を見て驚いた。
「今日、みんなでたまき荘に行ったんだ。そしたら薄暗い部屋の中で人みたいな影が動いてて……」
「あら、怖かったのね」
明菜は惟人をそっと抱きしめ、優しく頭を撫でる。
「ごめんなさい」
「もう大丈夫。でも危ないから、あのアパートに近づいちゃダメよ」
「うん」
「さ、お父さんにもただいまを言ってらっしゃい」
顔色が戻った惟人は家に上がり、居間に置かれた小さな仏壇の前に行く。
「パパ、ただいま。今日はね、たまき荘で怖い目にあったんだ――」
お鈴の音が静かに広がる中、惟人は父・大介の遺影に手を合わせる。
大介は惟人が三歳の時に事故で亡くなった。
家の前で転んで頭を打ったことが原因だと、惟人は聞かされていた。
父が亡くなった日、明菜は泣きながら惟人を抱きしめたが、幼い惟人はどうして母が泣いているのかも分からなかった。
遺影の父は、いつも穏やかな笑みを浮かべている。
――いつか会って話をしてみたいな。
それが、惟人少年の密かな願いだった。