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オープニング

ー/ー



『いつか本当の親がやって来て、自分を大きな屋敷に迎えてくれるに違いない』

 それは親を知らない子どもが人生で1度は夢見ることらしい。
 大底は現実逃避の単なる妄想、はやり病のようなものなんだが、俺の場合、結構その確率は高いんじゃないかと本気で考えていた。

 母を訪ねて月に数度、変なじいさんが家にやって来た。顔なんか覚えてない。ロをきいた覚えもない。名を呼ばれた覚えもなくて、とにかくいやなじいさんだった。
 いつも玄関先に停めた車の中でえらそうにふんぞり返っていたせいもあるが、何よりの理由は、すぐ母をどこかへ連れ去ってしまうからだ。

 夜遅く帰って来たときにはもう母1人で、そして眠い目をこすりながら玄関で出迎えた俺を抱いて泣くことは1度や2度じゃなかった。

 あのじいさんはだれかと尋ねても母は暖昧にほほ笑むだけで、答えてはくれない。
 ただ、こんなに母を泣かす、あんなじいさんはきらいだとなじったとき、1度だけ、

「そんなこと言わないで。あの人は、おまえの父さんなんだから……」

 涙を拭きながら、そう口にしたことがあった。

 まさかと疑う前に、嘘だと思ったね。
 このころ、どうしてほかと違ってうちには『父さん』がいないのかと、折りに触れてしつこく母を追及していたからだ。

 『お仕事で』『遠くに』『いつか戻るから』。そんなふうにつかれた悲しい嘘の1つ。

 今思えば結構あやふやな、その場限りのつじつま合わせばかりだった。もっとも、当時は俺もまだまだ頭の働かないガキだったから、そのときそのときはそれで納得していたんだが、さすがにこればかりは鵜呑みにできなかった。

 まだ祖父とか父の使いだとか言われた方が素直に信じられた。

 つまり、それほど歳がいってたのだ。横に並んだ母が、孫に見えたほどに。
 だから俺は、いつかあのじいさんが俺たちを迎えに来るんじゃないかと漠然と考えてはいたけれど、それほど望んでいたわけでも特に期待していたわけでもなかった。少なくとも、TVやマンガでよく見る、涙涙の感激抱擁シーンにはならないだろうと。

 そしてそのときはずいぶん早く、しかも意外な内容でやってきた。

 今からちょうど10年前の春。詳しい日付は忘れたが、とにかく陽気な1日とはほど遠い、遠くで雷鳴まで聞こえる曇天にまぎれるようにして、いつもの車はやってきた。
 ただし、中から降りてきたのはいつものじいさんじゃなく、その代理とかいう、見るからに自尊心の塊のような、頭の固そうないかめしいおっさんで、そいつは出されたお茶に触れるのもいやだという顔で一瞥(いちべつ)し、鼻にハンカチをあてて顔をそむけると、迎えに来たのだと短く言った。

 学校から帰った直後だった俺は、廊下を通る際にそれだけを耳にして、2階の自分の部屋に閉じこもっていたのだが、途中で母に呼ばれて同席することになった。

 しぶしぶ座った俺に、なにやらもったいつけて、小2の俺には理解する気も起きないような難しい言葉の羅列をそのおっさんは口にした。
 同席させながら、俺に話のレベルを合わせる気は毛頭なかったらしい。それどころか完璧無視されてたんじゃないかと思う。

 途中、母は何度か抗議の声を上げておっさんの言葉を邪魔し、そのたびにおっさんは、これだから下賎の者は……とでも言いたそうな、(さげす)むような視線を向けて首を振ると、淡々と同じことを繰り返した。実にいやらしいまねをする。

 こいつもいやなやつだ。
 さすがあのじいさんの使いだけあると、俺は妙に外れたことを1人黙々と考えていた。

 話が一向に見えてなかったせいもあるだろう。なんとなく、俺が話の問題点になっているんじゃないかという気はしていたが(母はよく俺を強く抱き寄せては声を荒げて早口で何かとまくしたてていたし)、それほど逼迫しなければいけないという考えが、俺にはなかった。

 べつに、このままでいい。特に困ったことはないし。

 ガキにしては冷めた考えだと思うかもしれないが、俺としては、たった7つで大金持ちの御曹司になりたい、さっさと連れてけなんて言うやつのほうがおかしいんじゃないかと思う。
 それに、肝心の行き先があのじいさんのいる家かと思うと、むしろ遠慮したい思いだった。

 とにかく、翌朝。俺は、母と自分の考えが全く違うものであるということを、目を覚まして初めて知ることとなったわけだ。

 枕元には通帳と印鑑。そして短い書き置きが1枚。

『融。お母さんはお父さんのところへ行きます。あなたのことは春ちゃんにお願いしました。
 春子おばさんの言うことをよくきいて、いい子でいてね』

 まだ寝ていた俺を揺り起こした母の姉の春子おばさんは、涙でぐちゃぐちゃになった顔で俺を抱きしめて、母を冷たい女となじり、罵倒していた。

 俺は、母に捨てられたのだ。

 母だけを望んだ、俺の父だとかいうじいさん。
 このときになってようやく俺は、あのじいさんは本当に俺の父親だったのかと自覚してしまい――そして俺は、いつか本当の親がどころか、たった1人残っていた母親さえ、失ってしまったのだった……。


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『いつか本当の親がやって来て、自分を大きな屋敷に迎えてくれるに違いない』
 それは親を知らない子どもが人生で1度は夢見ることらしい。
 大底は現実逃避の単なる妄想、はやり病のようなものなんだが、俺の場合、結構その確率は高いんじゃないかと本気で考えていた。
 母を訪ねて月に数度、変なじいさんが家にやって来た。顔なんか覚えてない。ロをきいた覚えもない。名を呼ばれた覚えもなくて、とにかくいやなじいさんだった。
 いつも玄関先に停めた車の中でえらそうにふんぞり返っていたせいもあるが、何よりの理由は、すぐ母をどこかへ連れ去ってしまうからだ。
 夜遅く帰って来たときにはもう母1人で、そして眠い目をこすりながら玄関で出迎えた俺を抱いて泣くことは1度や2度じゃなかった。
 あのじいさんはだれかと尋ねても母は暖昧にほほ笑むだけで、答えてはくれない。
 ただ、こんなに母を泣かす、あんなじいさんはきらいだとなじったとき、1度だけ、
「そんなこと言わないで。あの人は、おまえの父さんなんだから……」
 涙を拭きながら、そう口にしたことがあった。
 まさかと疑う前に、嘘だと思ったね。
 このころ、どうしてほかと違ってうちには『父さん』がいないのかと、折りに触れてしつこく母を追及していたからだ。
 『お仕事で』『遠くに』『いつか戻るから』。そんなふうにつかれた悲しい嘘の1つ。
 今思えば結構あやふやな、その場限りのつじつま合わせばかりだった。もっとも、当時は俺もまだまだ頭の働かないガキだったから、そのときそのときはそれで納得していたんだが、さすがにこればかりは鵜呑みにできなかった。
 まだ祖父とか父の使いだとか言われた方が素直に信じられた。
 つまり、それほど歳がいってたのだ。横に並んだ母が、孫に見えたほどに。
 だから俺は、いつかあのじいさんが俺たちを迎えに来るんじゃないかと漠然と考えてはいたけれど、それほど望んでいたわけでも特に期待していたわけでもなかった。少なくとも、TVやマンガでよく見る、涙涙の感激抱擁シーンにはならないだろうと。
 そしてそのときはずいぶん早く、しかも意外な内容でやってきた。
 今からちょうど10年前の春。詳しい日付は忘れたが、とにかく陽気な1日とはほど遠い、遠くで雷鳴まで聞こえる曇天にまぎれるようにして、いつもの車はやってきた。
 ただし、中から降りてきたのはいつものじいさんじゃなく、その代理とかいう、見るからに自尊心の塊のような、頭の固そうないかめしいおっさんで、そいつは出されたお茶に触れるのもいやだという顔で|一瞥《いちべつ》し、鼻にハンカチをあてて顔をそむけると、迎えに来たのだと短く言った。
 学校から帰った直後だった俺は、廊下を通る際にそれだけを耳にして、2階の自分の部屋に閉じこもっていたのだが、途中で母に呼ばれて同席することになった。
 しぶしぶ座った俺に、なにやらもったいつけて、小2の俺には理解する気も起きないような難しい言葉の羅列をそのおっさんは口にした。
 同席させながら、俺に話のレベルを合わせる気は毛頭なかったらしい。それどころか完璧無視されてたんじゃないかと思う。
 途中、母は何度か抗議の声を上げておっさんの言葉を邪魔し、そのたびにおっさんは、これだから下賎の者は……とでも言いたそうな、|蔑《さげす》むような視線を向けて首を振ると、淡々と同じことを繰り返した。実にいやらしいまねをする。
 こいつもいやなやつだ。
 さすがあのじいさんの使いだけあると、俺は妙に外れたことを1人黙々と考えていた。
 話が一向に見えてなかったせいもあるだろう。なんとなく、俺が話の問題点になっているんじゃないかという気はしていたが(母はよく俺を強く抱き寄せては声を荒げて早口で何かとまくしたてていたし)、それほど逼迫しなければいけないという考えが、俺にはなかった。
 べつに、このままでいい。特に困ったことはないし。
 ガキにしては冷めた考えだと思うかもしれないが、俺としては、たった7つで大金持ちの御曹司になりたい、さっさと連れてけなんて言うやつのほうがおかしいんじゃないかと思う。
 それに、肝心の行き先があのじいさんのいる家かと思うと、むしろ遠慮したい思いだった。
 とにかく、翌朝。俺は、母と自分の考えが全く違うものであるということを、目を覚まして初めて知ることとなったわけだ。
 枕元には通帳と印鑑。そして短い書き置きが1枚。
『融。お母さんはお父さんのところへ行きます。あなたのことは春ちゃんにお願いしました。
 春子おばさんの言うことをよくきいて、いい子でいてね』
 まだ寝ていた俺を揺り起こした母の姉の春子おばさんは、涙でぐちゃぐちゃになった顔で俺を抱きしめて、母を冷たい女となじり、罵倒していた。
 俺は、母に捨てられたのだ。
 母だけを望んだ、俺の父だとかいうじいさん。
 このときになってようやく俺は、あのじいさんは本当に俺の父親だったのかと自覚してしまい――そして俺は、いつか本当の親がどころか、たった1人残っていた母親さえ、失ってしまったのだった……。