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第1回

ー/ー



 10年後。

 放課後、学校裏の土手原に身を投げ出して、全身をなぶる夕方の風の心地よさにウトウトし始めた数分後。

「ハッピーバースデー!」

 突然バーンと大きな破裂音がして、俺は紙テープを顔中にまき散らされた。
 足元の方にある川を渡ってくるそよ風にのって、火薬のにおいが鼻をつく。

 目を開けなくとも分かる。こんなふざけたまねをするやつ、知り合いには1人しかいない。

「……かずひこおーっ!」
「ハッピーバースデー! (とおる)!」

 にちゃりん。ただでさえ細い眼鏡の向こうの狐目を、さらに線にして笑っている。やつ。全然俺の邪魔をしたという意識がないらしい和彦に、俺は沈黙でそれとなく悟れるだけの間をやったのだが、一向に気付く気配はない。
 それどころか、

「うん? あれっ? 気にいらなかった?
 そっかー、やっぱりこんな小さいヤツじゃ、だめだよな」

 などと言って、手の中のクラッカーを見てやがる。
 違うだろ、コラ。

「はいはい。そんな目で見なくったって分かってます。ソツのない、この和彦兄ちゃんは、ちゃーんと用意しときました。
 ホラ、特大サイズ」

 にょき、といった感じで脇に抱えていたスクールバッグの中から新しいクラッカーを出して見せる……つもりだったんだろう。察するに。

「あれっ? ……えーっ?」

 その『特大サイズクラッカー』は、たしかに特大だった。一体どこをどう探せば見つけられるのか、見せられた俺としてはそっちのほうが気になってしまうほど、先の3倍はあろうかという代物だった。これだけ大きければ中の詰物も音も、さぞや派手に違いない。

 ただし、つぶれていなければ、の話だ。

「……せっかく我が愛しの弟・融くんの17歳の誕生日を祝おうと、お兄ちゃんフンパツしたのにいいーーーっ。
 あっ、ちょっと、どこ行く――」
「帰るんだよ」

 未練たらたらに手の中のポシャったクラッカーを見ている、その脇を抜けて、さっさと土手を上がる。

 まったく、人がせっかくいい気分で寝てたってのに、あのおばかな単細胞は。
 何が兄だ、だれが弟だ。
 アホらしい。

「待てよ、融っ」

 背後、駆け寄ってくる気配。このまま無視してやるのもよかったが、それもあまりにガキっぽい、と思い直して、とりあえず立ち止まって待ってやる。
 和彦は俺の右につくと息を整える自分を見ている俺に気付いて、またもやにちゃっと笑った。

 これはもう、にへらというのかも知れない。全くしまりのない、実に幸せ以外の何物でもなさそうに笑って、鼻先にずり落ちていた眼鏡を正しい位置へ戻し、あらたまって言ってくる。

「誕生日おめでとう、融」
「……そりゃどーも」

 しつこいったらない。
 根負けして、生返事を返す間も歩き続ける。

「それだけ?」

 不満たらたらの声。
 だけどほかに何を言えって?

 おまえがその脳天気な顔して現れるまで、俺はいい気分でいたんだ。
 期末前で何かと小うるさい授業は終わったし、風は気持ちいいし。まどろんでた、それを邪魔されて気を損ねさせられた上に、ご機嫌取りなんかしてやれるか。

「それだけ」

 ぞんざいに返したら、今度は立ち止まってしまった。
 不満を態度で示してるつもりだろうか? とことんガキくさいやつ。

 つきあってやる義理はなし。
 とりあえず愛想程度に声かけて、それでも歩き出さないならそのままほっぼって帰ろうと振り返った俺の前で、和彦は二股に別れたもう1つの道のほうを指差した。

「『天龍』で食って帰ろ」
「はあ?」

 その唐突な切り出しに一瞬面食らったものの、すぐにピンと思い当たる。

「おまえ、今夜の炊事当番サボるつもりだな!」
「いいじゃんいいじゃん。せっかく1年に1度の誕生日なんだしさ。優しい和彦お兄さまが、おごってやるから」

 えっへん、なんて、胸張って威張ってんじゃない!
 大体、誕生祝いがラーメン屋だとっ? 単に自分が楽したいだけだろうが! 違うというなら真面目に家で炊事しろ!
 などなど。
 クラッカーのことも含めて不平不満の言葉は山ほどあったが、こいつの作った食事と『天龍』のラーメンではわざわざ天秤にかけて比べるまでもなく『天龍』のほうがマシなものだから(それにやつはおごりだと言ったし)、とりあえず俺は、その他モロモロひっくるめてそれを喉の奥へ飲みくだすと、沈黙を合意であると勝手に解釈してさっさと先を行く和彦の後ろについて歩き出し――約15分を経て、俺たちは『天龍』にある一番奥のテーブルで向かい合って座っていたのだった。

 おごると言ったくせに、席についた途端「千円以下の物だぞ」などと制約をつけてきた和彦のバカは、早速運ばれてきた自分のラーメンを上からまっすぐ覗きこんで湯気に眼鏡を曇らせてしまっている。まったくドジなやつだ。
 そっぽ向いて壁の釣り棚に設置されたテレビを見ているフリしていたが、しっかり見たぞ。割箸相手に奮闘する間抜けな姿。

 この、何かと『兄』を連発する、そのくせドジでアホでついでにおマヌケなお調子野郎・和彦と俺の関係は、正確には従兄弟である。

 早くに夫に先立たれ、女手ひとつで厳しい生活を送りながら、母に捨てられた俺まで引き取って育ててくれた春子おばさんの一人息子というわけだ。(俺の養育費だと置いていった母の通帳は、とうの昔に焼き捨てられた。間違いなく、自分の息子を捨てた妹への怒りのためだろう)

 早く生まれたといったって、たった3ヵ月と5日しか違わないくせに、小さいころから何かと俺の世話を焼こうとする。その論理があれだ。『兄だから』。

 まったく、アホとしか言いようがない。俺のほうがずっとしっかりしていると、周囲の者は皆知ってるのに、肝心の本人だけが気付かない。

 大体、初めて引き会わされたときから体格は俺のほうが良かったし、身長も中学で引き離した。学校の成績だって俺のほうがいい。
 一体この現実のどこを見て、俺の面倒を見なくちゃいけないなどといった使命感に燃えるんだ?
 さっぱり分からない。独りにして心配なのも、和彦のほうだ。

 他県に住む祖母が入院してしまい、祖父の面倒を見るため春子おばさんが向こうへ行って、今日でちょうど1週間。とりたててうまくもない、量と早さだけが魅力のこの『天龍』の方がマシだと思えるほど、和彦の作るメシはまずいことが判明した。

 ……炊飯機で水の量を問違えておかゆにしたり、油も引かずに卵流しこんでフライパン焦げつかせてしまうようなバカは、今どきいるほうがめずらしいというものだ。このムカシオオトカゲめ。
 そうだ、お前は化石だ、プレートに潜りこんで1万年後に発見されろ、大馬鹿者。

「ええい、貸してみろっ」

 いまだに割れない割箸を取り上げて、割ってやる。

「おまえ、力あるねー」

 サンキューと礼を口にして受け取りながら、和彦は感心したような声を出した。

「おまえがないんだ!
 第一、こういうのは要領だ。たまには工夫ってものを――」

 と、そこでロを止める。
 それ以上言うのをやめたのは、このバカが人の話をまるで聞いてなかったからだ。

 顔はこっちを向いていたが、その視線は俺の肩越えた向こうをぼーっと見てやがる。
 一体何見てるのかと視線を追ったら、なんてことない、テレビ画面だった。
 夕方6時のニュースで、ナントカってコンツェルンの会長の娘が慰問の帰りに白昼堂々誘拐されたらしい。
 満席の客入りに店内が騒がしくて、音声はここまで断片的にしか聞こえてこない。
 その場面をとらえたとかいうカメラ映像と、あとは文字だ。そして和彦が見とれていたのは、切り替わってあらためて画面の中心に据えられた、誘拐されたという娘の写真だった。


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 10年後。
 放課後、学校裏の土手原に身を投げ出して、全身をなぶる夕方の風の心地よさにウトウトし始めた数分後。
「ハッピーバースデー!」
 突然バーンと大きな破裂音がして、俺は紙テープを顔中にまき散らされた。
 足元の方にある川を渡ってくるそよ風にのって、火薬のにおいが鼻をつく。
 目を開けなくとも分かる。こんなふざけたまねをするやつ、知り合いには1人しかいない。
「……かずひこおーっ!」
「ハッピーバースデー! |融《とおる》!」
 にちゃりん。ただでさえ細い眼鏡の向こうの狐目を、さらに線にして笑っている。やつ。全然俺の邪魔をしたという意識がないらしい和彦に、俺は沈黙でそれとなく悟れるだけの間をやったのだが、一向に気付く気配はない。
 それどころか、
「うん? あれっ? 気にいらなかった?
 そっかー、やっぱりこんな小さいヤツじゃ、だめだよな」
 などと言って、手の中のクラッカーを見てやがる。
 違うだろ、コラ。
「はいはい。そんな目で見なくったって分かってます。ソツのない、この和彦兄ちゃんは、ちゃーんと用意しときました。
 ホラ、特大サイズ」
 にょき、といった感じで脇に抱えていたスクールバッグの中から新しいクラッカーを出して見せる……つもりだったんだろう。察するに。
「あれっ? ……えーっ?」
 その『特大サイズクラッカー』は、たしかに特大だった。一体どこをどう探せば見つけられるのか、見せられた俺としてはそっちのほうが気になってしまうほど、先の3倍はあろうかという代物だった。これだけ大きければ中の詰物も音も、さぞや派手に違いない。
 ただし、つぶれていなければ、の話だ。
「……せっかく我が愛しの弟・融くんの17歳の誕生日を祝おうと、お兄ちゃんフンパツしたのにいいーーーっ。
 あっ、ちょっと、どこ行く――」
「帰るんだよ」
 未練たらたらに手の中のポシャったクラッカーを見ている、その脇を抜けて、さっさと土手を上がる。
 まったく、人がせっかくいい気分で寝てたってのに、あのおばかな単細胞は。
 何が兄だ、だれが弟だ。
 アホらしい。
「待てよ、融っ」
 背後、駆け寄ってくる気配。このまま無視してやるのもよかったが、それもあまりにガキっぽい、と思い直して、とりあえず立ち止まって待ってやる。
 和彦は俺の右につくと息を整える自分を見ている俺に気付いて、またもやにちゃっと笑った。
 これはもう、にへらというのかも知れない。全くしまりのない、実に幸せ以外の何物でもなさそうに笑って、鼻先にずり落ちていた眼鏡を正しい位置へ戻し、あらたまって言ってくる。
「誕生日おめでとう、融」
「……そりゃどーも」
 しつこいったらない。
 根負けして、生返事を返す間も歩き続ける。
「それだけ?」
 不満たらたらの声。
 だけどほかに何を言えって?
 おまえがその脳天気な顔して現れるまで、俺はいい気分でいたんだ。
 期末前で何かと小うるさい授業は終わったし、風は気持ちいいし。まどろんでた、それを邪魔されて気を損ねさせられた上に、ご機嫌取りなんかしてやれるか。
「それだけ」
 ぞんざいに返したら、今度は立ち止まってしまった。
 不満を態度で示してるつもりだろうか? とことんガキくさいやつ。
 つきあってやる義理はなし。
 とりあえず愛想程度に声かけて、それでも歩き出さないならそのままほっぼって帰ろうと振り返った俺の前で、和彦は二股に別れたもう1つの道のほうを指差した。
「『天龍』で食って帰ろ」
「はあ?」
 その唐突な切り出しに一瞬面食らったものの、すぐにピンと思い当たる。
「おまえ、今夜の炊事当番サボるつもりだな!」
「いいじゃんいいじゃん。せっかく1年に1度の誕生日なんだしさ。優しい和彦お兄さまが、おごってやるから」
 えっへん、なんて、胸張って威張ってんじゃない!
 大体、誕生祝いがラーメン屋だとっ? 単に自分が楽したいだけだろうが! 違うというなら真面目に家で炊事しろ!
 などなど。
 クラッカーのことも含めて不平不満の言葉は山ほどあったが、こいつの作った食事と『天龍』のラーメンではわざわざ天秤にかけて比べるまでもなく『天龍』のほうがマシなものだから(それにやつはおごりだと言ったし)、とりあえず俺は、その他モロモロひっくるめてそれを喉の奥へ飲みくだすと、沈黙を合意であると勝手に解釈してさっさと先を行く和彦の後ろについて歩き出し――約15分を経て、俺たちは『天龍』にある一番奥のテーブルで向かい合って座っていたのだった。
 おごると言ったくせに、席についた途端「千円以下の物だぞ」などと制約をつけてきた和彦のバカは、早速運ばれてきた自分のラーメンを上からまっすぐ覗きこんで湯気に眼鏡を曇らせてしまっている。まったくドジなやつだ。
 そっぽ向いて壁の釣り棚に設置されたテレビを見ているフリしていたが、しっかり見たぞ。割箸相手に奮闘する間抜けな姿。
 この、何かと『兄』を連発する、そのくせドジでアホでついでにおマヌケなお調子野郎・和彦と俺の関係は、正確には従兄弟である。
 早くに夫に先立たれ、女手ひとつで厳しい生活を送りながら、母に捨てられた俺まで引き取って育ててくれた春子おばさんの一人息子というわけだ。(俺の養育費だと置いていった母の通帳は、とうの昔に焼き捨てられた。間違いなく、自分の息子を捨てた妹への怒りのためだろう)
 早く生まれたといったって、たった3ヵ月と5日しか違わないくせに、小さいころから何かと俺の世話を焼こうとする。その論理があれだ。『兄だから』。
 まったく、アホとしか言いようがない。俺のほうがずっとしっかりしていると、周囲の者は皆知ってるのに、肝心の本人だけが気付かない。
 大体、初めて引き会わされたときから体格は俺のほうが良かったし、身長も中学で引き離した。学校の成績だって俺のほうがいい。
 一体この現実のどこを見て、俺の面倒を見なくちゃいけないなどといった使命感に燃えるんだ?
 さっぱり分からない。独りにして心配なのも、和彦のほうだ。
 他県に住む祖母が入院してしまい、祖父の面倒を見るため春子おばさんが向こうへ行って、今日でちょうど1週間。とりたててうまくもない、量と早さだけが魅力のこの『天龍』の方がマシだと思えるほど、和彦の作るメシはまずいことが判明した。
 ……炊飯機で水の量を問違えておかゆにしたり、油も引かずに卵流しこんでフライパン焦げつかせてしまうようなバカは、今どきいるほうがめずらしいというものだ。このムカシオオトカゲめ。
 そうだ、お前は化石だ、プレートに潜りこんで1万年後に発見されろ、大馬鹿者。
「ええい、貸してみろっ」
 いまだに割れない割箸を取り上げて、割ってやる。
「おまえ、力あるねー」
 サンキューと礼を口にして受け取りながら、和彦は感心したような声を出した。
「おまえがないんだ!
 第一、こういうのは要領だ。たまには工夫ってものを――」
 と、そこでロを止める。
 それ以上言うのをやめたのは、このバカが人の話をまるで聞いてなかったからだ。
 顔はこっちを向いていたが、その視線は俺の肩越えた向こうをぼーっと見てやがる。
 一体何見てるのかと視線を追ったら、なんてことない、テレビ画面だった。
 夕方6時のニュースで、ナントカってコンツェルンの会長の娘が慰問の帰りに白昼堂々誘拐されたらしい。
 満席の客入りに店内が騒がしくて、音声はここまで断片的にしか聞こえてこない。
 その場面をとらえたとかいうカメラ映像と、あとは文字だ。そして和彦が見とれていたのは、切り替わってあらためて画面の中心に据えられた、誘拐されたという娘の写真だった。